人間の身でファミリアを作るのは間違っているだろうか 作:仙託びゟ
「アーニャ、アンタ、今晩の閉店後、ちょっと残業してきな」
酒場、『豊穣の女主人』の女店主、ミア・グランドにそう告げられ、店員であるところの
残業、ザンギョウ、ZANGYOである。そんなのはゴメンだという気持ちが尻尾に余すことなく表れている。
「な、なんでニャ!? 今日の夜は団体の予約も入ってなかったはずニャ!?」
「閉店後って言ったろう? 商談が入ったのさ、付き合いな」
「それこそミャーには関係ないニャ!! そういうのは、シルにやらせとけばいいニャ!!」
アーニャはバカである。本人に言えば否定するが自覚はしている。一方で、同じく店員であるシル・フローヴァは、齢12歳にも関わらずしっかり者で、天然の気はあるものの、少なくとも商談においてはアーニャよりも頼りになるのはわかりきったことであった。
「シルにやらせらんないから言ってんだよ。ま、そんなに嫌なら別に構わんさ。無理してやれって言ってるわけじゃないからね」
「……んん? なんニャ? 妙にアッサリ……いつも無茶振りするんでちょっと反省したんかニャ……?」
「ホラ、さっさとジャガイモの皮むき! 終わったら皿も洗っときな!!」
ミアに怒鳴られ、アーニャは急いで厨房へと向かう。それを見送ったミアに、シルが話しかけてきた。
「よかったんですか? ちゃんとなんの商談なのか言ってあげなくて……」
「ま、別にいようがいまいが問題ないってのは事実だしね。運が悪かったと思ってもらうさ」
「そうですか……あのぉ……ところで……」
「……未成年ってことになってんだから、今回は我慢おし」
「ひん!」
シル・フローヴァ。少なくとも豊穣の女主人では、普通の町娘である。
客がはけ、翌日の仕込みも終わり、アーニャが寝静まった頃、豊穣の女主人に来客があった。この時間にしたのはもちろん、両者の合意があったからである。
「待たせたね。今晩は期待させてもらうよ」
「こちらこそ、つまみまで用意していただいて……」
「アテにあうかどうかってのも判断材料さ」
やってきたのは、ピュグマリオン・ファミリア開発部門長、及びピュグマリオン商会営業部門長、ワシリーサ。リビングドールの中では話術が堪能であるがゆえに営業担当にされてしまった幹部である。
また、今回はミアへの礼儀として護衛も連れていない――いや、Lv4の荷物持ちを護衛と言えないかは微妙なところか。
「アタシはこう見えてもドワーフだからね。酒にはうるさいよ」
「女将さんのそれはもう突然変異ですよねぇ……さて、とは言っても最初は正確にはお酒ではないんですが……」
「んん?」
ワシリーサが勧めたのは割材。つまりは酒を割る飲み物のことだが、この世界で酒を割るといえばもっぱら水。それ以外に選択肢がない故に、割材という言葉が存在しない。
そこでワシリーサが目をつけたのが、炭酸水であった。
「これ、味はまぁ水なんですが、ちょっと飲んでみてください」
「……なんか泡吹いてないかい? 水が腐って泡吹くってのは聞いたことないから、腐ってるわけじゃなさそうだけど……? なんていうか、口の中で弾けてる感じがするね!」
「発泡水と呼んでいます。普段、ウイスキーを水で割っているところを、これで割ってみたら、飲み口も変わって面白いんじゃないかと……」
「ほぅ……いいね、ちょっと持ってくるよ」
ミアが厨房へウイスキーを取りに行く間、ワシリーサは適当にフライドポテトをつまむ。食事は不要だが摂れないわけではない。減ってないと、それはそれで不自然だろう。
ちなみに、味覚、嗅覚、肌感覚が薄いリビングドールに、炭酸は比較的好評であった。あと、リビングドールは辛いもの好きが多い。
「普段水で割って出してるのはこれさね。安物だけど、ガパガパ開けて飲むには十分さ」
