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「ベストタイムが塗り替えられてる」
アーキバスコーポレーションが擁立するルビコン駐屯地の辺境、深夜3時の事務員寮娯楽室。間引きされた蛍光灯のせいで部屋の中は薄暗い。誰も寄りつかない娯楽室の三分の一を占めている、1世代前のACシミュレーターに座った私は、操縦桿から手を離して腕を組んだ。
最新式が導入される時にお役御免となったこいつは、先進局が勝手に引き取り、辺境に出向した人間によくある娯楽の少なさゆえの持て余した熱意を浴びて、すくすくと魔改造を施された。ある意味表に出てはいけない物品である。
改造にもみんな飽きたようで、だが埃をかぶっているそいつを捨てるのも勿体無いと、物置状態となっていた事務員寮の娯楽室に収まった。
そんなシミュレーターにはAC100台組み手、ぐらぐらACタワーゲーム、アーキ坊やふれあいモード、ヴェスパーAC擬人化ギャルゲー『晩鐘の鳴る頃に』……など様々な機能があるが、私はもっぱらヴェスパーの経験した過去ミッションのタイムアタック機能で遊んでいた。
タイムレコードには勝手に第二隊長の名前を借りた「スネイル」こと私のタイムがずらりと並んでいるのが常だったのだが。
「私のじゃないスネイルだ」
しかも2秒も早い! かなりやりこんだミッションだったのに、詰められるところは全て詰めた結果があっけなく塗り替えられているのを見て、指先が少し冷たくなった。
震える指先で第一位のスネイルのゴーストを再生する。機体は軽めの四脚、近接武器には太陽守……ベイラムのライガーテイルをアレンジしたかのようなアセンブルだ。歩く地獄、というより飛び回る地獄、というような具合か。半透明のゴーストは縦横無尽に羽ばたきながらMTを殲滅する。
このミッションは弾薬不足になりがちなのだが、どうやらこのゴーストは飛び回ることで相手を誘き寄せて一点に攻撃を集中して叩き込み、火力を保持しつつ長期戦にも耐えられる戦法をとっているようだ。誘き寄せる時間はもう少し削れそうだ。肩はグレネードからタレットに変えるのもいいだろう。
「でも2秒か……長いな」
ゴーストの操縦に粗はある。だが、事務員寮の誰かが起きてくるまでにその粗を削ぎ落とす操縦ができるかは、また別の話である。
シミュレーターで遊んでることが上層部にバレれば、パイロット適正検査にかけられるのがオチだ。それは避けなければならない。
……待てよ? この2秒速いスネイルはここに来てシミュレーションを遊んだということではないか? バッタリ出会う可能性はゼロではない。
慌ててタイムスタンプを確認する。15時28分。
「勤務中かよ」
少なくとも昼間に働く文官ではない。シフト勤務組の誰かだろう。ならばかち合ったとしても賄賂でどうとでもなるか。経理部門の端くれなので、予算の色の付け方は熟知している。横領ではない。あくまで予算の使い道を、ちょっと融通効かせるだけだ。
その「ちょっと」が、物資が不足しがちなルビコン駐屯地では鬼の金棒にもなり得る。
「よし」
2秒短縮、この夜でやってみせようじゃないか。誰かが起きてくる前までに、1位のタイムスタンプを塗り替えてやる。
「まずはいつものアセンでいこう。今日もよろしく、『ジンチョウ』」
「ふぅ……2秒とコンマ3秒、きっつい……」
ランキングが表示されっぱなしのVRゴーグルを外す気にもならない。コックピットに身を預け、大きく深呼吸をした。1位のタイムスタンプは更新されて、午前4時39分のスネイルがギラギラ光っている。
ギリギリの戦いだった。ただひたすらに己の無駄を削ぎ落とす作業。思考も体も余分は許されない。仕事よりも疲れる。
だが、それが好きだった。人間関係や辺境出向とか色々なものを忘れて、ただひたすら己をあるべき姿へキャリブレーションしていく作業。それがたまたまACを介在することになっただけ。なんでもよかった、ただ目の前に丁度シミュレーターがあった。それだけ。
大きく伸びをしながらほわぁ、とあくびを一つ。
「寝るかぁ」
「寝るのか?」
「え?」
肉声がする。反射でそちらを向けば、何者かが私のVRゴーグルを外す。
「ちょっと、返して下さ、」
「いい動きだ」
現実に戻った視界の中、暗がりの中に男がいた。目が眩んで容姿は全くわからない。男はVRゴーグルを片手に持ち、操縦桿に置いていた私の手の甲を、空いている方の指先でなぞる。
「退屈には程遠い」
男の指が私の浮いた血管を、的確に遡上する。
鳥肌が沸き立つ。シミュレーターで遊んでいたことがバレた焦りよりも、目の前に意思疎通の図れない人がいるという未知の恐怖の方が強い。シミュレーター外付けのランキングが表示されたままのサブモニターの光で、男の瞳が輝いている。その目から逃げられない。
光が静かに訴える。お前の栄光は全て俺のものだ、そう言われているかのような。網膜に映る『スネイル』の文字に、背筋が震えた。
このままでは全て奪われる。何が? わからない。だが、このままではよくない。ここにいることがバレれば、そうだ、適性検査にかけられてしまう。
「お前のアセンはこれか? なるほど。ベイラムの二脚はいいチョイスだ。俺も普段使っている」
「ね……」
「タレットか、珍しい。そういうのもあるのか。ジェネ容量が足りないかと思えば技量でカバーするとは──」
「寝ます!」
私は急いで立ち上がり、語り出した謎の男の脇を抜ける。
「おい、」
ジャケットの裾が刹那ひらめきを失い掴まれそうになるが、すんでのところで身を屈めてかわした。内勤で鈍った太ももを叱咤激励しながら、娯楽室の扉をくぐる。
後ろから足音はしなかった。だが、得体の知れない恐怖が今でも歯を浮かせる。事務員寮の女性フロアのカードリーダーに社員証を叩きつけ、あの男が入れない聖域に入ってようやく私は膝から崩れ落ちた。
「はぁっ、はあっ……こわ……」
娯楽室の幽霊か? それともシミュレーターの怨霊か? 魔改造されたことに腹を立てて、でも文句を言える人間が私くらいしかいないから、とか?
幻覚にしてしまいたい。肩を跳ねさせたまま、右手の甲を見る。
あいつ、私の血管を寸分違わずなぞってきたんだよな……私と目線ガッツリ合ってたから手の甲を見もせずに……気持ち悪……
幽霊と断定したいところだが、血に鳥肌が立ちすぎていて幻覚には程遠い。そして男の瞳に映ったスネイルの文字は、あまりにも輝いていた。その煌めきがどうにも澄んでいて。
「……寝るか」
息も落ち着いてきたところで立ち上がる。空は白み始めたけれども、あと1時間くらいは眠れるだろう。早足で居室に向かった。