Half time thief   作:久本誠一

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缶ジュースは甘酸っぱく

 朝。待ち合わせた時間の15分前―――――昨夜パーペチュアに女の子待たすなんて言語道断なんだから1時間前、せめて百万歩譲っても30分前には到着しときなさいと口うるさくせっつかれ、そんな早く行ってどうすんだよと議論(売り言葉)議論(買い言葉)を重ね続けてお互い疲弊してきたころに渋々同意した妥協案の時間だ―――――に普段の服装ではなく身軽なスポーツウェア上下、更にちょっとした『小道具』を入れた肩掛け鞄といった格好のリューズが目的の自然公園前に現れると、そこにはすでに同じく身軽な格好のマイがいた。まさか本当にあちらが先に来ているとは思わず、小さく顔が引きつったのが自分でもわかった。彼女は何も悪くはないが、昨晩ごねた挙句に結局こちらが遅れたことなどバレたら一体パーペチュアにどれだけ小言をくらうことになるか。

 今夜の打ち合わせをどう誤魔化すか?いやまず差し迫っているのは目の前の彼女だろう、いつから来ていたのかは知らねえが、さすがに何も言わずにしれっと合流するのは『ない』だろうが、仮にも待たせちまったのは事実だしなんと声をかけるべきか。

 もしパーペチュアが聞いていれば、見た目は人寄せ付けないくせに一皮剥けばそういう発想がナチュラルに出てくるギャップ、ほんとそういうところよー?などと言われそうな思考をばっと繰り広げ……ようとしたところで、どうも様子がおかしいことに気が付いた。どうも先ほどから、彼女は一人ではなく誰かと喋っている。ちょうど彼女の後ろから近づいている形になっていたためあちらはまだ自分に気が付いていないが、考えられるパターンとしては今回の依頼に何かバックでもいるのだろうか?なら先に掴んでおくかと、気配を断って耳を澄ます。街外れとはいえそこそこ人通りはある雑踏の中で、集中が増すにつれ次第に昨日聞いたことで特徴を覚えた彼女の声が明瞭なものになって彼の耳に届き始めた。

 

「……いえ、先ほどから言ってますが、今日は人と待ち合わせているんです。すみませんが」

「えー?でもさ、こんなカワイイ子待たせるような男で、しかもまだ知り合って一日ってさっき言ってたじゃん!そんな男ならもう縁なんて最初からなかったと思ってさ、今日!偶然!出会った俺とむしろ運命感じちゃわない?」

 

 ……ズッコケそうになった。ちょっと一人になっていただけでナンパされる依頼人というのも初めての経験だが、そんなもの真剣に立ち聞きしようとしていた自分も情けない。ガシガシと頭を掻き、ここ数日間では最大サイズのため息をたっぷり吐いて足を動かす。さすがに素人相手に暴力に走るつもりはないが、それなりにこの苛立ちはぶつけさせてもらおう。

 

「ほら、お茶!まずはお友達ってことでさ、ちょっとお茶でも一緒に……」

「よお兄ちゃん。その『お友達』、俺にも立候補させてくれよ。なあ?」

「あん?誰だよ……ひっ!?」

 

 ガッ、と不意打ちで肩を組み人体の急所をさりげなく押さえるヘッドロックの姿勢に移行、笑っていない目で口元だけの笑みを浮かべてみせると、あからさまに男の顔がさっと青くなった。

 ……本人にも自覚はあるが、リューズの人相ははっきり言って悪い。顔の造形自体は相当に整っており色男と称して何ら恥じることはないほどなのだが、彼の持つそれは元来人を寄せ付けないタイプのそれだ。しかもその険しい顔立ちの第一印象を緩和させようなどとはまるで考えていない鋭い、ともすれば殺気すらも纏った目つきに顔面の中央付近、鼻の付け根当たりに薄く走る明らかに堅気のそれではない古傷。そして極めつけにこの時代ではもちろん、彼の元居た未来の世界ですら珍しい2メートル近い高身長から放たれる細身ながらも筋肉質で、余分な脂肪などは一切ない完璧に絞ってある体格の良さの相乗効果による威圧感。ナンパ男も別段貧相というわけでもなかったのだが、ここは圧倒的に相手が悪かった。

