ココナちゃんです   作:伊井米星屑

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そんな、カイはロリコンだったのでは……?


【4】

「あ、シャーレの先生ですね!よければ今回の事件について一言よろしいでしょうか?」

"あなたたちは……?"

「我々は〇〇通信社の者です。先日先生が解決された梅花園児童一斉誘拐事件についてお話を!」

"……私から話せることはありません"

「そう言わずに、一言だけでいいですから!世間で話題の犯人であるKさんとは先生も親しくされていたとか。日常の中で彼女が今回のような事件を起こす異常性の一端を感じるような場面はなかったのでしょうか?」

"異常性……?"

「ええ!大勢の児童を誘拐しその体で冬虫夏草を育てるだなんていう行為をいつから計画していたのか。そういった人を人と思わぬ残虐な行為に興味を示す場面はなかったのか。天才サイコパス少女Kさんについて、是非大人としての視点から何か思い当たることを教えていただけると」

"っ……!コっ……彼女もまた被害者です!そんな風に言われる謂れはありません!"

「そうですね。天才少女として人より早く一人前として扱われたが故の、精神面や道徳面を顧みられることのなかった彼女もこの能力主義の社会の被害者ということですね。しかし、先生にもその異常性を悟らせなかったとなるとは……それもまた天才サイコパス少女故の能力の高さということでしょうか」

"……これ以上お話しすることは本当に何もありません。それから──、今の私の発言を恣意的に歪めて報道された場合はシャーレとして正式に抗議させていただくので"

「はは……先生もお忙しいようなので今回はこれで。またいずれお話をお聞かせいただければ」

 

 突如押し売りのように捲し立ててきた記者が同じスピードで逃げ去っていくのを見送り、先生は深いため息をついた。

 

"…………はぁ"

『先生……大丈夫ですか?』

"心配してくれてありがとうアロナ。私は大丈夫だよ。……もっと苦しんでいる子たちが沢山いるからね"

『……』

"さて、今日はカンナたちを手伝いに行こうか。それから山海経にも顔を出さないとね"

『はい、サポートはお任せください、先生』

 

 

 誘拐されていた梅花園の園児たちと彼女たちを攫った春原ココナの保護、そして主犯である五塵の獼猴・申谷カイが捕えられたことで事件は一旦の解決を見た。しかし、カイが作成していた薬の効能、それを売り捌いていた闇ルートや売り捌かれた薬の行方など、未だ答えの見えない問題も残されており、ヴァルキューレも山海経もそれらに頭を痛めながら対処にあたることとなった。

 一方で世間では、どこからか漏れてしまった園児たちが受けた虐待と呼ぶのも生ぬるい惨状とそれを実行、管理していたのが11歳で飛び級をしていた天才少女という話題がセンセーショナルとなってさまざまなゴシップや噂が飛び交うようになってしまっていた。

 曰く、天才少女はその天才性が故に他者への共感性を欠如してしまっていたのだとか。曰く、探究心ばかりが肥大化してしまいそれを満たすためにカイと共謀し今回の事件を起こしたのだとか。根拠もない話がさも真実かのように人々の口に登っていた。

 

 世間では今天才少女Kがトレンドとなってメディアなどでも大きく取り扱われている。先生がクロノスなどに協力を頼みある程度話題の沈静化を図りはしたものの、それでもまだしばらくは人を人と思わぬ残酷な少女Kの話は世間の人々に語られ続けることになりそうであった。

 

 

 そういった世間の目から隠れるよう山海経の中でも人の出入りが制限された病院の一室で春原ココナは拘束されていた。

 拘束だ。

 それは彼女を逃さないためではなく、彼女の自傷行為を止めるための苦肉の手段だった。

 

「……」

 

 ぼんやりと──今は毎日の投薬後で意識を朦朧とさせた──ココナの体をサヤは真剣な目つきで診察していく。体の各所に植え込まれた冬虫夏草は既にほとんどが切除されている。手足や体の各所にはその際に切り開かれた傷を癒すため包帯が巻かれているがそれもいずれは取れるだろう。

