一人前でありたかった。だって私にはそうなれるだけの能力があって、そうなりたい環境があった。だから、大人しく他の子と同じ様にいつかを待つことなんてできなかった。──というより、周りの子がどうしてそうしないのかわからなかった。頑張れば頑張った結果はどんな形でも残る。目標を目指したなら足は進む。そうして。そうやって私は山海経高級中学校の一年生になった。
私の後を追ってくる小さな子たちはとても危なっかしくて、だから私が手を引いてあげようと思ったのだ。いつか私がそうしてもらった様に。
訓育支援部『梅花園』の春原ココナ教官。
私が望んで私が得た肩書き。私の誇り。背中を追いかけて、手を繋いでもらえるだけでは我慢できなかった私の立つ場所。あの人の隣。
だから、私は一人前でなくてはならない。子供扱いされてはいけない。だって、私は梅花園の教官なのだから。
あの日握ってくれた手が今は私なのだから。
◯
山海経の生徒はあまり自治区の外に出ない。もちろん、全員が全員そうではない。外に興味を持ち、日常の一環としてD.U.で遊んだり、買い物をする生徒も少なくはない。だが、他の学園に比べれば圧倒的に自治区の中で生活を完結させる生徒が多いのも事実だった。
山海経こそがキヴォトスで最も素晴らしい。外へ行く必要などない。
それに、外の人間は恐ろしい。
歴史ある学園への誇りと保守的な気質が結びつくと、そうして山海経内で日々を過ごそうとする生徒は増える。そして、そういった生徒が増えれば増えるほど、自治区内で日々の暮らしが完結できる様にサービスや流通も変化していく。内部で完結した自治区で暮らす生徒たちは主義主張に関わらず自ずと外へ出る必要性が薄れ自治区の中に籠り、結果保守的な思想を培ってゆく。
そういった考えに馴染むことがなくとも、やはり利便性の理由から外へ出ない生徒も多い。
春原ココナもそんな生徒の一人であった。彼女の場合はそもそもの年齢と飛び級してしまう優秀さがそれに輪をかけていた。幼いからと一人で遠くへ行くことは心配され、しかし齢11にして高級中学校1年としてそれなりに自立している。決して外部に無闇と敵意を抱いたり、権威主義を拗らせて他自治区を見下す様なことはしないけれど、彼女の生活圏は自然と山海経の中に閉じていた。行動を共にしがちな彼女の姉と共に梅花園の教官という時間を縛られがちな役職についているのが更に輪をかける。
そんな彼女であったが、ここ最近は山海経を出て他自治区を見て回ることが増えていた。きっかけはこのキヴォトスにやってきた先生との出会いだった。憎からず思う外部の存在。シャーレに手伝いに訪れ、その中であまり見慣れない景色を楽しみ、知り合うことのなかった他学園の生徒と知り合った。そういった新しい刺激は、幼く、それでいて聡明な彼女が外へ目を向けようと思うのに十分なものであった。
「あ、これ姉さんが好きそう」
山海経の外、とあるショッピングモールで蜜柑入りのマドレーヌを物色しているのもそんな新しい刺激に影響を受けてのことだった。
「園の子たちには大人っぽすぎるだろうけど……こっちのチョコクッキーなら喜んでくれるかも!」
梅花園の子どもたちの姿を想像しながら微笑む彼女は確かに少し昔の、教官になった当初の彼女よりもほんの少し大人びていたかもしれない。新しい出会い、新しい環境、新しい視野。春原ココナは外の世界に触れて確かに成長していた。
そんな彼女に近づく黒白の猿の影に気付かぬまま。
◯
「やぁ、もしかして君は山海経の生徒じゃないかな?」
「え、はい。そうですけど……そういうあなたも?」
「あぁ、やっぱりわかるかい?うちの生徒はちょっと雰囲気が独特だものね。こういう場所で見かけることも珍しいからつい声をかけてしまったんだ」