 もはや蛇に睨まれた蛙のごとく怯えの色を隠そうともしない男だが、形だけの緩いものとはいえヘッドロックのせいで逃げられない。逃げようとしたら即座に首の骨をへし折られる、そんな原始的な恐怖が全身を支配する。さらにそこに駄目押しのごとく、目の前で今しがたずっと狙っていた女からのどこか親しげな、自分に向けられていたものとは明らかに温度が違う声が飛んできた。

 

「あら、来ていたのね」

「悪いな嬢ちゃん、待たせちまったみたいで。まあ、そういうわけだ兄ちゃん。ナンパは結構だが、人の女に唾付けようとしたのは不味かったなぁ?」

「す、す、すみませんで、でした……!」

 

 もはや青を通り越して血の気も抜けきり白くなりつつある顔で、ガタガタ震えて脂汗を流しながら必死に謝罪の言葉を口にする男。何もわからずとも、自分を拘束している存在に対する恐怖を本能で感じているのだ。どれだけ爽やかな格好に身を包んでも取り繕い切れない、裏稼業に生きるもの特有の危険の匂いを。

 

「おう。まあ気にするなよ、誰にでも間違いはあるもんだ……1回はな。次はねえぞ」

 

 にこやかに腕を離してやってからその耳元に顔を近づけ、とどめに形だけの笑みを消してドスの効いた声色で言い放つ。今度こそ声にならない悲鳴と共に這う這うの体で逃げていく男の背に、心の中で軽く手を合わせておく。悪いな兄ちゃん、いくらイラついてたからって今のはさすがにやりすぎたわ。ま、運と相手が悪かったと思って諦めてくれ。

 その姿が雑踏の中に紛れて完全に見えなくなったのを確認して、ようやく背後のマイへと振り返る。しかし、まあ、なんというか。改めてその全身を正面から見回し、リューズは妙な納得をした。彼と並ぶと際立って小さく見えるが、元より彼女の身長はせいぜい150センチ程度と彼の身長に関係なく小柄な方だ。そんな小柄な体躯とただ突っ立っているだけで所在なさげな両手の動きなどやはりどこか全体的に小動物めいた所作のイメージからはまるで真逆なクール系の整った顔立ち、機動性を重視した体にぴったりと張り付くホットパンツという恰好のせいで余計に強調される若さに溢れた眩しい生足。ましてそんな彼女が、近くに男の影もなくたったひとりで人待ちをしている。

 普段仕事を共にする相方たちが『そういう』欲求の極端に薄いリダンに色気より工具が欲しいパーペチュアということもあり、効きが薄すぎて消去法的に自分に回ってくることの多いハニトラの対処も慣れたものであるリューズだからこそいちいち意識することもないが、先ほど追い払ったナンパのような若い男にはさぞかし目に毒だったことだろう。一縷の望みに掛けて声をかけてみたくなるのも、致し方ないことだったかもしれない。

 だからといって、仕事の邪魔になるような真似を看過する理由にはならないのだが。結局のところ彼自身も心中呟いた通り、あの男はただただ運と相手がどうしようもなく悪かったのだ。

 

「あの」

 

 どこか不機嫌そうなムスッとした声色に、背を伸ばして立ってもようやく彼の胸元に届くくらいの位置から向けられるこれまたどこかじっとりとした視線。さすがにじろじろ見すぎたか、と謝罪しようとしたところで、問題の本質はそこではないと先手を打って釘を刺される。

 

「私は、あなたのモノになった覚えはないのだけれど」

「あん?……あ、あー、そういうことな」

 

 一瞬何を言っているのかわからず聞き返しそうになるが、すぐに何がそんなに引っかかっていたのか理解する。(おれ)の女、か。まあ実際今は時代が時代とはいえ、仮にも淑女に対する言い回しでもねえわな。

 

「気に障ったんなら謝る。あの手の輩には、ああ言っとくのが一番効くもんだからつい、な」

「ええ…………もういいわ。それより、下見なんでしょう?」

「お、おう?ここは貸自転車をやってるみたいだから、それを使おうぜ」

 

