貞操逆転世界の悪徳皇子になった俺、ひたすら魔石を食べて強くなり、破滅フラグを回避します   作:ナロウ・ケイ

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閑話:貞操逆転世界の悪徳皇子と、【金の天秤】の女商人

 アンシュ・ヒュドラウリス嬢は、若くして苦労した実業家の娘であった。

 商会の会頭である母からの英才教育を受けつつも、叩き上げの苦労も知っておきなさいと、販路の新規開拓も、新規商材の取り扱いも手掛けて、事業規模を確実に広げてきた。

 従業員たちからの妬みや嫌がらせを受けつつも、鋼の心でそれらを乗り越えてきた。購買力の大きな貴族、修道院、富裕な市民たちとの繋がりを作り、そして彼ら顧客に欠かせない商人であり続けた。実績さえ残せば周囲は認めてくれる。血筋だけで優遇されている訳ではないのだと、艱難辛苦の道を歩むことで証明し続ける。そうやって少しずつ、内部に協力者を作っていった。

 

 人呼んで【金の天秤】。

 価値を図ることが難しい新規商材や販路開拓の価値を適正に見積り、時流を読み、売り捌く者。

 ヒュドラウリス商会の幹部として、そして将来のヒュドラウリス商会を担うものとして、彼女の声望は高まっていた。

 

 ──そんな彼女の心の(よすが)だったのは、祖母のオルゴールである。

 

 小さな頃、商会の経営の危機に見舞われて、価値ある家財を売り払ったあの日。幸せだった幼い頃の思い出を一気に持ち去られてしまったような、あの得も言われぬ喪失感。母を恨んだ。世を恨んだ。だがどうにもならなかった。

 足元から世界が崩れていくような、急激な不安感と先行きの暗い倦んだ気持ち。あの絶望の経験がなくては、今の反骨心は育たなかった。上を目指す渇望が生まれたのは、あの不幸があってのことだった。

 

 祖母のオルゴールは、水を入れることで音が鳴る珍しいオルゴールである。

 本当に小さなころ、無邪気に笑っていたあの日、幸せがずっと続くと信じて疑わなかったあの頃は、オルゴールの綺麗な音色を聞いて幸せに眠っていたものだった。

 

 いついかなる時も強く在ろうとした。前に向かって進むことを続けてきた。

 だが、幸せだったあの頃の思い出をもう一度、と思いながら眠る日も、無くはなかった。

 

 

 

 

 

(ウチは、鉄の女になろうと決めていたんや。二度と折れない、どんな苦難も踏み越えていく、そんな剛毅な女になろうとしたんや。せやけど、あの優男の皇子様は、ウチを舐め腐りよった)

 

 それは、いつの日だったか。

 件の皇子の部下がやってきて、オルゴールを手にこう言った。

 

『アンシュ様。ルーク殿下が貴方の才を所望しております』

『アンシュ様。貴方になら新天地の開拓を任せられると殿下は申しております』

 

 なんと傲慢で慇懃無礼なのだろうか。

 本当に礼を尽くすつもりであれば、本人が足を運んで頭を下げるものだ。

 しかしこれが貴族の普通。使いの者を送ってきて、伝言だけですべてを済ませるのだ。

 要するに、これが今の自分の価値。アンシュは、たとえ相手が帝国皇子であったとしても、その反骨精神を隠そうともしなかった。

 

『帰り。ウチは安い女やないねん。ウチに見合った仕事を持ってきてからや』

『このオルゴールのために、一度だけでも仕事をしていただけませんか』

『大事なのはモノやなくて、思い出や。皇子とやらも分かっとらへんな。今のウチを引き留めようと思うなら、もっと大事なものを差し出さなあかんのや』

 

 嘘である。

 アンシュが今一番欲しいものは、このオルゴールであった。もし彼女が、ヒュドラウリス商会の責任ある立場でさえなければ、是が非でも受けていたであろう。それをそうしなかったのは、岩の如き豪商たろうとする精神からであった。

 

 これにて商談は御破談。もう次はない。これにて御仕舞。

 ──そのはずであった。

 

 

 

 

 

『見合った仕事ならいいんだな?』

『……なんや? 金貨の山でもこさえてきてくれるんか?』

 