ショッピングモールでそんな風に声をかけてきたのはスラリとした体躯の白と黒が印象的な年上の女性だった。姉と同世代だろうか。
「確かに、うちの学園はちょっと引きこもり気味ですよね。自治区に見慣れない人が来るとすぐヒソヒソし出すし」
「ははは、玄武商会ができてかなりマシにはなったんだけどね」
「かなりマシ……想像つかないです」
突然声をかけられたというのに、何故だか少しも不快に感じない。やはり同学園の相手は話しやすいのだろうか。涼やかな彼女の声はむしろ聞いていて心地よさすら感じた。
「あ、ごめんなさい、自己紹介が遅れました。私は春原ココナといいます」
「これは丁寧にどうも。私は申谷カイという。よろしくね、ココナ」
「こちらこそよろしくお願いします。カイさん」
礼儀正しいんだね。そんな風に微笑んだ後に、少しだけ首を傾げたカイが確かめる様に思わぬ名を口にした。
「春原……ということは、もしかして君はシュンの妹さんかな?」
「シュン姉さんをご存知なんですか?」
「彼女はあれで有名人だろう。それに、昔は色々と仲良くしていたからね」
最近は疎遠になってしまったけれど。
そんな風に少し寂しげに笑う彼女に何かあったのだろうかとココナは眉を下げる。親族として色々と文句を言いたくなることもある姉ではあるけれど、本気で人を傷つける様なことはしない人だ。人間関係で彼女と何かあったとは思いたくないけれど。
「と、こんな店先で立ち話をしていたらお店の人に睨まれてしまうね。どうだろう、よければ近くでお茶でもして行かないかい?せっかくの同郷、しかもシュンの妹さんと会えたんだ。もし時間があればもう少しおしゃべりを楽しみたいんだ」
その誘いはココナにはひどく魅力的に感じられた。姉の知人だという女性。姉との事ももう少し詳しく聞いてみたい。何より、こんな風に当たり前にお茶に誘われるという経験がココナにはほとんどなかった。
11歳の飛び級生。みんなのかわいいココナちゃん。周りがココナと接する際は大抵そんな風に年下の幼い少女として扱うのだ。たとえ同じ学年であろうと、やはり彼女らにとってココナは年下で、かわいがる対象なのだろう。それは山海経の外に出てもあまり変わらなかった。彼女を対等に扱うのなんて本来面倒を見るべき梅花園の子どもたちばかりで。
だから、だろうか。年齢も外見も関係なく当たり前の級友の様に話しかけるカイの言葉はココナにとって新鮮で、それでいて気持ちの良いものだった。
なにより、今日は幸い梅花園の仕事は一日姉が請け負ってくれる日だ。こちらに気を遣ってくれているのがわかって申し訳なくもあるのだけれど、ココナはそういう時つい姉に甘えてしまう。貴重な丸一日の休日。
「本当ですか!是非、もっとお話ししましょう!」
だから、カイの誘いを断るなんて選択肢は存在しなかった。
◯
「それでですね、聞いてください。姉さんったら──」
誘われたのは彼女の行きつけだという少し奥まった場所にある品のいい純喫茶。少し薄暗い店内に踏み入れるとふわりと花の様な甘い香りが鼻腔をくすぐった。勧められたとても甘いカプチーノを口にしながら気づけばココナは自分と姉の話ばかりをしてしまっていた。どうにも聞き上手のカイには相手の口を軽くする空気があるのかもしれない。それに、最近は疎遠になってしまっているという姉の話を聞かせるのもいいのではないだろうか。そんな自己弁護をほんの少し交えながら、ついつい愚痴っぽくなってしまう姉のやらかしを熱心に語ってしまうのだった。
「あっはは……相変わらずだなぁ、シュンは」
渾身の話に目尻に涙まで浮かべて笑ってくれればココナもこれだけ熱心に話した甲斐があったというものだ。気の良くなったココナは喉を潤す様にカップを傾けた。
「真面目で責任感も強くて、なんだってそつなくこなせるクセに抜けてるというか、脇が甘いというか」