 妙な間の後、くるりと背を向けて公園の入り口へと歩き出すマイ。その後ろを追いかけながら、小さく首をかしげる。心なしかあの反応、こちらが先に何か言うのを待っていたのを諦めたような?パーペチュアにでも今夜相談してみるかと心に決めて、歩きながら財布を引っ張り出す。昔は過去に飛んだ際、まだ発行されていない年代の金をうっかり買い物に使ってしまったせいで贋金呼ばわりされ大変な目に合ったこともあるが、今はもう慣れたものでそんなへまはしないのだ。

 

「いい天気ね、風も気持ちいい……!」

 

 先を走るマイが真新しい貸自転車の上で、先ほどの不機嫌そうな調子はどこへやら。すっかりご機嫌を取り戻した様子でわずかに弾んだ声を上げるのが聞こえてきた。

 このワーブラー自然公園は、徒歩で回るには存外広い。まして目当ての箇所であるスワロー邸宅は、その敷地の更に向こう側にそびえる山の麓に存在する。その立地の悪さこそが天然の要塞であり、このだだっ広く遠くからでもよく見えるリスクを承知してでも自然公園内を突っ切って侵入しようと昨日の調査でリューズが判断した理由でもあった。時空移動艇ベゼルシップ、あるいは三次元機動艦テンプホエーラーがあれば上空からの強襲もできたのだが、半重力で宙を浮きタイヤも必要としない後者はいくら音がしないといってもガソリンエンジンで動きタイヤで大地を踏みしめる車ばかりのこの時代あまりに目立ちすぎるし、前者は現在リダンと現在のパーペチュアに近い時空の狭間で待機している。あまり大っぴらに動かすと七面倒臭いカーボウイ気取りの堅物を始めとした連中(SーForce)がこちらの動きを察知する危険があり、そうなると時空を跳んで逃げるという最終手段がまだ取れない彼には少しばかり(認めるのは癪だが)荷が重い。

 

「(結局、今回は地道にやるのが一番近道だってこった)」

 

 妙な所ばかり意見の合うリダンに現代のパーペチュアはこんなの怪盗というには少し泥臭い、地味すぎて発明品の出る幕がないから実地テストが取れないとぶうぶう文句ばかり言ってこういった仕事をあまり好まないが、リューズ自身は決してこういったやり方も嫌いではなかった。泥棒稼業の原点とも言える入念な下調べと仕込み、そして常日頃の鍛錬が如実に物を言う身体能力と度胸、最後にそれをやり遂げるちょっぴりの運。シンプルでわかりやすく、極限まで不条理のない世界。

 そこまで考えて、口元に皮肉な笑みが浮かぶ。不条理、か。元より不条理を押し付ける側である犯罪者の自分たち、日の当たる側とは真逆の世界にいるような奴にそんなものを説かれるとは、条理の側もさぞ理不尽を感じていることだろう。

 

「よし嬢ちゃん、ぼちぼち敷地の端だ。その辺でちょっと止まってくれ」

「はーい」

 

 素直に自転車を降りて近くの木陰、敷地境界線付近のちょっとした林になっているところの端に、自転車を停車させるマイ。その隣に彼も自分のそれを停め、不自然にならない程度に周囲の様子へとさっと目を走らせた。誰かこちらを見ていないのかの確認はもちろんのこと、大まかな地形や万一銃撃戦になった時も遮蔽物に使える木の生えた位置に至るまであらゆる情報を可能な限り頭に叩き込む。ドローンが出てくるにはまだ時代が早いとわかってはいても、つい癖で空にまで目をやってしまう。広々とした空を夫婦なのだろうか、二羽の小鳥が連れ立って飛んでいく様子がちらりと見えた……それと、いくつもの見たくないものも。

 

「よし嬢ちゃん、この辺で練習するか。ここなら人も少ないだろ」

 