 

「話には聞いてたけど、こんなことまでするなんて……」

 

 サヤの付き添いとして病室を訪れた玄武商会会長の朱城ルミはココナの姿に普段滅多に見せることのない強い怒りの表情を浮かべる。彼女の立場であってもこの病室にら入れるようになったのはつい最近になってからだった。

 

「……」

 

 そんなルミの呟きにもココナは反応を見せない。

 サヤや医師たちの尽力によって包帯まみれではあれ、体に寄生させられていたもののほとんどは取り払われた。だが、それでも取り除ききれなかったいつくかが、今もカイに施された施術の痕跡としてココナの体に残されていた。

 右耳の奥から茂り髪に絡まる蔦はココナの顔の神経の深いところにまで根を張り、下手をすれば脳にも食い込んでいた。下手に引き抜けばそのままココナの命を奪いかねず、現状では麻酔を打って時折、茂りすぎた葉や蔓を剪定することしかできずにいた。

 そうしてもう一つ、誰が見ても明らかなのが膨らんだ腹の中で育つ蟲たちだった。小柄、というよりもそもそもが幼いココナの体に明らかに不釣り合いな妊婦のようなお腹の中には確かに命が息づいていた。それが人の子ではなく蟲であるという違いはあれど。

 ココナが保護された直後の検査で腹部に危険な寄生蟲の幼虫が何匹も埋め込まれていることはすぐに判明した。だが、既にかなりの大きさにまで育ったそれらを手術で摘出しようとすれば、蟲たちは本能的に逃げるためにココナの体の各所を食い破りながら更に深い場所へ潜ってしまう可能性があった。かつてカイの教えを受けてその蟲の存在を知っていたサヤは安全に摘出するためには蛹になるのを待つ他ないと知っていた。他の医師とも協議を重ねた結果、やはり蟲が成長しきるのを待つしかないという結論に至りココナのお腹はこうして日に日に膨れ上がっていた。

 

「すまないなのだ……けど、必ず助けるから」

 

 病衣を持ち上げるココナの腹部に優しく手を当て、サヤは決意を込めた声で半ば自分に言い聞かせるように言った。

 たとえ命が助かったとして蟲たちに貪られた臓器が無事に済むのか。それはサヤにもわからなかった。それでも今できる全力を尽くすことしかサヤにはできない。

 

「……」

「ん?」

 

 ぼそり、ココナの口から漏れ出る声を聞き取りサヤはココナの口元に顔をよせる。濁って左右で完全に色の変わってしまった瞳は虚空を眺めて焦点があっていない。冬虫夏草の切除と病院食でわずかに色艶の戻ってきた唇がかすかに動く。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 掠れて、耳をそば立てなければ聞き取れない声でココナは謝罪を繰り返す。左目から一筋の涙が溢れるのをサヤはハンカチで拭ってやった。

 

「ココナが謝ることなんて何もないのだ」

 

 届いているかわからない言葉を投げかけながら頭を撫でる。それはサヤの本心からの言葉だった。全ては練丹術研究会が生み出してしまった化け物であるカイが引き起こしたことだ。その魔の手が再び山海経に伸びていることを知りながら防げなかったサヤの責でもあると。

 譫言のように「ごめんなさい」を繰り返すココナの肌色を確認しながらサヤは重い息を吐いた。

 これでもココナの状態はかなりマシになっていた。ここに運び込まれた当初、意識を取り戻しカイの元から救い出されたと聞かされたココナはしばらく呆然とし、現実を受け入れられないように「早く今日のお仕事をしなきゃ」とベッドから起きあがろうとした。起き上がっていい体ではないと押し留められれば恐怖に顔を引き攣らせ「姉さんの役に立てなくなってしまう」と叫び病室を抜け出そうとすること十数度。この時点でベッドから降りれないよう体の一部を拘束されるようになった。それからは、ひどく怯えた様子で「どうしよう」「どうしよう」と視線を彷徨わせながら縮こまり震えるようになった。体に爪を立ててしきりに掻きむしるようになったのもこの時期だ。周囲が何を言っても聞き入れる様子がなかったココナにとどめを刺してしまったのが車椅子に乗ってやってきた姉の姿だった。

