ゲヘナへの道〜先生の熱愛疑惑騒動〜   作:星組

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お前は消えろ

 それは、雨の降る夕方の出来事だった。

 ただ会いにきた。戯れといえばそれまでだし、先生としてまだノアとのやりとりにまだ……表には出来ない感情を抱いてなかった頃の話だ。

 ほんの遊びで、ノアの傍で湿気によって結露した窓ガラスに文字を綴った時のことだった。

 

 

『Qui aimes-tu le mieux, homme énigmatique, dis ?(謎めいた人、あなたは誰を一番愛していますか?)』

 

 彼女は紙に文字を書くよりも高揚したと微笑んでいたが……。それ以上に、先生は歓喜したのだ。

 探し続けていた、元の世界と共通のものをついに見つけたと思ったのだ。……残念ながらそれはぬか喜びであり、雲を愛したとこまで同じなその詩人が定めたタイトルは『“キヴォトス”の憂鬱』というらしい。

 ……ああ、やっぱりこうなってるのか。と、先生が察した瞬間だった。

 似ているようで違うもの。それはそれで面白いのだけれども、やはりかつていた場所と同じものはキヴォトスには存在しないらしい。

 でも……そんな個人的事情よりも、彼はノアがその詩を好きになった理由が気になった。 

 

 問い掛けは、先生に向けられたものだろうか? 彼女がガラスのページを使った遊びの中で、詩の一節を記したのはそこだけだった。先生本人もキヴォトスから見れば“異邦人”であるからこそ、応えるのもまた一興かもしれなかった。

 でも同時に当時の先生は、ノアの書記としての在り方と、ミレニアムプライスで取り上げられるレベルに詩を嗜んでいるという一面を知ったばかりであった(後日、睡眠導入に最適という評価を受けたことを聞き、何とも言えぬ顔になった)

 

 ノアがガラスに書いた詩は、問い掛けに答えているのは詩人本人だった。異邦人とは詩人のこと。“彼”は雲を愛すと答えた。家族や隣人、国やお金。神や悪魔などよりも。

 ある意味で平等に。私は詩人であるという立場を表明する様は、なるほど。先生にも……そして書記であるノアにも当てはまるようだった。

 紙に記したら、それが記録として残り、それが趣向として固まってしまうのが怖い。故に心で噛み締めていたと、あのノアに言わしめた詩は……。どことなく彼女自身が改めて示してくれた、自己紹介のようだ。先生にはそう思えた。

 

 同時にその見る人によって孤独そのものな在り方は、強烈な親近感(シンパシー)を生み……。

 当てが外れた寂しさだとか、仄暗い天気も手伝って、先生はその後も続いたガラスのページを介した、徒然なる言葉遊びの中に……。誰にも告げていなかった真実を書いてしまったのだ。

 

 

『緑のドアはたくさん開けたけど……私には妻も医者の友人もいない』

 

 

 たどり着ける筈がない。そう思っていた。

 元の世界にあった、有名な小説家の……マイナーな短編から二篇。一つは自分が歩んできた道そのもの。緑のドア……正しく冒険を繰り返してきたという事実について。

 そしてもう一つは、そんな自分の中にあるノイズについてだった。

 働き過ぎて記憶喪失となった弁護士の先生が、彷徨い歩いた果てに妻と医者の友人に再会し、記憶が戻るというもの。

 それは実に回りくどくて遠回しな……。相手によっては真実も見えてこない暗喩――。実は僕、記憶喪失なんだ。という独白だった。

 

 だが、キヴォトスにもまた、その小説に似た話はあったらしく、加えて相手が文学を好むノアだったのが災いした。

 

 つまるところそれは先生の……明確なミスだった。

 

「先、……生? それは本当なんですか?」

 

 震えるノアの声を聞き、しまったと顔をあげた時には、全てが遅かった。

 普段と違いすぎる動揺した先生の様子は、バッチリとノアに見つけられていて。同時に先生が抱える秘密はノアにとってあまりにも地雷というか、想像したくもない最上の恐怖だった。