額に手を当ててクククと笑う姿はとても絵になる。なんでか見ているだけでドキドキしてしまう。自分でも原因のわからない感覚を誤魔化す様に頬を膨らませた。
「その癖ちゃっかりしてるんですから、本当にもう」
「フフ、けれどこんな話をした後にするのもなんだけれど君はシュンによく似てるね」
「間抜けってことですか?」
「いや、真面目で責任感が強いってところさ。こうして話しているだけでもよくわかる」
「…………そう、ですか?私、姉さんみたいにやれてるでしょうか」
長時間話し続けたからだろうか。なんだか少しクラクラする。少し前から感じていた薄い酩酊感が今になって一気に勢いを増した。
「普段の君を知らない私が無責任なことは言えないけれど、少なくともシュンや梅花園のことが大好きで一生懸命なんだってことはよく伝わったよ。それは、きっとシュンも一緒だろう?」
「…………はい、そう……ですね」
「あぁ、カップが空になってるね。もう一杯頼もうか。同じものでいいかな?」
「はい……」
「じゃあ、これを……。うん、飲ませてあげよう。ほら、顎を少し上げて……そう、口に含んで。少しづつ、味わって……飲み込んで……」
いつのまにか隣に座っていたカイがココナの顎に手を当て、もう片方の手に持つカップの縁をココナの桃色の唇に添えて傾けた。
温かくて、甘くて、どこかフワフワする液体がココナの体の中に注がれてゆく。夢の様な柔らかなカイの体にもたれ掛かりながら、ココナは注がれる液体をコクコクと飲み込んでいた。
カイさんとシュン姉さん、再会させてあげられたらいいなぁ。梅花園に彼女を連れて行ったら姉は驚くだろうか。笑ってくれるだろうか。
そんな風にできたらいいなあ。
もやのかかった思考の中でそんなことをココナは考えていた。
「シュン、君は本当に相変わらず脇が甘い」
モヤの向こう、愉悦混じりのカイの声は彼女には届かなかった。
◯
誰かの声が反響する。
何度も何度も同じ言葉が頭の中で繰り返す。
何を言っているかよくわからない。けど、なんだかそれが心地良くって。フワフワとした心にじんわりと涼やかな声が沁み込んでいく。
頰がふにゃりと笑みの形に崩れる。
だからこのままでもいいかなと思って。声の言われるがままに今日のことは心の奥底にしまい込んで忘れてしまった。
◯
「お土産ありがとうね、ココナちゃん。今日は楽しかった?」
「うん!やっぱりこっちだとなかなか見られないものが沢山あってすごい楽しかった。それにすごく雰囲気のいい喫茶店にも入ったんだ」
「喫茶店?」
「なんだか古き良きって言葉の似合いそうな店構えで。けどお店の中はお花の香りがして、今度シュン姉さんも連れてってあげるね!」
「ふふ、まさかココナちゃんに喫茶店を紹介してもらえるなんてね」
「むー、なぁにその反応」
「おっきくなったなぁって」
「もー姉さんは何かあるとそればっかり!私はもうとっくに梅花園の教員で、立派なレディなんだから」
「ふふふ、そうね。これでにんじんが食べれたらもっと素敵なレディなんだけれどなぁ」
「うぐ、好き嫌いは大人とか子ども関係ないですよ……」
「ふふふ、今日はそういうことにしておきましょうか……。そうそう、園の子たちに買ってきてくれたクッキー、明日のおやつの時間に出しましょうね」
「みんな喜んでくれるといいんだけど」
「ココナちゃんが選んでくれたお菓子だもの、きっとみんな気にいるわ」
「……うん!」
◯
子どもたちの描いたお絵描きや折り紙で飾られた壁を背に、梅花園の子どもたちが折り重なる様にして倒れていた。「ココナちゃん」「ココナちゃん」と今日も敬意のかけらも無い呼び方で元気に走り回っていた子どもたちが口の端から泡を拭きながら倒れている。
その手からは白いクッキーのかけらが溢れ落ちて床を汚す。
なんで?