 何度も「姉さん」と繰り返していたココナである。彼女を救い出した当人でもあるシュンの姿を見れば多少は改善が見られるのではないかと、周囲はそんな風に考えていた。シュン自身しばらく渋るような態度を見せたがそれでもココナの様子を伝え聞き病室を訪れることを決めた。

 数人の立会人の下、車椅子をサヤに押され病室に入ってきたシュンを見たココナの変化は劇的だった。

 恐る恐るといった様子でシュンが「ココナちゃん」と呼びかける。すると、それまで誰の声も聞こえないようにシーツにくるまり震えていたココナがピタリと体の震えを止め、それからゆっくりと声の方を向いた。

 シーツがはらりと落ち隈を浮かべたココナの顔が顕になる。

 

「姉、さん…………あぁ……よかった」

 

 驚きに目を見開き、泣き笑いの表情を浮かべ、涙を流して心からの声でそう呟いく。それまでの誰の声も聞かずに怯え続けていたのが嘘のように。ようやく見られた妹の顔にシュンも自然と笑みが溢れた。

 

 それからココナは隠し持っていたボールペンを自らの首に突き立てた。

 

 首から血を吹き出したココナに病室は阿鼻叫喚となった。目の前で血を吹くココナの姿を目にしたシュンはココナの下へ飛び出そうとして立ち上がることもできず床に投げ出され、サヤや医師たちはココナの止血に奔走した。出血量は多かったものの幸い一命は取り留めた。だが、これ以上面会させることはココナ、シュン共に精神的な負荷が大きすぎると判断され以後二人は面会謝絶となる。

 

 シュンはそれ以来ひどく塞ぎ込むことが多くなり「私のせいなの」と頭を抱えるようになった。ココナは意識がはっきりするとシュンと顔を合わせたときのように自分の命を奪いかねない、いや、命を奪おうとするような自傷を繰り返すようになった。舌を噛み切った時など、サヤは本当にもうどうにもならないかと思った。

 ココナの動きを止めるため結果として彼女が児童たちにしたようにベッドに拘束し意識を酩酊させる薬を投与することになったのを皮肉と言えるようなユーモアはサヤには存在しなかった。結果として今のように身動きの取れないまま、夢と現を揺蕩いながら届く先もわからぬ謝罪の言葉を繰り返すのが今のココナだ。

 

「その拘束は本当に外すことはできないの?」

「今くらいの意識がぼんやりとしてる状態なら大丈夫かもしれないけれど……いつ意識をはっきりさせて自殺を図ろうとするかわからないのだ」

「そっか……ココナちゃん、そこまで」

「体内に残っていた薬物や事件のあらましを聞いた限りおそらくココナは暗示のようなもので無理やり行動を縛られていた可能性が高いのだ」

「……それでやらされていたのが子どもの体を切り刻むこと、か」

「多分なのだけど、その頃に死のうとしたこともあったんじゃないかと思うのだ。けど、体の自由が許されなかったから……」

「今になってっていうこと?そんなの──」

 

 救いがなさすぎる。

 吐き捨てるようにルミが言うのをサヤは咎めることができなかった。

 

「それで、私は今のココナちゃんに話しかければいいの?」

「そうなのだ。自分が直接危害を加えたシュン相手じゃ刺激が強すぎたのだ。今のココナはどこに起爆スイッチがついてるかわからない爆弾みたいなものなのだ。だから、意識が曖昧な状態で今回の事件に関係ない知り合いの声でどこまで反応を見せるか少しづつ観察していくのだ」