 舌打ちしたいところを堪えて気持ち声を張り上げ、自転車かごの中に放り込んであった肩掛け鞄を開く。中から出てきたのは、ラケット2本に羽根……正式名称シャトルひとつ。1本を受け取ったマイが運転中に打ち合わせた手はず通りに自転車道側へ歩いていき、同じくラケットの片割れを手にした彼が反対側の林へと歩く。適当に距離を空けて傍から見た際に不自然な絵面にならないギリギリの地点まで林に踏み込んだところで、シャトルを空中に放り投げてラケットで叩く。そして放物線を描いて飛んでいったそれを、その着地点に陣取っていたマイがしっかりと叩き返す。それをまたリューズが軽く弾き返し、白熱したラリーが続く。

 無論、彼らは本気でこの場所までバドミントンで遊びに来たわけではない。先ほど周りを見回した時に見つけた、木々の間に巧みに隠されたいくつもの監視カメラ。金持ちの私有地がすぐ近くにあるのだからそれ自体は別に不思議でも何でもないが、その私有地が目当ての彼にとってはいささか面倒が増えた。音声まで拾われているかは定かではないが、とりあえずこういう時は悪い方を想定しておけば間違いはない。

 とはいえ、この程度の自衛手段は彼も想定内。だからこそ、わざわざ昨日おもちゃ屋に寄った際にこのバドミントンセットを買い揃えておいたのだ。シャトルの打ち合いの中でさりげなく位置を変えつつ、カメラの画角と死角の位置を頭の中に描いた立体地図で三次元的に割り出していく。ただの警察程度ならばよほどドジを踏まない限り何人来ようが逃げ切れる自信はあるが、それでは完璧な仕事とは言えないだろう。

 の、だが。

 

「(……いや、嬢ちゃん目的忘れてんな?目がマジだなありゃ)」

 

 出会ってから今までいかんせん若さゆえの浅さが目立っていたマイだったが運動神経自体はなかなかの物らしく、徐々に飛んでくるシャトルのキレが良くなってくる。手足の長さによる恵まれたリーチと並外れた動体視力、そして反射神経でそれらを軽々打ち返しつつ、完全に勝ちに来ている打ち込みにやれやれと思いながらもその口元はわずかに緩んでいた。暴投でもしてシャトル拾いに行くついでに、もうちょい奥を見せてくれた方がここは有難いんだがな……だが、それを指摘するような真似はしなかった。スカした態度でなんにでも本気を出さないような奴よりも、目の前の彼女のように何にでもがむしゃらになれる奴の方がよほど好感が持てる。

 いや、待てよ。あるいはこれが若さゆえの眩しさ、というやつだろうか?益体もなく、そんな言葉までふっと頭をよぎった。別にリューズ自身自分が年を取ったなどと感じることはまだないのだが、当初の目的も忘れ目の前で顔を赤くして懸命にシャトルに食らい付く本物の若さを見ていると、住む世界の差と年代の違いを嫌でも自覚する。

 

「お、っと?」

「やった!」

 

 そんなどうでもいいことにまで思考が飛んで、目の前に向ける意識がおろそかになっていたからだろうか。既に三桁も見えてくるほどに続いていたラリーの果てに彼の振ったラケットが虚しく空を切り、その先の何もない箇所をシャトルが突き抜ける。

 嗚呼、俺も存外負けず嫌いなんだろうか。それとも、彼女のひたむきな若さに触発されたのかもしれない。ハッ、それで触発されて出るのがイカサマなあたり、つくづく俺の手癖の悪さもお里が知れるってもんだ。

 ともあれ勝ちを確信したマイの喜びの声に彼自身が気が付いたときには、既に過ぎ去った時間は彼自身も無意識のうちに不正侵入(ハック)されていた。数秒前にあった位置に巻き戻った腕、同じく数秒前に巻き戻ったシャトル。先ほどの感覚から察するに、もう一歩踏み込んで振れば……。

 

「え、嘘っ……むーっ!」

 

 ラケットど真ん中で叩かれ、弾き返されたシャトルが鋭く宙を飛ぶ。完全に油断していたマイも慌ててラケットを構え直して対応しようとするが、時すでに遅く。推力を失ったシャトルが、彼女の右手数十センチの位置にポスンと落ちて転がった。

