クロノダイバー・クロニクル   作:久本誠一

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前回ラストが綺麗に終わったので、これを投稿するかはさんざん悩みました。
蛇足、と呼ぶ人もいるかもしれません。
余韻を大切にした人は、むしろ見ない方がいいのかもしれません。


語り部によるエピローグ

 あれからどれだけの月日が、季節が、年月が過ぎていっただろう。時間にして、約50年。あのほんの数日間からも私の人生は続き、たくさんのことが起きた。たくさんの出会いがあり、同じくらいたくさんの別れもあった。

 けれど、あの日のことは今でも鮮明に思い出せる。激動の人生、とまで気取るつもりはないけれど、それでも色々なことがあったはずなのに。あの数日間を基準に振り返ってみると、相対的にこの50年はあっという間だったような気さえしてくる。無論、気がするだけで実際にはそんなこともないのだけれど。

 つまるところはそれだけ平穏で、そして恵まれた人生だったのだろう。それとも、あの数日間がそれだけ非日常的だったのか。

 

 あの日を最後に、彼の姿は見ていない。一度彼が住んでいたというアパートを訪れたこともあったが、空っぽとなった部屋には最初から人なんていなかったように生活痕のひとつも残ってはいなかった。そのアパートも、もはや十年以上前に老朽化で限界が訪れ取り壊されている。最初に彼に連絡を取る際に使用した固定電話もあの時には既に解約されており、その番号にはもはや何の意味もない。録音なんて便利な機能もなかった時代のことだ、彼の声を聴き返す手段もない。

 わかってはいてもその今の私と同じくらいしわくちゃで日に焼けた紙、その番号を残した若い私の筆跡によるメモは、とうとうこの年になるまで捨てられなかった。

 

 カウボーイハットを被った方がオリフィスさん、それに銀髪の方がリダンさん、といったか。彼の知り合いらしい、彼と一緒に私を助けに……というよりも、彼に免じてあの場に来てくれたらしい彼らの名前。いっぱいいっぱいの少女だった私が、あの時お礼すら言う暇もなく去っていった人たち。彼らの顔と名前も、彼ほど鮮明にではないがいまだにすぐ思い出せる。

 少し自由にできるお金ができてきたころ、探偵を雇いそちらの方面から彼へアプローチを掛けてみようかと思ったこともあった。おそらくは徒労に終わる、そんな予感がしていたのもあって結局はやらなかったが。そのころには、私は既に……と、いうのもある。

 

 本当に、色々なことがあった。世の中も多くのことが変わったが、変わらないこともある。例えばそのうちのひとつが、この場所だ。50年前に比べて高層ビルが建ち並び、大通りにはたくさんの車が行き交う交差点。その一角にあるオープンカフェへと足を向けたしわくちゃの老婆―――――つまり私―――――に、それを認めたまだ若い、少女といってもいいくらいの年齢の店員がにっこりと笑って大きく手を振った。そのまま店の外まで出迎えに来た彼女が、すっかり言う事を聞かなくなり段差を越えるのにも難儀するようになった私の介助をしてテーブル席のひとつに座らせてくれる。

 

「いつもごめんなさいね、おかげで助かったわ」

「いえいえ、グリーンフィールドさんはうちのお得意様ですから!私のおじいちゃんが料理を作って、おばあちゃんがウェイターをやっていたころからの常連さんなんて、グリーンフィールドさん以外にはいませんよ!」

 

 この店はかつて私、マイ・グリーンフィールドと彼が初めて出会った……そして最後に出会った、思い出の場所。あれから街が発展し、なんてことのない片田舎のオープンカフェが、一等地に古くから店を構える人気の老舗となるまで。訛りの強いウェイターのお腹が大きくなり、やがて男子が生まれ、その子が店を継ぎ、また娘が生まれて大きくなるまで。カフェを開いた当初の2人が安らかな最期を迎えて名実ともに代替わりを果たしても、私はずっとここに通い続けた。

 店そのものが気に入っているから、というのは大前提だ。それは、この店を続けるこの一家への名誉のためにも断言できる。けれど、それだけで私をこの街に繋ぎ止め続けたのか、と問われれば、私はいまだにその答えが出せる気がしない。

 もっと若い時ならば、あるいはそれが未練であると胸を張って言い切れたのかもしれない。今よりも若く、衝動的で、情熱的だった少女ならば。けれど年を経て、本当にそれが未練であったのか、またわからなくなってきてしまった。本当は、あの時からずっとわかっていたのかもしれない。彼には、いくらここに通い詰めたとしても二度と会うことはないのだと。私がここに通い続けた行為は未練ではなく今生の別れを認めたうえで、それでもその思い出をあくまで思い出として大事にしたかったからなのかもしれないと。

