アーキバス全体データベースへ私のACが登録されてから、1週間が過ぎた。深夜2時半の事務員寮娯楽室にて。
私はシミュレーターに座って、ヴェスパーAC擬人化ギャルゲー『晩鐘の鳴る頃に』の画面を見つめながら思案する。無造作なロングヘアのロックスミスちゃんが吹き出しで「貴方、本当に面白いね。どう? 今すぐやろうよ」と喋っている。
なるほど、君はそういうタイプか。対するこちらの選択肢は「ああ、今すぐヤろう」「ヒッ、逃げろ!」である。迷わず後者を選択する。
このモードは起動したことがなかったが、先進局の改造が活発だった頃だと思われるタイムスタンプのセーブデータがあったので、それを開いてみた。全ルートクリアされていたらしく適当なチャプターから始めてみれば、なんとまぁ胡乱な概念が広がっていること数知れず。てかルート10個もあるし。どれだけ凝ってんだこれ。
「面白い……のか?」
「さあな」
「ヒッ」
音もなく近づいていたフロイトが、私の隣に立っていた。えらく真剣にディスプレイを見つめている。
「何故ロックスミスから逃げるんだ? やった方が楽しいだろ」
フロイトがそんなことを言うので、私は嘆息した。
「んなわけ。アンタに捕まったら碌なことがない。アンタの半身であるロックスミスも同じでしょ」
「ロックスミスを悪く言うなよ。アイツは素直だぞ、いつも俺に応えてくれる」
「馬鹿の話を鵜呑みにする馬鹿、ってことね……」
「お、大胆だな」
フロイトが勝手に操縦桿のボタンを押せば、主人公を追いかけてきたロックスミスちゃんが、主人公に馬乗りになっていた。
『なんで逃げるの? これからずーっと、私の体を好きにしていいんだよ?』
ギャルゲーってこんな感じなのか。だが、これはあくまでAC擬人化。
「要はアセン組むのに付き合え、ってことでしょ」
バッサリと私は断言して、ボタンを押す。
『ベイラムもファーロンも、オールマインドもアーキバスでもいいんだよ。君が望むならシュナイダーだって着こなせちゃうんだから……♡』
「そそるな」
「やめろ興奮するな変態」
でかでかとスチルが表示される中、私は背もたれに身を預けて、固い声を出す。
「推薦状、見ました」
私の敬語は仕事の合図だ。フロイトは変わらない様子で応える。
「見たか。久しぶりにまともな書類仕事をした」
「上司が泡吹いてました。私が最後まで検査をパスして会計要員が減ったらどうしよう、と。最近第七隊長が更迭されたので、ただでさえ通常業務もパンク気味なんですよ?」
「別にいいだろう。パイロットの方が給料高いぞ?」
ああ、皮肉が全然通じない。私はゆっくりと首を回してフロイトの横顔を見る。
底無し沼のような、得体の知れない何かが瞳孔の奥に広がっている。何を考えているのか、思考ルーティンを予測することすら難しい。フロイトという恐怖に立ち向かうために、その目を見る側が勝手に沼の意味を作り出さざるを得なくなる。そして己の中で肥大した妄想が乱反射して体の中を暴れ回り──その隙に、目の前のフロイトに矮小な生命を狩られてしまう。そうやって、彼に相対したパイロットたちは死んでいったのだろう。
顔の向きをディスプレイに戻す。ついでにボタンも押しておく。オートモードでセリフが勝手に流れ出す。しばらく主人公のモノローグが続く。
私にできる生存戦略は、底無し沼の恐怖になんとか負けないよう、私の都合を押し付けることある。私がパイロットになりたくない理由は案外単純だ。凝ったギャルゲに出てくる主人公の持つ背景より、薄っぺらい。
「給料よりも命が大事です。ルビコンから地元に帰ったら、彼氏と結婚する予定なんですから」
「なら金も入り用だろ。死ななければいい」
「AC乗りは金銭感覚が狂うって本当だったんですね。駐在手当で十分です。そもそも、戦場で死ななかったパイロットはいったい何人いるんでしょうね?」
「お前が第一号になれば問題ないな」
ああもう。話の意図はフロイトもわかっているだろうに、あえて逸らされている。
なら私も逸らさせてもらう。
「私のACの名前の由来、教えてあげましょう」
画面の中の主人公は「いやいや、こんな美少女が俺を押し倒してるのが現実なわけ──!」とギャグ漫画のように慌てている。私も、今の状況をそう思いたかったよ。
「ACジンチョウ、ペンギンの別名です。私はただ電子の海を自由に泳げればいい。空は飛べません」
「俺は、そうは思わない」
「そうですか」
「お前が鳥であることには変わりない。ああ、そうだな……空を全て水で覆えば、飛べるだろ?」
あっ。フロイトの目が輝いた。嫌な予感がする。荒唐無稽な夢物語と気づかせなければ。
「やっぱり馬鹿なんじゃないですか。それだと隊長が窒息しますよ」
嘲笑を浮かべながら話せば、フロイトの息を吸う音が小さく聞こえた。フロイトは片手でシミュレーターを軽く叩く。
「そのためのアーマードコアだろ」
フロイトがそう言った瞬間だった。オートで進んでいた画面の中のロックスミスちゃんが、爛々と輝いていた黄色の目を伏せて、主人公にキスをした。愛しい人に空気を分け合い、身も心も全て捧げている。
「……なぁ、早くやらないか?」
いやムードぶち壊しか? フロイトといい雰囲気になりたくはないが、デリカシーのなさにわずかばかり呆れる。
「やりません。一次試験の練習があります」
「アレの練習? 必要あるのか?」
「実力があるからそんなこと言えるんですよ」
「そうか?」
「そうです」
フロイトが隣で首を捻っているのを無視して、私はギャルゲーを閉じた。私がACジンチョウではなくプリセットのACデータを呼び出しているのを見ると、今日も戦えないことを悟ったのか、フロイトはシミュレーターにもたれかかっていた体を起こした。
「寝る。試験、手加減はするなよ」
そう言い残して、フロイトは娯楽室を去った。ようやっと機体データが呼び起こされたが、フロイトの言葉で一気にやる気が削がれた。
だが、練習はしなければ。
「……知るかっての」
手加減、するに決まっているだろう。
私は検査に落ちたいのだ。