海賊殺し   作:ドラマ・ドラマ

8 / 10
8.狂犬

分厚い雲がようやく去り、泰然とした威厳(いげん)(たた)えた満月が、静謐(せいひつ)なる王のごとく天頂(てんちょう)に姿を現した。清空に円光を注ぐ月は高く座し、対照的に、欲望と暴虐(ぼうぎゃく)(まみ)れた下界の海には冷たい風が荒れ狂う。強風が(うな)りを上げる只中、蒼黒(そうこく)の水面を裂いて一隻の大型船が疾走(しっそう)していた。

 

船首は波濤(はとう)を豪胆に()き分け、遠く、速く、偉大なる航路(グランドライン)に悪名を(とどろ)かせる海賊団の船が、氷刃を(まと)った追い風に押されるように荒海を切り裂く。その進行はまるで氷の(むち)に背を打たれながらも前へと()ける獣の気迫を帯びていた。

 

烈風に(ひるがえ)る髑髏旗。波浪(はろう)(きし)む船体。その甲板(かんぱん)にて、天空の星屑(ほしくず)よりも(まばゆ)い閃光が断続的に点滅していた。怒号が響き、悲鳴が裂け、刃鳴(はな)りが混じり、船上はもはや秩序の影すら無い混沌(こんとん)へと(おと)している。

 

閃光が(ひらめ)く度、寸断された賊徒(ぞくと)が戦場となった船上に崩れ落ち、()けた四肢(しし)は船体の傾斜(けいしゃ)に従って丸太のように海へ転がり落ちていく。床と柱には無数の刀傷(とうしょう)(はし)り、船の上面は血煙(ちけむり)潮風(しおかぜ)と光の残滓(ざんし)で満たされていた。月光と剣光が重なり、(まばゆ)軌道(きどう)となって大気を()き、現世にしがみつく海賊どもの生命の鎖を次々と断ち切る。血の上に血が降り、(しかばね)の上に(しかばね)が積み重なる。

 

この地獄絵図(じごくえず)の中心で大立ち回りを演じるは、“海賊殺し”の異名を持つ賞金稼ぎの剣士であった。賞金稼ぎの足元は流血の沼地と化し、重ねられてきた悪行(あくぎょう)をその主の血で洗い流すかのように、船内は瞬く間に海賊共の屠殺場(とさつじょう)へと変貌(へんぼう)していた。

 

剣士は流麗(りゅうれい)剣捌(けんさば)きで悪党らを斬り伏せ、二連の刺突(しとつ)は罪深き賊徒(ぞくと)の喉と眉間(みけん)を寸分違わず穿(うが)ち抜く。疾風(しっぷう)のような斬撃は無法者の腹を()き、臓物(ぞうもつ)を木組みの床にぶち()けさせた。剣士の闘気はさながら全てを焼き払う火竜の熱波(ねっぱ)の如く燃え盛り、悪漢どもへ次々と死の制裁(せいさい)を刻んでいく。

 

◆◆◆

 

取り囲む海賊どもが恐慌(きょうこう)の気配を(ただよ)わせ、死の影を受け入れ始めたその刹那(せつな)、眼前へ影が勢いよく(おど)り立った。獣脂(じゅうし)の臭いを()き散らす毛むくじゃらの偉丈夫(いじょうふ)が、荒れ狂う風の中で鋭く、(はげ)しく呼び掛ける。

 

「ずいぶんと仲間を殺してくれたな、侵入者め!」

 

大気は一段と冷え、風は板張りの船上を引き()く勢いで吹き荒れた。新たなる敵手(てきしゅ)の出現に、賞金稼ぎの感覚はより研ぎ()まされ、月光の下で瞳だけが鋼のような輝きを帯びる。

 

「よもや “アレ”を見落としている訳ではあるまいな?」

 

獣臭(けものしゅう)を漂わせる大男は、顎先(あごさき)で船首に(ひるがえ)る旗を示し、静かに問いかける。

 

「……海賊旗(かいぞくき)にしか見えんが?」

 

剣士は飄々(ひょうひょう)とした調子で、冷ややかに返す。

 

