杏山カズサは、泣きたかった。
こんなのあんまりだというか、所詮私は……いや、私達は先生にとって可愛いくはあるものの、生徒という一線はどうしても越えられない。そんな存在なのだ。そうありありと思い知らされている気分だった。
決して、メモリアルロビーに自分が全然出ていなかったから……なんて理由ではない。ないったらない。
でもこの場にいる何名かが嬉しかったもの、美しいもの、可愛いものなどで複数回チラッと出ているのに対して自分はゼロ。貫禄のゼロ。
先生、今週もおつかれさまです。……ちょっと尋問にお時間いただけますか? そう迫りたい気分になったのは確かだった。
「(別に、可愛いアピールをしてたつもりはなかったけど、さぁ……)」
でも待ってほしい。一時期なんて毎週遊びに行ってたのだ。
二人きりになれる絶妙な時間を狙いつつ、誰かが来てもすぐに飛んで離れられる(これを一部の生徒に目撃させて牽制するという高等テクだ! と騒いだ奴がいたらしい)から、遠慮なくくっついていた。
貴方を癒したくて。ただ話がしたくて。ドキドキ……したくて。してほしくて。
特に振り払われることもなかったから、先生も楽しんでくれてる。そう思っていた。前に他の生徒が近くまで来た時は、「近い……!」と顔を引き攣らせていたのを見たことすらある。
だから、私は先生に少しは受け入れて貰えている。なんて密かに喜んで、もう会うたびにグイグイ近づくようにしたくらいだ。
けど、実際は違った。顔を引き攣らせていた相手は……先生にとって魅力的だったから。先生でいられなくなってしまうから止めたのだ。
逆をいえば自分の場合は、そんなに意識する必要がないから。あるいは、距離を取ればこちらが傷つきそうだから止めなかったのかも……。そんなネガティブな考えが先行してしまう。
別に、先生に恋してたか? と言われたら違うと答えるだろう。何か一部の生徒らにガチ恋勢扱いされてるのはちょっと待てとカズサは言いたかった。
少しだけ。少しだけいいなって思っていた程度なのだ。だからクリスマスだって、スイーツを差し入れるだけに留めた。その後にスイーツ部の皆で過ごす時間の方がカズサには重要だったからだ。
クリスマスに先生と過ごそうとしない。イコールガチ恋勢ではない。どっかのミレニアム会計さんの口癖を借りるなら、Q.E.Dかんぺき〜ってやつだ。
因みに手作りローストビーフを一緒に食べて貰い、そのままクリスマスを過ごそうとした卑しか兎がいたらしいが、当然カズサは知る由もなかった。
話を戻そう。お嫁さんという単語が出力された時、カズサは今回も自分の出番はないな。そう思った。
万が一。億分の一くらいの確率で、気兼ねしなくていい相手。イコール嫁。とかになったら戦えるかもしれないが……そうなると、結構対抗馬になりそうな相手が多すぎる。
というか、これもう。色んな戦いが決着つきかねなくない? 大丈夫? そんなカズサの心配は……的中した。
『朝ですよ、先生。起きてください?』
『うーん、あと5分……』
『ダメですよ。このままでは遅刻してしまいます。起きていただかないと……あっ、目が覚めましたか? 先生、おはようございます』
疲れてもう少し惰眠を貪ろうとする彼を優しく起こす、爽やかな朝(先生は何故か机で寝ていたが)
それを見た瞬間、誰もが声を出さなかったが、叫びたかった。
それ! 私が! めっちゃやりたいやつ〜!
少女漫画とかでよく見るシチュエーションである。そのまま流れるように可愛いお説教が入りつつ、画面の新妻……ではなく、ミモリは先生に洗顔を促していた。
嫁だ……!
モモイがボソリと呟いた時、会場やリモートで見ていた一部の生徒らにダメージが入った。人は正しいことを突きつけられても痛みを感じるのである。
『出勤の前に、まずちゃんと朝食を取らないといけませんよ』
『これ、サンドイッチ……』
『はい♡ 私のお手製です。』
『ミモリの、手作り……!』
『朝ですので、胃に負担をかけないよう、材料にも気を使ってみました』
お嫁さんです……!
