城の主たる七武海は、玉座の上から静かに侵入者を見据えていた。大扉を押し分け、堂々たる足取りで姿を現したその男は、銀の甲冑を身にまとい、微塵も怯むことなく玉座へ向けて歩みを進める。謁見の間へ至るまでの激戦を物語るように、その鎧は斑に血を吸い、滴りはじめた血潮が赤い道筋を描いていた。
侵入者は細身の刀身についた血をひと振りで払うと、城主へ向けて研ぎ澄まされた殺意を放つ。立ち込める血の匂いが、七武海の鼻腔をざらつくように刺した。
次の瞬間、至高の御座所の間一帯が、音のない殺気の爆発に包まれた。
どちらが先に仕掛けたかも判然としない。二本の刃が衝突し、青白い火花が弾け飛ぶ。刃が離れると、即座に七武海が切り込んだ。剣士は迎撃し、鋭い刃鳴りが立て続けに室内へこだまする。その残響が消えきるより早く、剣士は致命の一閃を繰り出した。
刃先が七武海の頸筋を捉え、宙を奔り抜ける。
―――殺った!!
だが、甲高い金属音が爆ぜ、宙に火花の橋が架かった。七武海は覇気をまとい、死へ至るはずの一撃を難なく受け止めていた。
「なるほど……“狂犬”を斬り捨てた剣士というのは、貴様で間違いないようだな」
七武海は喉奥で乾いた笑みをくぐもらせる。その響きには、死を前にした者へ向けられる侮蔑と余裕が混じっていた。長剣を握り直した瞬間、七武海は大気を裂く速さで距離を詰め、再び激烈な斬り合いが始まる。
七武海の剣先が鋭い弧を描き、剣士の両眼の間を狙う。空気が裂け、殺気が大気を刺し貫く。落ちかかる一撃が火花と飛沫を散らし、双方の影が瞬間ごとに入り替わる。
呼気を整え、わずかな間を測り、三度目の衝突が巻き起こった。賞金稼ぎの刀が振り下ろされ、七武海は額先で受け止める。金属が悲鳴のような高音を上げた瞬間、七武海の右手の剣が鋭く斜めに光跡を描いた。紙一重で身をひねった剣士の刃と鎧が激突し、七武海の重鉄の装具に亀裂が走る。異様な破断音を立てながら、装甲の破片が床へ崩れ落ちていく。
―――硬い!!
だが、刃先に抉られた外装の残骸が地に触れるより早く、両者はすでに再び地を蹴っていた。賞金稼ぎの刀身が水平に閃く。二本の刃が暴力的な衝撃音を立てて噛み合い、火花が乱舞し、残響だけが虚空で尾を引く。離れては衝突し、離れては斬り結ぶ。
玉座を中心に円環を描くように、二人の強者が剣を撃ち交わした。勝敗はなお見えず、斬撃と防御がめくるめく速度で入れ替わり、三十合を超えても決闘の終わりは訪れない。
そして、七武海は薄く笑みを刻むと、切っ先をゆらりと持ち上げた。
「さて―――そろそろ、“本気”と行こうか」
◆◆◆
七武海は荒々しく鼻腔から息を噴き出すと、次の瞬間には口内から喉へと大量の空気を一気に吸い込んだ。
―――来るッ!
瞬刻、武装色の覇気をまとった長剣が光の暴風と化し、“海賊殺し”へ殺到する。剣士は大業物の刀を振ってその斬撃を弾き返した。刃鳴りが耳朶を撃ち抜き、腕の筋肉が軋んで悲鳴を上げる。これほど重く鋭い剣勢は、生涯で一度たりとも経験したことがなかった。反撃に転じようとした刹那、七武海はすでに第二撃を振り下ろしていた。剣士は防戦一方へ追い込まれる。
七武海が“本気”を解放した猛攻が十合を越えた頃、剣士の右腕に痺れが走り始める。二十合に至った時、賞金稼ぎの左腕から血飛沫が飛散した。
刀身が擦れ合い、異音を伴って火花が迸る。七武海の手首が鋭く翻り、凄絶な刺突が剣士の咽喉を狙った。剣士は肩と腰を同時に捻り、どうにかその一撃を受け流す。だが弾けた火花が顔へ散り、熱を帯びた欠片がわずかに瞳へ触れた瞬間―――それは致命的な不幸となった。
反射的に瞼が閉じる。
刹那、閃光へ変貌した七武海の斬撃を、もはや避ける術はなかった。
剣士の左腕が跳ね上がり、鈍く湿った音を立てて大理石の床に転がり落ちる。肘から下―――“海賊殺し”は左腕を斬り落とされたのである。裂痛と衝撃に耐えながらも、なお剣士は右腕一本で剣を構えようとする。だが、その姿を前にしても、七武海の瞳に揺らぎはなかった。
「諦めろ……“海賊殺し”」
―――海賊は嫌いだ。
「……殺すには惜しい」
―――海賊が嫌いだ。
「片腕が無くとも、貴様ほどの―――」
―――母さんを奪ったからだ。
「その器量であれば……天竜人を悦ばせる事ができるだろう」
黒絹の髪、緑玉の瞳、雪のような肌。どれほどの苦痛と怒りに苛まれても、その美貌だけは皮肉なほど損なわれていなかった。その気高い容貌を侮蔑と欲望の色を浮かべて値踏みする七武海を前に、剣士は静かに、しかし迷いなく刃を自らの頸筋へ押し当てた。
次の瞬間、一気に引く。
頸動脈が裂け、鮮血の噴煙が吹き上がった。その身は崩れ落ち、赤い霧を散らしながら斬痕の走る床石へ倒れ込む。
「ふん……大した“女”だ」
七武海は嘲るように呟く。美しく、誇り高き賞金稼ぎは、辱められる未来よりも、貴き過去をその手に取り戻すことを選び、清々しいほどの意志で自死したのである。
流れ出した血は小川のように広がり、剣士は自身の作り上げた血の湖に沈むように横たわった。死が全身を覆い、世界の色彩が静かに消え去っていく。視界が滲む―――しかし、ただ一つだけ、滲むことなく鮮明に映ったものがあった。犬の死骸。幼き日に出会った、あの野良犬だった。耳を澄ます。懐かしいあの声が、確かにそこにある。
―――か……さ……。
“海賊殺し”の瞼はゆっくりと閉ざされ、二度と開かれることはなかった。
悍ましい色を湛えた血の池を渡り、完全に冷たくなった亡骸の傍で、七武海は膝をつく。血で濡れることなど意にも介さず、指先で死者の髪をそっとかき分けた。閉ざされた瞳、静まり返った死顔―――そこにあったのは、戦士の誇りと少女の安らぎが同居する、美しく穏やかな安息であった。
―――完―――