 でもそれを認めてしまうと、口に出してしまうと後戻りできないから……今ならばわかるが、なんともずるい言い方だ。

 

「そうね、あなたもすっかり大きくなって。ちょっと前に初めてお会いしたときは、まだほんの赤ん坊だったのに」

「やめてくださいよ、もうー。私だって、もうすぐ高校を卒業するんですよ?」

「そうだったわね。お祝い、何か考えておかなくちゃ」

「え、期待しちゃっていいんですか!?グリーンフィールドさん大好きー!あ、えっと、ご注文はどうされます?」

「いつも通り、コーヒーをお願いするわ」

「わかりました、お待ちください!」

 

 50年という年月は、人も街も変えていく。それでも、変わらないものもある。注文を店の奥に届けに行く少女の後ろ姿を見送ってから、街角の風景へと目を移す。他のテーブルにいるお客の手元から、50年前から変わらず継承されてきた自家製ブレンドの香りが漂ってきた。街の風景は様変わりしたが、それでも建物のある大まかな輪郭は変わってはいない。店主は代変わりこそしたが、2代目も今は亡き父親の遺したレシピを、私が若いころから親しみ彼も口にしていたあの味を再現できる。

 

 だからこうしていると、あの日の光景を今でも鮮明に思い出すことができる。実らなかった初恋を私から奪うだけ奪っていった、皮肉気な態度の裏で優しくて寂しそうで、ちょっぴりずるい彼。

 それにしてもなぜだろうか、今日はいつもよりも彼のことをはっきりと思う。普段はあくまで大切な、とても大切な昔の思い出としてこの店であの数日間のことを振り返りはするけれど、こんなにもその一挙手一投足までもがくっきりと頭の中に浮かんでくるのはいつ以来だろうか。決して嫌ではないが、不思議な感覚だった。

 

 あるいは、後になってゆっくりと考えれば、それは私なりのそれから起こることに対する女の勘だったのかもしれない。

 しかしその時の私には、そこまで考えを巡らせる余裕はなかった。突如として背後から掛けられた、ウェイターの少女のものではない男性特有の低さを含んだ声。この50年間忘れもしなかった、あの時と寸分違わないその声に。私の心臓は、年甲斐もなく大きく跳ねた。

 

「あー……なあ、そこの嬢ちゃん。相席、頼めるか?」

「……!」

 

 その名を叫ぼうとして、しかし喉からは思うように言葉が出てこず。すぐにでも声の主の方へ向き直りたいのに、バクバクとうるさい心臓の音だけが耳に響いて体も思うように動かない。それでもひどくゆっくりとカタツムリもかくやというような、しかし今の私には精いっぱいのペースで振り返る。

 その場所に立っていたのは、ああ、やはりそうだ。古傷の走る整った顔立ちを若干困ったように、ほんの少し気まずそうに歪ませて。あの時よりも年を取った結果さらに縮んでしまったこちらを見下ろす、依然変わらず長身で筋肉質の姿。険しい目つきの中にどこまでも澄んでちょっぴり寂しそうな、こちらを優しく包み込んでくれそうな深い包容感を抱えた男。

 回らない舌を必死に動かし、その名をどうにか口にする。

 

「リューズ……?」

「久しぶりだな、嬢ちゃん」

 

 我ながらひどく震えた弱々しい、かき消されそうなほどに小さい声だったが、それでも彼はその言葉を聴き取ってくれた。そして少しだけほっとしたように、口元を緩ませる。馬鹿。私があなたのことを、忘れるはずがないじゃない。

 

 

 

 

 

「あなたは、どうしてここに?」

 

 目の前の席にあの時のように若干窮屈そうに座った彼が、常連と相席する見たこともない男に対しウェイターから送られた奇異の視線をスルーして注文したのはやはり、あの時と同じようにコーヒーだった。それが届くのを待って一息ついてから、改めて彼と向かい合う。

 だが平凡な質問だ、口に出してしまってからそう思った。聞きたいことも言いたいことも、たくさんたくさんあるはずなのに。本来ならば真っ先に考えるべきであろう目の前にいる50年前と寸分変わらないその男が彼と同一人物であることに関しては、不思議と疑わなかった。その目を見たからというのもあるし、普通に考えればあり得ない事でも、可能にする不思議な力を彼が持っていることもわかっていたからだ。

 

「パーぺ……うちの知り合いから、どうしてもって頼まれてな。この時期にここらで売り出した限定スイーツ、なんかの雑誌で見て食いたくなったらしい。そのお目付け役はいいがそいつが並んでる間は暇だから、様変わりしたこの街を見て回ってたところさ」