「それは──また随分と根気のいる」

「薬の研究だってそういうものなのだ。それと同じなのだ」

「言われてみれば、料理だって似たようなものか」

 

 ひとまずの納得を得てルミはココナに歩み寄る。その後ろではサヤが独り言のように

 

「それに、これがうまくいくならもしかしたら……」

 

 どうやらこの先の何らかの布石でもあるらしい。心強い練丹術研究会の会長の言葉に気合を入れるように軽く息を吐き、ルミはココナとベッドに腰掛けた。

 

「久しぶり、ココナちゃん。最近はココナちゃんがうちに来ることもなかったから寂しかったよ。ねぇ、この前また新作を出してさ、これがまた好評で──」

 

 街中で偶然出会ったかのように。何事もなかったかのように。ルミは視線も定まらぬココナを相手に朗らかに会話を始めるのだった。

 

 

 毎晩夢を見る。いつも、いつも、同じ夢だ。自分は狭い通気口の中で息を潜めている。見つからないように気配を消して眼下の光景を眺めている。ものの少ない閑散とした部屋の中心にライトで照らし出される手術台が鎮座している。その横には山海経を追放された練丹術士が鈍く光るメスを片手に台の上の少女の体を思うまま切り裂いていた。人体には生えていてはいけない奇怪な寄生生物の数々。それらに侵され変わり果てたよく知っているはずの少女の姿。彼女は悲痛な悲鳴をあげ、何度も何度も自分に助けを求めている。その声を楽しむように幾度も彼女にメスが振るわれる。少女の、妹の体から血が流れ、肉が裂け、悲鳴が迸る。自分は助けに飛び出すこともせず、ただ声を潜めてその光景を眺め続ける。どれだけ経っただろう。手術台が真っ赤に染まる頃、全身を血で染めた妹とついに視線があった。助けを求める瞳。なのに自分はそれでも動けず、虫の息の彼女をただ見つめ続ける。するとココナの瞳に失望の色が宿る。

 

「姉さんは助けてくれないんだ。もう、私はいらないんだね」

 

 いつの間にか眼前にやってきたココナはその言葉と共に自らの首に先ほどまで自分を切り裂いていたメスを突き立てる。血が。妹の血が噴き出て自分の顔を濡らす。それでも動けない。この体は自分の意思に関わらずちっとも動いてくれない。声も上げられない。せめて名前を呼びたい。助けたいのだと、見捨ててなんていないのだと、いらないわけなんてないと、そう伝えたい。けれどその言葉を口にしようとするたび「本当に?」そんな冷たい自分の声が聞こえて喉が凍りつく。動けない。声も出せない。血は顔をどんどん濡らす。

 

「ごめんなさい」

 

 それは何の謝罪なのか。謝るべきは自分なのに。

 ココナはそんな最後の言葉を残してばたりと倒れる。もう動かない。息もしない。帰ってはこない。自分が見捨てたから。自分が助けなかったから。自分が遅すぎたから。妹は助からない。

 

「あああぁぁぁぁぁぁぁああ!!!」

 

 ようやく喉から溢れたのはそんな絶叫で。その声で目が覚める。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ…………」

 

 真っ暗な病室だった。わずかな月明かりがカーテンの隙間から差し込んでいた。

 全身にぐっしょりと嫌な汗をかきながら目覚めたシュンはしばらくここがどこかもわからず、妹を救えなかった絶望に苛まれて荒い息を繰り返した。

 しばらくしてココナが死んだのは夢の中の話で実際には彼女を救い出したことを思い出す。と同時に実際に目にした彼女がカイに壊されていく光景と、目の前で自殺を試みた姿を思い出し腹の底にズシリとした重苦しい感覚を覚えてえずきそうになる。

 

「私は……私のせいで……」

 

 少なくともあの突入の日、できる中で最善の選択をしたと思っている。それでもあの日から毎日切り刻まれ、カイに抱かれてしがみつくココナの姿を夢に見た。彼女が目の前で自殺を図った日からは今日のような悪夢に変わった。

