クロノダイバー・クロニクル   作:久本誠一

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実を言うと今作、前作よりはまだ(重要)遊戯王要素が強いです。


囚われ未来のプリンセス

「ふぅーっ…………」

 

 深く、長く息を吐く。人間味など欠片もない冷たい純白の電灯に隅々まで照らされた、埃ひとつ落ちていないオフィス兼私室。ここが10年前のあの日以来、メールナー・マフリーンを取り巻く『世界(みらい)』だった。

 彼女以外の人間は、ここにはいない。誰かがここを訪ねるのは、あの兵器の設計図をより前進させる必要があるときに彼女を呼びつけるためこの会社の役員、及びそのSPが訪れる時だけだ。

 

「コーヒー。ブラックで頼むよ」

 

 無菌室を思わせる部屋の中で、虚空に向けて呟く。当然その言葉に返事はないが、ごくかすかなモーター音がそれに答えるようにうなりを上げるとデスクの一部にぽっかりと丸い穴が開く。すると数秒後にはその穴の奥から、味もそっけもないシンプルな紙コップに入った湯気の立つ黒い液体が机の上にせり上がってきた。

 10年前、まだそんな元気があった頃はこれを見るたびに驚いていた、気がする。まだ自分の運命を知らない純粋無垢な少女の時によく描いていた未来に関する空想のひとつにこんなものもあった、はずだ。もはやあの時のすべては忘却の向こう側に少しずつ移行しつつあり、かつての時代に置いてきた友人の顔も名前も、両親の声も思い出そうとしても次第におぼろげになってきている。

 そしていつしか彼女が生み出していた皮肉屋で大人びた人格は、こう呟く……おめでとう、メールナー・マフリーン嬢。君の未来予想図は、あながち間違いでもなかったようだ。たったひとつの前提、それが『素晴らしい未来』であるという一点を除いて。

 紙コップを口に付けてぐいと煽ると必然的に熱い苦みが口いっぱいに広がったが、ただ温度と苦みという情報を感じるだけで物理的な彼女の肉体は眉ひとつ動かさない。かつては同時に頼んでいた砂糖やミルクを抜くようになってから、もう何年経つだろう?埒もない思考は手の中の紙コップと一緒に握り潰し、くしゃくしゃになったそれを放り投げる。しかし潰れたそれは床へと落下する前にどこからともなく床を滑るようにして現れた分厚い辞書ほどの大きさの自動掃除ロボットがそれをキャッチして体内に格納、音も光も外に漏らさず瞬間焼却処分を終えてまた部屋の隅へと去っていった。こうして保たれる生活に何不自由なく全て機械がこなしてくれる、機能的な暮らし。

 

「……はっ」

 

 馬鹿馬鹿しい。そう感じるのは、自分の価値観が旧世紀の遺物だからだろうか?だが彼女にこのキャッチコピーに異を唱える権限がもしあるとしたら、迷いなくこう書き換える―――――『生存』に何不自由なく、と。こんなもの『生活』ではない、ただ生かされているだけだ。自殺を試みたところで、バイタル異常や薬物反応を検知した時点で速やかに医療班に連絡が入り今のような自動ロボットが強制的に救命措置に入る、ただ生きていることを強制されるだけの生活。

 これまた汚れどころか模様のひとつもないただただ真っ白でシンプルなつくりのベッドに腰を下ろすと、興奮かあるいは緊張か、それまで感じていなかった疲労が一気に両肩にのしかかってきた。いっそこのまま寝落ちしてしまえたら、どれだけ楽になるだろう。

 しかし口の中に色濃く残るコーヒーの味と注入したばかりのカフェイン、そして現実的な思考が彼女にそれを許さなかった。先まで着ていたドレスから今羽織っている白衣のポケットに無造作に突っ込んである通信端末へと、思い切って手を伸ばす。思い返すのは今日久しぶりに外へ出て会った古傷を持つ長身の男、最後の頼みの綱の顔だ。

 実のところ彼女は、クロノダイバーのことをほとんど知らない。その名前と渡りのつけ方を知ったのはほんの偶然……当然入っているであろうこの用意された端末への検閲を掻い潜るために普段から彼女が経由しているいくつかのダミーサーバーのうちひとつ、たまたまそこに気になる通話記録が引っ掛かっていたのだ。

 

O.f.:そろそろ時間だ、いつでも動けるよう待機しておけ

Chiyomaru@Shinobi:了解ですっ!しかし、オリフィスさんと共同任務なんて珍しいですよね!しかもかの時空怪盗団、時間を越える怪盗相手へのおとり捜査だなんてこれはもう忍びとしての本領発揮、バッタバッタとなぎ倒して大手柄を立てるしかありませんね!

