ココナちゃんです   作:伊井米星屑

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完結です
やっぱりココナちゃんはかわいい


【6】

 全てを失ったから、全てを取り戻したかった。断ち切られた夢を終わらせたくなかった。立ち止まりたくなかった。環境は失われた。能力も信じられなくなった。

 それでも頑張ることはやめられなかった。

 それでもと。それでもと繰り返した。

 追いかけたものを諦めたくなかった。夢見るだけでは我慢できなかった。

 たとえ誰に理解されなくても、私はこの道を行く。

 

 私に与えられる全てをあなたたちに。

 私に与えられた全てをあなたたちに。

 そんな傲慢を夢見てる。

 

 

 最初に気付いたのは抱きしめられた時微かに鼻をくすぐる匂いが以前と違っていたことだった。ある日は華やかでまたある日は苦味を帯びる。次の日は山椒のような香ばしさ。それは本当に微かで、きっとその体に包まれていなければ気づかない程の違い。けれど、漠然と小さな差異を感じ始めるとほつれた糸を引き抜く様にそれ以外の違いも次々と感じ取る様になった。

 こちらを撫でる時の手の置き位置。呼吸と呼吸のわずかな間隔。人紅山姫の生育報告を聞き細められる目の奥、瞳の動き。そのどれも注意して見たって気づけるかどうかも怪しい違いだったけれど、彼女に尽くしたくて、彼女に許されたくて、彼女が好きだった自分は全てを記憶に焼き付けて。

 だからわかった。

 時折ここを訪れて自分を許してくれる姉さん。彼女は同じ顔をしていても一人ではない。そうと知ってすら違いに気づけないほどにそっくりではあったけれど、気づいてしまえば確かに別人だった。

 ただ、それはココナにとってあまり重要ではなかった。彼女たちは──、彼女はいつだってココナの頑張りを褒めて、頭を撫でて、こんな救いようのない自分を許すと囁いてくれるから。今日の彼女と次の彼女が違っていようとココナのすることは変わらなかった。また次の姉にも抱きしめてもらえる様に尽くすのだ。

 そんな思考回路故か、彼女はとても当たり前に申谷カイが複数人いるという事実を受け入れていた。そして、それは他者にとっても当たり前なのだとほんの少し前まで思い込んでいたのだ。

 あの自分が救い出された事件で捕まったのは姉さんの一人というだけ。未だ申谷カイは大勢世にいるのである。カイが失ったものなど使い潰し間近の人間プランターと少し便利だった助手が一人。その程度である。

 そんな当たり前を誰も、目の前の大人すら知らなかった事実にココナはおかしさを覚えずにいられなかった。笑わずにいられなかった。

 周囲が愚かだと?

 カイが狡猾だと?

 そんなわけがない。今の彼女が嘲るのは一人だけ。最も嫌いな女だけだ。

 苦しい苦しいなんて繰り返して。自分が何をすべきかも思い至らずにいた愚か者。

 春原ココナを彼女は嗤った。

 

 そして同時に自分の為すべきことを教えてくれた彼女に感謝して笑った。

 

 同じ悲劇を繰り返させない。かつて望まれるままに振る舞ったのだから、今度はその望みを潰さなければ。

 

 

 病室で響く哄笑に体が跳ねる。聞いたことのない感情の色を帯びた妹の声に再び不安がもたげる。後退りそうになった時、背後に立ってくれていた彼女を背で感じた。

 

「……」

 

 大丈夫。

 今度は言葉をかけられない。けれどちゃんともらった言葉は覚えている。心の中で吹き荒れる弱気を、繰り返した失敗の記憶を大きな息と共に吐き出す。

 また間違えるだろうか、またあの子を苦しめるだろうか。

 どれだけ吐き出したところで心の底から浮かび上がる怯えが消えることはない。それでも。

 

── 先生、申谷カイは私が捕まえます。

 

