剣士は、目の前の海賊に名状しがたい嫌悪を覚えていた。敵意や憎悪といった分かりやすい情念ではない。もっと底の浅い、しかし決定的に人を遠ざける負の匂い――。悪魔の実という“借り物”の力を振りかざし、己を誇示する粗雑な悪党。自己陶酔に沈み込み、独善の上に過剰な暴力を積み上げる害悪そのものだった。
―――馬鹿に刃物を持たせるな。
能力者は絶え間なく自分語りを続けた。悪魔の実で触れた岩石と同化できるのだ、と得意げに吹聴し、誰も尋ねてもいない戦歴や船団の規模、懸賞金額を列挙した。犯罪の記憶すら武勇伝として笑い飛ばす。
―――小賢しい盗っ人が、盗品を身にまとって“偉くなったつもり”か。
劣等感に苛まれてきた人生の途中で、偶然つかんだ強大な力。その成り上がりの物語を、いかにも抒情的に飾り立てる。退屈で冗長な話を、相手の表情も見ず垂れ流すのは、ただ尊敬と賛辞を乞うだけの幼稚な戯言。聞くに堪えない下卑た欲望と、虐げられた過去への復讐心。悲惨な過去を免罪符に、全てが許されると信じ込む貧者の発想。
―――被害者にとっては、貴様の事情など一片たりとも関係ない。
生きたまま土中へ押し込まれた婦人。岩盤に押し潰され、飛散した一人息子の肉片を泣きながら拾い集めた母。金品を奪われ、頭蓋を砕かれた老人。
海賊の足跡を追うたび、耳に入る悪事はどれも利欲に塗れた身勝手な犯行ばかりだ。過去の境遇が罪を赦すことはなく、暴虐が正当化される理もない。大罪人が被害者面をするたび、遺族の苦しみは増幅される。弱い者が弱い者を踏みにじる――その厚かましさに反吐が出た。
―――詭弁だな。
艱難辛苦を越えれば楽園があると信じる、経験の乏しい夢想家の論理。他者の権利を犯し、危害を加えても反撃されないと信じる甘い思考。精神だけ幼き頃に取り残されたまま、強者の皮を被った悪魔。快楽のために人を殺しておきながら、自分は悪くないと繰り返す稚拙な自己弁護。身勝手で、胴欲で、醜悪で、浅ましい生態。
―――醜悪さと浅ましさが相まって……
「―――気持ち悪い」
その一言が海賊の表情を変えた。劣等感と鬱屈の泥濘に沈んだ者へ、冷水が叩きつけられたようだった。負の業火は鎮まることなく、より激しく燃え上がった。
海賊は沸点を越え、早口で罵詈雑言を浴びせかける。語彙力の限りを尽くした罵倒――とは名ばかりの、承認欲求の塊から発される単純で凡庸な毒。力を得た途端、他者を見下し傍若無人に振る舞う小悪党。強くなれば幸福になれるという浅薄な思想。
―――そうであるのなら、何故そんなにも……貴様は満たされていない?
「自分の話が多すぎる」
他人を見下すことでしか自我を保てない孤独な人間。悪意が邪悪を讃え、理性を持つはずの者が血に飢えた獣へと沈んでいく。人生をやり直すには遅すぎ、楽観視するには早すぎた哀れなる愚者。借り物の力を己の所有物と誤認し、結局は何者にもなれないまま終わる。
土は土に、灰は灰に、塵は塵に。屑に過ぎぬ者は屑へと帰る。
「―――“罪”を自覚して……死ね」
◆◆◆
“岩男”の剝き出しの敵意は、熱砂を巻き上げる風のように剣士へと吹きつけた。
能力者が右腕を大地へ押し込み、そこから地盤そのものを引き抜くように持ち上げる。空へ射出された岩盤は重力に引かれて砕け散り、流星のような破片となって広場へ降り注いだ。落石の雨を浴びながらも海賊は鼻歌をやめず、愉快げに回避する。剣士は飛来する質量を最小限の身動きで
土煙を裂いて、反撃の一刀が閃光を生じた。剣士は鋭い踏み込みとともに黒刀を宙へ
絶叫が喉奥から噴き上がる。
―――浅い。
“岩男”は左手で顔を覆い、血光に濡れた右眼で賞金稼ぎを
男は憤怒と憎悪を拳に凝縮し、必殺の岩撃を叩き込もうと腕を振り上げる。剣士が跳び退った直後、彼の足場だった地面が
“岩男”が
鮮血が砂の上に
静寂を破り、男が円形に窪んだ穴から這い出てくる。うず高く積み上がった石巌の牢獄を前に、海賊は高らかに笑い声を上げた。石塊の中で押し潰されているはずの賞金稼ぎを嘲り、罵り、敗者へ贈るにさえ値しない下卑た語句を並べ立てるのだった。
◆◆◆
―――海賊は嫌いだ。他人にも、護るべきものがあるという当たり前の理すら知らぬ愚物ども。
斜めに
己の肉体を鉄にも匹敵する硬度へ鍛え上げ、来たる敵意を寸分の遅れもなく察知する覇気。
過酷なる海域をただ一人で渡り、本懐を遂げるために歩んできた孤独な
―――貴様とは、覚悟が違う。
海賊の表情が変わる。赤々と輝いていた
「貴様だけが……不幸などと思うなよ」
剣士は骸へとそう吐き捨てた。遠い日の情景が、まるで夕陽に照らされて蘇るかのように脳裏をよぎる。
茜に染まる西日が、激闘の舞台を静かに照らし出す。血の赤と夕陽の赤とが互いの輝きを競うように広場を塗り替えていく。