「そう、なら今は『仕事』じゃないのね?」

「いや、実のところを言うとそれの下見もあるっちゃある。前、嬢ちゃんとも一緒にやったろ?おっと、これ以上はいくら嬢ちゃん相手でも勘弁してくれよ。企業秘密ってのもあるし、何より首突っ込み過ぎるとまた碌なことにならないからな」

 

 声を潜めつつも笑う彼の姿に、私もバドミントンの日のことを思い返す。あの日も監視カメラの位置が知りたいからと、急な勝負をすることになって……その後、色々な意味で大変な目にあったことも。色々と思い出したせいで鏡を見ずとも顔が赤くなっているのを誤魔化すために手元のコーヒーに口を付けようとして、何気なく伸ばした自分の手が視界に入る。

 その瞬間、頭から冷水を浴びせられたような気分になった。理屈や原理はともかく彼は、私の見る限りあの日最後に別れたときのままの姿だ。だからいつの間にか私も、あの時と同じ少女のような気分になっていたのだろう。

 でも、現実はこうだ。彼が辿ってこなかった時間を、私は愚直に歩いてきた。重ねてきた年月は、どうしようもない老いという形で私の全身に表れている。皺だらけの顔を年甲斐もなく赤くして、張りも潤いもなくなった肌を晒して。今の私は彼の目に、自分の年齢も考えずに若者ぶったひどく醜いものとして映ってはいないだろうか?一度悪いほうへ転がり落ちた思考は止まらずに、その場で縮こまりたくなってしまう。

 

 そんな私の手を、机の向こうから伸ばした手で取ってくれたのもやはり彼だった。突然様子のおかしくなった私のことを、こちらの手を握ったまま心底から心配そうにのぞき込む。

 その深く澄んだ優しい目にはっきりと見据えられて、私はようやくひとつ理解すると同時に自分を恥じた。彼は、こちらの姿のことなんてまるで気にしていない。きっと、似たようなことは過去にもあったのだろう。むしろ彼が恐れているのは、今の私のような姿……一方的に彼と比べた自分の老いを恥じ、頼まれもしないのに距離を取ろうとされることなのだろう、と。

 

「どうした、嬢ちゃん?何か嫌な事でも……」

 

 もし何かあるなら、俺が力づくでも解決する。言外にそんな圧を含んだ言葉はしかし、言い終わる前に不意にぷっつりと途切れた。その視線の先を見て、私も彼の意図に気が付く。ああ、そうか。もう何十年もここにあるのが当たり前で意識もしていなかったけれど、確かに最後に彼と別れたあの日には、まだこの位置にこれは存在しなかった。

 どこか寂しそうに笑い、そっと私の手を放した彼が肩をすくめる。

 

「ま、そりゃそうだよな。少しばかりタイミングが遅いが、今からでも祝わせてくれ。結婚おめでとう、嬢ちゃん」

「もう、何十年も前の話だけどね。私と娘、それに孫もみんな残して1人だけいなくなってからも、もう5年は経つのよ。でも私にはもったいないくらいのいい人で……そうね、愛していたわ」

 

 彼が手に取った私の左手、その視線の先。薬指にはめられた、銀色の指輪。今は亡き夫に貰い、遺されたもの。

 初恋の、そして今目の前にいる彼のことを、無論忘れたことはない。だけど夫は私をその最期まで愛してくれたし、私もそれに私なりの愛で返した、その気持ちにも嘘偽りはない。

 これを色々あった、そんな一言で纏めてしまうのは、あまりに乱暴が過ぎるけれど。それでも一言で納めるならばやはり、私の人生にも色々あったのだ、としか言いようがない。

 

「この時代だと、あれから大体50年とちょっとか。変われば変わるもんだよな、なんだって」

「でも、変わらないものもあるわよ。リューズも相変わらず、みたいだし」

「怪盗ってのはそういうものさ。なあ嬢ちゃん、よかったら俺に聞かせてくれないか。嬢ちゃんから見た、この50年を。嬢ちゃんの過ごしてきた、きっと素敵な人生のことを」

「あら、リューズにずるい振られかたをした後の話を、かしら?」

 

 少し意地悪な気持ちが湧いてそう聞き返すと、平静を装いながらも若干気まずそうに彼の表情が動いたのが目に留まって。それが無性におかしくて冗談よ、と私は小さく笑った。同時にこの50年間、ずっと平穏な日々を生きながらも心のどこかにそうとわからない程度に突っ掛かっていたものが、ようやくすっと呑み込めたような。そんな爽快さにも似た感覚になる。

 その感覚に引っ張られてか、それとも50年ぶりに行う彼との会話が若い時に感じたそれとは別の意味で、夫と交わしたそれともまた違う意味で、しかし心地よくて楽しかったからか。結局自分の年甲斐もなく軽くなった口で、気が付けば私は少女のように身を乗り出していた。

