【完結】ゼーンゼン・ツラクナイツ 作:タサオカ/@tasaoka1
少年は、口の端から血を流しながら地面に伏していた。
血は少年が咄嗟に自らの唇を嚙み切り、操作される精神に抗おうとした、その名残りである。
小さなコータスは、パートナーの口を医療キットから出した清潔な布で拭う。
そうして言い訳をするように、惜しむように語り掛けた。
「君にも、先生にも嘘ついたんだ私、マジで最悪だよね」
「自由に動ける時間が幾ばくも無いから、君と思い出を作りたいって泣きついて許可までもらってさ」
「だけど君のためにも、こんな世界のためにも、最期まで頑張りたいと前から思ってたのは本当だから」
倒れ伏し、目を見開いて、少年は別れの言葉を聞くしかなかった。
それは彼女の望みだった、彼女の選んだものだった。
そして少年は、自らは彼女と最期の時間を過ごせないことを思い知らされる。
彼は、選ばれなかったのだ。
激情は呼吸のために許された喉の動きによって、微かな叫びを生み出すに留まる。
始めからそう決定されていたように、彼に出来ることは何もなかった。
これが彼と彼女の長き旅の終着点になろうとしている。
「治療薬が開発されるとしても、その頃には君の傍に私は居ることができないんだ」
「最新ストーリーまで追ってたけど影も形も出てこないからさ、もう気が狂う!って感じ?」
「だから未来ある君はこんなクソメンヘラ女放っておいて、帰ったら新しい恋でも見つけてほしい、君は、君が思うよりずっとカッコよくて、ヒモでもないし、魅力的なんだから……自信を持っていいんだよ」
スーは、タイヨウの頭を撫でた。
初めて撫でたときのように優しく、グイグイと。
「図々しいけど、君に頼むことは2つある……まず、ドクターを助けてあげてね」
「あとはしばらくこっちに来ちゃだめだよ、『ロドスでは上司の命令は絶対』だからさ」
彼がパートナーを現世に繋ぎとめようと伸ばした右手は、崩壊した路面の上で空を切った。
「さようなら」
もうこの世界のどの人間からも聞くことがないであろう別れを表す、遠い故郷の言葉が響き、向けられる小さな背中。
それが見えなくなってしまう前に、彼は自らの体が合流地点へと向かうことを止めることは出来なかった。
どれだけ抗おうと、どれだけ足を止めようとしても、血を流し続けながら、その歩みは止まらなかった。
彼は、どんな不可抗力があったとしても彼女と共に死ねなかった事を一生涯悔やみ続けることになる。
彼女は、自らがどんなに残酷なことをしているかわかっていながら敵がいる街へ戻っていく。
そうして約束された破滅の時へ、彼と彼女は進んでいった。
『望み、果つるとき』
やはり、そう簡単にいかないわけだ。
先客がいるせいなのか、私のアーツはとうに弾かれていた。
瞼の裏からでも赤色が見える。
それはアーツの光で、全てが致命的だった。
操っていたレユニオン構成員たちは、とうに全て消し炭になっていた。
そうだろう、中身に入っているのがアレならまあ気にしないわけだ。
幾つかの建物に仕掛けた爆弾も使い切ってしまった。
アーツユニットが駄目になる前に、自分が駄目になるという確信があった。
冷えたものが食べたい、ハーゲンダッツとか。
幻覚と混ざり合った脳内で走馬灯が続く。
私の選択は正しかったのだろうかと問い続けるように。
彼の元へと還りたかった、ただひたすらに。
私の家へと、ロドスへと、彼の胸元へと。
もう何もかもが遅きに失していた。
走馬灯が過っている。
私から見ると、とても大きなウルサス人向けのソファーに彼が横になっている。
セーフハウスとしていた倉庫の休憩室で、埃を被ってたのを掃除したという。
そこに彼と、一緒に持ってきた外勤用の毛布でくるまって、私たちは作戦直前に最後の休息を取った。
確かに大きなソファーであったけど、彼の大きな体が8割ぐらい占領してて笑った。
けれども、そこに潜り込むと、なかなかに居心地がよかった。
ソファーだけでなく、暖かな体温と優しさを伴って、彼が包んでくれてるからだった。
本当は眠らなきゃいけないのに、私はいつまでも起きていたいと思って、沢山話した。
話せていなかった色んなことを伝えて、彼はその一つ一つに相槌を打っていた。
平和だった頃の、家族とのレムビリトンでの生活について。
天災によって散り散りになってしまった家族。
先に死んでしまった妹の手が冷たくなっていった時の事。
何とか抜け出しても、まだ泥の中で足掻き続けなきゃいけなかった日々。
ロドスの事務所の戸を叩いて、ケルシー先生に保護してもらった時の事も。
沢山の嘘をついて、生き続けてきた。
私は全ての罪を清算することは出来ないかもしれない。
それでも彼やロドスのために出来ることがあると思っていると。
彼は、それを静かに聞いていた。
炎が、近づいてくる。
「それで、そのテレジアって人の台詞をケルシー先生に言って、保護してもらったんですか」
「うん、そうだね」
「それはまた……気に病むほどの事じゃあ無いとは思いますがね」
少しだけ考えたのか、彼は再び落ち着いた口調で語り掛けてくる。
「テレジア……いや、その"人"の事を俺は知りませんが……テレジアさんはスーがそういう事をして生き残ったとして、怒るような人でしょうか?」
それは……どうだろう……。
