深海へようこそ   作:きすことおり

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しばし時間が経ち。

「……あのさ、ライナー」

「はいっ!?」

ヘルメットを外した私は、バイザーを上げたライナーに話しかける。

「パイルバンカー、何回当たった?」

「3回です」

「ミッション、何回やった?」

「29回です」

「全然当たってなくない?」

「はい……」

でも、とライナーは呟く。

「ナツキさんが追尾ミサイル当てようとする時、俺のEN残量切れてる時が多くて、動けなくて」

「むぐっ」

「あとその肩の3連レーザーキャノン、一回も当たってないです」

「それは相手を威嚇するためで、」

「なら2連でも十分じゃないですか? 試験機のデータが今のシミュレーターには入ってます。チャージタイム減りますよ」

「それは、いや、そうか……」

沈黙が部屋に走る。気まずさに耐えられなかったのか、ライナーは立ち上がる。

「ちょっと休憩しませんか?」

「賛成」

私とライナーは部屋から出て、整備士の詰所に戻る。来た時より人はだいぶ減り、ライナーの上司もいなくなっていた。適当に空いている椅子に座る。

ライナーは給湯室に引っ込むと、コーヒーを淹れてきた。ありがたくいただく。うん、不味い。

「あの! ナツキさんって、あのフロイトさんの推薦なんですよね」

「んっ!?」

ライナーの突然の発言に、コーヒーが私の気管に入る。数度むせると、目の前のライナーは慌てた。

「ごめんなさい、大丈夫ですか……?」

「だ、いじょうぶ。うん。まぁ、そうだよ」

「ならよかったです。でも推薦、すごいなぁ」

ライナーは両手で机の上の紙コップを抱えて俯いた。

「EN第三班は、レーザードローンやタレットの自律武器が専門でして。フロイトさんはドローンの使い手なので、その、憧れるといいますか」

なるほど? 私から見ればフロイトは警戒対象でしかないが、整備士にとっては違うようだ。ヴェスパーのエースパイロットの在り方は、容易く凡人を焼く。

「ロックスミスもかっこいいですよね……あ、アーキバスのパーツがかっこ悪いってわけじゃないですよ!?」

腕と首を振って忙しそうなライナーに私は言う。

「別にカッコ良くても悪くても、どっちでもいいでしょ」

「えっ、ナツキさんは好きなACパーツとかないんですか!?」

「機能が充足してれば、なんでもいい」

「それはもったいないです!」

「んっ!?」

ずず、とライナーが顔を寄せてきた分だけ、私は後ろに椅子を転がす。

「僕は何度あのレーザードローンの丸みを帯びた外殻へフロイトさんと一緒に頬ずりしたことか!」

「え、そんなことしてんの。気持ち悪……」

「キモくないです! Vvc-70VPMとはまた違った丸みをですね」

椅子から立ち上がったライナーの鼻息が荒い。このままだと話が終わらないと判断して、私は話の流れを逸らすことにした。

「てかさ、ライナーはなんでACパイロット検査受けてるの。整備士でも十分楽しいんじゃない?」

「あっ、僕ですか? 僕は単純ですよ、金を稼いで自分のACを買いたいんです」

ライナーは落ち着いたのか、元の場所に着席した。金のため、その理由はシンプルで好きだ。アーキバスでパイロットの技術も得られて、お金も貯まる。改めて考えてみれば、一石二鳥かもしれない。

「へぇ〜、独立傭兵になりたいの?」

「違います、僕は戦いたくなくて。僕の地元の星、結構平和なんですけど、その広い空を好きに飛びたいなって」

「飛行ビークルじゃダメなの? もっと安いでしょ」

「うーん……いっぱい考えたんですけど。僕は人の形のまま飛びたいんです。空を飛ぶなら鳥の形とか、もっと適した形があるのはわかってるんです。でも、ACなら人の形で飛べる。そのためなら、戦えます」

