貞操逆転世界の悪徳皇子になった俺、ひたすら魔石を食べて強くなり、破滅フラグを回避します 作:ナロウ・ケイ
◇◇◇
この世には四元徳が存在せり。
知恵(φρόνησις プロネーシス)
勇気(ἀνδρεία アンドレイア)
節制(σωφροσύνη ソープロシュネー)
正義(δικαιοσύνη ディカイオシュネー)
この世には七つの枢要悪が存在せり。
暴食(Gula)
色欲(Luxuria)
強欲(Avaritia)
憤怒(Ira)
怠惰(Acedia)
傲慢(Superbia)
嫉妬(Invidia)
そして、枢要悪には歴史の中に隠された二つが存在せり。
憂鬱(Tristitia)
虚飾(Vanagloria)
世の哀しみを憂いた妖精女王は憂鬱の名を。
身分も性別も偽った赤毛の英傑は虚飾の名を。
精霊たちはただ見ているだけ。
選ばれし者たちが踊る舞台を、ただ面白く。
◇◇◇
オーベルは内省した。
初めて原罪の樹と契約をしたのは、仲間が全員死んだ時だった。
(本来、僕には四元徳がなかった。選ばれるべきではなかった。勇気も節制も知恵も正義も、僕にはなかったんだ)
記憶喪失の少女。古代人の血を引く少女。妖精の気まぐれで
それが、何の偶然か四人の英傑に選ばれてしまった。
(でも違うんだ。僕には本当は、
最初は英雄だった。
赤毛のオーベルは皆を守る勇気の盾。剣聖イオリ、賢者キルケ、聖人アナスタシアと共に、四人で旅をした。
邪教徒たちとも戦った。道化師ハーレクイン、博士ドットーレ、隊長カピターノ、富豪パンタローネと、しのぎを削った。
そして全員助けられなかった。赤毛のオーベルは、教祖サルヴァと差し違えて、瀕死の傷を負った。
(虚飾の世界樹に頼ったのは、僕が捨てられていた場所がそこだったから。あのときは、あの樹が世界樹だとも知らなかったし、話しかけてきた
何も知らなかったオーベルは、心から後悔し、やり直しを誓った。
そして次は、剣聖になった。
(生まれ変わって知ったんだ。何度やり直しても、全てを助けられないことに)
オーベルは自身の運命を呪った。
自分が英傑になることを選んだ時、選ばれなかった者が生まれることを知った。
英雄を選べばエイルが。
剣聖を選べばイオリが。
賢者を選べばキルケが。
聖人を選べばアナスタシアが。
それぞれ本来与えられるはずだった典恵を授かることなく、道を踏み外すことに。邪教徒の手に堕ちるか、あるいは悲惨な死を迎えるか。
だからオーベルは、いつからか、選ばないことを選んだ。
エイルもイオリもキルケもアナスタシアも、いつかの世界では、かけがえのない友人だったから。
(誰とも関わらず、孤独を貫いて、僕だけが全てを解決すればいいと思っていたんだ)
英傑たち四人だけの話には留まらなかった。
この世界全体について、オーベルは裏切れない人が増えていった。何度生まれ変わってやり直しても、オーベルは幾度と、助けられたはずの人を知ってしまうのだ。自分にほんの少しでも優しくしてくれた人たちを。
手を差し伸べることが間に合わず、幾度と生まれる悲しい死別を目の当たりにしてきた。
その度にオーベルは、心の傷を少しずつ重ねていった。
(世界樹を──原罪の樹を暴走させてはいけないんだ。あの教祖は、世界樹の力を使えばまるで簡単に世界を支配できると思っているようだけど、僕はそう思わない)
教祖サルヴァは、オーベルにとって相容れない相手であった。似た哀しみを経験しながら、教祖の少女はまるで別の思想に堕ちていた。
全ての人類が幸福な一繋ぎの夢を見る、あらゆる悲しみを排除した優しい世界。そんなものが本当に出来上がるわけがない。
オーベルは何度も見た。
その過程で、世界樹は暴走して魔力を湧き出し続け、地上は全て異界化し、あらゆる場所が魔物の蔓延る世界となるのを。否、正しく説明するならば、全ての生物が突然変異を果たし、今人々が『魔物』と呼んでいる存在に変貌させられてしまうのを。
古代人はそれを
あの狂った魔女──教祖サルヴァは、その暴走する力を上手く操縦して、あらゆる人々を優しい夢の住民へと変質させるつもりなのだろうが、そんな一度きりの危険な賭けに、人の生命を脅かしてはならない。優しい世界という名前の