「馬鹿がッ!“誰の”傘下(さんか)の旗かと聞いている!」

 

「フッ。“貴様が”そうではあるまい?末席(まっせき)の海賊風情が……」

 

悪意を(はら)んだ嘲笑(ちょうしょう)が剣士の口端(くちはし)に浮かぶ。その侮蔑(ぶべつ)に、毛むくじゃらの大男は怒気(どき)で全身を震わせ、次の瞬間―――“狂犬”へと変じた。月の光を浴びたその巨躯(きょく)は獣じみた輪郭(りんかく)を備え、牙が()き出しになり、咆哮(ほうこう)は船体を揺らすほどの衝撃を(はら)んでいた。男もまた“悪魔の実”の能力者であった。

 

「愚か者め……!我らの頭目、“七武海”を敵に回すとはなッ!!」

 

怒号が荒波よりも鋭く響き、海賊は大剣を掲げて剣士に猛然と迫る。両手で(つか)を握りしめ、全身の膂力(りょりょく)を一点へ凝縮(ぎょうしゅく)させた必殺の一撃が振り下ろされた。

 

賞金稼ぎは身を揺れる木の床で一転させ、風を()くように退く。その直後、大剣は“海賊殺し”の甲冑(かっちゅう)をかすめ、硬質な表面に深い亀裂(きれつ)を走らせながら、血に染まった床を容赦(ようしゃ)なく(えぐ)った。

 

◆◆◆

 

“狂犬”が怒りと失望の入り混じった低い(うな)りを()らした刹那(せつな)、倒れていた剣士がばね仕掛けのように跳ね起き、黒刀の切っ先を閃かせた。能力者はとっさに身体を(ひね)って回避を図ったが、黒刀はかすめるどころか海賊の胸甲(きょうこう)へ深々と衝突し、僅かに火花が散った。

 

続く第二撃を叩き込むべく、賞金稼ぎは一切の無駄を削ぎ落とした踏み込みで間合いに滑り込んだ。鋭く、正確無比な飛び込みであった。だが“狂犬”は、それを迎え撃つように重心を乱暴に沈め、力任せの踏み込みから反撃の一閃(いっせん)を振り抜いた。

 

“狂犬”の剣は、(せき)を切った激流のように荒れ狂っていた。力と勢いだけで間合いを押し潰し、踏み込むたびに軋む板張りの空気を震わせる。だが“海賊殺し”は無表情のまま、(よどみ)ひとつない静水のごとく佇んでいた。手首を最小限に返し、刃筋を一切揺らがせず、その奔流(ほんりゅう)を淡々と受け流す。流れが途切れた一瞬を逃さず、大剣を正確無比に絡め取るように巻き込み、相手の得物ごと甲板へと落とした。

 

大剣を失った“狂犬”は、野太い舌打ちを噛み殺し、反射的に飛び退く。荒々しい踏み込みが(あだ)となり、再び流れを作り直すしかなかった。

 

そのわずかな空隙(くうげき)―――剣士の眼は、霧の帳越(とばりご)しに狙撃手の姿を捉えていた。撃鉄(げきてつ)が引かれようとする寸前、賞金稼ぎの身体は既に動いていた。黒刀を握り直し、躊躇(ちゅうちょ)なく放つ。閃光の軌道を描きながら狙撃手へと投じたのである。

 

次の瞬間、波に揺れる足場に絶叫が裂けた。回避に失敗した狙撃手の首筋を、雷光のごとく飛来した刀身が寸分違わず貫通した。開いた口腔(こうくう)と鼻孔から赤黒い血が噴き出し、狙撃手は糸の切れた操り人形のように後方へ倒れ、黒刀とともに手すりを越え、海面へと沈んでいった。

 

剣士が即座に振り返ると、“狂犬”が転がる大剣を拾い上げていた。愛刀を失った剣士の手には、わずか一本の短剣しか残されていない。能力者は獣じみた雄叫びをあげ、狼の剽悍(ひょうかん)な殺気を宿して飛びかかってきた。

 