 ココナの宣言を耳にして決めたことがある。今の自分が彼女にできること。おそらく自分がしなければならないこと。

 

「キサキ会長。少しだけ、私の我儘に付き合ってもらっていいですか?」

「フフ、まさか其方に我儘を言われる──甘えられる日がくるとはの」

「シュエリンは甘えん坊なんですよ。なぁんて。……思えば、あなたも大きくなりましたね」

「…………其方が小さくなっただけであろう」

 

──妾にそんなことを言うのは其方くらいだ。

 何故か憮然とした様子でそう返される。

 その声にくすりと笑う。そして今更に、自分が望んでいたのはこんな風にあの子と他愛無い話をすることだったのだなと気づく。ただそれだけでよかったのに。ただそれだけがとても遠い。

 当たり前だったものこそ尊いのだと知っていたはずなのに。

 これから、自分は求めてやまないその当たり前を突き放そうとしている。

 そう思うとシュンは少しだけ気持ちが軽くなるのを感じた。今日までの繰り返しで育まれたひねくれた感情だ。何度も何度も願っては誤ってきた。望んだ行動の先には心を掻きむしられる結果ばかりが待っていた。だから。自分が望まないことをするのなら、少しはマシな結果が得られるかもしれない。

 

「よい。其方の我儘を聞く貴重な機会だ。好きにするが良い」

 

 キサキが自分と共にココナの病室の前に立つ理由をシュンは知らない。けれど、知らなくとも察することはできる。今になって言わねばならないこと。苦悩する様な彼女の表情。こちらへの気遣い。キサキは心を痛めていた。そのことに申し訳なさを感じるし、悲しいとも思う。

 けれど、それは今のココナにとってはむしろ必要なのだとも思えた。

 だからそれを利用させてもらうことにした。

 

 

「ココナちゃん」

 

 笑い声を上げ、爛々と目を輝かせたココナに静かな声がかけられる。ココナと先生、病室にいた二人の視線が声の先に向く。

 

"シュ……"

「シュエリンさん……」

 

 小さな体の少女がいつの間にか病室の扉を開けていた。いつもの様にニコニコと楽しそうな笑顔を浮かべて部屋に入ってくる。

 

「申谷カイをあなたが捕まえるって?」

 

 外で話を聞いていたのか、開口一番彼女はそう言った。

 見慣れているはずの笑みに先生は何故か背筋が冷たくなるのを感じた。

 

「あなたにそんなことが本当にできるのココナちゃん?」

「なっ……」

 

薄く、細められた目にココナは体を竦ませる。問われた言葉に直ぐに答えを返すことができない。

 

「ねぇ、ココナちゃん。体はボロボロで戦いだって不慣れなココナちゃん。あなたに一体何ができるの?山海経では門主が強権を振るって無理やり追放するしかなくて、逃げられた後はヴァルキューレも追いかけられなかった七囚人の一人を。小さくて弱いココナちゃんがどうやって捕まえるって?」

「それは……けれど、私にはあの人がどういう手段を好んで、どういう場所で活動するか他の人より想像がつきます。身を潜めていたとしても私なら見つけ出せる!」

「そんなのヴァルキューレだってできるんじゃない?あなたが少し情報を提供すればあなたよりずっと確実に申谷カイの足跡を追えるんじゃないかしら?」

 

 反論に一拍。

 

「今のヴァルキューレに申谷カイを追い続けられる体力はありません。少なくとも、事件として収束してしまったなら、"次"が起きるまで大規模な捜索なんて行えないはずです」

 

 そもそもが、矯正局を脱獄した七囚人の一人だって追いかけられないのだから。

 梅花園の児童が大勢誘拐されるというあまりにセンセーショナルな事件だったからこそヴァルキューレは大規模な人員をさいて捜査を行えたのだ。だが、事件は解決した。少なくとも園児は救出され主犯たちも捕まった。ただでさえ事件や騒動の絶えないキヴォトスでこれ以上同規模で捜索などできないだろう。そもそも申谷カイが複数人いるなどとココナが言って果たして信じるか。ココナの記憶以外に証拠などないのだ。むしろ捜査は打ち切られると考えた方が妥当だろう。