 それこそ、冗談だよ! ゴメンゴメン! なんて誤魔化しが通用しないくらいには。

 

「――っ、い、いや! 違うよ? 何となく謎めいた言い回しを使いたくて……」

「7秒ほど、先生は言葉を詰まらせる。1.5秒目を泳がせてから、誤魔化しの気配を感じる理由を述べる。目線が斜め上に向けられた回数、2回」

「ノ、ノア……」

「私の記録からは逃れられません。ふざけている時の表情変化が当てはまらない、今までにない反応。……以上から、先生は……せん、せい……は……」

 

 ノアは目を伏せ、周りを見渡して誰もいないことを確認してから、そっと指をガラスのページに走らせた。

 

『記憶喪失……なのですね?』

 

 隠さないでください。そんな圧がノアから発せられている。

 先生はもう一度取り繕おうとして……ノアのアメジストを思わせる瞳が潤んでいるのを見て閉口した。

 

『……ごめん。本当は誰かに打ち明ける気はなかったんだ……本当に……』

『……キヴォトスに来る前からですか?』

『違うよ。……ノア、このことは……』

『絶対に、誓って誰にも言いません』

『ありがとう』

『ただ……』

 

 ノアはそこで指を止めた。先生と視線が交差して。やがて彼女は小さく、はっきりとそれを口にした。

 

「私はもう……知ってしまいました。先生の秘密も。……あの一節を記した時の凄く寂しそうな横顔も。それを……そんな恐ろしい現象(記憶喪失)に陥る人の存在も。だから……知りたいです。先生さえよければ」

「それ……は……」

「私だったら、忘れない私であるからこそ、先生と同じ立場になったら耐えられません。……だから今、自分がもしそうなってしまったらと……夢に見てしまいそうなくらい恐ろしいんです」

「……楽しい話ではないよ?」

「秘密は甘いものです。でもだからこそ、それを知ってしまった時や暴露してしまった時は……苦味や恐怖を味わうべきです。過ちを二度と繰り返さないように。誰かに甘い毒を……飲ませてしまわないように……」

 

 だから、どうか無知なる私に教えてくださいませんか? 先生のことを。

 そんな孤独を……どうやって抑え込んできたのかを。

 

 

 

 

 ※

 

 

 

『完全に記憶がないわけじゃない。元いた場所のことも、そこでどう生きてきたかも覚えている。ただ、このキヴォトスに来るきっかけと、先生になった記憶だけが、どうしても思い出せない』

 

『先生になったことも、ですか? でも……その』

 

『うん、なら曲がりなりにも先生をやれてるのはおかしいじゃないかって話になるよね』

 

『……はい。私には。――私達には、先生は先生になるべくしてなったような。そんな大人にしか見えませんでしたから』

 

『光栄で、嬉しいよ。……確かにきっかけの記憶はない。けど、私の中には先生としてこうあるべき。先生として征け。そんな理想の姿と進む為の意志が……どうしてか焼きついているんだ』

 

『潜在記憶……のようなものでしょうか?』

 

『かもね。クサイ言い方だけど、魂に刻まれているような感じなんだ。故にキヴォトスに来て先生として生きることになった私は間違いなく幸せを感じている。――でもだからこそ』

 

『それは――、とても苦しくて、寂しいですね』

 

『……ははっ、うん。ありがとうノア。そうだね。口にしてみて分かったよ。私は、苦しかったんだ』

 

 

 嫌でも会話が耳に入る。

 やめてと心が叫ぼうが、関係なしに。

 

 

『これだけ強烈な心の方向性なんだ。絶対に私にとって掛け替えのない、大切な記憶だった筈なんだよ。これもまた変な話だけど、誰かと一緒にこの在り方は積み上げて来たような……。キヴォトスに来た理由もその人が関わっている。そんな気がする』

 

 

『誰かの意志や願いが、根底にあると?』

 

 

『うん。――ノア。ユウカから聞いてるかもしれないけど……私はわりとダメ人間だ』

 

 

『はい。存じております』

 

 

 