 

「そんな私、さっき確かに!」

「あー……いまのは俺が悪かった。一応俺の勝ちだな、反則勝ちだが」

 

 その場にへたり込んで肩で息をしながら本気で愕然とするマイに、息ひとつ荒げないままあまりに大人気のない勝ちを掴んだことに対してさすがに思うところあって気まずそうに頭を下げるリューズ。だがもしもリダンやパーペチュアがその場にいれば、あちゃーと揃って額に手を当てていただろう。

 そもそもいくら本人にそんな気はないとはいえここで言外に体力の差と余裕を見せつけておいて、挙句の果てに致命的に一言多い。この場合も悪いとは本気で思っているのはわかるのだが、むしろだからこそこの態度が余計にマイの神経を逆撫でし、とっくに火が付いていたその負けず嫌いな性格に追加燃料を注ぎ込んだ。普段は細やかな性格の持ち主な癖に毎度絶妙なところで発揮されるこの男の不意な無神経っぷりには同じく苦労させられている(そしてその数倍の苦労を普段は彼に吹っ掛けている)ここにいない相方たちも、これには深く頷くことだろう……などとは当然、当の本人は知る由もなく。

 

「……回」

「え?」

「もう一回、です!今の負け方、私納得できない!次は勝つから、絶対!もう!ひと!勝負!だから……あれ?」

 

 がばっと跳ね起き気合十分に指を1本立てて詰め寄ってくるマイだが、まだその息は戻りきっておらず顔も上気している。何がその行動への最後の引き金になったのかは理解しておらずとも自分が十割悪いことだけはわかっていたのでいつもの軽口も出せずたじろぐリューズに彼女も更なるヒートアップを経てまくしたて始めたが、不意にその言葉尻から力が抜けた。口調のみならず全身から力が抜けて立っていられなくなり、その場に倒れ込むと同時にその視界が急速に暗くなっていく。

 あ、これ、私気絶してるんだ。そう気が付いたときにはすでに手遅れで、そのまま意識が闇に呑み込まれた。

 

 そしてまた急速に、消えていった瞬間から逆再生しているかのように視界が明るくなっていく。最初にマイの目に飛び込んできたのは、薄く通気性のいいスポーツウェア越しに浮き出る、決して激しい主張はしないが引き締まった大胸筋。次いで自分の額に当てられる、ごつごつしたたくましい腕の感触。くすぐったさに身じろぎすると、自分の体を支えている男もそれに気が付いた。

 

「……あの?」

「おっ、起きたか嬢ちゃん。でも、まだじっとしときな。数分前の状態まで不正侵入(ハック)はかけて巻き戻しといたが、それでも大概体は熱いはずだからな」

「私……っ!?」

 

 すぐ頭上から掛けられたぶっきらぼうだが優しい声になぜだかすごく安心して目を閉じようとして、そこでようやく彼女の意識は完全に覚醒した。私は、この状況は一体!?記憶通りなら確かに倒れたはずなのに倒れていない、つまり抱きとめられたのか、この男に!?

 慌てて跳ね起きようとして、それを察知したリューズに抑えられ元通り体を彼の手に預けさせられる。

 

「動くなっつってんのにじゃじゃ馬だなあ、嬢ちゃんは……ほれ、これでも飲んどきな」

「ひゃあんっ!?」

 

 呆れ声の彼が、逆の手にいつの間にか掴んでいた缶ジュースを彼女の首筋に押し当てる。まるで今しがた冷蔵庫から取り出されたばかりのようによく冷えているそれは、彼女の記憶が正しければ貸自転車と一緒に買ったリューズが鞄に放り込んでいたはずのそれと同じデザインのものだ。あれからそれなりに時間も経ちこの近辺にはジュース屋もいないはずなのに、どうしてこんなに冷えたものが手元にあるのか?