 別の日に、ルーク殿下が直接オルゴールを持ってきた。

 噂に聞く、大層な色男ぶりであった。朗明とした喋り方、自信に溢れた仕草、だというのにどこかしら漂う気品が、妙に印象に残った。

 

『いいや、そんなつまらないものじゃないさ。金貨の山ではなく、金貨がいつまでも舞い込むような話の方が好きだろう?』

『……続けてみ。ええで。租税、貢租の優遇ぐらいはあるんやろな?』

『認めよう』

『関税の軽減、商館設立の補助金と支援は?』

『認める』

『相続権は?』

『部分的に認める』

『未開拓地やろ? まだ足らへんな。垂涎ものの利権と思わせといて、いわば全部ただの空手形ってこともある訳や。口で言うだけなら何とでもなるんや。そんな安い話でウチが釣れると思ったら大間違いやで──』

『そんな()()()()でいいのか?』

『……なんやて?』

 

 妙に自信ありげなルーク殿下は、思いつく限りの話を、()()()()と一蹴した。商人が貴族に強請るもののほとんど最高のものを口にしたつもりなのに、それを歯牙にもかけなかったのだ。

 言ってしまえば先ほどの権益は全て、どれか一つでも認められてしまえば、商人として生きるに困らないほどの富を得られる打ち出の小槌のようなものなのだが──。

 

『お金そのものが欲しくはないのか?』

『は、はは、そっちの方が小さな話やん。金貨を何万枚もってくるつもりや。そんなみみっちい一時金なんかで、ウチが動くわけ──』

『部分的な通貨発行権を認めよう』

『……は?』

『好きなだけ作れ』

 

 まるで子供に玩具を与えるがごとく、あっさりとした口調で。

 その殿下は、貴族特権の一つであり、大領地の領邦貴族にしか認められない特別権限に触れてきた。少し穿った解釈をすれば、帝国法そのものに対する反逆とも取れるような危険な発言であった。

 通貨発行権。

 通貨鋳造権とも言われるそれは、国の経済の基幹そのものを揺るがしかねない、あまりにも強烈過ぎる、抜身の刃であった。

 

『あ、あんた、何を言うて、そんなん、死罪ものの違法行為や──』

『そう。お前に()()()()()。だから()()()()()()()

『────────────』

 

 心臓を射抜かれた音がした。

 確かに大きな仕事を持って来いとは言った。直接会いに来いとも言った。だがまさか、こんな形で、確かにこんな話は、手紙などの文章に残すにはあまりにも危険すぎるが故、直接の商談でしか出来ない交渉ではあるのだが──。

 

『……か、空手形や。空手形やないか。あんた、一体』

『今度、保険法典に手を入れるつもりだ。海上保険は複数国の間の海上保険条例で制定されるが、これを帝国の名前と教会の司教の名前で発布するつもりだ。俺には星霊教会の司教と渡りがあるし、財務官や行政官とも渡りがある』

『保、険……』

『条件付債務の考えは、星霊教会の法皇グレゴリア7世が利息禁止令の考えを発布して急激に制約がかかった。金貸し業もそれに準ずる。だがこれを覆す準備が俺にはある』

 

 空気が凍る。

 この男は一体、何を言っているのか。

 

『会計簿の記法に手を加えるのもその一環。無駄に難解で、経営状態の可視化を遠ざけるような帳簿管理を撤廃する。一部の会計官や御用商人、文字の読み書きができる僧職の連中だけが領地経営をするのは極めて不健全だ。そうではなく、財務諸表を可視化し、保険制度を整備して、経済活動にレバレッジ効果を持ち込むことで、飛躍的な経済成長を図る』

『…………』

『君だって、何万枚も金貨を持ち運んで遠隔地と商売するのを馬鹿らしいと思っているだろう? だから契約書と手形で取引を完結させているじゃないか。()()()()。俺はそれが、()()()()()()()()()になると踏んでいる』

『…………妄想だけは立派やな。あんた、狂っとるで』

『いずれ、帝国も味方になるさ。いずれ帝国は重商主義に進む。外国商人が外国語で締結する従来の海上保険を駆逐して、帝国の帝国語による帝国経済圏で通用する保険商材を輸出するんだ。外交の力を使ってね。経済の発展を追い求め続ける限り、帝国はいずれ、高度に整備された保険を欲する。これは既定路線だ』

