クロノダイバー・クロニクル   作:久本誠一

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初めに戻ってエピローグ

 ステルス迷彩で空に溶け込んだベゼルシップから、一組の男女が手を繋いだ状態で誰にも見られず地表に降り立った。首に青いスカーフを巻いた長身の男の強面な顔面には、大きな古傷が走っている。大人びた美貌と人目を惹くスタイルが特徴的な女は周辺の何の変哲もない街角の風景をきょろきょろと今にも感極まって泣きだしそうに、その目に焼き付けようとしているかのような勢いで眺めている。

 

「リューズ!私、本当に……!帰って、きて……!」

「だから言ったろ、大丈夫だって。それともメル、俺の信用はそんなになかったのか?」

「またそうやって、意地の悪いことを言う……!」

 

 むうと頬を膨らませる姿に、リューズと呼ばれた男が声を上げて笑う。そして繋いでいた手を解くと、幾分緊張した面持ちで女の頭へと手を伸ばした。ここに降り立つ前にパーペチュアから聞いていた話が、脳裏に蘇る。

 

『要するにリダンが言いたいのは、この時代で騒ぎが起きるからメールナー博士が未来からまた狙われるってことでしょう?なら、初めから何も起きなかったことにできればいいのよ!』

 

 一周即発の事態に割って入った彼女がそう叫ぶと、リダンとリューズはお互いどこか毒気を抜かれた顔で目を見合わせた。少なくとも今すぐ撃ち合いが始まることは回避できたことを確かめて、さらに捲し立てる。

 

『私たちの時代でのライゼオル計画の残存データは私がどんな手を使ってでも必ず全部破棄するから、問題なのは博士がもう一度あれを作らされるか否か。でも博士が頭角を現さずにただの一般人として過ごせれば、全人類をDNA単位で総ざらいでもしない限り見つかる可能性なんてまずないわ。それはさすがに現実的じゃないわね』

『でも、それをどうやってやるつもりなの?』

 

 毒気は抜けても意志は固いままのリダンの問いに大きく頷き、稀代の天才はリューズの方へと向き直った。

 

『それは―――――』

 

 いつの間にかはしゃぐのをやめてじっと彼の行動を待つ女……メールナーの姿に、リューズははっと現実に戻された。咳払いして、集中力を研ぎ澄ませる。

 

「じゃあ、始めるぞ」

「……待ってくれ、リューズ。私の理解した所によると、だが。もしかしたら、ここで今君と話している『私』は、これきり消えてしまうのかもしれないのだろう?」

「ああ、そうかもな。時間を巻き戻す動きは、俺の不正侵入(ハック)にしかできない。俺自身わからないことも多いから、これに関しては本当に何とも言えないんだ」

 

 一応オリフィスって奴ならリダンのおいていけ(フライバック)を打ち消して結果として巻き戻すことも可能だが、あれはまた原理が少し違うからな……そんなことを続けかけて、結局は止めておいた。例外の話を持ち出しても、無駄にややこしくなるだけだ。

 つまり彼が今からやろうとしていることは、メールナーの体に対しての時間の巻き戻し。10年前、彼女がこの時代から連れ去られた当時の姿に戻すことで、完全に彼女を日常に戻し誘拐そのものを見かけ上なかったことにする……単純にして乱暴だが、膨大な時の流れの中にひとたび紛れ込ませてしまえばこれほど効果的な一手もない。木を隠すには森の中であるように、人を隠すには人の中だ。

 だがそれは効果的である反面、極めて未知の事象でもある。リューズの能力である不正侵入(ハック)は時間の緩和、停止、そして逆行を得意とするが、彼は主にこれをごく小さな範囲やちょっとした小物の修理に対して使ってきていた。同じ能力でもリダンのように、瞬きひとつの手間すらかけずに百年だろうと千年だろうと吹き飛ばすほどの力は彼にはないからだ。そして生きた人間相手にもそれは同じであり、喧嘩の際に薬物を摂取前の状態に戻して痛覚を蘇らせる、あるいは自分のパンチを当てた瞬間その直前に引き戻すような小技は多々使えども、直接その体を若返らせるような真似は自他問わずやった試しがない。