己の決意が正しいと確かめるように、ライナーは数度頷いた。ふと、フロイトに言われた言葉を思い出す。アイツは私を電子の海の中から引きずり出して、無理矢理空を飛ばせようとしてくる。

そんなに、空はいいものなのだろうか。死線が張り巡らされた空を飛んでもいいと、そう己に言い聞かせられる理由は、私にはない。

「なんでみんな飛びたがるんだろ……」

「ナツキさん?」

「なんでもない」

私はコーヒーで唇を湿らせる。するとライナーが聞いてきた。

「ナツキさんは?」

「私?」

「はい。ナツキさんはどうしてパイロットになりたいんですか?」

答えに窮する。私はゆっくりと首を横に振った。

「私は、なりたくない」

「えっ」

「ルビコンから地元に戻ったら、婚約者と結婚するの。私はまだ死にたくない」

「それ、死亡フラグなんじゃ」

「やめてよ。検査サボったら査定に響くし、本気になったら死地へ特攻でしょ。どっちがマシかって言われたら……」

私はため息をつく。サボったら、査定のみならず再教育も追加だ。どっちを選ぼうと早死にする。余計な心配はさせたくないので、ライナーに再教育のことは言わない。コーヒーを飲み切って、片手で紙コップをつぶす。

ライナーはしばし黙ってから、ゆっくりと言った。

「ナツキさん。もし手を抜くのなら、先に言ってください。多分、そっちの方がナツキさんからしたらダメージ少ないですよね。僕はそれでも構わないです、ただ、準備はしておきたいので」

ライナーの目は本気だった。彼は本気で、私のことを案じている。ルビコンに来てから久しく浴びていなかった善意に、胸の奥が刹那裂けた。

裂けた奥から寂しさや嬉しさが一瞬顔を出したが──それらを押しのけて外にどろりと漏れ出たのは、怒りだった。

私は親指と中指で輪っかをつくってライナーの顔の前に持っていき、勢いのままにデコピンをした。

「いっ!?」

「ライナー、交渉はこうやるの。『ナツキさんが本気出すには、何をすればいいですか?』って」

「え、」

ライナーは固まった。彼の善意を踏みにじるようで悪いが、癪に触った。

「あんただってやりたいことあるんでしょ、最後まで押し通すつもりでいかなきゃ。そのパイルバンカーは飾りなの?」

「でもナツキさんはパイロットになりたくないって」

「なら、ライナーの夢はその程度だったってこと?」

「それは……違います」

「ん、ならいいの」

私はライナーにくしゃくしゃの紙コップを手渡して、詰所の出口に向かって歩く。

「ごめん、今日は疲れたからここまでにしとく。空いてる時間にチャット頂戴、また来るから」

「ナツキさん!」

「何?」

私は振り返る。ライナーもコーヒーを飲み干して、私と同じように紙コップを握りつぶした。

「じゃあ、ナツキさんは俺が何をしたら本気でいてくれますか!」

ドアノブにかけた手を止めた。

検査で手加減しようと本気で行こうと、どちらの先にも死が待っている。

でも、二次試験で手加減してファクトリーで殺されるよりも、本気でやってパイロットになってから死ぬのを比べると、まだ本気でやった方が死へのモラトリアムが多少長いと思う。

それに。ライナーが善意をくれたお礼と、それを踏みにじった詫びも天秤にかけたなら。

「あんたの熱いフィーカのお礼に、今回は本気のACサービスしとく」

私はライナーの返答も聞かずに外へ出た。日の暮れた空は真っ黒で、多くの星が瞬いている。ライナーの淹れてくれたコーヒーとどっちの方がより黒いだろうと迷って、別にどっちでもいいかと移動用ビークルを停めたところまで歩いた。

 

⭐︎

 