そもそもの話。
教祖サルヴァだけではないのだ。
世界樹の力を使って野望を果たそうとする人間は多数いる。
それらの勢力から妨害を受けて、教祖サルヴァは高い確率で失敗する。
オーベルはそれを、幾度となく目の当たりにしてきた。
面白おかしい世界を望む精霊たちが、波乱のない世界を許すとは到底思えない。
東の帝国の皇族たち。
北の商業王国の古代機人。
南の君主国の大妖怪。
西の星教国の女教皇。
世界を都合よく作り替えようと目論む勢力は数多存在する。
原罪の樹という危険な代物は、人々には過ぎた力だったのである。
(あまりにも早すぎるけど──ここで、教祖と刺し違えるしかないのか)
状況は劣勢。
幾多の死線を乗り越えてなお、オーベルは慣れていないものがある。それは人が死ぬ場面。どの道もう助からないという嫌な予感が、彼女の脳裏にこびりついて消えない。
だがしかし。
「大丈夫だ、オーベル」
皇子が。
「俺のやりたいことは変わってないみたいだ」
何故か確信を得たように、笑みを深くして。
◇◇◇
「ありがとう、俺も取引に応じたいところだったんだ。できればもっと腰を落ち着けて話したかったんだけどね」
無情にも振り注ぐ猛攻の嵐の中、俺は明るい声で返した。
まるで冗談でも話すように。
巨大サボテンの掌底のみならず、ウサギの魔獣が引っ掻いてきたりミミズの魔物が噛み付いてくるこの状況にあってなお、俺はまだ希望を捨てていなかった。
「で、応じなかったらどうするつもりだ? この夢の世界に幽閉するってことかい?」
「ええ、命までは取りません。⋯⋯返答次第ですが」
「おいおい、返答次第って、それは脅しじゃないか? ひどい交渉もあったものだな」
「⋯⋯⋯⋯そうですね、ひどい交渉ですね?」
軽口の掛け合いとは裏腹に、戦いは熾烈を極めている。
ラネールが蜘蛛の糸で網を作り、それでサボテンの腕を一本封じようと無茶をして、返り討ちを浴びた。吹き飛んだ彼女をカマソッソが受け止めるも、勢いを殺せずに地面に叩き落されていた。
これでも善戦している方である。幹部三人衆は俺たちに人質にされたせいで、武器となる魔道具をほとんど失っている。証拠に追撃がなかった。本来なら間髪入れずにとどめを刺しに来るはずなのに、その手段が著しく制約されているのだ。
無論、ジリ貧とも言えるのだが。
「夢の世界への監禁なんて長続きはしない、朝になれば目が覚める。……そう言いたげですね、ルーク皇子」
教祖の少女は、諭すような優しさと、蛇をいたぶるような嗜虐性の入り混じった口調で話した。
「果たして、本当に目が覚めると思いますか?」
「ああ、覚めるね。目が覚めるような思いをさせてやるよ」
「面白い冗談ですね」
ふわりと蝶の群れが舞って。
指揮棒がゆらりと動き。
「ならば教えましょう、皇子。仮に貴方たちが夢の世界で命を落としたとして、その魂が地上に戻ると思いますか?」
蝶の群れは、そのままクジラのような魚影を作って、俺たちに突撃しはじめた。
直観とは裏腹に、淡く光る蝶は非常に硬質で、きわめて鋭利であった。
ぞり、と嫌な音がして左耳が切れた。半分千切れたかもしれない、と嫌な触感。あえて確かめようとは思わない。
「あらゆる精神は、この世界に幽閉されたが最後、戻らないのです。私が許可しない限りですが」
「……いいや、朝は来るさ」
「朝が来たところで手はありませんよ。眠っている貴方たちを揺さぶろうが叩こうが、目は覚めないのですから」
「それでも朝は来る。必ずだ」
羽ばたく蝶を、今度は白い結界が阻んだ。聖人アナスタシアの祈りであろう。文字通り一時的に魔物を退ける、退魔の守護結界。しかしガラスを引っ掻くような甲高い音がぎりぎりと続き、長くは持たなそうであった。
絶望の時は近い。
俺は声を荒げた。
「教祖サルヴァ! お前の狙いは、俺たちを夢の世界に引きずりこんで、条件を呑むまでずっと幽閉することだったのかもしれないがなぁ! ──お前は
「とんだ戯言を」
巨大なサボテンが、両手を組んで振りかぶった。怒りの鉄槌。耳をつんざく衝撃音。