 その結果、対象の記憶がどうなるのかも彼は知らない。

 

「……脳も含めて全部10年前の状態に戻すんだから、それ以降の記憶が消えたとしても理屈じゃおかしくはない、が」

「たとえ体がどうなろうとも、私の記憶は持ち越せる可能性も確かにある。記憶は脳に宿るか、それとも魂に宿るのか、か。なかなか哲学的じゃないか。いや、この場合は私の魂も10年前の状態にそっくり戻る可能性があるのか?だとするとその場合、やはりこの『私』の記憶は消えることになる。なるほどその方が平穏に生きていけるのは間違いないだろうが、これは『私』の方がやや不利だな」

「メル……」

「そんな顔しないでくれ、リューズ。『私』はかつての私と地続きとはいえ、本来はいる方が不自然な人間なんだ。それに第一、まだ体を戻せば記憶ごと消えると決まりきったわけでもない」

「そう……そう、だな」

 

 誰よりも怖いのは、気丈に振舞う彼女自身のはずだ。現にその口調は彼女本来の素ではなく尊大さすら感じられる博士然としたもの、自分を守るために彼女が作り出したなけなしの殻へと戻っている。

 確かに彼女が過ごしたこの10年間は、忌まわしい記憶以外の何物でもない。それでも彼女の人生の一部であり、その人格を形作ってきたことには変わりない。それがその記憶ごと全てなくなってしまえば、それは確かに同じメールナー・マフリーンではあるかもしれないが、少なくとも今リューズと話している『彼女』とは違う存在だろう。

 下手をすれば、という前提のもととはいえ自分の人格が完全に消滅して、それどころかこの歴史上最初から存在すらしなかったことになる想像を絶する恐怖。ずっと家に帰りたがっていたのは他ならぬ『彼女』であるにも関わらず、もしかしたら『彼女』自身にはそれが不可能となるかもしれない絶望。それをパーペチュアから正直に伝えられてなおメールナーはかつての姿に、かつての時代に戻ることを選んだ。その勇気を、リューズは心から尊重する。

 

「……じゃあ」

 

 あくまで彼女の特殊な状況と背景ありきのものとはいえ曲がりなりにも好意を向けられ、彼自身としてもその思いに応える資格こそないと自認はしているがそれでも憎からず感じるようになっていた相手を、これから彼自身の手で歴史の闇にすら残らない場所へと葬ってしまうのかもしれない。

 時間を置けば置くほどに残酷で最悪な可能性がちらつき決心を鈍らせていく中、それでも当の彼女が見せる勇気に、自分が一番怖いだろうに彼の心理的負担を少しでも和らげようと精一杯に強がるその姿に、今度こそ彼も覚悟を決めて。すうと息を吸い込んだ瞬間、最後にメールナーが口を開いた。

 

「ねえ、リューズ。最後にもうひとつだけ」

「……ああ、なんだ?最後ってのはともかく、まずは言ってみてくれ」

「もしも次に目を開けた時『私』がここにいなかった時のために、どうしても今言っておきたくてね」

「おいおいメル、そんな格好つけてると、これで普通に今のお前が残ってた時に後で恥ずかしいだけだぞ?」

 

 それが正解なのかは彼自身にもわからなかったが、精一杯おどけて返す。その姿を想像したのか、彼女もクスリと微笑んだ。

 

「それでも、言っておきたいの。私は、このメールナー・マフリーンは。世界中でリューズ、あなたのことが誰よりも……」

 

 一息にそこまで言い切って、一度言葉を止める。その先を止めようとするリューズだが、しかしそれ以上の言葉が彼女の口から語られることはなかった。代わりに満開の花のような笑顔を浮かべ、真っ直ぐに目の前の男の目を見据える。

 

「ここから先は『私』がここに残っていたら、その時に言わせてもらうよ。さあリューズ、始めて」

 