 もっと早くココナの異変に気づくことはできていたのではないか。あの、園児たちが攫われた日、ココナを引き止める方法が他にあったのではないか。そもそも、彼女が一人で山海経の外へ出ることを止めるべきではなかったのか。

 取り留めもない、関連性もまちまちなもしもの思考が頭の中を巡る。無意味と知りながら、どうしてもぐるぐると巡る考えをシュンは止めることができずにいた。

 責めるべきはカイだ。けれど彼女によって傷つけ歪められたものはあまりに多すぎて。あの暗い地下施設の中で飼い殺しにされていた園児たちは今も投与され続けた幻覚剤の治療のため全員が隔離病棟で苦しんでいるという。彼女たちの下を訪れることすらシュンにはできなかった。

 誰も、誰も助けられてなどいない。あの日決意してサヤから薬を受け取ったはずなのに。今のシュンはあの時の強い思いをすっかり萎えさせて無力感に打ち震えることしかできなくなっていた。

 今もふと思考を止めれば夢の中の失望したココナの顔が蘇る。首に刃物を突き立てて血を吹き動かなくなる妹の姿が再生される。這い上がる怖気にシュンは自分の体を抱きしめてまた息を荒げた。

 こんなことばかり考えてはいけない。自分の体を治すこと、ココナの心を癒すこと、園児たちを助け、子どもたちが笑うことのできる梅花園の日常を取り戻すこと。すべき事はいくらでもある。だから──

 そう自分を鼓舞しようとするのにどうしても顔を上げる気力が湧かない。

 月明かりの当たらない暗闇の中でシュンは今も悪夢に溺れていた。

 

 

 お腹の中から何かがトロトロと流れ出していく。

 

「それでいいのだ。蛹といっても外殻の役割を担うのは母体にされた胎。だから取り出すのは成虫になる為に体を溶かした状態の蟲のスープなのだ」

 

 なにか。ずっと自分の中を占めていた重く苦しく痛いものが流れていく。解放されたという安堵と、大切なものを失ったという喪失感が同時に湧き上がる。

 

「少しも残してはいけないのだ。洗浄を……汚染されてる部位は抉り取るしかないのだ」

 

 ぼんやりと。誰かの声。

 何となく懐かしい。懐かしい声。

 だれだっけ。そもそも自分はだれだっけ?

 うまく思い出せない。何かしなければならないことがあった気がする。仕事?贖罪?ぽつりぽつりと単語が浮かぶのだけれどそれがうまく形にならない。何か、とても大切なことがあった気がするのだけれど。こわくて、くるいしい。けど、無視してはいけない何かがあった気がするのだけれど。

 

 わたしは、ゆるされてはいけないから。

 

 ゆるしって?

 ゆるし……許し……赦し……

 うまくかんがえられない。いみがまとまらない。けど。ひとつだけ、おぼえてる。

 

 ゆるされてはいけない。

 ゆるされてはいけない。

 ゆるしなんて、のぞんではいけない。

 

 わたしはゆるされない。

 

 

 サヤは長時間の施術を終えそれまでできなかった長い息を吐き出した。失敗はしていないはずだ。実際に目にするのは初めてだがそれがどのような特性を持ちどのように取り出せば良いかはかつて先輩から嫌というほど教えられた。それがこの事態を引き起こした元凶だと思えば酷い徒労感を覚えてしまうのだけれど。

 久しく会っていない彼女が脳裏で「貴重な素材だが、君ならうまく扱えるだろう?後輩へのプレゼントとでも思ってくれ」なんてせせら笑っている。彼女は今再びヴァルキューレに捕まって矯正局へ送られているはずだ。なのに、どうしてもこれで終わりと思えぬ不気味さを感じて嫌な気持ちになる。それはかつて彼女が囚人となったと聞いた時と同じ感覚だ。どうしようもない。本当にどうしようもない相手だ。

 