ミアが持ってきたボトルからグラスにウイスキーを注ぎ、その上から瓶に詰めた発泡水を注いで軽く混ぜる。オラリオで初めてのハイボールが生まれた瞬間である。
「! なるほど、こりゃ飲みやすいね。後味がサッパリしてるし、量飲むのや料理と飲むにはピッタリだ」
「勿論、ワインを割ってもいいんですが、今回は秘策があるので後ほど……いえ、もう出してしまいましょうか」
取り出したワイングラスに、ワシリーサが瓶からワインを注ぐ。
「白か。味はどのくらいだい?」
「この店なら料理に合わせるだろうと、辛口にしたと聞いています」
「ふぅん。それで、これが秘策かい」
グラスに注がれた白ワイン。そこには、発泡水と同じように気泡が弾けていた。
「初めから発泡水で割っていたわけじゃない……ワイン自体を発泡水にした、かい?」
「正解です。正確に言えば、本来ワインは発泡するものなんです。その泡を閉じ込めたまま完成させるだけの技術がなかったんですよ」
「それを完成させた、と……なるほど、こいつぁ売れるね。ただ、うちで出すより酒屋で出して家で飲むほうが多いんじゃないかい?」
「それでも、ここのほうが人目につきます」
「うちは宣伝板かい! ま、それで新作を真っ先に持ってくるんだから、こっちにも利がある話さ」
ドワーフにこの程度では酔いは回らない。まったくの素面で次の獲物を待ち構えるミア。そこで、ワシリーサは本命を出すことにした。
「えー、まずはこれを。うちで作ったビールです」
オラリオで飲まれている酒は大きく分けて4種。
ブドウを原料とする醸造酒ワインと、蒸留酒ブランデー。
大麦を原料とする醸造酒ビールと、蒸留酒ウイスキーだ。
知識チートものでよく見られる蒸留酒だが、その始まりは意外なことに紀元前とされており、簡易的な蒸留器の存在が示されている。また、中世には錬金術師たちによって技術が確立されていたという。
ただ、ビールに関してはよく見られる通り、エールビールである。保存料兼風味付けとしてホップというハーブを使うものをビール、使わないものをエールとその頃は区別していたらしく、この場合、オラリオで飲まれているのもホップ入りのエールビールだ。
ビールの苦みの主成分はホップによるものであるため、この頃で言うエールに苦みはなく、麦の風味が強く感じられる酒。そしてビールであれば、当然苦味はある。
「ふん……ホップの質がいいね。苦みが嫌じゃないしスッと通る」
ミアが飲んだジョッキの温度は常温。たまに『エールを冷やす』という描写が出ることがあるが、エールビールは常温が最も香りが広がり適温であるとされている。
冷やして飲むという発想は当然、現代のビールを見たがゆえのものだろう。では、なぜ冷やすのか。それは、現代のビールがエールビールでないからである。
「で、これも発泡ビールがあるのかい」
「えぇ。と言っても、正直別物だと思ったほうがいいです。
ジョッキに瓶からビールが注がれる。その瞬間、激しく噴き上がった泡がその表面を覆う。何度か分けて注ぐことで、泡をこぼさないようにビールが注がれた。そう、現代でもよく見る、ビールの光景である。
「もうこの時点で全然違うね……」
「作った者曰く、舌ではなく喉で味わう酒らしいです。ささ、グイッと」
「まぁ、酒の一気はドワーフの嗜みさね」
勢いよくジョッキを傾け、ゴクリゴクリと喉を鳴らして、ビールを胃に流し込むミア。ジョッキのビールを飲み干すと、荒くれの冒険者のように、ジョッキを机に叩きつけた。
「プハァッ!! なんだいこりゃ!! 完全に別もんじゃないかいっ!!」
「ですよねぇ……わかります」
「ビール特有の柔らかい味わいや酸味はどっか行っちゃってるね。その代わり、サッパリって感じが増してる。喉越しもいい。それにガツンとくる感覚が気に入るやつは多いだろうね。あと、地味に酒精もこっちのほうが強いね? なによりキンキンに冷やしてる。これが一番美味い飲み方かい?」