 しかしそれを疑問に思うだけの余裕は、既に彼女にはなかった。もっとも疑問に思ったとしても、リューズが本来すっかり温くなっていたそれに不正侵入(ハック)を仕掛けて購入直後の状態に戻していた、などとは理解できるはずもないのだが。そんなことよりも今はすぐ近くにある冷たい水分の気配を、乾ききって熱中症寸前の体が渇望している。

 

「んっ、んっ、んっ……」

「おいおい、咽るなよ?」

 

 ひったくるように受け取ってプルタブを開け最初の一口を喉の奥に流し込むと、そこからはもう夢中だった。リューズの忠告も耳に入らずあっという間に中身が空になるまで一息に飲み干すと、ようやく人心地が付いた頭で改めて周りを見渡す。すぐ近くに自分たちの乗ってきた自転車が並んでいるところを見ると、木陰まで引っ張ってきてもらったらしい。そしてそのまま、抱きとめられて介抱されていた、と。

 

「その、すまなかったわね。迷惑を……」

 

 頭が冷えたことで本来の自分たちの目的も思い出し、穴があったら入りたいといわんばかりの顔で小さく謝罪するマイ。だが彼女の言葉を遮るように、当の本人は気にすんなと首を横に振る。

 

「いや、元はといえば俺のせいだしな。すまなかった嬢ちゃん、そりゃ俺が木陰にいるのに嬢ちゃんがお日さんの下であんだけ動き回ってりゃぶっ倒れもするさ。それにこっちの用も済んだし、これなら上等だ。俺の仕事がだいぶ楽になったのは、紛れもなく嬢ちゃんのおかげさ。もうちょい休んだら、今日の所は帰ろうぜ?」

「……うん」

 

 ようやく大人しくなったマイの小さな体と体温を腕の中に感じつつ、俺も今のうちに少し休むかともたれかかっていた木に体重を預けて目を閉じる。

 今の言葉は本音でもあるが、同時にリューズなりの気遣いでもある。マイがそれに気づくのはもう少し後になるのだが、彼にはあの時選択肢があった。この近くに人の住む住宅はほぼ存在せず、唯一現実的な近さの範囲に存在するのが件のスワロー邸。「連れが熱中症で倒れた」とでも言えば、あるいは労せずして敷地内に侵入することも可能だったかもしれない。実際倒れたマイを慌てて介抱するリューズにも、冷徹で合理的な思考を持つ自分からのその選択肢がほんの一瞬だけ頭を掠めたのは事実だった。彼はその選択肢を、浮かぶか浮かばないかのうちに検討すらせず即座に切り捨てた……悪魔の甘言だ、くだらねえ。

 暗い思考を知ってか知らずか、マイが小さく笑う気配がした。

 

「どうした?」

「いえ、なんでもないわ……少し思い出しただけ。ずっと小さい時、ひいお祖母ちゃんに抱っこされてた時のこと」

「……婆臭いなんて言われたのは、俺も初めてだな」

「違うわよ、もう!」

 

 冗談めかして軽口を叩くと、慌てたような否定の言葉。そんなくだらない会話が荒みかけた心には妙に有難く、だからだろうか。彼らしくもなく、話題を自分から広げる。

 

「それで?どんな人だったんだ、嬢ちゃんの曾祖母さんとやらは」

「そうね。私がまだ10歳にもならないうちに死んじゃったけど、凄く優しくて、それに物知りだったわ。そのひいお祖母ちゃんのさらにお祖母ちゃんは日本人だったらしいんだけど、その人から聞いたって言う日本のお伽噺を色々私にも聞かせてくれて。ねえ、あなたは何か知っているかしら?」

「俺か?あー……確かウラヤマ・タローが亀に乗るんだったよな?」

 

 リューズなりにうろ覚えの知識から大真面目に答えたつもりだったが、返事代わりに返ってきたのはクスクスと抑えてはいるが聞き間違いようのない確かな笑い声だった。これがリダンやパーペチュア相手なら問答無用でデコピンのひとつでも叩きこんでやったところだが、いくら時間を戻したとはいえ相手は半病人だとすんでのところで力を込めかけた手を開く。

 

「浦島太郎、ね。う・ら・し・ま。話の内容はね……」

 