 

「けれど、先生がココナちゃんを信用するなら話は別じゃないかな?」

「……」

"……シュエリン、確かに私はココナのことは信じているけれど、それはあくまで私個人の話だよ"

 

 水を向けられた先生は言葉を選ぶ様にしてそう言う。少なくとも根拠がない情報をただ信じろとなど言えない。伝えるとしても個人的にココナを信用しているとしか言うことができない。薬と暗示で少し前まで正気を失っていたココナを、だ。

 

「だとしても先生が一言添えるだけで受ける印象は全然変わるはずですよね」

"…………"

 

 カンナが既にそのことに勘付いていると、それを言葉にするのが躊躇われた。実際にココナがヴァルキューレに情報を伝えればココナが想像するよりもずっと重く受け止められるだろうことを今ここで言っていいのか。

 突然のシュエリンの問答に戸惑い、息を乱しているココナの姿を見ていると全てを正直に話す気にどうしてもなれなかった。

 

「けど……でも……っ!」

 

 息継ぎをする様にココナは言葉を継ごうとして失敗する。うまく呼吸ができない様に、胸元を握る。

 彼女の目には疑問の色が浮かんでいた。問答の答えがわからないというわけではない。突然シュエリンが現れたことに戸惑っているのでもない。彼女が、ずっと自分に寄り添って、優しい言葉をかけてくれていたシュエリンが自分を追い詰める様に言葉を重ねているのがわからなかった。不安に寄り添い、抱きしめてくれた彼女がなじる様に問いかける理由がわからなかった。

 それが苦しかった。

 

「ヴァルキューレがダメだとしても山海経が追うんじゃないかな?こんな事件起こされて逃げ切りなんて許さないもの」

 

 ね、門主様?

 などと、扉の向こうで立ち尽くすキサキにまで彼女は同意を求めた。キサキはそれに答えない。

 

「ココナちゃん。もういいじゃない。いっぱい苦しんで、泣いて、謝ったじゃない。ココナちゃん。ねぇ、これ以上怖いことも苦しいこともする必要はないんだよ」

 

 いつの間にかシュエリンはベッドの上に上がり込んで、ココナを見下ろしていた。ココナは怯えた表情でその顔を見上げる。

 

「ココナちゃん、疲れたよね。今日はもうゆっくり眠ろう。一緒にいてあげる、泣いていたら抱きしめてあげる。一人にしないよ。だから、ね」

 

 ゆっくりとシュエリンの手がココナの後頭部に回される。言葉を発せなくなっているその顔を胸元に引き寄せる。

 

「ダメ──っ!!」

 

 それは悲鳴の様な声だった。反射的に強く突き出された両手がシュエリンをベッドから突き落とした。

 

"シュエリン──!"

 

 無抵抗に床に落ちようとしていた彼女を背後の先生が咄嗟に受け止める。

 

「はぁ……ハァ……ハァ……はぁ、はぁ……はぁ……っ、ご、ごめんなさい!私……っ、わた……」

 

 歯を鳴らし、顔を青くしながらベッドの下に落ちたシュエリンをココナは見下ろした。突き落とされたシュエリンは感情の見えない瞳でココナを見上げていた。

 

「どうして?」

 

 それは、何に対する問いか。

 カイを捕まえること。他者に任せないこと。シュエリンの抱擁を拒んだこと。彼女を突き飛ばしたこと。

 今も苦しんでいること。

 