「えぇ。これは北方で作られるラガーという製法のビールです。樽の上澄みをすくいとるエール製法と違い、ラガーは寒い地方で作るために冷たく、発酵したビールは底に沈みます」
すなわち、上方発酵と下方発酵。エールビールと、現代で繁栄したラガービールとの違いである。
エールビール全盛期にもラガービールは作られていたが、この冷やすという行為の難しさで、地方のマイナービールの域を出なかった。ラガービールが広まったのは、その辺りの技術ができてからになる。
「その沈んだビールを底から抜いて瓶詰めしたのがこのラガーです」
「こいつは売れる。冒険者は大好きだろうよ。ただ、ビールの名前で出さないほうがいいな。違いすぎて困惑が先に来る。しばらくはラガーの名前で売ったほうが……」
「あら、楽しそうなことしてるわね」
カランカランと鐘の鳴る音。それは、聞こえるはずのない来客のベル。
聞こえたドアの方へ目をやり、呆れたような視線を返すミア。一方のワシリーサは、来るとわかってはいたものの緊張を抑えられなかった。
「私にも一杯いただけるかしら? 私にピッタリなお酒を」
オラリオ2大派閥の一角にして美の女神、フレイヤが、伴に『
「……閉店してんだけどねぇ……」
「いいじゃない。私たちの仲でしょう。ねぇミア?」
この小娘、我慢できずに本体で来やがった。
ミアは酔ってもいないはずなのに軽く目眩を覚える。
「それに、商業系ファミリアなら顔を繋いでおいて損はないのではなくて?」
「……そうですね。ご機嫌麗しゅう、女神フレイヤ」
自然にフレイヤがテーブルにつく。来る素振りはあったので、フレイヤ用の酒を持ってきてはいる。あとは気にいるかどうかだ。
ワシリーサはウイスキーグラスに持ってきた酒を注ぐと、手早く発泡水と混ぜてフレイヤに差し出した。
「……毒見を」
「いいわ」
オッタルの申し出を断り、フレイヤがグラスを口に運ぶ。その一挙手一投足だけで、とても映える。まさに、美の化身。
「……甘い。それに酸味。果実酒ね。でも飲んだことはない……なんというお酒かしら?」
「プラム・リキュール。個性の薄く特徴のない酒に、果実を漬け込むことで味付けした酒になります」
プラム・リキュール。皆さんご存知だろう。すなわち、梅酒である。*1
ここまで梅酒が売られていなかったのは、単純に輸入できなかったからだ。何故なら、梅酒は極東では家庭で作るものであり、売るものではなかったのである。
そのため今の今まで極東人からリクエストがありながらも売ることができずにいたのだが、遂に梅酒の製造に成功したのだ。
「うちで出すにはちょっと甘すぎるけどねぇ。女は好きそうな味だね」
「ふふ……これ、定期的に買わせてもらうわ。やっぱり来てよかった……」
フレイヤはワシリーサを、その魂を見る。
フレイヤ好みではないものの珍しい魂。
ピュグマリオン・ファミリア団員の魂は皆そうだ。恐らく、ピュグマリオンによって作られた魂なのだろうと、フレイヤには想像がついた。
統一された容姿の特徴や、異常に早いランクアップも説明がつく。
「(ただ、魔法か錬金術か、
はじめはここの団長を見て、女神という役割に倦んだ同類が来たのかと思った。自分のやっていることと同じだと。
しかし、自分と同じ美神に似た顔の女は恩恵を持っていた。神に恩恵は刻めない。だからフレイヤも、代わり身は恩恵を持たない町娘ということにしているのだ。
アフロディーテに惚れた男神がアフロディーテをモデルに勝手に作ったのかと思ったが、デメテルの言葉を聞く限りピュグマリオンとやらはアフロディーテとも交流があるらしい。
「(まぁ、なにはともあれ楽しませてくれるならそれでいいわ。この子たちの商品も悪くないし)」
なお、翌日タダ酒の機会を逃したアーニャが悲痛な声を出したという。