その夜。リューズは再び、ワーブラー自然公園の入り口に立っていた。
昼に利用した貸自転車屋も、ジュースやアイスを売っていた移動式の店も、当然閉まり切っており周囲には誰もいない。それにリューズ自身の格好も、昼間とは様変わりしている。闇夜に溶け込む黒と紺を基調として悪目立ちせずしかし控えめながらも確かに主張する金のライン、そして上半身に巻き付くような銀のチェーンが彼のシルエットにメリハリを付ける上下。
本来は長袖長ズボンのセットであろうそれをあえて両腕とも肘のあたりで捲り上げることでその逞しい前腕は双方とも露出しており、右手側には指紋を残さず、しかし指先のパフォーマンスを落とさないため最低限に薄く軽い手に張り付くような黒の手袋。左手にはそれとは逆に手のサイズ自体を一回り大きく見せるような、重量感すら感じる白の手袋。その手の甲の部分には何らかの機能の存在を表す円状のガラスが嵌め込まれており、ごくかすかにだが青い光を発し一定のリズムで針の音を刻むそれが断じてただの時計ではなく、時代には明らかにそぐわないオーパーツであることが窺い知れる。
どこか重く体に纏わりつくような生暖かい夜の空気の中で首をコキコキと左右に傾けると、緩く巻き付けられた先端が長く伸びる水色のスカーフもわずかに揺れる。これは昼間のような偵察、あるいは偽装用の格好ではない。
「パーペチュア、聞こえるか?」
『はいはーい。音声に位置情報、ともに感度良好。問題なくデータは入ってるわ』
右手の甲を上にして、低く話しかける。すると手袋のガラス部分が発光し、わずかなノイズを経て手のひらサイズの小さなパーペチュアのホログラムが手の上に浮かび上がる。彼女のトレードマークであるピンク色のリボンに、飾り気のない私服の上から羽織った白衣。どう見ても昨日のミーティング時と同じ格好にお前ちゃんと風呂入ってんのか、研究ばっかやっててタイミング逃したとか言うんじゃねえだろうなと小言を飛ばしかけ、すんでのところで飲み込んだ。『こちら』の彼女はもう子供ではないのだし、実際のところがどちらにせよ、今はわざわざ不和の原因になりそうなことを口にするタイミングではない。
代わりに、別のことを聞くことにした。
「よし。で、頼んどいたものは?」
『もちろんあるわよ?スノーダスト・スワロー宅配便が倒産して、抵当に出された時の屋敷の見取り図。こっちの時代だと建物ごと取り壊されてるから、探し所さえわかればデータ引き出すのも楽だったわ。はい、これ』
半透明のパーペチュアが消え、先ほどまで彼女が移っていた位置に屋敷の間取りが浮かぶ。右手はそのままに左手で空中のそれを操作して一通りの位置を覚える。当人はなんでもないことのように言ってはいたし実際彼女にとっては苦でもない作業だったのだろうが、一体彼女の時代からすれば何年分のデータを遡り、どこで眠っていたこの画像を掘り起こしたのか。彼女自身はあまりひとくくりにこう称されるのを嫌がるが、それでも紛れもなく彼女は天才だった。
『それで?今夜のプランは?』
「ま、そこは追々な。ネタばらしが先じゃ、見てる方もつまらないだろ?」
すっと手を振って画像と光を消し、昼間にも世話になった貸自転車屋へと足を運ぶ。当然今は誰もおらず店も閉まっているが、リューズの狙いは最初からそこではない。昼間のうちに目星を付けておいた店の裏手、修理用なのかゴミに出すのか、チェーンが切れていたりハンドルやサドルが取れたいくつもの動かない自転車が並べられた箇所。その中でチェーンこそ切れているもののサドル、タイヤ、ハンドルといった部品は一通り残っており、状態から見てもごく最近この場所に並べられたであろうものを引っ張り出し―――――
「