ライナーとの練習は案外時間が経っていたようで、事務員寮の近くまで戻った時にはすでに深夜だった。疲れた体でとぼとぼと、人気のない廊下を歩く。

いつも遊んでいる娯楽室の前を通る。ちらりと扉の近くから中を見ればシミュレーターが動いているらしく、ぼんやりと青白い光を放っていた。画面の様子を遠目で見るに、このシミュレーターの改造モードのひとつであるAC100台組み手をしているらしい。しかし、動きが妙だ。自機は全く敵を倒そうとしていない。するり、ひょい、と二脚はステップを踏みつつ、銃弾とプラズマの雨を避けていく。

このモードは私も遊んだことがあるからよく分かる。早く倒さなければ、一分に一度五台ポップする敵ACの物量に押されて、とんでもないことになる。

違和感はあるが、それよりも体が疲れを訴えている。さっさと寝ようと一歩足を踏み出すと。

「逃げるな、ここからが面白い」

フロイトの声がした。私は立ち止まる。

「疲れたからさっさと寝たいんだけど」

「そう言うなよ、見るだけでいい」

「はいはい、見るだけね」

私は渋々進路を変えて、シミュレーターに歩み寄る。シミュレーターに座っているのが知らない人であれば、バレるのが嫌なので逃げ一択だったが。フロイトなら、逃げたところで捕まりそうな気がしたのだ。

シミュレーターの中を見れば案の定、フロイトはゴーグルをつけてガチャガチャと操縦桿を動かしていた。なんで見もせずに私がいると気づいたんだ……やっぱ気持ち悪……

外付けの画面に目をやる。フロイトの駆るACは、普段のロックスミスのアセンではなかった。シュナイダーの軽量二脚に実弾武器多め、第四隊長ラスティのACスティールヘイズに近い。右手のショットガンと左手のハンドガンから、絶対にスタッガーさせてやるという殺意の高さを感じる。肩のハンガーには普段のロックスミスにもついているレーザーブレードが乗っていて、お気に入りなのだろうかといらぬ勘ぐりをする。

画面の右上に表示されている、現在倒したACの数は4だ。対して今ポップしている敵ACは91。最後のポップまで、あと30秒。

理解した。コイツ、100台同時に相手取る気だ。やむを得ず倒してしまったACもいるようだが、96だろうと100だろうとその難しさは対して変わるまい。

数字が変わる。96。

「行くぞ」

開幕はアサルトアーマーだった。なんて大胆な、と思ったが、敵の数と密集を考えると、最も最適なタイミングだと考えを改める。そのまま肩のブレードを持ち替えて周囲を一閃。

手当たり次第、しかし確実に弾を避けながら敵に鉛玉を打ち込んでいく。

実弾武器は重めだけどフレームは超軽量だから、全体重量も相当軽い。襲いくるミサイルの雨はクイックブーストし放題だから避けやすく、かつ敵はそこらじゅうにいるから性能保証射程も考慮しなくて良い。避けることに集中しながら、常に最高火力を維持できるアセンだ。

「……すご」

着実に撃破数が増える。フロイトの鮮やかな操縦に、眠気も忘れて見入ってしまう。これがアーキバスのエースパイロットなのかと唾を飲む。AI制御の再現ロックスミスなんて足元にも及ばない。