「…………」

 

 ココナの腹から掻き出したあれは本当なら感情に任せて投げ捨てたい。だが、今もサヤが力及ばず苦しむ人たちがいる以上、練丹術研究会の会長として無為にすることは許されなかった。それがどれだけ悍ましいものであろうと。

 

「結局ぼく様もあいつと同類か……」

 

 わずかな間自嘲に身を浸した後、サヤは頭を振った。

 これで少なくともココナの体調は快方に向かうはずだ。未だ切除できない右耳の蔦はそのままだが、あれは最早ココナと一体になってしまっている。切除ではなく共存できるようにする他ない。

 そして、ルミとの会話で僅かながら精神面での可能性も見出した。

 

「今度こそ、シュンとココナを……」

 

 血まみれに終わったあの日の再会から、今度こそ。たとえそれが彼女たちが望むような形でなかったとしても。

 サヤは自分の頬を強く叩き歩き出した。

 

 

 今日もふわふわと世界はゆらめいている。自分が誰かも曖昧な中でひどく冷たい罪の氷と真っ赤な痛みの炎が競り合っている。

 ココナは拘束されたベッドの上で生かされていた。彼女の体を押さえつけるベルトは彼女の命もこの地上に縛り付けているように思えた。そんなココナの下に今日もあの声がやってくる。

 

「おはようなのだ、ココナ。今日は少し顔色が良さそうなのだ。お腹はもう痛くないか?」

 

 優しい声。とても優しくて、だからとても申し訳なく思ってしまう。なぜ?と理由を問おうとすればそれははらりと解けて形を失ってしまうのだけれど。

 

「今日ももう一人お見舞いに来てくれた人がいるのだ」

 

 おみまい。

 そういえば少し前には何だか赤い人が来て自分に話しかけてくれた気がする。知っているようでどうしてかうまく思い出せなくって。やっぱり申し訳なくなって、でも何だか話を聞いていると幸せな気持ちになった。それは許されないことだけれど。けれどそんな話をしてくれた赤い人には感謝をしていた。

 

「ココナちゃん」

 

 聞き覚えのある声が、名前を呼ぶ。

 

「ココナちゃん」

 

 なまえ。だれの名前?

 私のなまえ。

 誰の声?

 

「……」

 

 辛うじて動かすことを許された頭を傾け視線を向けると、そこに小さく可愛らしい少女がいた。見覚えがある。とても、とても見覚えがある。

 

「シュエ、リン……さん?」

「うん、久しぶり。ココナちゃん」

「……」

「……ぁ」

 

 それは自分が最後に傷つけた相手。たくさんの人を苦しめて、たくさんの人を殺そうとして。その事をいいことだなんて思い込んで。最後に手を下そうとした、小さな女の子。

 

「ぁ……ぁあ……」

 

 罪の氷がココナの頭を一瞬で冷やす。曖昧だった世界の輪郭が像を結び、目の前の少女に自分がした現実を思い出す。

 

「ごめんなさい……っごめんなさい……!!私、わたしは……っ、あなたにひどいことを……」

 

 咄嗟に下げた頭は謝罪のつもりか、それとも目の前の少女を直視できないせいか。浅はかな自分にいつも以上の憎悪を募らせながら震える声でココナは言えるだけの謝罪を口にする。

 

「お金を、払えというなら払います。消えて欲しいなら、いなくなります。死ね、というなら死に──」

 

 言いかけた言葉を押し留めるように体を抱きしめられた。その時になっていつもよりベッドの拘束が少ないことに気がついた。上半身が持ち上がる。手が自由になっていた。そうだ、なら今度こそ自分の首を。けれど、こんなふうに抱きしめられていてはうまく刺せない。舌を。でも目の前の彼女を汚してしまう。どうしよう──どうしたら──

 

「なんで……」

 

 思考の渦に飲まれかけたココナの耳にか細い、けれど決して聞き漏らせない少女の声が響く。

 