真下で受け止めるのは「こ、ん、のぉぉお……っ!」と、根性で耐えている英雄エイルであった。彼女の大楯が、俺たちを壊滅の危機からかろうじて守っていた。
そう、俺たちは負けていない。
「この状況を見て、まだ分からないのですね。夢の世界は私の思うがままなのです」
「いつまでも思うがままではないさ。俺は
「あまり笑わせないでください。力加減を間違えるかもしれませんよ」
「じゃあお前たちに質問するが──お前たちは目を覚まさないのか? 強制的に目覚めさせてしまえばいいんじゃないか?」
俺は問うた。
この状況を、しっかり皆に理解してもらうために。
「ふふ、我々ですか? 残念ですが、黒い霧の結界に包まれて眠っていますよ。分かりますよ皇子、貴方の考えていることが。貴方の屋敷にいる臣下に、寝ている我々を攻撃させようとしているのかもしれませんが──」
「黒い霧の結界に包まれている間は、外部から一切の干渉が不可能なんだろう?」
「ええ、残念でしょうけどね」
寝首を搔くという言葉がある。だが、この場合に限ってそれは成立しなかった。
なぜならば教祖サルヴァは、黒い霧の結界で、空間を異界化する力を持っているから。屋敷の中にいる俺の臣下たちが、教祖サルヴァとその部下を滅多打ちのたこ殴りにするというやり方は通用しないらしい。
ここまで万全の対策を期して挑んできている地下教団なのだから、流石にそんな甘い抜け道は用意されていないらしい。
しかし、それでよかったのだ。
「貴方たちが目覚めることはありませんが、我々の眠りを妨害することもできないのですよ。強いて言えば、外から、眠っている貴方たちを殺すことは可能かもしれませんが……そんな馬鹿げた自殺はしないでしょう? 外界から干渉できることは何もないのですよ」
「ふふ……そうだな。普通ならな」
夢の世界に閉じ込められた状況で。
外界から干渉することさえも封じられていて。
まるで俺がどうあがいても負けるような口ぶりだったが、一つだけ大きな齟齬がある。
「この戦いには必勝法がある」
「愛や勇気や希望ですか? それとも友情ですか?」
ばきり、と、俺の肩を掠めるようにサボテンの腕がたたきつけられた。
鋭利な針が俺の頬を引っ搔いて切り裂いた。切り傷が燃えるように熱い。おそらくは神経毒が少し含まれているのだろう。
だが俺は、冗談ではなく本気で勝利を確信していた。
「数日間俺たちが粘れば、お前たちは脱水症状で意識を失うからな」
「は?」
それは、愛や勇気や希望ではなく、医学。それも生理学的な観点から勝ちが保証されている。
「部下にはね、眠っている俺たちに、はちみつ入りの野菜粥を定期的に与えるように命じておいたんだ。その一方でお前たちの部屋は岩で埋めた」
「埋めた」
「物理的に」
「物理的に」
攻撃の手が止まる。
相手の幹部たちも、教祖も、俺の放った言葉の意味を全く理解できていないようであった。
「お前は夢の世界に幽閉したつもりかもしれないが、俺は俺の屋敷にお前たちを閉じ込めた。それだけだ。
「埋めたのですか? 領主個人への客人を? 正気ですか?」
「俺の部下は俺の命令を絶対に聞く。変な命令でも、絶対にだ」
話変わってきましたわね、と後ろで英雄エイルが呆れた声を出していた。
一方で、教団の連中は、理外の化け物を見るような目つきで俺を見ていた。そんなに酷い話はしていないはずなのだが。
「『この世界に幽閉されたが最後、戻らないのです。私が許可しない限りですが』だったっけ? そうだよ。俺が許可しない限りお前らも出られない。終わりだ」
「その程度、脱出できないとでも……ッ」
「この俺が埋めたって言ってるんだから
真っ向から睨み返した。そうしたら、ヒュッ、と小さな声が聞こえた気がした。相手方の幹部たちは、目を合わせたら殺される類の怪異に直面したかのような青い顔をしていた。流石に失礼すぎる。
「怖いか?」
「怖いです」
「即答」
さっきのやり取りの意趣返しをしたかったのに。そこは、何がですか、と聞いてきて俺が格好良く締める場面ではないだろうか。風情がない。
実際怖いですよ殿下、会話が通じなさそうな怖さです、とロナが何の
なお、精霊たちは大爆笑の模様