 戸惑い動揺する愛しい男の顔を最後の瞬間までじっくりと脳裏に焼き付けてから、満足して目を閉じるメールナー。少し意地悪だったかな、そう思うが、それでも後悔はなかった。もしも彼女がただ愛の告白を口にしようとしていたら、あのずるい男はそれをきっと途中で止めていただろう。女の勘にすぎないが、きっとそんな気がした。

 だから少しばかり、賭けと駆け引きをしてやることにしたのだ。もしも今の人格と記憶が残っていれば、それでよし。宣言通りに続く言葉を口にするだけだが、彼にはそれを止める隙を与えない。

 でも、もしも。もしも、この自分が消えてしまったら。その時は少し心苦しいけれど、せめてリューズにだけは今ここにいる自分のことを覚えておいてほしかった。私が一体ここで何を言おうとしていたのか、ほとんど答えはわかっていてもそれは確実ではない。実際に答えを確かめるまで、予測は絶対には成り得ない。シュレディンガーの告白だなんて、科学者には相応しい愛の言葉の囁き方だろう?そして『彼女』が消失すれば、箱の中身を確かめる術は永久に失われる。二度と開かない箱のことを開かないがゆえに心の片隅に留め置いて、時おりでいいから思い返してくれるのならば。それが消えゆく私にとって、唯一にして何よりの慰めだ。

 ……それに付き合わされる彼にはいい迷惑だろうが、もし本当にこれで最後となるならば。せめて私にも、これくらいの我が儘は許してほしい。そしてそんなちっぽけな願いが許されるのならば、私はもう何も怖くはない。

 

「ったく……それじゃあ、始めるからな。不正侵入(ハック)

 

 リューズの声が最後に聞こえる。そしてメールナーの意識は、真っ白になった。

 

 

 

 

 

「くっ……!」

 

 額には脂汗が滲み、ひどい眩暈に膝が笑い足元がふらついてたまらず背後の壁、一般家庭のフェンスに身体を預ける。10年分の巻き戻しを人間サイズに向かってというのは、普段の彼の能力行使の規模からすれば桁外れに大きい。それでも歯を食いしばり、彼はメールナーの体をかつての状態に戻し続けた。女性としては比較的高かった身長は縮み、胸元や腰回りの膨らみは目に見えて小さくなり、目を閉じた顔立ちも妖艶な大人の女性から少女のそれに近しいものへと変化していく。そしてついに、その瞬間は訪れた。

 

「くはっ!ハッ!ハッ、ハァ……」

 

 時間の巻き戻しを止めて、倒れる寸前の状態で荒く不規則な息をつく。わかってはいたことだが、やはりリダンのようにいきはしない。それでもどうにか倒れ込まずに、慎重に目の前のメールナーをしげしげと眺める。10年の歳月が彼女をどれだけ変えていたのかをこうして目の当たりにすると、それを全て奪い取っていた連中への冷たい怒りが今更ながらに改めて湧きあがる。

 

「……!」

 

 目を閉じたままの姿勢で、まるで人形のように直立しているメールナー。やがてぴくり、とその瞼が震えた。ゆっくりとその瞳が開く。焦点を合わせるかのように何度か目を瞬かせ、どこかぼんやりと周囲を見回して。やがて再び正面のリューズを認めると、慌てて近寄ってきた。

 

「あ、あの、あなた、とても苦しそうですけど大丈夫ですか?」

 

 その言葉にからかうような響きはなく、純粋に見知らぬ人(・・・・・)を心配する想いだけが込められている。それを理解した瞬間、リューズは目の前が真っ暗になったような錯覚に陥った。それでも何とか、心配そうに見つめる少女へと苦笑を向ける。

 

「……ああ、大丈夫だ、嬢ちゃん。少し、飲み過ぎたみたいでな」

「でしたらお水、どこかで買ってきますね!少し待っていて……」

「いや、いいんだ」

 

 慌ててどこかへ向かおうとする少女を手で制し、ひどい疲労感で動かすのも苦痛な体でのろのろと立ち上がる。

 