なんで、なんで、なんでなんでなんで?
ココナは呆然とその光景を眺めていた。駆け寄る事も、声を上げる事もできないまま。自分が買ってきたお土産が引き起こした惨状を前に立ち尽くしていた。
「ココナ……ちゃん……」
子供達と一緒にクッキーを口にしたシュンが麻痺した体で倒れ伏したまま必死にココナに呼びかけている。助けを。子どもたちのために早く助けを呼んでと。姉妹だ。同じ梅花園の教官だ。シュンの考えていることはよくわかる。
なのに。
ココナの体はまだ残されていたクッキーを鷲頭噛むと強引にシュンの口にそれを捩じ込んだ。
「ココナちゃ──っ!」
驚愕に目を見開くシュンに馬乗りになって明らかに危険な薬物の混ざったクッキーを砕き入れ、水を持ってきて無理やりに流し込む。
なんで!?やめて!!
ココナはそんな自分の行動に悲鳴をあげる。だが、それは頭の中だけでココナの体は淡々とシュンの口に危険物を押し込んでいた。
やめて!!お願い!どうして!?どうしてこんな、いやだ!いやだ!!やめて!!
抵抗する様に、あるいは流し込まれた薬物によってかシュンはひどく体を痙攣させ、顔中から液体を流す。ココナの体はそれすら頓着しない。
やめて!!姉さんが死んじゃう!お願いします!お願いします!もう我儘なんて言いません、姉さんに仕事を押し付ける事も、好き嫌いだって、何も何も悪いことをしません!!お願いします、お願いします。なんでもします。だから、もうやめて。姉さんを殺さないで……!
頭の中で泣き叫ぶ。頭の中でしか泣き叫べない。ココナの体はそれが当然の仕事であるかの様に淡々と行動を続ける。やがてシュンの体が動かなくなると立ち上がり、今度は倒れたままの子どもたちの下へ向かう。
やめて……
あの声は全員である必要はないと言っていた。おおよそ半分。それだけの人数が集まれば事足りる。小さく軽い体を運びやすい様に袋に詰めていく。二、三人、乱暴に一つの袋に詰め込んで園の備え付けの車に放り込んでいく。本来ならそれは袋に詰められた子どもたちを社会見学などに連れ出す際に使うためのものだった。彼女たちを教え守るためのそこに袋に詰めた彼女たちを積み込んでいく。
やめて…………
車の運転はほとんどしたことがないけれど、優秀なココナは教本を読み込んでいて操作方法も熟知していた。子どもを詰め込んだ車を走らせて山海経の外へと向かう。場所は特に指定されていない。外に運び出せば向こうから回収すると言われていた。
言われたとは、誰に?
そんな疑問を抱く気力すらココナにはなくなっていた。それなのに体だけは忠実に彼女も覚えていない頼まれごとを果たしていた。
◯
「百点満点!花丸だよ、ココナ」
薄暗い地下施設。自分が攫った子どもたちと共に連れてこられたこの場所で。並べられた梅花園の子どもたちを前にココナは誉められていた。
「──なに、を」
今も体はうまく動かせない。優しく頭を撫でるカイの悍ましい手をただ受け入れることしかできない。なんとか動かせた口が、今更にようやくそんな問いを発したことだけがココナの抵抗だった。
「暗示が解けかけてるかな。まあ、ここまで完璧に動いてくれたんだ、やっぱり君は百点満点だ」
「……」
「君にしたことはいずれ思い出すだろう。だから、なんでこんな事をしたかを説明してあげようか」
楽しそうな声音と共にカイが摘み上げたものをココナの眼前に差し出す。
「これが何かわかるかな?」
それはカサカサに乾いた虫の死骸から伸びる植物の様な何か。実際には菌類、キノコの仲間であることをココナは知っている。
「冬虫……夏草……?」
「正解だ。これはあくまでただの冬虫夏草。けれど実は特別なものを用意していてね。それは人の体に根を張るんだ」
そう言って手にしていたそれを放り投げると代わりにひとまわり大きな赤い根の様な物体を取り出した。