 幼いころの思い出とはいえ、きっと完全に覚えているのだろう。淀みなく語られる亀を助けた男の話に、黙って耳を澄ますリューズ。

 本人の言葉通り(釈然としないものを感じはしたが)曾祖母といた感覚を思い出したせいか、命を拾われた効果もあるからか。どちらにしても今朝に比べて随分と距離が近くなったものだ、犬猫でもまだもう少しは警戒するんじゃないかと内心で苦笑しながら、いつしか話の内容に引き込まれていた。玉手箱、ねえ。案外そのオトヒメとやら、俺たちと同じような能力の持ち主だったのかもな。

 

「……そうして煙が晴れた時、浦島太郎は真っ白な髪のお爺さんになっていましたとさ。これでこの話はおしまいなんだけど、どうかしら?」

「はあ?そんなところで終わりなのか?その後の話、どっかにないのかよ。ドラマだって、ちょっと人気が出りゃすぐシーズン2みたいなの作るだろうが」

「それは一部の国だけよ。一応パターンによっては、お爺さんになった浦島がもう一度玉手箱を開けると、今度はその白い髪がさらに伸びて、気が付けば全身真っ白な一羽の鶴になってどこかへ飛び立っていきましたっていうのもあるみたいだけど……どうしたの?」

 

 その見た目に反して子供じみた文句のつけ方にその顔を見てみたくなり、記憶を辿りながら目を開くマイ。そんな彼女の視界に飛び込んできたものは、一転して少し満足げに頷くリューズの姿だった。

 

「いや。鶴に、ね。そっちの方がずっと俺好みだ、男の浪漫だな」

「はあ?」

 

 この話題になってから急に迷言を乱発し始めた男が、またよくわからないことを言い出した。訳も分からず、しかしそのギャップについ引き込まれて問い返すと、いたって真面目に持論を述べてくる。

 

「つまりだ、ウラシマは元々普通の人間として陸で生まれ育ったんだろ?で、そいつが海のお偉いさんに気に入られて歓待され、最後に鶴になって空に飛んでいった。つまりウラシマは、たったひとりで陸海空を全制覇したわけだ。違うか?」

 

 謎の熱弁に、まずその言葉を理解するまでにしばらくかかり。次いでその意味を頭の中でひとつずつ分解して噛み砕いていくにつれ、じわじわとマイの胸の奥から今日一番のおかしさがこみ上げてくる。それを抑えようとする努力も徒労に終わり、ついには大声で笑っていた。むすっとした顔で自分を見下ろすリューズの顔が、不意に滲んで見える。笑いすぎて涙が出ているのだと気が付くと、なんだか晴れ晴れとした気持ちになった。

 

「……ふふっ、ごめんなさい。そういう考え方、初めて聞いたものだから」

「ああそうかい。でもだからって笑うことはねえだろ、嬢ちゃんよう?」

 

 口では非難めかしてはいるが、そういうリューズの顔に浮かんでいるのは悪意も敵意もない、諦め混じりの苦笑である。二人してその場で笑いながら、マイはふとあることに気が付いた。

 

 ―――――あれ。この人、こんなに優しい目をしていたのね。

 

 昨日の初対面の時も、今日の今までも。そんな余裕も機会もなかったため初めて至近距離で見た彼の顔は、その鋭い眼光の奥に隠し切れない情の深さを抱え込んでいて。ややくすんだ青の瞳はようやく見えてきた彼の人柄同様、見ているとどこまでも吸い込まれそうな海のような深さを持っていて。

 そのまま見つめ続けているとどこまでも深みに嵌っていきそうで、残った意思力を総動員して目線を外し少しでも風を当てるために頭を左右に振る。頬が熱い気がするのはまだ少し体に熱が残っているからだ、そう自分に言い聞かせながら。

 それを確かめるのは、なんだか少し怖い気がして。結局そのまま体調が戻るまで待ち、来た道をまた自転車で帰り、自らのアパートへ戻っていくリューズに別れを告げるに至るまで。最後まで、彼の顔をまともに見ることはできなかった。




一部描写は心の中にイマジナリー夢女子を生成してその人に担当、監修してもらいました。
まだ生まれて日が浅いので練りが甘いです。でも筆はしっかり乗りました。
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