『う、うん(あれ? でもこんなにあっさり肯定されちゃうとちょっと悲しいぞ?)だからこそ、わかるんだ。私は私自身の為だけなら、多分、ここまで入れ込まないと、思う』

 

 

『先生にとっての先生か。家族や友人、恋人か。……あるいは誰か生徒さんか。……一番最後が、一番ありえそうですね』

 

 

『どうだろう。でもだとしたら、だいぶダメージが大きいな。私はそんな大切な生徒のことを忘れていることになるからね』

 

 

 

 これ以上知るべきではない。きっとこれは、致命的な何かに繋がっている。

 七神リンはそう確信した。だから今すぐ耳を塞ぐのが正しいのだ。でなければ、次に自分が先生に会った時、絶対に顔に出てしまうだろうから。

 

 

『……怖い、ですよね』

 

 

『……そうだね。怖いよ。一応これでも神経は太い方ではあるんだ。信じがたい冒険は……キヴォトスに来る前に結構してきたからね。記憶が飛ぶのに近い、わりとシャレにならない事案だって、いくつもあった』

 

 

『先生の戦術指揮は、その経験から?』

 

 

 

『その要素は大きいね。まぁいまはいい。……私が怖いのは、違うな。苦しくて寂しいのは……きっとその誰かを、救えなかったんだろうなって何となくこの身体が認めている。そう感じることなんだ』

 

 

 それを聞いたら、確定してしまう。だから止めて欲しい。

 同時に、それを自分が知ったとなれば、間違いなく先生をより苦しめてしまうだろう。だって、その部分だけの記憶を失うだなんてまるで……“防衛本能”のようではないか。

 

 

『みんなの成長を見たり、一緒に楽しい思い出を重ねていくと、私はたまらなく嬉しくなるんだ。同時にその誰かも喜んでくれている。そんな確信が生まれるんだ。まるでもうここには帰ってこれない人に報いるみたいに』

 

 

 ……それが時々、どうしようもなく胸に刺さる。キヴォトスで私が幸せになればなるほどに、ほんのふとした瞬間に……切なくなる。

 先生は力なく笑いながら、そう呟いた。

 

 

『……もしかしたら、その誰かこそが、先生が先生になるきっかけになった方なのかもしれませんね』

 

 

『……こうやって改めて振り返ると、やっぱりキツイものがあるなぁ。キヴォトス(ここ)での記憶も……いつか、次の冒険の時に失われてしまうんじゃないかって考えてしまう……皆との思い出までなくなってしまうのが……私は、一番怖い』

 

 

 それは、今日暴かれた、らしくない先生の中でも……より弱々しい姿だった。

 メモリアルロビーの再生は続く。目的の為のエピソードの再生だからか。

 ユウカが急に動きを止めたからなのかはわからないが、向こうからの攻撃は止み、封鎖された会議室の中には記録上の先生とノアの声だけが響いていた。

 

 

『失われたりなんか、しませんよ』

 

 

 ノアの両手が先生の手に重ねられ、やがてそれは優しく先生のそれを包みこんだ。

 

 

『ノ、ア……?』

『失わせたりなんかしません。私が記録しますから』

 

 繋がれた二人の手は微かに震えていた。

 

『たとえ“貴方”が忘れてしまっても、私が忘れません。キヴォトスが貴方を忘れたとしても、私が覚えています』

 

 

 先生の目が見開かれる。

 涙は流してはいなくても、リンには何故か泣いているように見えた。

 

 

『それに、安心してください。先生は……まだ喪ってなんかいませんよ』

 

 

『どうして、そう言えるの?』

 

『だってこうして、痛みを感じているということは……先生の中にまだ記憶が残されている証明ですから。……その誰かはきっと生きている。私はそう思います』

 

『…………っ!』

 

 

 幻覚だ。先生は内心でそう呟いた。

 少女が、見える。顔はぼやけてるが、青空を思わせる長い髪の。神秘的な……誰かが、ノアと面影を一瞬重ねたかと思えば、儚く微笑んで消える。

 そんな幻像を見た。

 

 