 同じだ。それは少し前の先生との会話の焼き直し。たとえ理屈を説かれようと何一つ変わることはない。

 問われ、既に答えたこと。

 なのに、何故だろうか。目の前の小さな少女に、その向こうに見える彼女に聞かれただけで心は揺れ、言葉が鈍る。舌の根が痺れる。心臓が痛い。

 同じことを答えるだけなのに。

 ビー玉の様な瞳でこちらを見返す彼女にそれを言うのかと、自分の犠牲になった彼女にそれを言うのかと。心は乱れ、少し前に得た天啓は滲みぼやけてあやふやになる。最善と思えたことが転げ落ちる様に陳腐に思える。

 だってこれは自己満足なのだ。自分が傷つけ苦しめた彼女が望むとは思えない。あの地下施設で子どもたちにした事と何一つ変わらない。自分を慰めその皺寄せを押し付けている。だとしたら自分は罪を重ね続けているばかりではないか。今も過ちを繰り返しているばかりではないか。彼女の抱擁を拒む権利など自分にはない。彼女の言葉を受け入れない自由などない。

 なのに。

 それなのに。

 

「私は……許されたいから。ずっとずっと、苦しみたくない、から……っ」

 

 それだけだ。

 彼女の重ねた理屈。その答え。そんなものに意味はない。できるできないを求めてはいないのだ。すべきかどうかを問うてはいないのだ。

 

「そのために……私は」

 

 そして、誰かのためでもない。

 

「私のために、申谷カイを終わらせる」

 

 きっとそうでしか私は私を許そうとすら思えないから。

 

「理由も、理屈も関係ない。私なんかにできるかどうかも関係ない。ただ、私がそうしたいから。そうしなきゃ苦しいままだから、だからそうするの」

「──そっか」

 

 こちらを見上げる彼女は寂しそうに、けれど満足そうに笑った。

 

「ご──」

 

 溢れそうになる言葉を飲み込む。だって身勝手なエゴで彼女の優しさを突き飛ばした。自分で選んだのだ。

 だから、ごめんなさいなんて言ってはいけない。これまでの様にその言葉を繰り返すわけにはいかない。自分でそう選んだから。

 

 シュエリンは支えてくれた先生にお礼を言い、未だ部屋の外に立つキサキに軽く目配せした後、姿勢を正してココナをまっすぐ見た。

 

「では、ココナ教官。梅花園を預かる者として春原シュンの決定を伝えます」

 

 先程までと違う、凛と芯の通った声がココナを打つ。

 

「春原シュン、春原ココナ両名は現状梅花園で児童を教導できる能力はないと判断し教官の役職から解任します」

「……っ」

 

 一瞬ココナの視界が真っ暗に染まる。

 頭のどこかではわかっていたことだ。今の自分たちに勤めが果たせないことなど。それでも、目の前で告げられた事実はココナの思考を停止させるのに十分なものだった。何より、自分のせいで姉までが教官を辞めざる得ないという事実は、新たな自分の罪としてココナの心に刃を突き立てた。

 それでも、怖いほどに澄んだ表情でこちらを見つめるシュエリンに──シュンにその決定を取り消してほしいと縋ることはできなかった。あるいは、昨日までのココナならそうしていたかもしれない。だが、今のココナにはできなかった。

 なによりも、今の体で子どもたちの面倒を見られないというのはこれまで教官をしてきたココナだからこそよく理解できた。散々、理屈など関係ないと繰り返したくせに。子どもたちのことを考えればそうすべきだろうとココナは納得してしまっていた。

 

「後任の教官は山海経生徒会の玄龍門と協議の上で決定します」

 

 既に決定事項なのだというようにシュンは同意を求めることもなく言葉を続ける。

 

「また、梅花園児童誘拐事件の実行犯を担った春原ココナはその事実を重く捉え無期限の停学処分となります」

「……」

 

 続いた言葉は当然の処置だろうと受け止める。退学にならなかっただけ温情をかけられているだろう。

 

「停学期間、春原ココナは玄龍門監督の元で奉仕活動に従事すること」

「……?」

 