 

「じゃあお言葉に甘えて、私の話を聞いてくれる?リューズのそれに比べればきっとつまらない人生だけど、私にとっては色々あったのよ」

「つまらない、なんてことはないさ。嬢ちゃんは、自分の人生をそんな風には感じなかったんだろ?なら、俺は嬢ちゃんを信じるぜ」

 

 背中を押してくれる、私の人生を肯定してくれる言葉にも勇気を貰い。時代の流れで変化した生活からこの店の歴史を見てきたこと、果ては夫との馴れ初めから別れに至るまで、とりとめもなく話は弾み。

 結局私の人生ほぼすべてを語りつくした時には、すっかり太陽は西に傾いていた。心地いい疲労感と満足感に身を委ねながら、途中で私の人生でも類を見ないほど一度にたくさん喋ったことでお腹が空いてきたので頼んだ軽食の皿の隣、数杯目のおかわりをしたコーヒーで唇を湿らせて休憩を取る。そして話の途中から薄々感じていた、しかし気付かないふりをしていたある予感を思い切って口にした。

 

「……ねえ、リューズ。もう、行っちゃうのかしら」

「ああ、そうだな。そろそろ時間だ」

 

 優しい声色に、驚きの色はない。途中から彼も気づいていたのだろう、終わりの時間が迫ってきていることを、私もまた察していたことに。話し続けることで懸命に引き延ばしてはきたけれど、それもそろそろ限界だ。

 そしてもうひとつ、お互い口にはしないものの分かっていたことがある。本来私と彼は今日この場所で再び逢えたこと自体が奇跡であり、その奇跡も二度は起こらないということだ。今度こそ彼が―――――少なくとも私の命が尽きるまでは―――――ここに来ることは、ないだろう。だからこれが正真正銘、今生の別れ。

 

「なら……」

 

 あの時のことを思い出して口を開くと、彼もこちらの言いたいことを察してくれたらしい。ニヤリと笑ってあの時と同じ、その言葉を被せてくる。

 

「「お互い最後は納得して、笑って別れよう」」

 

 まるでそれが合言葉であったかのように、お互いに笑い合う。彼がこちらに向けて持ち上げた最後のコーヒーカップに、私も手元のそれを空中で合わせた。最後に何か声を掛けようとして、土壇場でふと思い立つ。50年前は言わせてもらえず、それから口に出すこともなかった。ここで最後に贈るとしたら、それが一番ふさわしい。

 

「さようなら、私の初恋の人」

「……千年後でも忘れないぜ、嬢ちゃんのことは。不正侵入(ハック)

 

 ワンテンポ遅れての呟きと同時に、またしても代金だけを後に残して彼の姿は瞬きするほどの間もなく消えていた。そんなところは50年前と同じだが、違うこともある。今の私はもう、あの時のように泣きじゃくってはいない。

 

「あれグリーンフィールドさん、お連れ様はどこに行ったんです?さっきまでいましたよね?」

 

 様子を見に来たらしい店員の少女が、きょとんとした顔で周りを見回す。

 

「あの人なら、もう行っちゃったわよ」

「あれ?店の入り口には誰も来て……見逃したかな?ところで、あの人って結局誰だったんですか?」

 

 ずっと気になって仕方がなかったとばかりの若さからくる好奇心に溢れる態度に思わず微笑んで、何と答えようかと少し考えて。結局あの時と同じ、この言葉を拝借することにした。いくら彼女が多感な年齢とはいえ、正直に彼のことを話したところで到底信じられはしないだろう。

 

「そうねえ……夢、だったのかもしれないわね」

「はい?」

「とっても素敵な、私の夢。とうとう最後まで私には『好き』とも『嫌い』とも言ってくれなかったちょっぴりずるい、でも大好きな夢……」

 

 ああ、今度こそ泣くつもりはなかったのに。遠くに見える夕焼けが、ほんのちょっぴり滲んで見えた。けれどあの時とは違い、今の私は自分でこの目を拭うことができる。皺だらけの頬を伝って流れた一筋の涙をそっと手で拭き、いよいよ困惑する少女へと笑ってみせる。そして、心の中でそっと祈った。

 

 これまで、そしてこれからも、彼がどんな人生を送るのかなんて、私には想像もつかないけれど。それでもその人生が、とうとう私のそれとは交わらず私では支えられなかった彼の行く末が、きっと幸多いものでありますように。私にはとうとう成し得なかったことを、やってくれる誰かと出会えますように。




それでも、やっぱり書きたい話でした。
今度こそ本当に、これでおしまいです。
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