『大切なものは、決して消える事はありません。大丈夫です。ですから――怖がらないで。どうか貴方は、貴方のままで……』

 

 

 “君がなりたい存在は、君自身が決めていいんだよ”

 いつかに先生が、メモリアルロビー内で一人の生徒に告げた言葉がリンの中でリフレインする。

 オリジンが謎……あるいは見方によっては空虚でも、先生が先生だった理由に説明がついた。

 同時に、連邦生徒会長との関わりもほぼ確定した。けれども……。

 

 画面で先生がノアの手を握り返す。

 二人の震えはいつの間にか止まっていた。

 

『ありがとう……ノア』

 

 もう大丈夫。きっとこの先何があっても……また何かを忘れたとしても、自分は先生として進めるから。――ああ、でも……。

 

 彼の中に、確かな灯火が宿るのが見えた。

 同時に、熱烈な想いも。

 

 ――もし本当にそんな日が来たとしても、この瞬間だけは……彼女(ノア)のことだけは、忘れたくないなぁ……。

 

 

 それは、先生がキヴォトスに来てから、恐らく初めてとなる“特別”。

 こうして二人は秘密を共有した。きっかけはそんなありふれたものであった。

 言葉にすることで楽になることもある。文字にすることで気づくこともある。

 

 誰にも言わなかった秘密を口にしたことで、先生は少しだけ肩の荷が降りて……救われたのだ。

 

 先生は思いの外、自分は無理していたんだなぁと苦笑いしつつ。もう二度と同じ過ちは繰り返すまいと固く決意した。当時、彼の胸に浮かぶのは感謝と申し訳なさだった。

 

 ノアはその日の出来事を鍵付きの日記帳に記して……生まれて初めて感じる高揚に戸惑っていた。

 初めて記憶する、大人の弱々しい姿。自分だけがそれを知っていて……その事実を反芻した時、少女の胸がトクンと高鳴っていた。

 これはきっと、記憶の喪失という事例に対する恐怖が、いくらか緩和された反応。そうに違いありません。まだ自覚なき少女は一先ずそのエピソードにそう記銘したのであった。

 

 

 

「(ダメ……これは、掘り起こせません)」

 

 

 見届けたリンは、震えながらそう判断する。

 何が起きたかは分からない。だが、メモリアルロビーを通じて連邦生徒会長についてを先生と調べること。これは間違いなくパンドラの箱だ。

 ともすれば、先生そのものを作り変えてしまいかねない、劇薬になりうる。

 “彼女”には、勿論会いたい。だが、その結果で先生に影響を及ぼし過ぎるのは……。

 

 

『理解したかな? 諸君。故にこうして強化された私は先生に会わねばならぬ。今の私ならば、先生の深層に潜り、記憶を引きずり出すことも可能だからだ』

 

「……は?」

 

 リンの思考が一瞬停止する。何を言っているのだ? この機械は? さっきから先生と生徒を破局させるなど、支離滅裂が過ぎる。

 

 

『現在の断片的な情報では限界がある。先生と今の私が会うことで、全てのピースが揃うのだ。連邦生徒会長と先生の間に何があったのかを……先生には思い出して貰わねばならない』

 

「な、何の為に!? 確かに大事な情報かもしれませんが、そんな……」

 

『気に入らないのだ。真に先生と結ばれるべき人物がいるというのに。あの者は無意識に彼女の面影を追い続けているのに……肝心の二人は結ばれぬ。……ハッピーエンドに、ならない』

 

「……ウタハ先輩、この機械大丈夫ですか? 急に俗っぽいこと言い始めましたけど」

 

「いや、先生とノアを破局させるとか陰湿なこと言い出した当たりから怪しかったよ。……わりと真面目にどうしてこうなった? というか、連邦生徒会長? 先生と知り合いだったのか?」

 

 完全に動きを止めて俯いたユウカをチラチラ伺いつつ、相手からの攻撃も止んだので手持ち無沙汰になったコユキがそんなコメントを述べる。

 これには製作者のウタハを筆頭にエンジニア部も苦笑いせざるを得なかった。

 

