深海へようこそ   作:きすことおり

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娯楽室でとんでもない男と出会ってから、だいたい6時間後。知的労働に睡眠不足が響く。数字と睨み合いをするのに飽きてきたので、コーヒーを調達しようとリフレッシュルームに入れば仲のいい同僚がいた。

「よ」

同僚は今できたばかりであろうコーヒーが並々注がれた紙コップを、躊躇なく私に差し出す。そのくらい先に飲んでもいいのに、と思いつつ紙コップを受け取った。

同僚はもう一回コーヒーを淹れながら話す。

「今日の朝さ、閣下が寮の女子フロアの入り口に来てたのヤバかったよね」

「そんなことあったんだ」

「えっ!? 知らな……そうだった、アンタはギリギリ出社組だった」

「そりゃギリギリまで寝てたいし」

「知ってる知ってる」

同僚は呆れたように言う。私は一口、泥水で唇を湿らせる。うん、不味い。味のよさと反比例して眠たい目が開く。

「閣下、めちゃくちゃ怒ってたんだよね。『女を出待ちするなんて、品格が足りない』とか」

「待ってもう一人いたの?」

「うん、知らない人だったけどね。パイロットかエンジニアあたりじゃない?」

「へー……でも閣下はいっつも怒ってるでしょ、そんな珍しいことじゃなくない?」

「それにしてもだよ。いつものネチネチ〜じゃなくて、バーン、みたいな?」

何かを表現したいのか両腕を広げたり狭めたりする同僚を横目に、私は壁にもたれかかりながら思案する。

閣下ことヴェスパー第二隊長スネイルは、私の所属する経理チームのところによく来る。なので、いつもピリピリしているのはよく知っている。私の所属チームの部門長であるスウィンバーンがいつも閣下にゴマすってることもあり、閣下と話すことはないが直接の上司になったらキツイだろうなと思う。

「誰を待ってたんだろうね」

同僚の小さな疑問に、私は言う。

「さあ? しかしお盛んだね」

「それは同感……あ」

同僚はコーヒーを混ぜていたマドラーで、ピシリと私の後ろを指し示す。

「あの人だよ」

「え?」

「閣下が怒ってた人」

私は振り返って、リフレッシュルームの入り口を見た。少し遠目に見える執務スペースから、文官にしてはラフに社用ジャケットを着ている男が丁度出ていくところだった。この基地なら何処にでもいそうな後ろ姿だ。

「なんか、普通の人だね」

私がそう言うと、同僚はうーんと唸る。

「でも女子フロアで出待ちする人だよ? 見かけによらず〜、ってやつだから気をつけな? そんな調子じゃいつかヤバい奴に引っかかるよ?」

「んなわけ。この基地に私のメロ男はいないから」

「アンタねぇ……」

飲み終えた紙コップをゴミ箱に捨てて、私は普通の男がいなくなったフロアに戻る。逃げたくなるような予算整理に改めて向き合おうとした矢先、上司から声をかけられた。

「お、丁度いい。整備部門のEN第三班に行ってくれないか? 担当のチャットも電話も繋がらん」

「そんなに急ぎの要件ですか?」

「明日の支払いに引っかかる。トータル額足りないんだ、誰でもいいから捕まえて起案させて」

「了解です」

「ありがとう、頼んだよ」

上司から書類の入ったクリアファイルを受け取り、袖机からトートバッグを取り出して入れる。

「こっから遠いしそのまま昼行っていいからな〜」

 

⭐︎

 

「第三班みんな第一格納庫にいるとか先に教えろよ……!」

基地内移動用の一人乗りビークルのアクセルをふかしながら悪態をつく。最初は整備班の詰め所に駆け込んだが、もぬけの殻であった。壁のホワイトボードに殴り書きされた乱雑な矢印は整備班全体の人間を網羅するように伸び、隣に「第一格納庫」と添えてあった。

「だけど電話くらい出ろよな、端末全員支給だろうが」

上司の鬼電にも出ないとは、相当何か詰まっているのだろう。整備士たちは熱中しすぎるがあまり反応が途切れることが多い。

第一格納庫前でビークルから降りて、備え付けの階段をのぼる。ガレージの地上フロアにも人はいるが、たまに全員出払っている。武器の取り下ろしや清掃など、クレーンで整備士たちが宙吊りになってたりすると全然降りてこない。上のフロアには機器かクレーンを触っている誰か、少なくとも確実に一人はいる。そいつを捕まえる。