ケルシー先生にとって大事な人の言葉を都合よく利用したってずっと思ってるけれど。
私の耳を撫でながら、彼は言葉をつづけた。
「言葉を聞く限りじゃあ、ロドスが、スーの家になったのなら、そのテレジアさんだって悪い様には捉えんと思います、これは俺の勝手な想像ですがね」
こうして一緒に居ることができるし……彼はそう言って続けた。
「当時の貴方を直接知りませんが、きっとロドスの保護は絶対必要でしたよ、そうじゃなかったら俺は貴方と逢えていないだろうし……あの村からも出られなかった、だからこれでよかったんです」
「そうかな、そうかも…」
「そうだよ、きっとそうです、だから後悔なんてしなくていいんです」
炎が、降ってくる。
「……もしかして私って…………かなり面倒くさい?」
「あれ、自覚あったんですか」
「そこは即刻否定しろよ」
炎が、服を掠める。
「114514!!」
彼女は挑発的な笑みを顔に貼り付け固定して、この世界には存在しない言葉を吐いて、己を奮い立たせた。
死の炎が迫る。
それが掠める度、彼女の肌に新しい火傷を刻んでいく。
彼女は、あるコータスの一家に産まれた姉で、成立することのなかった母親で、少年の恋人で、ロドスの戦士だった。
戦士としての彼女は己の筋肉が熱によって変質し動けなくなってしまう前に、敵の眼前より一時的にでも逃げ出そうとしていた。
例え針の穴の通す様な経路で逃げ切り、奇跡が起こってロドスの航空機に回収され、最愛の人と、ごく僅かな時間しか命を共有できないとわかっていても。
彼女は、懸命に走ろうとした。
その意識だけが先行してしまっていた。
意識上の動きに、無慈悲にも現実は付随しない。
炎は彼女より早く、その足を絡め取って、容赦なく骨までを一瞬で焼いた。
皮膚、その下の血液が蒸発する悍ましい音が体内から響く。
意識すらを越えて、反射のような悲鳴が喉から迸る。
黒く焦げた足はその機能を放棄して、彼女は支えを失った。
連戦と疲労、そして急激に悪化した症状は彼女の命運を確実に削りきっていた。
幾多もの運命を捻じ曲げた、そのツケを払う時がついに来たのだった。
荒れ地で転び、声が漏れる、熱く、気が狂ってしまいそうな痛みが彼女の神経を焼いていた。
チカチカと意識が点滅するような気がした、気持ち悪さは限度を超えている。
吐くものすらない胃袋は痙攣を繰り返して、臓腑の中でうごめいていた。
胃液が口の端から垂れてくる、それでも炎が飛び込むよりはマシに思えている。
己のアーツの制御すらままならない、甘い臭気を彼女は感じ取っていた。
死臭、生きたまま体が腐りつつあると悟った。
目を瞑る。
最愛の人、先生、ドクター、私より大きなCEO、愉快な同僚たちがどれだけ無事に逃げ延びたのかだけが気になった。
同時に後悔した、どうしようもないというのに。
ただ愛する人と二人で、最期の時を過ごしていたかった。
だが、それは努力を怠る理由にはならない。
自らの薄汚れた体と魂は、素晴らしき人たちの命を救い取って、最愛の人が生きるための道を切り開くための対価だ。
そう思ってここまで来れた、どんなに体を汚しても、どんなに精神を痛めつけられても、彼らが生き残っていれば……。
短い蝋燭しか持たない自分よりも、ずっと生存する意味がある。
あるいは、この世界の家族や自分のような人間を少しでも減らすためにも。
それが自らの一生をかけて考え出した、答えだ。
そうして旅の中で見つけた最も愛すべき男の、その未来を守るために時間を稼いだ。
こんなに素晴らしい事はない。
自分がこの時やっと、一人の女になれた気がした。
彼女は、懐にしまっていた起爆装置を取り出そうとしてこぼれ落とした。
既に自らの右腕が焼かれていることに気がついていなかった。
普段の彼女であれば、その様な事は起こらなかった。
限界を超えたアーツの行使によって急激に進行した病と痛みが、彼女の認識を狂わせていたのだった。
最期の数瞬、思い出したのは。
かつて自らの肚に宿し、この世に産んであげられなかった、小さな、本当に小さな命の事と。
死出の旅の中で、大好きになったパートナーの少年のことだった。
自らが死んだとしても、最愛の人が折れてしまわないような証が。
不確定な未来なんてものじゃない、確かな生きた証が欲しかった。
わかっていても、あの晩、彼の言葉を吞ませてしまったこともずっと後悔していた。
──こどもを、ふたりのこどもをいつか。
彼女の意識はそこで最初に赤く、そして黒く染まり、以後浮かび上がることはなかった。
ついにアーツの炎は、倒れ伏した彼女を捕捉し、全身を包み込んでいたからである。
巻きつけられていた自爆ベルトは何の意味もなく、その場に爆炎だけを残し焼失した。
エースが彼に気づいたのは必然だった。
いまだ足元のおぼつかないドクターを護衛しながら、自身が率いる部隊と共に回収地点へと向かった先に彼がいたのだった。
フェリーンの少年は全身を悍ましい戦争と廃墟の色に包みながら、幽鬼の如く一行の前へとさまよい出た。
カズデル内戦時に散々見た濁った色をその瞳に湛えて、こちらの姿を確認したと同時に意識を失った。
彼と旅行に出たはずの──いつも彼の傍にいた、小柄なコータス──がどこにもいない事に気が付き、何が起こってしまったのかを、エースは断片的に悟り始めていた。
最終話 1/8 19時更新