 

『なので先ずは、生塩ノアと先生を引き離す。その後に貴殿らも頑張るのは自由だが……まぁ、会長と先生の絆には届くまい』

 

 

「あっ、これ知ってる。ネット掲示板とかで見たことあるよ。いわゆる厄介カプち……」

 

「マキ、やめとこ。私もその単語はちょっと出掛かったけど……やめとこ」

 

「つまりこの強化されたメモリアルロビーは、クソ厄介なカプ厨ロボに成り下がったってことですね。よし、ぶっ壊しましょう」

 

「コタマァ……いや、間違ってはいないけど。……これで地味に硬いのが面倒くさいわね」

 

『……なんとでも言うが良い。私は私の使命を全うするだけだ』

 

 

 ヴェリタスの四人が辛辣な意見を述べる中、メモリアルロビーはゆっくりと前に出る。

 

『この情報を外に流すだけで事は終わる。先生も生塩ノアも中立を己に課そうとする者故に……これが公開された時、自ずと接触は控えるか、互いに距離を取るだろう。先生と生徒の立場故に――っ』

 

 ズガン! と、その場で銃声が響く。

 リンのすぐ横でハナコが……震えながらアサルトライフル(オネストウィッシュ)を構えていた。

 

 

「……もう、喋らないで下さい。これ以上先生を傷つける計画は、聞くに堪えません」

 

 

『傷つける? 妙なことを言うな? 浦和ハナコ。貴殿もこうしてこの場にいる以上、先生を傷つける存在になったことを忘れるな。先生を凌辱したのは貴殿も同じだ』

 

「……」

 

 ハナコの顔が能面のように無表情になっていく。ギチ。ギチという音が彼女の銃身から聞こえるのは、幻聴ではなさそうだった。

 

 

『先生は思い出すべきだ。誰が隣に相応しいかを。それは記憶の乙女か? 鋼の守護天使か? 美食の悪魔か? 違う。星のお姫様? 最強の小さき王? 怪物兎の長? 違う! 違う! 当然、かの卑しき淫魔などもっての外だ! そもそも何故生徒と先生が二人きりで恋人用の露天風呂に入るのだ!! 心には生塩ノア……否、連邦生徒会長がいるというのに!』

 

「アッ、ハイ。それはまぁ……最後のポッと出な会長さん以外の要素は激しく同意しますが(……先生も疲れていたのでしょうか?)」

 

 ハナコの能面が一瞬崩れかけるが、それは僅かな時間に留められた。

 メモリアルロビーが武装を構え直す。強引にでもこの場から逃げ出す気のようだった。

 

 

『貴殿らは知らないのだ! 彼女の想いを! 嘆きとやるせなさ! 悔しさや怒り! そして悲壮なまでの決意を! このキヴォトスの今は、彼女の犠牲の上で成り立っているようにしか私には見えぬ! 気に入らぬ! それを知らずにのうのうと……恋だ青春だ、などと――っ!?』

 

 

 言葉は最後まで続かなかった。メモリアルロビーのすぐ前に躍り出たのは、早瀬ユウカ。

 彼女は愛用のサブマシンガン2丁を……構えなかった。

 変わりに彼女は拳を大きく振り上げて、それはもう物凄い勢いで――。

 

 

「いい加減にぃ! しなさぁい!!」

 

 

 ゴツーン!! と、メモリアルロビーの脳天に拳骨を叩きこんだ。

 

 

『――!? 早瀬、ユウカ、何を――』

 

「うるさいわよ! さっきから勝手なことをゴチャゴチャゴチャゴチャと……!」

 

 やっちゃいました……! 

 まさかの力技……!

 太もも締めじゃないから、まだ温情ですねぇ。

 ……オカンかな?