あぁ眠い。さっさとそいつに起案させて昼飯をかきこみ、休憩時間が終わるギリギリまで睡眠時間を確保したい。

階段を上り切ると、いた。操作盤の前に立つ整備士の肩を数度叩く。

「はいっ!? あっ、その今手が離せなくて」

「EN第三班ですよね? 至急起案して欲しいものが」

「えっ!? まってください、担当が下のフロアにいて、でも彼も手が」

「このままだとこないだのプラズマ制御基盤が皆様の自腹になりますが?」

「それは……でも首席案件ですし……」

整備士が口ごもったところで、フロアの下から大きな声がする。

「おーいライナー! 早くしろー!」

「あっ、いや待ってください!」

他の整備士が下のフロアから急かす。整備士の男の隣で、私も大きな声を出す。

「プラズマ制御基盤の請求、起案してくださーい!」

「ゲッ、経理!?」

「期限今日でーす!!」

クリアファイルを振りながら言うと、ようやく事の重大さを理解したらしい。

「ライナー! お前それ持って下来い!」

「あっ、はいっ!」

ライナー、と呼ばれた整備士は私からクリアファイルを受け取ると内階段へ走っていった。あとは起案されたら私の携帯端末で確認してから帰ればいい。

手持ち無沙汰になった私はひとりぼっちになったキャットウォークのフェンスに寄って、目の前の鉄巨人──ACを見る。

「ロックスミス、だったっけ」

おもちゃのような青いのっぺりとしたペイントを施されたそれは、黄色の目……いや、ライトを輝かせて立っている。肩のドローン武器が外されており、なるほどEN第三班が呼び出されたのはこのためかと納得する。

娯楽室のシミュレーターはパイロットたちとの模擬対戦もできるので、隊長格とは一通り戦っている。正直なところ、ロックスミスは首席隊長という割には弱かった思い出がある。記憶も薄い。AIがうまく戦いぶりを再現できていなかったのだろう。むしろ閣下のオープンフェイスの方がめちゃくちゃ強くて、攻略に1ヶ月かかったのでよく覚えている。あのレーザーランス痛すぎる。

本当の強さのロックスミスはどんな動きをするのだろうか。私は勝てるだろうか。しかし、目の前のロックスミスに勝つにしても負けるにしても、まず戦いの土俵に上がらなければならない。それは私が本物のACに乗るということでもあり。

「君と戦うなんて御免だね」

ロックスミスの黄色の光を見つめながら呟けば、横から男の声がした。

 

「戦う前に負け惜しみか?」

 

一瞬で喉が渇いた。言葉すら出ない。出そうとしても唇が震えるだけだ。聞いた事のある声であり、聞きたくなかった声でもある。恐怖で首が動かない。カツン、カツン、鉄の足音が迫ってきているのに。幽霊じゃない。幽霊であった方が何倍マシだったか。

「探したぞ、『ジンチョウ』」

男は私の隣に立つと片手で私の手を取って、昨日触った私の血管を親指でゆっくりとなぞる。ぎぎぎ、と固まった首を何とか動かして男の顔を見上げる。

こいつ、もしかしてさっきリフレッシュルームで見た「普通の男」──

「お前とはいつやれる?」

「人違いで……」

「ん?」

ふに、と男が指の腹にわずかに力を入れて、私の血流を軽く阻害する。人違いな訳がないだろう? と言外に訴えてくる。

「そういえば、そもそもデータベースにジンチョウが登録されていないがどういう事だ? お前の身分が情報局預かりなら、オキーフに言って融通してもらうから安心しろ。いつ、お前と」

「ですから人違い、ではないですか? 私の名前で検索してみてください」

男の話が止まらないので、食い気味に止める。捕まっていない方の手で、首から下げた社員証を男に見せつける。

ACもしくはMTの使用登録がなされている場合、社員の名前をシステムに入れれば検索できる。娯楽室のシミュレーターはスタンドアローンなので、あの場限り。アーキバス全体のデータベースに私のACジンチョウは登録されていない。

目の前の男がそれを知らない可能性に賭ける。血管は握られているが、まだ窒息はしていない。

「……出てきませんよね?」

「ああ、出ない」

「だから、」

「なら登録しておく」

「は!? ちょっと待って!」

私は慌てて男の端末を持つ手をがしりと掴む。

「どうした?」

「どうした、って、」

見上げた私がバカだった。男に向かってかざしていた社員証を動かさなければよかった。

あの目だ。

端末のバックライトに照らされた男の瞳が輝いている。水銀灯を模したLEDの光に包まれたガレージの中で、男の目の中だけに本物の水銀が入っているかのような気がして、その光に目が潰されそうになる。

私の手の力が抜けた。

「……アンタにそんな権限、ないでしょ。少なくとも役職付きじゃないと」

適性検査を受けたくない、なんて私のガキみたいな言い訳はかき消されて、負け惜しみのように「普通の男」へ煽るセリフしか言えなかった。普段の負けん気が災いした。そもそも、あの2秒早いスネイルに負けたくないと思った時点で、こいつに捕まる未来は決まっていたのかもしれない。

「そんなことを心配していたのか」

男はデバイスに何かを入力し終えたようで、私の端末に通知が来た。プラズマ制御基盤の請求が起案された旨では……なさそうだ。

『貴方の社員情報が更新されました 更新者 ヴェスパー首席隊長 フロイト』

「誰だよ、普通の男っていった奴」

私か。

「まぁ、俺は普通の人間だが」

「んなわけあるかって……」

同僚、アンタの言う通りだった。

私はどうやらヤバい男に引っかかってしまった……

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