アリスがほぇ〜。と感心する傍で、生徒ら全員がぐぬぬと歯噛みする。
先生も何目を輝かせてるんですか!
あはは……美味しそうに食べるねぇ〜
ミモリさんも嬉しそうに。愛おしそうに眺めてます。
アレ? 何か肩もみまで始めた……
これ絶対胸当てるやつ……当てない……、だと!?
バカが。当てればいいってものではないのだよ。今この場ではノイズにしかならんだろ。
ん、ノノミなら当ててる。意図的ではなく、普通にするだけで当たる。無意識の天然天国。
シロコちゃん!?
会場やリモート上でそんな声が飛び交う中で、先生は順調に癒されていく。なんかもうされるがままのデレデレである。
よほど疲れていたのもあるが、それに対するミモリの対応がまた完璧だった。
そして……。ゴミの片付けやら、出勤準備を終え、さり気なくネクタイ締めという王道ムーブまでやってのけたミモリは、今玄関で先生と向かい合っていた。
その時、生徒らの脳裏に電流が走る。
同時に、何名かは自身の脳にバーナーを向けられる幻覚を見た。
ここまで全てが、お手本のような新婚さんムーブ。出勤の準備を全て終えた夫婦が、最後に玄関でやることといえば……?
……ま、まさか。
両腕を……広げた……?
え、嘘でしょ? 嘘じゃんね? 先生ぇ……!
そ、そんな……。その味は、
油断してた自分に反吐が出る。……修行部ぅ……!!
………っ!
湧き上がる嫌な予感にヒナが愕然とし。
ユウカは震えながら目を見開いた。
ミカの瞳からハイライトが消え、そこにある小宇宙は涙で満ちていく。
絶望するハルナ。
テンパるミヤコ。
己の無力を知るキキョウ。
そしてノアは書記失格の烙印を己に刻みながら……見たくない。記憶したくないというように、ギュッと目を閉じた。
カズサもまた、頬を引き攣らせていた。そこで死にかけてる七人に比べたらまだ自分は軽傷だという自覚はあるが、それでもこれから起きるであろうことは……笑えない。
メモリアルロビーが始まった瞬間に先生が小さく「やっべぇ……」と呟いていた理由がわかってしまった。
つまりこの後に来るのは……。
「チューするのか! チューしたのか? カムラッド! お嫁さんにしたなら、結婚式もちゃんと開かなきゃダメだろ! この生徒が可哀想だ!」
……たまにアンダーグラウンドなネット掲示板でみる、【器が】赤冬の書記長、実は大物なのでは?【違う】 的なスレの諸説を今まさにカズサは押し上げたかった。
今まさに隠れ恋勢としてダメージを受けていたキサキが「ぬしはいつも眩しいな……友よ」と微笑んでいるのを横目に、カズサは祈るように顔を上げる。目に入ったのは。最後に縋ったのは……アイリ。自分が変わるきっかけになった少女だった。
「(とんでもない伏兵がいたものね)」
この会場でアイリと座る席のすぐ隣にいた子がミモリだった。
可愛くて綺麗な子だ。第一印象はそんな感じ。勿論、この世で一番可愛い女子生徒不動の一位はアイリだと信じてやまないカズサではあるが、そのカズサをしてアイリに比肩しそうと考えてしまったのが彼女だった。
社交的なアイリはすぐにミモリにも話しかけ、ちょうど挟まれる形になったカズサは、「これが、両手に花……?」なんて具合にアホなことを考えていた。
その女が、こんなとんでも火力を秘めていただなんて知りもせずに。
はわわわ……と、顔を赤らめながらミモリと画面に視線を反復横跳びさせるアイリがいる(可愛い)
天使を見たカズサの脳は……単純ながらあっさり平静さを取り戻した。
やはりアイリ。アイリは全てを解決してくれる。可愛いは正義とはよく言ったものだ。
余裕を取り戻したカズサは、チナツの反応を窺う。彼女もまた、顔を赤らめながら、不安そうに動向を見守っていた。
それにちょっと溜飲を下げながら、カズサは来る衝撃に備えて画面を見た。先生は、戸惑いながらミモリに腕を広げた意図を問いかけていた。
『お仕事前のハグです』
曰く、お仕事に行く前にエネルギーを充電する為のオキシトシンハグ。
曰くネットにて見た情報で、世の大和撫子は皆こうするらしい。
リモート中のチヒロは「鵜呑みはダメだよ……」と頭を抱えていたらしいが、この場にいた全員は飛び上がるのを必死に抑えていた。
いや、そっちなのぉ!?