O.f.:今の発言だけでも囮の意味わかっているのかとか隠しているのを名前で呼ぶなとかそもそもなんだこの本名丸出しのふざけた名前欄はとか言いたいことは山ほどあるが……とりあえず今だけはひとつに絞っておくと、あまり目立つと気取られる。リダンの奴はなまじ規格外に強いぶん罠があってもどうせ踏み越えられる、なんて慢心があるから準備さえ手を抜かなければまだどうにでもなるが、油断がないリューズの嗅覚は鋭いからな

Chiyomaru@Shinobi:ワンちゃんみたいですね……あのー、そういえば私自由行動中のお昼にハンバーガー食べちゃったんですが、大丈夫でしょうか?洋食って里では珍しいもので、つい……

O.f.:…………一応、本当に一応言っておくが物の例えだぞ

Chiyomaru@Shinobi:も、もちろんわかっていましたとも、ええ!忍びジョークです、忍びジョーク!アハハ……そ、それはそうと念のため最後に見ていただきたいのですが、時空怪盗団への依頼の符丁ってこれで問題ありませんよね?

O.f.:ああ……待て千夜丸、お前まさかこの通話の通信サーバー、一般のものそのまま使ってるのか!?

Chiyomaru@Shinobi:え?あっ!ご、ごめんなさい間違えました!

O.f.:いいから早く切ってくれ……!

 

 それきり切れたどこの誰とも知れない訳の分からない会話と、そこに添付された依頼の符丁と称されたデータ。どこかの子供がスパイごっこでもやっているのだろうと鼻で笑いはしたが、その中に現れた『時空怪盗団』という言葉の響きは多少なりとも彼女の興味を引いた。自分でも何をしているのかと疑問に思いながらも、丸ごとコピーしてオフラインに移し替え保管しておく程度には。

 そして結果的には、その行動は吉と出た。わずか数分後にはもう、まるで痕跡を残さない不可解なアクセスにより通話記録のオリジナルはその存在ごと跡形もなくサーバーから削除されていたのだ。

 それだけで信じるには、あまりにもか細い希望。そもそも仮に通話がなりきりのお遊びや狂人の戯言ではなく真実で、さらに仮定を重ね掛けて時空怪盗団とやらが彼女の置かれた立場に何らかの回答を持っていたとしても、この通話内容からして直後に捕まっていてもおかしくない。それでも同じく彼女の置かれた立場に一定の理解を示してくれそうな数少ない候補、時空移動理論を編み出したパーペチュア博士へのアプローチが全てオール社の手によって握り潰され失敗した以上、もはや彼女に打てる手など他にありはしなかった。

 そして、今だ。確かにそこにいた男に、話を通すことはできた。直接伝える勇気を持てなかった内容を口にして撮影した記録媒体も、どうにか渡すことができた。後はそのうえで彼らが自分の話を信じ、この依頼を引き受けてくれるかどうか。恐る恐る確認した端末には、しかし何のメッセージも来ていない。今夜のうちに結論を出して一度通信を送る、そう聞いていたのだが。しかしその瞬間を狙いすましたかのように新着メッセージが届き、彼女の心臓は跳ねた。震えそうになる指先で、恐る恐るその内容を確認し……胃の中に岩でも落ちてきたように、気分が一気に底へと沈む。

 

『明日の正午からまた仕事をしてもらう、時間までに地下第4実験室まで来るように』

 

 簡素な指示の送り主は、彼女の上司。彼女を本来いるべき時代からこの場所へと拉致した、千度憎んでもなお余りある全ての元凶。彼女が第4実験室に行けば、またあの兵器の開発は進むのだろう。すでに試作品が完成している主軸の「デッドネーダー」のみならず、まだ仮想空間でのシミュレーション段階であるもののそのサポート機として運用される「デュオドライブ」、さらには小型機「ソード」「アイス」「パルマ」「エクス」「ノード」、そしてつい最近になって彼女の脳が新たなデータをもとに突然閃いたもうひとつ。そしてそれらを支える、専用エンジンに専用武装……世界を終わらせるほどの破壊力と持久力、そしてそれだけの稼働に耐える耐久力を秘めたオール社の社名を冠した最終兵器群、プロジェクト名「ライゼオル」。

 彼女は、そんなものの開発のために指一本たりとも動かしたくはない。しかし彼女の意思とは無関係に、彼女の脳はあれら兵器の完成図案を導いてしまう。そしてその特異性こそが、はるばる時空を越えてまで彼女がこの時代へと呼び出された理由だった。