一方通行であるべき時の流れが不法に不正に侵入され、本来の向きから逆流する。チェーンの状態が、切れる前の時間軸に巻き戻されていく。
「……ふぅ」
あまり時間を戻しても『まだ壊れていない時』にならないようなら途中で即座に止めるつもりだったが、なんとか体力的にも許容範囲内のうちに動かせるようになってくれた。息を吹き返したそれに有難く跨り、誰もいない公園の遊歩道へと漕ぎ出していく。別に歩いて行ってもいいのだが、行き帰りが楽になるのであればそれに越したことはない。まだバイクも巷を走っていないような時代、歩くのが嫌ならこういった人力システムか、それこそ馬の一頭でも連れてくる必要がある。
夜風の中を静かに走っていると、また右手の機構が光を放った。
『ところで今更だけど。間取り見る限りこの家だいぶ大きいけど、どこにそのラジコンがあるとかの当てはあるの?』
「それは嬢ちゃんから昨日のうちに聞いた。説明するより見る方が早いだろ、今から言う雑誌のバックナンバー漁ってくれ」
そう答え、昨日のカフェで見せられた雑誌のとある特集を思い返す。ある意味では、この奇妙な仕事の元凶とも言える記事だ。
『その年代だと……あ、これね。えーっと?「スノーダスト・スワロー宅急便社長の意外な趣味と私生活の謎」ねえ。来週にはその会社ごと潰れてると思うと、なんとも味があるわね』
「なんでもいいさ。それより、そこに写真あるだろ?白髪の爺さんがラジコン綺麗に飾られてる部屋で幸せそうに笑ってるやつ」
『ああ、確かにあるわね。クリス・スワロー氏自慢のコレクションはラジコンで、半隠居状態になってからは気兼ねなく買い集めて彼の宝の山に囲まれる生活を……』
「音読も要約もいらねえぞ、俺はもう読んだからな。マイの嬢ちゃん曰く、その写真の右下の方。見た瞬間、一発で分かったらしい。で、さっきの見取り図とこの写真を照らし合わせれば答えはほぼ確定だ。この時期に写真撮ってこの角度から日が当たるとすりゃあ、明かり取り用のデカい窓が天井についてるこの部屋しかない」
『……相変わらず気持ち悪いくらいの観察力ね、探偵の方が向いてるんじゃない?で、目当ての戦車が右下?確かに、半分くらい見切れてるけどそれっぽいの写ってるわね。ちなみにだけど、わかったって?』
「それはさすがに口を割らなかったんだよな。ま、欲しいってんなら盗ってくるまでだろ?あんまり個人的なところに踏み込み過ぎたら、この稼業色々怪我するからな……うん、どうした?」
さらりと吐かれた淑女らしからぬ暴言は大人の判断でとりあえず水に流し、プロとしての見解で締めて会話を切り上げようとしたリューズ。だが手袋越しに何か言いたげな沈黙を察知し、仕方なく話を振り直した。まだ何か喋りたいのなら、変なタイミングで来られるよりは今の方がよほどマシだ。
『いーえ?踏み込む気しかないくせによく言うわ、って思っただけ』
「は?」
『いいじゃないの、素直に気になって仕方ないって認めちゃえば。科学者として言わせてもらうけどね、そういう気持ちに蓋してたら、かえってアイデアも浮かばなくなっちゃうものよ?』
「おい、ちょっと待……」
なんだか話の流れがおかしくなりつつあることを遅れながらに察知し、一度止めようと声をかける。だが、こうなった時の彼女は人の話を聞きやしない。ホログラムを切っているため声しか聞こえてこないにもかかわらず、ウキウキワクワクと現代の彼女のように目を輝かせている顔が目に浮かぶようだ。
『大体、おかしいとは思ったのよね。いつもはもう少し事前の準備も入念にやるリューズが、今回に限って切羽詰まった理由もないのに昨日の今日でもう直接盗みに入るって。依頼人の子のこと、心配なんでしょ?』
「……」