セーフ! セェエェフ!! よくやったじゃんねネット!
クリアー! 良かった……朝から新妻とキスを交わす先生なんかいなかったんですね!
まだ! まだ舞えますわ!
逝ったかと思ったわ……。
なぁんだ。ハグね。……………待って。ハグ?
……へぇ、成る程?
安堵は一瞬だった。でも、よく考えたらこれはこれで前代未聞では?
現に画面での先生はちょっと……いやかなり葛藤している。どうしたものか。そんな気持ちと同時に……あの迷いは、本音を言えば……。
『(いかん。いかんぞ私。散々ミモリによくして貰ったけど、ここはちゃんと先生として、ネット情報の鵜呑みはダメだよと……。過激な方の情報じゃなくて本当によかった。てか、生徒にこんな新妻みたいなことさせた上で玄関先でハグなんて……アウトだよ。教師失格だよ。流石に……ね?)』
そうですよ先生!
言ってやるじゃんね先生!
その情報は違わなくはないかもですが、今は違います! 生徒と! 先生ですから!
生徒らが内心でヤジもとい応援を飛ばす。
だが、そんな想いも虚しく。目の前にいた超火力嫁は、少しだけ戸惑いがちに。それでいて恥じらったような顔になり……。
『あれ……? もしかして……私、何か間違えているのでしょうか?』
沈黙が満ちる。
間違えてるよ! と本来なら言わねばならないが……誰もがそうは言えなかった。そして……。
『間違ってないよ! 仕事前のエネルギーチャージ大事だよね! うん!』
言い聞かせるような感じで、先生も墜ちた。
優しく、先生の腕が柔らかそうなミモリの身体を引き寄せる。ミモリもまた、たくましい殿方の感触を味わうかのように先生の肩に手を回し、二人は本当の夫婦のように身体を重ね合った。
ジュッ。と何かが焼ける音や「ああああああー!」という声にならない悲鳴がシャーレに響いた気がした。
アウト! アウトォ!
やりやがった! しかも先生から!
スタイル良し、料理とか家事万能! 性格よし! 顔可愛い! ………待って勝てねぇ! こんなんどうやって戦えばいいんだ!
そんな感じの声がネット上にも飛び交っていたらしい。
『では、ぎゅーっ♡ ……はい、それではいってらっしゃいませ先生、今日も一日頑張ってください!』
『うん!!! いってきます!!』
過去一元気よく返事をして、先生は出かけていく。
こんな元気になった先生初めて見たんだけど。
あらあら、別のとこも元気に固くなってるかもしれませんね〜♡
元気……固……っ、エッチなのはダメェ! 死刑! てかさっきのハグもなんかエッチだったっ! 死刑!
そんな罵声(?)を浴びる中、思い出の中の先生は全力疾走。
メロスもかくやに昇っていく朝日の十倍の速度(実際にやるとソニックブームが起きて半径数百メートルが壊滅します)で走っていた。
何がそんなに彼を駆り立てるのか。オキシトシンがドバドバだから?
一部の生徒にはテトロドトキシンみたいなものである。
この光景はミモリも知らなかったらしく、ちょっと驚いて眺めていた。
『チックショォ! なんだあのムーブはぁ! 私の嫁か君はぁ!! 生徒だよぉ!』
そして、何かとんでもないことを叫びだした。
キャパが限界だったのかもしれない。ただ、なかなか見れない先生の本音に見えて、思わず全員が固唾を飲んで見守っていた。
カズサもその一人である。
もしや先生……これでミモリを嫁に……好きな相手に?