 

「君の頭脳は特別……そう、特別なのだよ君ぃ」

 

 かつての日々は忘却の彼方へ少しずつ消えていっても、10年前のあの日のことは今でもくっきりと思い出せる。家族から、友人から何か致命的なほどに引き離されたことを本能的に感じ脅える彼女に初対面のあの男、醜く太った中年は潰れたヒキガエルのような声で悪びれるでもなくそう言ってのけたのだ。

 

「我が社の業績は伸び悩んでおり、このままではいずれ規模の縮小は避けられない。何か新しいことを、全く新しい風を社内に吹かす必要があったわけだ。そこで我々は一度、グループ企業含めた全社員に対し大規模な血液検査を行った。君のいた時代からは想像もつかないだろうが、血液というものからは昔より遥かにたくさんのことが読み取れるようになっているのだよ、君ぃ」

「ひっ……!」

 

 脂ぎった顔の奥の何か狂信的ともいえる光をたたえた瞳に射抜かれて、恐怖のあまり後ずさる。しかし、逃げ場はない。昔も、今も。

 

「もとより期待は薄かったとはいえ案の定大した奴はいなかったが、それでも全くの無駄ではなかった。ある下請けの平社員のDNAから、そいつ自体はもはや大した人間ではなくなってはいるがそれでも十数代ほど遡れば突然変異的にその家系に生まれ、本人すら知らない才能を秘めたままとうとうそれを活かすことなく死んでいった稀代の天才の存在を示す名残が見つかったのだよ。わかるかね……それが、君だ」

「一体、何を言って……」

「君の頭脳はある分野においては人類史上でもずば抜けた才能を持っていたが、君が史実においてはとうとうその才能を眠らせたままでいたこともわかっている。君の名前が歴史のどこにも刻まれていないのが、その証拠だよ。しかし、それではあまりに勿体ない。ことは我が社のみならず、人類全体の損失だよ君ぃ。だから私は我が社の経営改善はもちろん君の才能を開花させ人類の歴史を変えるため、こうして過去の時代から君を呼び寄せたのだよ」

「そんなの……そんなの、何かの間違いです!だからお願い、家に帰してください!大体私は学校の成績だってそんなに良くないし、天才なんてあり得ません!」

 

 必死の訴えはしかし、目の前の男には届かずに。

 

「学校の、勉強?君の時代の教育など、一体何の役に立つというのかね君ぃ。君が自身の天才性に気が付かなかったのは、正しい理論を学ぶ機会もなく身に着けていなかったからだよ。だが論より証拠という言葉もある、まずは試してみようじゃないか。おい、あれを持ってこい」

 

 部屋唯一の出入り口付近に立っていた黒いスーツ姿のSP達にそのでっぷりと肥えた顎をしゃくって合図すると、そのうち一人が無言で頷き退室する。少ししてその男が戻ってきたとき、その両手にはヘルメットのような形に大きさの機械とモニターが掴まれていた。

 

「君に分かるように言えば、これは学習装置といったところかな。つまりこれを被ることで脳に微弱な電波を流し、君の時代と身分では知るよしもなかった化学式や理論を直接覚えさせることが可能となるのだよ君ぃ。そしてそれらの武器を得ることで君の天才の頭脳が覚醒、そのまま完成させた結果がこのモニターに映し出される。と、まあそうなるわけだ……やれ」

「嫌、放してっ!」

 

 抵抗する少女だったが、もとより力で敵うはずもなく。強制的に被らされたヘルメットの電源が入った瞬間、彼女は心底恐ろしくなった。目の前の中年でも、彼女を拉致し今また拘束してきたSPでもない。彼らが何を言っているのかが理屈抜きに理解できてしまった自分が、だ。脳に直接刻み込まれるかのようにさっきまで知りもしなかった数式や分子モデルが湧き上がってくると同時に彼女の心のどこかがまるで水を得た魚のように、ずっと求めていたものがようやく手に入ったかのようにそれらを猛然と組み合わせ、応用し、彼女自身が制止しようとしても勝手に新たな式と解が思いつくのを止められない。そしてそれらは眼前のモニターへと凄まじい勢いで映し出され……しかし数十秒ほどすると、モニターの動きが突然に停止した。数式の途中でERROR、の文字が出て、それきり動かなくなる。

 それを見た中年は一瞬唖然とし、ややあってその顔面の中央からゆっくりと喜色が満面に広がっていった。

 

「なんだと、読み取りの性能が追い付かなかったとは!いやぁ素晴らしい、やはり天才だよ君ぃ!もっと性能のいい機器を用意しよう、今日の所はもういいから下がっていたまえ!これで私も出世は確実、運が向いてきた!」