 そういえば、とココナは山海経の外で耳にした噂を思い出す。トリニティで学園を転覆させかねない事件を引き起こした生徒会長が同じように奉仕活動を命じられたらしいと。山海経らしくはないが、もしかしたらそうした外の前例を参考にした処分なのだろうかと。

 

「奉仕活動の詳細は玄龍門からおって指示されることになりますが、主に学外で違法な薬物を生産し山海経の名を貶める凶悪犯の捜索となるかと思われます」

「……!」

 

 それは。

 そんなのはあまりにも。

 

「求められる奉仕は大変困難かつ危険なものとなるでしょう。梅花園の教官とは違った能力も求められることとなります。奉仕と並行して求められる活動を実行できる技術の教導も行うことになります」

「……それは」

 

 まるでこの場で決めたかの様なココナの処分に二の句が継げなくなる。呆然とするココナにシュンは覚悟を問う様に視線に力を込める。

 

「決定に異議がければ返事を。よろしいですか?」

「…………はい」

 

 ココナの返事にシュンは柔らかく笑った。もう抱きしめられることはなかったけれど。それでもシュンは慈しむ様にココナに笑みを向けた。

 

「よろしい」

 

 ココナは泣きそうになるのを必死に堪えた。込み上げるものを、必死で飲み込んだ。彼女のくれた優しさを無碍にしたくはなかったから。

 そう。

 結局のところ。

 姉は最後まで自分の味方だったのだ。

 

 

「……無茶苦茶を言ってくれたな」

 

 ココナの病室を後にして。

 元の姿に戻りベッドに横たわったシュンに対してキサキは苦虫を噛み締める様にして嘘偽らざる本音を漏らした。

 

「うふふ、言ったじゃないですか。我儘に付き合って欲しいって」

 

 若返りの薬の効力が切れればシュンは再び後遺症で満足に体が動かせなくなる。それでも、彼女は楽しそうに微笑んでいた。

 

「其方ら二人を教官から外すことは決まっていた…….だが、ココナを停学処分にするなど妾は初耳だぞ。奉仕活動などというのも……」

「そこは、門主様の辣腕に期待します。退学よりは難しくないかと思いますので」

「はぁ、横紙破りになることには変わりないが……好きにしろと言ってしまったのは妾じゃからの」

「……ご迷惑をおかけします」

「やめい、今更申し訳なさそうにするでない」

 

 目頭を揉む様にしながら、キサキは片手を振って気にするなと態度で示した。

 

「ありがとう、ございます」

 

 本当に、無茶苦茶を言われてしまったが、これまで彼女たちに何もしてやれなかった負目がキサキにはあった。そもそもが教官の解任に無期限停学とキサキがこれから行うこともむしろ彼女たちにに更なる重石を乗せる様な行為なのだ。感謝されても困るだけだ。

 

「じゃが、本当に良かったのか?」

 

 あんなことをしなくともゆっくりと傷を癒す選択肢もあったのではないか。キサキの問いにシュンは首を横に振った。

 

「あの子はそれを望みませんでした……受け入れてくれるのなら、傷が膿むとしても二人で身を寄せ合い続けるのもいいのかなと思いましたが」

 

──もう休もうと、その言葉に嘘はなかった。

 ココナをずっと守っていたかった。自分の腕の中にいてくれればいいと、そんな気持ちがなかっといえば嘘になるのだ。あそこでココナが抵抗しないなら、たとえココナが長く罪の意識に苛まれるのだとしても、それでいいと本気で思っていた。ゆっくりと歪みを受け入れ溶けて固まっていっても、痛みや苦しみを曖昧にして傷つけ合いながらその傷を舐め合う様に生きることもいいのではないかと。ココナの人生がこれ以上乱されず穏やかであるのなら。