『まあまあ大きい会社ひとつが一発で潰れるような何かがそのラジコンには詰まってて、依頼人の子はどこまで知って首を突っ込んでるのかもわからない。自分もまだ何も掴めてないから、何が起きるのか見当もつかない……ここまで合ってる?』
質問ではなく確認のニュアンスに、リューズは沈黙をもって答えた。漕がれ続ける自転車の音だけが闇夜に小さく響く一瞬の後、ほら見ろと言わんばかりの声。
『だから、少しでも早く動きたかったんでしょ?何か手遅れになる前にその先どう判断するにしても、絶対必要になるであろうそのラジコンのカラクリを知っておきたいから。仮にその中身が狙ってることがそのスワローさんにバレるだけでも危険が及ぶようなものでも、現物を取り上げちゃえば最低限取引材料くらいには使えるものね。はい、反論あるならどうぞ』
「…………わかったよ、降参だ降参。どう考えても今回はまともな
お喋りの時間は終わりとばかりに、リューズの声が真剣みを帯びる。そのためパーペチュアも最後に掛けようとした、相変わらず一言多いわね、という言葉を口に出すことなく飲み込んだ。
本人は認めるのが照れくさいのかいつもああやって色々理屈を付けたがるけれど、付き合いの長い彼女やリダンの見立てによればリューズという男はその顔や雰囲気に似合わず面倒見がいいのだ。基本なんのかんのと(彼女たちに言わせれば)まだるっこしい理屈をこねては誰かのために首を突っ込みたがる。今回も依頼人の子が心配だ、の一言で済むような話に、荷が重いだの目覚めが悪いだの、もっともらしい理屈を付けて。
同時に、依頼人の子は意図せずにとはいえよほどうまくやったんだろうなとも思う。リューズは、決して博愛主義者ではない。彼が甘くなるのは、身内を含めある一定のラインまで親しくなった相手に限る。敵対する、あるいは無関心な相手に対しては、どこまでも冷徹にも苛烈にもなれる男。いくら依頼人という関係が最初にあるためハードルは低くなっているとはいえ文字通りに一朝一夕でここまで入れ込むとは、よほど警戒心もガードも高いリューズの心に入り込むような何かをその娘は持っているのだろう。
遠い未来で自分が呆れられているとは当然知る由もなく、今の時間軸ではスカーフを靡かせ木々の中を黒い影のようにリューズが走っていた。昼の間に目星を付けた監視カメラ群の死角を縫って時に真っすぐ時にジグザグに、どうしようもない箇所ではほんの数秒間の時間停止を使ってひょいひょいと進む。ノンストップで監視カメラ地帯の林を駆け抜けることしばし、私有地との境である巨大な塀が彼の目の前にそびえ立った。
「よ、っと」
当然、これも彼にとっては障害足りえない。塀そのものは単なる分厚いだけの石壁に過ぎず、感知センサーやカメラが仕掛けられていないことはパーペチュアの探し出した未来からならではの情報によって筒抜けだ。
迷うことなく衣装に絡めていた銀のチェーンを取り外し、その片方の先端に腰から下げていた手のひら大の犬の形を模した機械のボタンをいくつか操作してからくくり付けて真上に放り投げる。重い音とともに飛んだそれは明らかに最初の長さよりも伸びていきながら勢いを減じる前に塀の上部に命中し、同時に先端の機械……レギュレーター内部に組み込まれた時限式吸着装置が働き重力の動きを無視したようにピタリと張り付いた。力を込めて引っ張っても外れそうにないことを確認してから、タイマーの数字が0になる前にと崖登りの要領で両手に掴んだチェーンを頼りに塀を歩いて登っていく。
