ヘルメットの中が蒸し暑い。徐々に荒くなる息の音が、脳を揺さぶる。フロイトの行動を予測し演算しつづけたせいで、目の裏に閃光がチラついている。
(アイツ、もうパルスシールドをうまく使ってる……!)
ジンチョウが放ったミサイルの弾道に合わせるように、ロックスミスがパルスシールドに近づく。打ち消されたミサイルの隙間から、アサルトライフルが放たれる。EN残量を減らすよりは、と避けずに甘んじて被弾する。一発一発は豆鉄砲だが、蓄積すれば痛い。
どうにも攻め手にかける。フロイトを封じるためのアセンを組んだが、あくまで「封じられる」程度。そこから攻めに転じることは難しい。だが、フロイトを封じることができている時点で、かなり善戦しているはずだと己を鼓舞する。
「お前の壁も、あと6枚か」
ああ嫌だ。こうも簡単に、フロイトは私の心を折りに来る。残弾をフロイトが数えているのは予想の範疇だが、まるで余命宣告のように私を追い詰めた。
実際、近寄ってくるフロイトの猛攻を避けるのは、パルス壁無しでは至難の業だ。始まる前に思い浮かべた勝利への樹形図は、大ぶりの木と同じようにいくつもルートが引かれていたのに、今では指で数えるほどしか枝が残っていない。
ロックスミスが、勝利の道に鍵をかけていく。通行止めの道が増える。
だが、深海の底は見えてきた。
「アンタの頭脳だって、あと12個だ」
「違いない。さあペンギン、まだ潜れるか?」
「水圧、全然足りないし……!」
「最高だ」
残り少ない、ロックスミスのドローンが飛んでくる。ショットガンを直上に撃って叩き落す。近づいてきたフロイトをパルスシールドで封じる。ロックスミスのACS負荷限界が近い。壁を惜しみなく使って、フロイトを閉じ込める。拡散バズーカもアサルトライフルも届くまい。
「そう来るか」
フロイトがレーザーブレードに光を溜める。しまった、攻めすぎた! このままだと壁を貫通したブレードに間違いなく当たる。斬られれば、ジンチョウがスタッガーに陥ってしまう。パルスアーマーも使い切ってしまったし、クイックブーストを使うためのEN残量も無い……!
フロイトの水圧が強い。底が近い。息が遠い。指先が冷たい。深海に突っ込んでいる体がただただ苦しい。
それでも、私の可能性があるかぎり、逃げてはならない。最後までやらなければ、フロイトの目線をずらせない。
奥の手がある。姿勢安定機能を無効にすればいい。人間と同じだ、背筋が立っているよりもしゃがんだ方が、地上からの高さは低くなる。
フロイトがレーザーブレードを振る高さは、だいたい肩あたり。クイックブーストでは避け切れないが、くにゃりと体幹を失ったACであれば避けられる。姿勢安定機能を無効にすれば、再度有効にした時ACS負荷が発生する。しかし、ブレードに当たって増える負荷よりも、まだマシだ。
ハイリスクハイリターン。成功するかは五分だ。コンマ三十秒が分水嶺。これより短ければ体を折りたたみ切らずにブレードにあたり、長ければ復帰時のACS負荷が増えすぎてスタッガーだ。
(……来る!)
右からフロイトのブレードがやってくる、今!
小さなスイッチを切る。途端、ジンチョウの背骨が歪む。コアが回り、前のめりに投げ出されそうになる。平衡感覚が狂う。コンマ十秒。
(耐えろ耐えろ耐えろ!)
シミュレーターに甲高いアラームが響く。ナハトライアーの関節が折り畳まれる。無理な姿勢で息が詰まる。吐きそう。ジンチョウがひざをつき、地面に項垂れる。コンマ二十秒。
見上げた空に、ブレードが流星のように通過した。コンマ三十秒、スイッチオン!
「オエッ」
ついに吐いた。コンマ十秒でジンチョウの背筋が伸びる。姿勢安定機能は安全側に設計されたシステムなので、復帰時の方が制御スピードが速いことを知ってはいても、体が追い付かない。
でも、この絶好のチャンスを逃すわけにはいかない! フロイトがブレードを振り切った後の隙を晒している今、ようやっとフロイトの深淵の底にさわれるんだ。ジンチョウが右腕を伸ばして、祈りを込めながらショットガンを撃つ。
心音を震わせる銃撃音のすぐ後に、軽い電子音が鳴る。照準の中に納まっているロックスミスが、ようやくスタッガーに陥った。
ああ、ようやくだ。底なし沼の、底にたどり着いた。
「……しまった」
死角に回り込んでいた小さな一機のドローンが、ジンチョウにレーザーを浴びせた。ガァン、と音を立ててジンチョウもスタッガーに陥る。アラートが連続的に鳴る。
だが、とても静かだと思った。銃撃音もレーザーの音もパルスの音もしない。演算では予想だにしなかった、例外条件に投げ出されたような気持ちだ。攻撃の空白が広がっている。眼の奥にチラついていた閃光も、水圧も、寒さも、何もない。
この後スタッガーを抜けるロックスミスの武器リロード時間が、手に取るように分かる。
右腕あとコンマ三十秒、左腕あと一秒とコンマ二十秒、右肩あと三秒とコンマ八十秒、左肩は残弾なし、キックには五秒かかる。
必死に追いついてようやくできたアイツの余白。だけど、それよりも私の余白の方が長い。
「み……このま……と──」
フロイトの声が入りの悪いソナーのように聞こえた。
アイツ、何言ってるんだろう。全然わかんないや。
ここまでボロボロになってしがみついて、それでようやっと、アイツの足をちょっとだけ引っ張れてる。実力の差というのは、こういうことなんだろう。でも、全力出せてたと思う。限界まで振り絞って、もう酸欠だ。アンタの肺じゃなくて、私の方が先に潰れちゃった。わかってたけどさ。
ペンギンが溺れるなんて、すっごくダサい。
だからもう、私から目を逸らしてよ。
「海の底、つまんないでしょ?」
「そうだな」
ロックスミスの右手の豆鉄砲で、私の肺に穴が──