『! あ、あんた……それは戦争』

『悲しいことに、軍拡路線を唱える一部の貴族は、帝国主義を掲げて、領地拡大に野心を燃やしている。だが、こういう形の戦争があることを真に理解している人間は少ない。剣と槍で戦うだけの小競り合いしか知らないんだよ』

 

 稲妻に頭のてっぺんを打ちぬかれたような気がした。

 租税と貢租の優遇も、関税の軽減も、商館設立の援助も、相続権の部分的容認も、ありとあらゆる話が矮小に感じられた。

 この男は、今の話の規模を理解しているのだろうか。

 

『アンシュ・ヒュドラウリス。来い。お前にふさわしい、歴史に名を残す仕事をやろう』

 

 耳元で囁かれるや、心臓を鷲掴みにされたような気がした。

 まだ情報の咀嚼が追いつかなかった。それぐらいに圧倒された。こんな経験は、今までの商売人生で初めて出会った。海千山千の商人を相手にした非常に重たい商談を乗り越えたときでさえ、これほどに、何もかもを洗い流すような、宙に浮くような、強烈な話にはならなかった。何一つ確定していない雲を掴むような話の中、この鮮烈な将来図を()()しているのだとすれば、それは狂人に他ならない。

 

 そしてその話は、全てが全て現実味がない、というわけでもなかった。荒唐無稽な話に見えて、その実、政治の力学の向かう先としては不自然ではなかった。帝国としては、支配圏を広げられるなら、武力でなくても何でもいいのだ。それこそ公爵・侯爵・辺境伯級の高位貴族たちにとってみれば、得られる利権は同じようなもの。むやみやたらに軍の兵力浪費をしない分、彼の提唱するこちらの構図の方が勝っているようにも見て取れた。

 

 手を握られた。

 心臓が跳ねた。

 本当にこの少年は、何てことをするのだろうか。

 

『……ウチは』

『話を聞いてくれてありがとう。オルゴールは渡すよ、元々君のものだからね。興味があったらおいで』

 

 皇子の説明の密度にしては、やけにあっさりと話は終わりそうであった。そのためアンシュは一瞬、拍子抜けしそうになった。反応が遅れてしまった。

 激情に似たものがこみあげてくるのは、もう少し後になってのことだった。

 

 興味があったら、とはどういうことか。

 自分にとってかけがえのないオルゴールを、まるでついでとばかりに粗略に扱われたのではないか。

 もしかするとこの皇子は、【金の天秤】とさえ呼ばれる自分を、まだ認めてないのではないか──。

 

『待っ、ウ、ウチは! あんたの想像の先を行く、辣腕の商人やで!』

『知ってるよ。君以上の人間はそうそういない』

 

 皇子がひらひらと手を振ると、二人の侍女が契約書を携えてやってきた。

 そこには既に皇子の署名と捺印がされており、これに自分が署名をするだけで、全て完結するようになっていた。

 絶句した。言葉が出てこない。

 

『──安く見んなや!』

『その気概、掛け値なし、青天井で買おう』

 

 手を握られた。今度は力強い握手だった。

 

『期待している』

 

 それは奇しくも、大きな商談を成立させたときに互いに結び合うそれに似た、痺れるような実感を伴うものであった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 かくして、【金の天秤】アンシュ・ヒュドラウリス嬢は、ルーク皇子の忠臣となった。

 これから彼女が直面する数多の苦難と、それをいかにして乗り切ったかについては、また別の話にて──。





 この後、契約書にちょろっと書かれていた「魔石浄化に協力」の意味を思い知るとかどうとか。



 Tips:

 ■【金の天秤】アンシュ・ヒュドラウリス
 成人向け戦略RPG【ナイツ オブ カルマ】では、主人公勢力を手助けする商人として登場する。彼女の出す投資イベントとお使いイベントをこなすたび、どんどん商会規模が大きくなって、強力な武器・防具・迷宮遺骸品(アーティファクト)を取り扱うようになる。
 性欲が凄い。



20250428:
>アンシ【ェ】・ヒュドラウリス
>ヒュドラ【リウ】ス商会
>アンシ【ュ】・ヒュドラウリス
>ヒュドラ【ウリ】ス商会
表記ゆれについてコメントご指摘ありがとうございました。反応遅れて申し訳ありません。こちら表記はアンシュ・ヒュドラウリスが正しいものとなります。後ほど修正させていただきます。
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