「なんでココナちゃんが謝るの?ココナちゃんがなんで死ななきゃいけないの?」

「だって……だって私…………」

「ココナちゃんは悪くないよ」

「そんなこと!!」

 

 言われた言葉に反射的に言い返して、自分でも思わぬ大声を上げてしまう。この病室に運び込まれて初めてかもしれない。

 

「そんなこと、ない……!だって私は、酷いこと、たくさんして……みんな傷つけて、怖がらせて……ねえさ、だって…………あなたにも酷いこと考えた!酷いこと、言った!!」

 

── ああ、姉さんが新しい苗床を用意してくれたんですね。

 

「ココナちゃんが望んだことじゃないでしょ」

「望んだんだ!!私は……わたし…………自分で、自分で選んで……みんな、私のせいで……ダメなの。私はもうダメなの…………」

 

── みんなで姉さんの役に立って、それでみんなで姉さんに許してもらいましょう?

 

「ダメじゃないよ」

「ダメだよ!!絶対にもう二度と……許されたいだなんて思っちゃいけない……殺さなきゃ……いなくならなきゃ……罰を……違うっそうじゃなくって、もう何もしちゃダメで」

「ココナちゃんは許されていいんだよ」

「ダメなの……許されないの」

「どうして?」

「だってぇ……ダメなんだもん……私、ダメなんだもん…………!」

 

 いつの間にかココナの声は涙混じりになっていて。何故だろう。この小さな少女相手だと、まるで幼子のように辿々しい喋り方になってしまう。口調も幼くなって、話す言葉も理屈が崩れて感情ばかりが先に出る。

 それは、もういつからかずっとそうなのかもしれないけれど。

 

「ダメじゃないよ」

「ダメ、だよぉ」

「私は許すよ」

「ダメ……ダメなの……」

「ココナちゃんがダメでも、私は許すよ」

「うぅ……ぁあ…………」

 

 言葉がうまく喋れない。

 泣き声ばかりが喉をついて、それでも彼女の言葉を受け入れることができない。

 できないのに、拒むこともできない。涙ばかりが止まらない。

 

「うぇぇ……ぇえええ……ひっく、ぅぁ………」

「ココナちゃんは相変わらず泣き虫さんね」

 

 止まない涙が、拭われる。優しい指先。とてもよく知った。その言葉がなんだかとても懐かしくって。とても昔から一緒にいる人のようで。

 

 重なりかけた二つの輪郭をココナは否定する。それはダメだ。気づいてはいけない。きっと今また彼女を前にしたら、今度こそ自分は砕けきってしまうから。許せない自分を今度こそ殺しきろうとして狂ってしまう。

 

 そんな打算的な自分の浅ましさにまた絶望して。それでも彼女に抱きしめられるのを拒むことはできなくて。

 

「……ねぇ、ココナちゃん。それなら、せめてこの言葉だけは言わせて」

「ぅう……なぁに……?」

 

 苦しくて。痛くて。今も自分のした事を直視するだけでおかしくなりそうなのに。小さな体で自分を抱きしめる彼女の声には答えてしまう。

 

「……お帰りなさい、ココナちゃん」

 

 ずっと昔から。ずっとずっと前から。自分を迎えてくれた安心する居場所のように。誰よりも大好きな──のように。

 心の底から安心しそうになってしまう。

 許されない。許さない。

 それでも。

 彼女の言葉に答えてしまう。

 

「た、たぁ……ただ、いまぁ……ぁああ……うぁぁぁああああ、ただ、ただいまぁ……」

 

 涙が止まらない。声が溢れてしまう。

 ああ、そうか。自分は今山海経にいるのか。ここは、あの暗い地下施設ではなくって、自分が過ごした帰る場所なのかと。

 

 思い出す。

 懐かしい匂い。光、色、景色。空気。

 

 ココナはようやく気づいた。

 自分が山海経に帰ってきたのだと。

 

 その事実はきっと否定できないのだと。

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