深海へようこそ   作:きすことおり

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寮に戻って私用端末をタップすると、不在着信がたまっていた。4件。さすがに多い。全て私の友達からだ。不安が搔き立てられる。急いでかけなおす。

電話は驚くほど早くつながった。

「あ、ミラ! 繋がったよかった!」

「どうしたのメアリ、急に電話なんて珍しい」

「私が送った写真、早く見て! すぐ!」

「そんなに言わなくても見るから──」

友人とのチャットルームに数枚の写真が送信されていた。写っているのは私の婚約者と、知らない女。背景には白いシーツ。二人の肩は顕になっていて、婚約者が女の頬にキスをしてい、

「ミラ、落ち着いて聞いて」

床に落ちた端末から、友人の声がする。首を下に傾けて表示された写真を見れば、まるで酔っ払いが吐いた道端のゲロを眺めているみたいだと錯覚する。

違う、ゲロじゃない。なんでゲロから友達の声がするの、違う、ちゃんと見なきゃ。でも写っているのはゲロじゃないか。

 

なに、これ。

 

「それ、その女のSNSにのってた」

なんで? ハネムーン行こうって、言ってたじゃん。

「レオさんの匂わせみたいな投稿、最近多かったの。怪しいかもって思ってたんだけど、決定的な証拠なくて黙ってた。そしたらランダム投稿にこれが出てきて、もう、やっぱりって、ごめん」

友達は嗚咽をこぼした。ふと、窓の外の空を眺めた。何光年先の星から届いた友人の涙が星となって、小さく瞬いていた。私の目じりにも流星が走って、光が歪む。優しくて暖かくて、こんな星を見せてくれた友達の気持ちが本当に嬉しくて、だからこそ私の頬からゲロに落ちた涙がもったいないと思った。

「メアリが謝る必要ないよ。ありがとう、心配して、くれて」

ゲロに涙を落とさないように、私は目を腕でこすった。

「ミラ。お願い。死なないって約束して」

「私、そんな声してる……?」

「してる」

「そっか」

涙が止まらない。心がどんどん瓦解していく。だって、私の体は鉄でできてない。アーマードじゃない。ただのタンパク質だから、どろどろに溶けてしまう。

「お願いミラ、死なないって言って」

「……ごめん。今の私、約束できないかも」

「嘘でもいいから言ってよ」

「ごめん」

「やめてよ!」

「だって!」

ダメだ、叫んじゃった。この怒りをぶつけるべきなのは友達じゃなくて、ゲロのはずなのに。

「好きだったんだよ……? 一緒に暮らすために、ちょっとの間だけルビコンに行ってもいいと思えるくらい、好きだったんだよ」

「ミラ……」

「私、ルビコンにいる意味もうないよ。でも戻っても何するの?」

「ミラ、やめて。私はミラにもう一回会いたい」

「分かってる。分かってるんだけど……」

立つ気力もなくなって、その場に座り込む。

「つらいよ。頑張ってきたのに。こんな気持ちになるくらいなら、いっそ何も感じない方が楽だった」

「ミラ、ダメ。まだやんなきゃいけないこといっぱいある、アイツにごめんなさいって言わせるとか、私とおいしいもの食べるとか、」

「ごめん」

「ミラ!」

私は指を伸ばして通話を切った。相変わらず端末にはゲロが表示されている。

すごく楽しそう。新しい女、私よりスタイルも顔もいいじゃん。すっごいの捕まえたね。

もう見てくれないんだね。私、ルビコンで結構頑張ってたのに。上司の無茶ぶりをいっぱい聞いて、こんな僻地で働いてたのに。

ゲロの写真をゲロのチャットルームに転送する。すぐに電話をかける。つながった。

「どうしたのミラさん、こんな時間に」

「写真。楽しそうだね」

「え……あいやこれは違うんだって、結構長くなっちゃうんだけど説明させて!」

慌てている。でも、もう話を聞く気力もない。

「説明はいらない。レオさんが何を言っても、たぶん、信じられないと思うから」

「待ってよミラ、聞いて」

「ごめんね寂しい思いさせちゃって。私がレオさんの心を捕まえておけなかった」

「謝らないで、俺が悪いんだ、だから」

「いままでありがとう。さよなら」

まだなにかしゃべっていたようだったけど、電話を切った。着信拒否にして、チャットルームからも退去する。これ以上連絡が取れないように封鎖した。

窓を見る。相変わらず星が綺麗だ。

でも、もう、いいかな。生きなくてもいいや。生きる理由、なくなっちゃったし。次の検査で手加減すれば、それを見たスネイルが私をファクトリーに送ってくれるだろう。なんだ、自殺って案外簡単じゃん。生きるのは難しいのに。