 我ながら酷い姉だとシュンは心の中で自嘲する。

 けれど、ココナは自分よりもずっと強かった。誰よりも苦しんで、己を責めて、それでも顔を上げたのだ。

 歩き出した子を抱き上げるわけにはいかない。

 シュンは最後にそう思った。

 だからこそココナにああ言った。

 

「梅花園教官の件については妾からも礼を言わねばな。おそらく山海経から辞めろと伝えららるよりお主の決定と言われた方があの子も受け入れやすかっただろう。妾の重石を其方に肩代わりさせてしまった」

 

 いつまで経っても自分は至らない。溜息をつくキサキにシュンは小さく手招きした。

 

「どうした?」

 

 素直に近寄ったキサキの頭をシュンは優しく撫でる。

 

「いつもありがとうございます。あなたは立派ですよ」

「……其方には敵わぬな」

 

 自分も、彼女も。これから忙しくなるのだろうとキサキは深く溜息をついた。

 

 

 それは偶然の産物だった。学園を追放されまつろわぬものとなった自分はこれからどうすればいいのかと悩み、自問している最中の出来事だった。

 ただでさえ学籍を持たぬものはこのキヴォトスでは生きづらい。そんな状態では薬の研究などままならない。何より彼女の求めるそれは山海経でなくば辿り着けないものだった。

 だからといって諦められるはずがなかった。だが、どうすればいいかもわからなかった。

 兎にも角にも生きるため、彼女は学園都市の暗部でかつて山海経で行った様に求められる薬を調合しそれを売って日々を凌いでいた。勝手に比べれば目を覆いたくなる様な出来栄えの薬だ。

 そんな中だった。自身の才能に絶望する同じ様な境遇の元生徒に出会ったのは。彼女は元はミレニアムの生徒だったという。追い求めた真理があり、だが指の一本もそこにかけられぬ自分に絶望し身持ちを崩して気づけば社会の底辺まで転がり落ちていた。彼女はこちらを羨んだ。

 

「せめてあなたほどに才覚を持ち合わせていれば」

 

 ふと、その願いを叶えてやろうと思った。それは居場所を失ったという似た境遇に同情したのかもしれない。求める真理に辿り着けない姿をその時の己に重ねたのかもしれない。最初の動機がなんであったかはもう思い出せない。だが、なんとはなくやり甲斐を感じた。くだらない毒だの媚薬だのの調合より余程意義あるテーマに思えた。だから、追放されてから持て余していた熱量を全てそこに注ぎ込んだ。悩み、試行錯誤し、検討し、そして完成した。暗示をかけ行動を縛る薬。思考を誘導し意図した思想を植え付ける薬。聞かされた言葉を己の記憶として定着させる薬。

 つまりは人体と人生のリソースの振り分けなのだと考えた。

 "才覚"とはつまり指向性なのだと仮定した。自分と同じ考え、同じ記憶、同じ振る舞いをすれば自分と同程度の才覚は得られるはず。

 それが申谷カイの出した答えだった。

 調薬は成功した。

 山海経にいた時ですらここまで手間も時間もかけた調薬はしなかった── 例外は彼女の最も求める真なる薬のみ──だろう。それだけの力を注いだ結果が目の前にあった。

 

「なるほど。想定はしていたが奇妙な気分だね、自分が二人いるというのは」

 

 そう言ったのはどちらの申谷カイであったか。それが初めて申谷カイが自分を複製した日だった。

 

 二人になったカイは互いにこれからのことを話し合った。面白いことに同じ自分であっても意見を交わし合えば異なる意見、異なる発想が生まれる。それが複製しきれなかった余分なのか、複製した時点から生まれる別個体としての差異なのかはわからなかった。ただ、一人では決して導けぬ答えが出せたことは確かだった。

 

「一人の申谷カイであればいつか山海経へ戻る日を夢見て雌伏の時を過ごすしかないだろう。だが、二人の申谷カイであれば?三人の、四人の、より大勢の申谷カイであれば?条理を覆すことすらできるのでは。この外の世界、身元すら曖昧な身でも望みを叶えるために研究を続けることができるのでは?」