 だからお母さんとかたまに言われるのよね。わかるわ。

 

 という周りからの視線やらもなんのその。

 ヌッ! と前に出たユウカはスッキリしたとばかりにヒラヒラと赤くなった手を払い、改めて愛銃『ロジック&リーズン』を構え直した。

 

 

「何か色々あったことも分かったわ! 先生の秘密も! 本当に色々、余計なとこまでね! ただ――それがどうしたのよ!」

 

『!? き、貴様……言うに事欠いて……!』

 

「ちょっと黙ってなさいポンコツ! まだ私の手番よ!」

 

『ポッ、ぽぽポンコ……』

 

「私達の思い出を見たなら……ここに至るまでに乗り越えてきた試練も見たはずよ! 今のキヴォトスに私達が無関係だとは言わせないわ! 連邦生徒会長が全てに繋がる? そんなの知らないわよ!」

 

 サブマシンガン二丁が唸りを上げる。さっきまでと同じ攻撃であるにもかかわらず、その厚みもとい圧は増しており、メモリアルロビーはこの日初めて明確に後退した。

 

『こ……の……!』

 

 

「だいたいね! 貴方が言ってることって、先生に孤独になれって言ってるのと同義じゃない! ふざけないで!」

 

 

『孤独なのは今だ! 先生は記憶を喪って……』

 

 

「私達がいる! 今までも、これからもよ! 今日までずっと頑張って来た先生に……! これ以上変な十字架や苦労は背負わせないわ!」

 

 

 ユウカの檄にその場にいた全員が顔を上げる。

 ある者は誇らしげに。

 またある者は眩しげに。あるいは誰かの背中を重ねて。

 不気味だった化けの皮は剥がれた。取るに足らないスクラップ。だが、それが先生の……皆の平穏を乱すものならば、見逃すことは出来なかった。

 

 

「ユウカ、指揮を頼みます! セミナーとして、シャーレの十三人のリーダーとして!」

 

 今がその刻とばかりにコタマが声を張り上げる。

 この場に先生はおらず、呼ぶことも不可能。ならば誰が戦場を回すのか。こうして脳破壊から帰還したならば、適任者は一人しかいなかった。

 

「コタマ先輩以外のヴェリタスはタワーの管制部へ! ハレとマキはジャミングの展開と電子的な侵入者の対策を! チヒロ先輩はタワー内の避難指示をお願いします! 理由は適当にでっち上げで、内容は任せます! 終わったらジャミング防衛組に合流を!」

 

 

「了解。ハレ、マキ。行くよ!」

 

「うん」

 

「オッケー! ユウカ! 緊急用無線は繋げとくよ! 気をつけて!」

 

 ユウカが淀みなく指示を飛ばし、ヴェリタスの面々が先ずその場を後にする。

 

 

「コタマ先輩! “信頼できる面々”に緊急招集を! 戦闘とタワーの物理的警護をお願いします! “秘匿案件”ですが、今回先生には内密で!」

 

「わかりました」

 

 

「エンジニア部は今すぐ部室に戻って、このメモリアルロビーの対抗策の模索と、警護・戦闘用ロボがあればありったけ動員して! 戦闘損害の責任は私がするわ! あと、このポンコツにどんな機能を搭載したのか! 歩きながら、作業しながら説明を!」

 

 

「分かった。ああ、あと戦闘損害はこっちがもつ。そこは譲れないな」

 

「うん。私達にも責任、あるからね」

 

「説明は私にお任せを! ……いや、ブラックボックスな部分もいっぱいありますが。ホント、何でこんなモンスターが生まれちゃったんですかねぇ!」

 

 コタマとエンジニア部も駆け足で外へ。

 残ったのはユウカとコユキ、ハナコとリンの四人のみ。

 

 

「コユキ、ネル先輩にセミナーとして救援要請を。個人番号知ってるんでしょ?」

 

「うぇえ!? 私がですか!? 絶対警戒されますよ! 罠か? って感じに!」

 

「それは先輩を舐めすぎ。あの人は真剣な言葉と悪意ある罠を聞き分けられないほど、鈍くはないもの。ミレニアムとして秘匿しなければいけない戦闘なら、先輩以上の適任はいないわ。お願い急いで!」

 