ほんの一分後には、すでに約10メートルの高さがある塀の上に彼は立っていた。その分厚さが仇となり塀の上だけでも成人男性が十分に歩けるほどのスペースの上でチェーンとレギュレーターを回収し、再び元の長さに戻ったそれをまた服の上半身へと緩く巻き付ける。パーペチュア謹製のガジェットは、今回もしっかりと仕事をこなしてくれた。どこぞのスカした堅物カウボーイ気取りのようにエネルギーワイヤー方式ならばこうした回収の手間もかからないのだが、我ながら合理的でないとは思いつつ敵対組織の犬と装備がお揃いになるのは望むところではないリューズと物理実体がある方がいざって時に安心できるしその方がカッコいいじゃない、というその時読んでいた漫画にでも影響されたらしい彼女の嗜好が意見の一致をみた結果の産物だ。
『わかってると思うけど、下に降りちゃだめだからね?』
無論、そのアドバイスは釈迦に説法でしかない。屋敷をぐるりと取り囲む塀の上をカバーするカメラの類はないが、庭はそうではない。特にこの夜間、下手なことをすれば一発で警備員が飛んでくるだろう。そのまま塀の上を駆けてもっとも屋敷に近づける所まで移動し、そこから屋根の一角へと飛び移る。目当ての部屋の真上に辿り着くと、部屋を特定する際にも使った明かり取りの窓に張り付くようにして中の様子を窺った。電気の点いていない部屋はしかし真上からの月明かりに照らされ、辛うじてだが内部を見渡すことはできる。そして思った通りの位置に、目当てのものは見つかった。
しかしそこで即座に侵入せずに赤外線スコープを目に当てたのは、染みついた習性かそれとも本能が警鐘を鳴らしたからか。ともあれ彼の目に飛び込んできたものは、部屋中をびっしりと張り巡る大量のセンサーの存在だった。
「……随分と物騒なこった」
低い呟きが漏れる。大事なコレクションを守るため、というだけでは明らかに説明のつかない、最大限の警戒態勢。当初の予定ではこのまま部屋の中に侵入、目当てのものを掴みさっさと帰るだけだったが、こうなると話は別だ。隙間がないわけではないが、大柄な彼が潜り抜けるのは厳しいだろう。
少し考え、まずは用意しておいたガラス切りで窓にラジコンが通る程度の穴を開ける。次いで再びレギュレーターを起動させ先ほどと同じ操作を行い、時間差で吸着機能が働くように。内蔵電池の容量には限りがあるためあまり多用はできない、帰りのことも考えるとこれが最初で最後のチャンスだろう。仕上げにハンカチを引き裂くと腰から取り外したタイムレコーダーにレギュレーターをくくり付け、部屋の中に放り投げる。空中で飛翔機能を働かせたタイムレコーダーは、見えない赤外線に引っかかるより早く光の粒子からなる蝶のような羽根を広げて宙に舞った。タイムレコーダーの飛翔機能はそう精度が高いものではなく、まして物を持ち運ぶなんて運用は最初から想定されていない。無事ラジコンをレギュレーターに張り付かせたたことで露骨に動きが遅く、重くなったそれの微調整を繰り返しつつルートを制御し、再び明かり取りから外に出るまでの時間は、百戦錬磨の彼にとっても何時間にも感じられた。俺が体張るんなら無茶もできるんだけどな、こういうのはどうも向いてねえ。
それでも最終的に、彼はタイムレコーダーとレギュレーター、そして件のラジコン戦車の全てを手にしていた。耳を澄ましても、今の動きに誰か気付いた様子もない。
「
仕上げにガラスに開けた穴を元の状態まで巻き戻すと、戦利品を懐に来た道を引き返す。別に難しいことはない、最後がやや予想外だったとはいえそれ以外に特筆すべき点もない仕事。帰り道にも誰とも出会うことなく邪魔も入らず、至って順調に安アパートへと帰り、そんな彼を出迎えたのは。
「なっ……!」
閉めたはずの鍵が開いたドアと窓、そして荒らし放題に荒らされ物色されつくした部屋の惨状だった。
そろそろクライマックス。
特に言ってませんでしたが今作は全6話、もしかしても7話程度を予定しています。