ついに、その日が来たのだろうか? 皆にとっての輝く星が、一人の大和撫子によって流星に……。
『羨ましいぞぉ! ミモリの将来の旦那様ぁ!』
その瞬間、キヴォトス中でズコー! という転倒者が続出したという。
いやそっちぃ!?
そこはもう、俺の嫁宣言するんじゃ……いや、しなくてホッともしたけどさぁ!
カズサは内心でツッコミまくる。
全員が、度肝を抜かれていた。
マコトにいたっては、流石先生だと大笑いしている。
一方でミモリは……ですよねー。といった顔をしつつ、明らかにしょんぼりしていた。
でも、落ち込みはするやろこんなん。あんだけアタックしたんだもん。ちょっとしたシンパシーを感じながら、カズサはミモリに何か声をかけてあげたかったが、何も思い浮かばなかった。こんな時、アイリならどうするだろうか?
そう思いながら、己のヒロインに目を向けると……。アイリは自分のことのように膨れっ面になっていた(超可愛い)
取り敢えずカズサは真似をすることにした。
画面では先生に尽くしまくるミモリがいる。
どれもが火力が凄まじい。
さり気なくモモトークで添い寝までしようとした(未遂)のはレギュレーション違反だが、その後もヤバい。
何だよ、料理失敗からの立て直しで嫁力上がるなんて反則だろ。
刺繍似合いすぎでしょ。末永く大事にって……もうなんか卑怯だよ。
そう思ってたら、なんか水着でハグするわ。膝枕するわ。
ビーチバレー(ボールより揺れる二つの果実に目がいった)に静かな時間……と思いきや、私を捕まえてごらんまで。のんびり水面で漂い、夕暮れのビーチで散歩まで。それは、まるで……。
「(いや、途中から新婚旅行みたいになっとるー!!)」
感情のジェットコースターで全員がツッコミを入れる。
ここまでしてるのに! ここまでしてるのにこの先生落ちないのである!
カズサは別の意味で絶望した。
難攻不落ってレベルじゃねーぞテメェ! なんて、スケバン時代の口調に戻りかけているのを自覚しつつ、カズサはアイリウォッチングタイムで平静を保ちつつ、切なげな表情で思い出を眺めるミモリを見る。
こんなに可愛いのに! 私が男で! アイリに会ってない状態でこんなことされたら100%惚れる自信があるのに!
いっそ恐ろしくなりながら先生を見ると、先生は全員からの視線に冷や汗をかいていた。
「先生。あのさ……私、お嫁さんって言ったよ。確かにまぁ、完璧なお嫁さんだったね。勝てないって思ったもん」
代表して声をかけたのはルミだった。
全員がうんうんと頷く。先生は目を泳がせている。まるで逃げ道か助けを求めるように周りを見ていた。
「でもさ。これもしかして……いいお嫁さんに“なれそう”で、出力されてない?」
「……………ど、どうだろう? 私にはわからないよ……」
あっ、これ間違いね〜わ。
全員の気持ちが一つになった。
「エンジニア部ぅ!」
「盲点だったよ。感情をこうまで制御出来るとは流石は先生だ。先生? 確か偽りはないと……? 最初にマコト議長と約束した筈だが?」
「うぐっ」
ジリジリと、壁際に追い詰められる先生。
2回連続でそうだけど、そうじゃない! となった生徒達はニコニコ笑いながら先生に迫る。
――ちょっとお時間いただけますか?
最終的に。『NO SIGNAL』が5秒ほど表示された後、料理するフウカの後ろ姿に内心で気持ち悪い(褒め言葉)反応を示す先生が出力されたという。
最初の黒画面にそこまでして隠したいのか……これは本命!? なんて声が聞こえかけたところでの気持ち悪い先生である。
爆笑と、うわぁこれは確かにみせたくないかも。というコメントが出て来てしまったのは、言うまでもなかったという。
「…………」
故にただ一人。浦和ハナコだけが、目を細めながら先生を見つめていたことには……誰も気が付かなかった。
次回は箸休め+フウカに対する先生の反応&何かに気づいたハナコ回