「え……?」
「人紅山姫と呼ばれていたらしい。ずっと昔に山海経で考案、研究されていたものでね。ただ、当時の玄龍門の会長が禁忌としてその情報ごと抹消させてしまった。僅かに外部に持ち出された資料以外ほとんど失われた貴重なものだ」
「それが……なんだって言うんですか……!」
持って回った話し方はなかなか結論に行きつかずココナの心を苛立たせた。同時にその苛立ちはこれからカイの口から語られるだろう彼女の目的を察した不安の裏返しでもあった。
「面白い薬の材料になるのだけれどね、残念ながらある程度成長し切ってしまった人の体ではうまく根を張ることができない」
「……っ」
「だからといって赤子の様に幼すぎれば体力が足りず育ち切る前に宿主が死んでしまう」
ココナは僅かに視線を動かし寝かされた子どもたちを見る。手足を枷で固定され、寝台に括り付けられた光景が一瞬キノコを養殖するプランターの様に見えて全身の産毛が逆立った。
「だか、ら……?そんなことのために……?」
「そんなことのためさ。ああ……いや、元々は梅花園の信頼を切り崩して山海経を引っ掻き回せれば御の字程度ではあったのだけれどね。そのついでくらいのつもりだったのだけれどね。君は本当によくやってくれた」
「……ゆる、さない…………!!あなたのしたことは、許されないことです。絶対に、絶対に…………」
「怒り顔も姉にそっくりだね」
「姉さんの、友達だと思ったのに……!」
姉のことを思い出して目尻に涙が浮かぶ。それは目の前の相手に対する怒りであり、残してきてしまった彼女が死んでいないかという不安だった。そして、それを自分が行ったのだという罪の意識だった。
「山海経の跳ねっ返りたちもみんな君くらい素直なら楽なんだけれどね」
そんなことを言いながらカイの手が未だ満足に体の動かせないココナの顎を掴む。その感触にゾッとする怖気と共に奇妙な胸の高鳴りを感じながらココナは身を捩った。
「やめてください……っ!」
「この前はあんなにうっとりと飲んでいたのに」
カイは何か液体の入った試験管の様なものをココナの唇に当てた。
「大丈夫だとも。以前しっかりと慣らしたからね。今回は原液でも体は耐えてくれるはずだ。そうしたらまた君は私の操り人形だ」
「っ……!!」
必死で、意志力を総動員して体を捩る。だが押さえつけられた顔は逃れることができずに試験管の中の液体を注ぎ込まれる。体が無意識にそれを求めて勝手に嚥下する。
フワフワと心地よい感覚が胃の底から登ってくる様に感じられた。
「ちょうどここを管理する助手が欲しいと思っていたところだ。ココナ、君に頼むことにしよう。君の手で彼女たちの体にその紅山姫を植えて、君の手で育て収穫するんだ。梅花園の教官なら子どもの面倒はお手のものだろう?」
その言葉にココナの瞳が絶望に染まる。
「ゆる、して…………ゆるしてください。おねがいします、ゆるして、それだけは」
「どうしたんだい?許さないのは君のほうだろう?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
涙を流して許しをこう。目の前の邪悪に縋り付く。それ以外にココナにはもう何もできなくなっていたから。
手足の自由が効かない。頭も酷くぼやけている。なんとなく、その感覚に覚えがあって。その先で起きた光景が今もありありと心の中に浮かんで。これから自分が頼まれる行いを思い描いてしまい。
「ごめんなさい」
「いいとも。許してあげよう。だから私のために働いてくれ」
カイの手が伸びて。カイの言葉を流し込まれて。
そうして、ココナの心は真っ暗な奈落の底に放り出された。
──ごめんなさい
姉か、子どもたちか、目の前のカイか。誰に謝っているのかももうわからなくなったまま。