 

 それからの日々は、同じことの繰り返しだった。中年上司がどこからか持ってきた新しい読み取り機は確かに最初のそれより粘りはするものの彼女の頭から無限に湧き上がってくる情報の奔流を捌ききれずに結局は毎回途中でエラーを吐くため、その理論を一度に全ては手に入れることができない。少し読み取っては機器に限界が来る前に途中で止め、それを元にシミュレーションを行い、また続きから読み取っては途中で止める。止めようとしても思考を止められない反面、彼女自身に無理やり続きを書かせようにも下手に刺激して脳に悪影響が出るリスクを考えると自白剤や催眠、脅迫といった手も使えず。10年という日々をかけて「ライゼオル」の計画はごくゆっくりと、しかし着実に進んでいた。

 

「……駄目、なのか?」

 

 時空怪盗団を名乗る彼らにも、自分の話は信じられなかったか。あるいは単に、割に合わない仕事だと判断されたのか。考えないようにしていた嫌な想像が、疲れた心を蝕んでいく。首を振って振り払おうとしたその時、唐突にそれは起きた。

 

「うっ……く……!」

 

 肺が一度に詰まったかのように声が出せずに呼吸もできず、心臓は縮み上がるような感覚と共に平時の数倍の速度で早鐘を打つ。苦しい、というよりもおかしい、という感覚の中、ここにいてはいけないという意識だけがどうすることもできず漠然と膨れ上がる。パニック障害ともまた違う、慣れることはないが慣れ親しんでしまった感覚。陶器のように白くなりつつある顔で酸欠の金魚のように口をパクパクと開きながらも白衣のポケットからどうにか赤い液体入りの使い切り注射器を取り出し、震える指で躊躇なく首筋に刺して血管にそれを注入する。瞬間、まるで先ほどまでの症状が嘘のように一気に楽になる。

 

「……っはぁ、はぁ、はぁ……!」

 

 荒い息をつきながら刺さりっぱなしの注射器を弱々しく引き抜いて、またしても現れた掃除用ロボットにそれを投げつけて焼却処分されるまでを見るともなくぼんやりと見る。彼女自身も気が付かないうちに、その目からは涙が溢れていた。

 今の症状は、彼女の持病などではない。これが望まぬ時空移動の代償であり、同時にオール社が彼女を事実上軟禁するにあたり取り付けた最長の鎖だった。

 彼女は時空移動に耐えうる特別な塩基配列を持たず、またその体には後天的にリューズの遺伝子も組み込まれてはいない。つまり彼女の体はこの本来いるはずもない時代に対し10年経つ今でもなお絶えず拒絶反応を起こしており、それを打ち消しているのが今の液体……提供(・・)された遺伝子を元に作られた疑似血液である。一応はこれでも拒絶反応を止める事が可能であり製造コストも多少は安価かつ人体へのリスクも小さいものの、そのメリットはあくまで遺伝子を組み込む手術に比べれば、の話であり、しかも体内で疑似血液の成分が完全に消えた瞬間から再び拒絶反応が始まりそれを止めるためにはまた同じものを注入する必要が……と結果的に遺伝子操作の方が安くつく欠点から裏社会でも一時期注目された後は速攻で開発が見送られたという欠陥品だが、オール社はそれを逆手にとってこの疑似血液を餌とすることで彼女をこの場所に住まわせていた。なまじ欠陥品として切り捨てられた技術のためもはやその製造法は社内にしか残っていない点もまた、彼女の逃亡を阻止するうえでは都合がよかった。

 ようやく呼吸が落ち着いた彼女だったがもはや起き上がる気力はなく、両目からの涙はなお止まらない。今のタイミングでの拒絶反応は、彼女の心のどこか致命的な部分をへし折っていた。

 

「助、けて……!」

 

 ベッドの上で縮こまり、丸まって。弱々しく、誰にともなく声が漏れる。世界を守るため、「ライゼオル」を完成させないため……そんな大義名分はかなぐり捨てた、理不尽と身勝手に一方的に振り回され続けた少女の心からの小さな叫び。

 そしてその声に応えるかのように、床に落ちた端末が震えた。たまたま上になっていた表の面に、メッセージではなく1枚の画像がポップする。半ば条件反射で白衣で涙を拭いそれに目を落とした彼女の視界が、すぐに熱い涙で再び潤みだした。

 

【予告状。三日後の深夜零時、メールナー・マフリーン嬢を盗み出します

―――――時空怪盗団(クロノダイバー)




今度の敵はライゼオル!
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