私がAC乗りになったら、こういうパイロットに成す術なく殺されてしまうのだろう。そう思うほどに、フロイトの動きは異次元にいた。

やっぱり空を飛ぶなんてごめんだ、私は海でいい。

フロイトは残り1体のACをロックスミスのキックで黙らせる。リザルト画面が表示されると、フロイトはゴーグルをおでこに引き上げた。

「思っていたより簡単だったな。AIには限界があるか……」

「でしょうね。このシミュレーターの処理能力、そんなに強くないから。敵数だいたい70くらいを維持すると一番難しいと思う」

「何っ!? そういうことは早く言えよ」

「私が来た時にはもう90台いたじゃない」

「そうだったな。ならもっと早く来い」

「無理。今日はちゃんと、二次検査の練習してきたんだから」

私がため息をつくと、フロイトは体を捻って私を見た。

「一次試験、なぜ手加減した」

真剣な眼差しだ。あの底無し沼が広がっている。その深淵の中に、フロイトの強さの暴力に倒れた私の姿──自問自答の矛盾螺旋に狂った、ヘドロのような何かがある。

でも、フロイトの都合はどうでもいい。まともに取り合うな。そのヘドロが私の海に流れてきたところで、私の都合という圧倒的な水量には無力だ。

「言ってるでしょ、空を飛びたくないって。死にたくないの。電子の海じゃないと安心して泳げない」

「それはお前が空を知らないからだ、その実力なら」

「別にそんなの知らなくていいし、知ってたとしても飛びたくない。私の命を待っている人がいるから、命を投げるような真似をする理由はない」

「ミラ」

「なに、突然名前で呼ばないでくれる? というか私の名前知ってたの」

「お前の推薦状を書いたのは誰だ?」

「わざわざ調べて書いたんだ、ご多忙の中大変大きなお世話です」

適当なことを言う私から視線を逸らしたフロイトは、コンソールに足を上げて頭の後ろで手を組んだ。

「こないだ、俺のことをバカだといっただろう」

「ええ、アンタのことはバカだと思ってるので」

「それはいい。ミラ、その時のことを覚えているか? 『空を水で覆えば、俺が窒息する』と」

「……いったかも」

おぼろげに思い出す。確かフロイトが「空を水で覆えば、ペンギンだって空を泳げる」と荒唐無稽なことを言ったから、それだと人間のフロイトが溺れるだろうと返したのだ。

「お前が一人で跳ぶなら、俺の心配をする必要ないだろう」

どこか得意げに笑うフロイトに、私は言葉が詰まった。

私が? コイツを? 心配した??

「俺が飛べなくなるのは嫌なんだな」

「……んなわけ。それはアンタがしつこいから言っただけで」

私の弱い反論に、フロイトは鼻で笑う。

「俺が負ける可能性があることを考えるのは、スネイルとお前くらいだ」

「そりゃ負けることだってあるでしょ、人間なんだし戦場では何が起こるかわからないし。現に、あのミッションのタイムアタックは私の方が早いんだし──ちょっと!」

フロイトは急に、私の頭をぐしゃぐしゃとなで始めた。一日動き回ったせいで脂まみれの髪の毛だ、とても衛生的とはいえない。

「ちょっと何!?」

「今の俺に勝てると思っているのも、お前くらいだ」

乱れた髪の毛の隙間から、フロイトと視線が合った。あの底なし沼が広がっている。私を飲み込もうとする、深い穴だ。

フロイトが努力を重ねて掘り続けた深淵。ただ楽しいから掘っていたら、いつのまにか命綱も梯子も無くなっていて、穴の底にはフロイトだけが取り残されているのかもしれない。穴を掘る楽しさを共有したいのに、底にたどり着く前にみんな死んでしまう。天才が故の孤独を、フロイトは背負っているのだろうか。

……待て、思考を止めろ。フロイトの深淵に飲まれるな。こうやって深淵をのぞき込んでしまったがゆえに、普通のパイロットたちはフロイトの底にたどり着くこともなく死んでいったんだから。

「んなわけあるかっての。凡人がアーキバスのエース様に勝てるわけないし」

私の頭をなでていたフロイトの手が止まる。私はフロイトの懐から逃げる。

「おやすみなさい。アンタも疲れてるんだよ。さっさと寝た方がいいよ」

娯楽室を後にして、寮室に戻る。私用端末を見ると婚約者からチャットが届いていて、でも体も心も疲れ切っている。フロイトの深淵をのぞき込まなければもう少し体力が残っていたのに、と傍若無人なアイツを恨みつつ、私はそのままベッドに倒れ伏した。

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