大剣が振り下ろされる軌跡(きせき)は、流星の尾のように(まばゆ)光芒(こうぼう)を描いて剣士の頭上を裂いた。金属の(うな)りが空気を震わせ、焼けた鉄の匂いが船上に立ち込める。賞金稼ぎは咄嗟(とっさ)に短剣で受け止めたが、剣勢の圧に押し潰されるように片膝をつく。

 

“狂犬”は武器ごと頭蓋(ずがい)粉砕(ふんさい)せんと、大剣を大きく振りかぶった。

 

―――だが、その刹那(せつな)に走った逆転の一手は、斬撃よりも、怒号よりも速かった。

 

振り下ろされる大剣よりも(はや)い弾道で、剣士の短剣が閃光を()き散らしながら宙を駆け、鍛錬(たんれん)では補えぬ生身の急所―――海賊の片目を釘のように穿った。

 

噴泉(ふんせん)めいて血が噴き上がり、能力者は耐え切れず()け反る。倒れ込む寸前、辛うじて大剣を杖に片膝をつき、(うめ)き声を漏らした。

 

剣士はその惨烈(さんれつ)な光景に一瞥(いちべつ)もくれぬまま、すでに後方へ跳躍し距離を確保していた。戦死者の(かたわ)らに転がる長剣を素早く(すく)い上げ、そのまま油断なく構え直す。

 

◆◆◆

 

海賊は伏したまま、血泡を噛むようなくぐもった声で何事かを呟いていた。

 

「……くも、の……。……てくれる……」

 

意味を結ばぬ(つぶや)きが途切れたかと思うと、突如として隻眼(せきがん)の“狂犬”は荒々しく腕を振り上げ、眼窩(がんか)に突き立った短剣を眼球ごと力任せに引き抜いた。濡れた金属音を響かせながら、血に染まった刃は潮気(しおけ)を帯びた板の上へ投げ捨てられる。月光が照り返すその形相(ぎょうそう)は、憤怒(ふんぬ)、激痛、そして燃えかすのように黒々とした復讐心が奇怪に入り混じり、ひどく歪んでいた。

 

巨躯(きょく)の男は杖としていた厚刃(あつば)の大剣を(きし)む板張りから荒々しく引き抜くや、そのまま獣の跳躍で駆け出し、(またた)く間に間合いを詰めた。斜め下から突き上がるような一閃が、賞金稼ぎの長剣を空高く(はじ)き飛ばす。

 

―――もらった‼

 

薙ぎ払った勢いをそのまま、動物系能力者ならではの膂力(りょりょく)で強引に反転させ、常人なら到底不可能な速度で斬り返す。それは、埒外の存在と呼ばれた“狂犬”だけが成し得る離れ業であった。

 

剣士が飛び退こうとするよりも早く、手負いの能力者の鋭い斬撃が襲いかかる―――はずだった。だが、血に濡れた海鳴(うみな)りを(はら)んだ床が裏切る。(にご)った液体に足裏を取られ、一瞬、“狂犬”の巨躯がわずかに揺らいだ。

 

その刹那、剣士は無手の構えから指を立て、突き刺すように突進した。

 

―――「指銃」。

 

骨を砕き、肉を貫き、臓腑(ぞうふ)の奥で確かな手応えが走る。心臓を穿(うが)たれた片目の海賊は、驚愕(きょうがく)と痛みに目を見開いたまま、もんどり打って崩れ落ちた。

 

これまで無数の島や船を劫掠(ごうりゃく)し、暴威(ぼうい)を振るってきた海賊どもは、“狂犬”の死を目の当たりにすると、一瞬で戦意を喪失(そうしつ)した。意味をなさぬ叫びを上げながら、蜘蛛の子を散らすように海へと身を投げていく。

 

やがて(とき)は移ろい、東の水平線の彼方(かなた)から、爽涼(そうりょう)な潮風とともに血を溶かしたような朝日がゆっくりと昇ってくる。朝焼けの光は、戦場に残る血潮と覇を競うかのごとく、剣士の乗る船全体を鮮烈(せんれつ)(くれない)に染め上げていった。

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