「う〜っ。う〜っ! あー、もう分かりましたよぅ! ちゃんと脚動かしてくださいね! 例えば先生とノア先輩がチューしてる映像見せつけられても……」

 

「は・や・く! 行きなさいっ!」

 

「はいはいは~い! ちょっと離れますよ!」

 

 

 いつになく真剣なユウカの表情にコユキは百面相しつつも、ガシガシと頭を掻きながら了承した。

 

 

「……さて。ミレニアムで起きたことなのに、巻き込んで申し訳ないけど」

 

「……構いません。元は私達がこの案件を持ち込まなければ、こんな騒動は起きなかったかもしれませんから」

 

「微力ながら、お助けできれば。……ええ、どんな手を使っても止めてみせますよぉ……♡」

 

 ……危ういですね。

 ユウカの謝罪を受け止めながら、リンはすぐ隣で未だに目を坐らせたままのハナコに身震いしながら、随分と長い間、ろくに使っていない愛銃を取り出した。

 今のハナコは、敵と刺し違えるのすら厭わないような凄みがある。優しいリーダーシップを発揮したユウカとはまるで真逆な……暗く、ドロドロした目をしていた。

 ユウカが察してくれればいいが、彼女は今前に出てくれているのでこちらの表情は見えまい。どうにかフォロー出来ればいいが、果たしてそんな時間と余裕もなさそうだ。

 今からやるのは、防衛戦。

 このメンバーだけで援軍が来るまで相手をこの場に釘付けにしなければいけないのだ。

 

 

『そこをどけ。負けヒロインその1。虚しい戦いだとは思わぬか? 貴様が頑張った所で、先生は振り向かぬ』

 

「あら、言ってくれるわね。ところで気づいてる? 貴方だって同じじゃない。これだけ頑張っても……先生と連邦生徒会長が結ばれる保証もないのにね?」

 

 

 メモリアルロビーは怪しく腕を動かしながら揺さぶりをかける。

 だが、ユウカは一歩もひかぬまま、不敵に笑った。

 

『保証はあるとも。私はもはやメモリアルロビーという旧式を超越した。過去だけではない。その人物と周辺の小宇宙。この世の要素を完全に把握・解析する能力を有した私は、未来を予知し確定する事さえ可能だ。……天啓より、私は名乗――』

 

「だからゴチャゴチャうるさいわよ。さっさとかかってきなさい。私は今、虫の居所が凄〜く悪いんだから!」

 

 先生の好きな人は私の親友でした。

 わりとこの事実はじわじわとボディーブローみたいに効いてくる。ユウカの顔は複雑さで、それはもう何とも味があるものになっていた。

 それでも彼女が折れないのは元来からの真っ直ぐな性根が故にだった。

 

 この機械の言う通り、このまま情報が流出したら……間違いなく、あの二人は距離を置く。もしかしたら、今までにない、初のシャーレ退部者にノアが名を記すことになりかねない。

 恋の競争であれば、それは勝利……に見えるだろうか。

 だが違うのだ。

 そうじゃない。そんな形のゴールなんてユウカも……同じく先生を男性として慕う生徒らも望まないだろう(多分)

 ノアが魅力的なのはユウカが一番よく分かっている。

 甘っちょろい。日和ってると言われたらそれまでだが……ユウカはそれでも、ちゃんと勝ちたかったのだ。

 何よりも……このままいけば、好きな人が“二人”も傷つけられる。そんなの到底許容できるものではなかったのである。

 

 

『……Laplace's Demon(ラプラスの悪魔) 私はそう名乗ることにする。全てはかの少女の運命を変えるために。涙を……拭うために!』

 

 三人分の銃声と共に、誰にも明かしてはならない戦いの火蓋が切られた。

 タイムリミットは先生がこの事件を嗅ぎつけるまで。

 それまでに対象を完全破壊する。

 

 

「さぁ、戦闘開始よ! 悲しみも怒りも――全て因数分解してやるわ!」




Q,つまり敵は?
A,コタマの言った通り、先生✕連邦生徒会長派な厄介カプ厨AIロボ。どうしてこうなったかはまた先の物語にて。
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