 

 それは一人彷徨っていた彼女にとって天啓にも等しい閃きだった。既に実証はされた。一人の自分より二人の方が導ける可能性も手段もより多様だった。カイは己を複製することで仙丹に手が届く可能性を見出した。

 

 三人目のカイは多くの不幸に晒されて自分を終わらせたいと願う不良生徒だった。四人目のカイはカイの長身と体形を羨んだ生徒だった。

 カイは自分を捨てたい、より賢くなりたい、姿を変えたい。そう望む生徒に「私と同じになってみるかい?」と囁いた。頷いたものは皆カイとなった。

 

 五人目のカイは言った。

 

「研究にはより設備の整った施設が必要だ。その為には金がいる」

 

 六人目のカイは言った。

 

「山海経の外でアプローチをするなら今まで用いなかった様なより多種多様な素材を用いる必要がある」

 

 七人目のカイは言った。

 

「人数が増えるごとに思考も行動もより広く深くなっていく。更に申谷カイを増やすべきだ」

 

 そうしてカイは己を複製し続けた。対象はもちろん自分と同じ様な学園から放逐され彷徨い歩く元生徒たちだ。彼女らがいくら行方を絶ったところで探す者はいない。それがこの学園都市で学籍を持たないということだった。

 

 カイはより多様な手段を試す様になる。かつてのカイであれば考えなかったこと、行わなかったことも大勢のカイであれば思いつき実行する。

 いつしか申谷カイは誰がオリジナルであったかも忘れ、ただ一つの頂に至る為にひたすら横に根を伸ばしていくキヴォトスの闇に蔓延る何かになっていた。

 

 

「まさか、ココナがこんなことをすると思わなかったよ」

 

 ボロボロの体で、それでも笑みを浮かべながらカイは目の前の少女に語りかける。カイの脳内にある記憶よりも背丈が伸び立ち振る舞いに隙のなくなった少女がアサルトライフルを突きつけている。それでも、かつてカイが植え付けた右耳から伸びる緑の蔦が、かつて自分を姉と呼び慕うように壊した少女であることを示していた。

 

「今更ですね。あなたでもう十人目ですよ、姉さん」

「未だに私をそう呼ぶのは……そうなっていた頃の自分を忘れない為かな?」

「さて、どうでしょう?」

 

 軽口の応酬で隙でもできないかと期待したが、今の彼女にはそんなものは無意味だった。

 

「その体だって……薬漬けの穴だらけだったろうに」

「リハビリには苦労しました。サヤさんにも迷惑をいっぱいかけたし、今でも時々体に変なものが生えてきます」

 

 遠くで銃撃戦の音がする。おそらくはヴァルキューレか山海経の構成員を連れてきているのだろう。この施設の制圧は時間の問題。いや、カイがこうして拘束された時点で先などないだろう。

 

「ですが、最近はなんとなくこの体の使い方がわかってきました。サヤさんは私の体がひとつの薬になりかけてるって言ってました」

「それは……」

 

 手足を拘束されながらカイはココナの呟きに微かに目を見張った。それはカイたちが様々に試行錯誤してきたその道へ至るための方法の一つ。外部から薬を取り込み変質するのではなく、個の内側で変質を練り上げる手段。高みへ至る選択肢の一つ。だが、発想だけが先行して理論が追いつかないと考えていた。それはまるで常に動き変化し続ける人体をそのランダム性全てを計算しながらひとつの形に練丹する様なものなのだ。素材の重さを量るのとは訳が違う。

 

「そうか……まさかこんな形で……」

 

 ココナの言葉に放心した様にカイは大人しくなる。ココナにとっては既に慣れた光景だ。幾人ものカイが同じ様なリアクションを示したから。

 

「カイ姉さん……いつかあなたも……」

 