「……嬢ちゃん、いい子だな。でも俺は本当に大丈夫だ、少し休めばよくなるさ」

「そう、ですか?なら私は、これで行きますけど……本当に、無理しているようなら言ってくださいね。今日は私、もう家に帰るだけですから」

「ああ、いいんだ。ありがとうな」

 

 リューズの意思は固いと理解したのか、何度か不安そうに振り返りながらもやがてその頻度も減って次第に離れていくメールナー。このまま何事もなかったように家に帰って……いや、事実として何事もなかった(・・・・・・・)のだ。ある少女が突如として行方不明となり、一切の進展もなく未解決で迷宮入りとなった事件など最初から発生しなかった当たり前の一日、それが今日という日だ。そして彼女はそんな日々を繰り返しながら、本来あるべき幸せな人生を生きていくのだろう。今日のことなど、やがては流れゆく日々の中に忘れ去ってしまうくらいの。

 小さく離れていく彼女の背中を見つめながら、まだ力ない手つきでポケットを漁る。なんだか、無性に煙草が吸いたかった。

 

『リューズ?』

『リューズ……』

 

 仲間たちの声が、タイムレコーダーから聞こえてくる。良くも悪くも起きてしまった歴史の変更は、(セキュリティ)Force(フォース)がいい顔をしない。いくつあるかもわからない彼らの前科が、これでまたひとつ増えたわけだ。しかし今すぐベゼルシップに戻れとは、どちらも口にしない。その気遣いが、今の彼にはありがたかった。

 

「じゃあな、メル……忘れねえよ」

 

 最後にそう呟いて、彼女の去っていった方角を一瞥し。取り出した煙草に、彼は火をつけた。

 

 

 

 

 

「え?」

 

 メールナー・マフリーンは、ふと足を止めた。どこかで自分の名前が、それも親しい友人たちだけが呼ぶ略称で呼ばれた気がしたのだ。しかしこの辺りに、彼女の親友が住んでいる家はない。しかし彼女が最初に思い浮かべたのはどちらにせよ友人たちではなく、つい先ほど出会っただけの酔っ払いだという青年の顔だった。しかし彼女はあの男性とは間違いなくあの場所が初対面であり、そもそもお互いに名乗ってすらいないほんの通りすがりの関係だ。

 だからあり得ないと思いつつも後ろを振り返ってみようとして、しかし迷いつつも結局は前を向いたままで再び歩きはじめる。なぜかはわからない。しかし、ここで振り返るのは彼女のやるべきことではないという思いが強くしたのだ。誰かはわからないけれどもっと他に、そうすべき誰かがすぐ近くに確かにいたような。

 それにしても、と、彼女はもう一度、あの青年の顔を思い浮かべた。随分と背が高くてがっちりした体つきの、傷跡も顔つきも怖い危険な香りの人だったけれど。同時にどこか優しそうで、どこか寂しそうな雰囲気も漂っていた。でもそれを埋められるのも、やはり彼女ではなく他の誰かだった……そう、彼女の直感は告げていた。いやそもそも、別にああいった男が彼女のタイプというわけでもないのだが。でもあんなボーイフレンドがいれば、あるいは退屈はしないのかもしれない。

 

「……なーんて、ね。ママ、ただいまー!」

 

 ぼんやりととりとめもないことを考えているうちにいつしか辿り着いたのは毎日出入りしている、なんてことのない我が家。ついさっき出てきたばかりなはずのその玄関をなぜだか無性に懐かしく感じて、彼女は小走りで家に駆けこんだ。

 そのころには、先ほど出会った不思議な男のことなどすでに綺麗さっぱり忘れていた。




これにてRank 4 pride、完結しました。
私個人としてはハッピーエンド至上主義なのに、ひとたびストーリーに恋愛が絡むとだいたいこういう感じに落ち着くのは本当に何なんでしょうね(他人事)。
……まあでも、この話はこのエンドが一番良かったと思います。
短い間でしたが、皆様お付き合いいただきありがとうございました。
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