納得しているのに、私の足はいつもの場所に向かっていた。人気のない事務員寮のさらに僻地にある娯楽室。一世代前の、先進局が魔改造を施したシミュレーター。

 

私の、ゆりかご。

 

いつものように座って、いつものようにメインメニューを開く。VRゴーグルをつける。右手と左手は操縦桿に。

「ダメだ」

涙がとまらなくて、ゴーグルの中に浅瀬ができる。目元があたたかい。頬が引きつって、堤防が少しだけ壊れて海水が外に流れていく。操縦桿から手を離して、膝を抱えて鼻を鳴らす。涙だけ出ればまだ可愛いのに、鼻水もいっぱい出てくる。

いつものように、私を校正できない。生きていくために、私を構成できない。

ACに出会わなければよかった。強くなければよかった。

婚約者のためでも、フロイトのためでもない。かといって私のためでもない。ただ暇を持て余して、シミュレーターで遊んでただけ。それを本当の日常に侵食なんてさせたくなかった。海は海のままでいてほしかった。責任なんて負わずに、どこまでも海の底まで泳いでいたかった。

だから誰にも見つからないように、みんなの寝ている夜に潜水してたのに。私の海水を全部奪って死線だらけの空に海を作ることができる、反則のような男に見つかってしまってから、私はもうペンギンではいられなくなっている。

「消えてくれよ、イレギュラー……」

手が滑って、操縦桿近くのボタンを間違えて押してしまった。当たり所が悪く、AC擬人化ギャルゲーが開く。全然気分ではないけど、この間開いたセーブデータを、改めて眺める。

そういえばこのギャルゲーで、ロックスミスちゃんがぐいぐい来るシーンを見たような。ロードする。

ロックスミスちゃんが私に戦いを持ちかけている。選択肢はこの間と同じ二つ、「ああ、今すぐヤろう」「ヒッ、逃げろ!」である。

なんとなく、前回は選ばなかった「ああ、今すぐヤろう」を選んでみた。すぐにエッチなシーンに入る。ロックスミスちゃんと主人公は精魂尽き果てて、柔らかなシーツに倒れ伏す。

そしてロックスミスちゃんは言った。

 

「この程度? つまらない人」

 

黄色の目は侮蔑に染まっている。私は息を飲んだ。キャリブレーションでつまずいていた計測器の針の震えが、この瞬間に止まったかのように感じた。

この子はロックスミスだけど、もしかしてフロイトもそう言うんじゃないだろうか?

シミュレーターの温室育ちに、戦う理由も背景もない。海の中でしか己を保てない、ペンギンの着ぐるみがなければ寒さに震えて死んでしまう、つまらない人。それが私だ。

逃げれば追ってくる。ならば、立ち向かわなければならない。VRゴーグルを外して、腕で涙を拭いた。

「戦わなきゃ」

ヴェスパーの首席に、私は無価値であると思わせる。パイロットにしても無意味、ファクトリーに送っても無意味だと分からせればいい。スネイルも、ACについては首席判断に頷くだろう。

そうすれば、私は今までの日常に戻れる。空を見ずとも、海で泳いでいられる。

手加減はダメだ。あいつはそんなのすぐ見抜く。

全力をぶつけて、可能性を全て見せて、「所詮お前はそこまでか」と思わせればいい。普通の人間の背伸びは、普通の人間が一番よく分かるはずだ。私が本当に空を飛べないことを知れば、フロイトも興味を失うだろう。

今までにないキャリブレーション結果に驚きつつも、一番信頼度が高いような、そんな気がする。悪いがこちらは本気だ。決意と共にシミュレーターの椅子から立ち上がれば、ちょうどフロイトが娯楽室に入ってくるところだった。

「ここにいたか。さっきの動画の──」

「動画見るより、早い方法がありますよ」

アンタの期待を、全て折ってやる。

驚いたようなフロイトの前に、私はしっかりと二本の足で立って、目をのぞき込んだ。

私の涙を全部吸おうとしてくる深淵に、挑戦状をたたきつける。そんなに水が欲しいなら、思う存分海水を流し込んでやる!

「ヴェスパー首席隊長殿。最終試験では、ジンチョウと共にロックスミスを海底までご招待しましょう。そしてアンタの肺を潰してやりますから」

私が言うとフロイトの口角はみるみる上がり……満足げに頷く。

「ああ、楽しみにしている」

フロイトは私の頭を雑になでると、私の涙で濡れた眦にキスをした。

……こいつ、本当に私を干からびさせるつもりだ。沸き上がった闘争心の矛先は、ただ唇を噛むだけに留めておいた。

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