──許されますように。

 そこまで言葉にすることはできなかった。だが、幾人ものカイと対峙し、いつしかココナはそんな風に思う様になっていた。

 

「こちら春原ココナ。申谷カイの確保に成功しました。引き渡し後、帰投します」

 

 連絡を入れてココナはその場に待機する。カイはまもなく到着する別動隊によって回収される手筈になっている。

 

「明日からはまた訓練期間か……。いつの間にか私が教える側になってるけどいいのかなぁ。とりあえず今日のうちに予習しておかないと」

 

 あれから随分と時間が経った。未だココナは道半ばだ。無期限停学も解けてはいない。

 多くの人たちが卒業し、このキヴォトスを去っていった。多くの出来事があり、時にぶつかり、泣いたり、怒ったり、笑ったりすることがあった。最後にはみんながココナなら大丈夫だよと笑って励まし山海経を去っていった。

 いつからか、ココナは心の中で渦巻いていた黒い衝動がとても小さくなっていることに気づいた。消えてはいない。きっとなくなることはない。それでも、初めてそれを自覚した時に比べればそれは驚くほどに小さなものになっていた。

 それはきっと自分を支え助け、そして許してくれた人たちのおかげなのだと今は思う。

 

「……うん、大丈夫だよ」

 

 誰に向けるでもなく呟く。

 まだ、ココナの選んだ贖罪は終わっていない。ココナを許すつもりはないとココナの心は今も言う。それでも、ココナはもう立ち止まらない。自分は最後まで諦められないのだと知っているから。

 

 今日も明日も、その先も。

 全ての決着をつけるまでココナは歩き続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぇ〜〜〜!!うえぇ〜〜〜ん!」

 

 甲高い子どもの泣き声が響き渡っていた。

 

「私のおやつだったのにぃ〜〜〜!」

 

 かわいらしいスモッグを着た女の子は泣きべそをかきながら声を上げる。

 

「なになに?どうしたの?」

 

 おっとりとした雰囲気の女性が泣き叫ぶ幼女の下に駆けつけあやす様にその体を抱き上げる。

 

「うぇ〜〜〜〜!おやつぅ〜〜」

 

要領を得ないがどうやら食べたかったおやつを他の子どもにとられてしまったらしい。

 

「あらあら……」

 

 子どもを抱き上げた女性は少しだけ困った様に眉を寄せ、それから髪に絡まる蔦に咲く花を一つ摘み取った。

 

「しょうがない……特別ですよ」

 

 そう言って花の付け根を差し出して見せる。

 

「……?」

 

 涙まみれの顔できょとんとした女の子に先端を吸ってみる様に動作で促す。目を白黒させながら花に口をつけた女の子はみるみる笑顔になっていった。

 

「あまい!あまいよ!ココナちゃん」

 

 先程までの泣き顔はなんだったのか。きゃっきゃと嬉しそうに声をあげて何度も花の先端を吸う。

 

「なにしてるのー?」

「おはな!!ずるいーー!わたしもわたしも」

「ねぇねぇちょうだいよー」

 

 抱かれた女の子を羨んでやいのやいのと声を上げる子どもたちを女性は慣れた様子であしらっていく。

 

「みんなはおやつ食べたでしょ。だーめーでーす。お花吸いたいなら、今度のテストで一番とること」

「「「え〜〜〜〜」」」

 

 そんな話をしているとまた別の場所で泣き声が上がる。

 今日はどうにも泣く子が多いなと彼女はため息をつきつつ、抱いていた女の子を下ろして声の下へ向かう。

 

「えぇーーーん、うえーーん!こごなちゃぁん!」

「はいはい、どうしたの?ココナちゃんですよ〜」

 

 訓育支援部『梅花園』の教官、春原ココナはそうして穏やかな笑みを浮かべて子どもをあやす。いつか、彼女の姉がそうしていた様に。

 17歳の春原ココナは子どもたちに囲まれていた。

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