貞操逆転世界の悪徳皇子になった俺、ひたすら魔石を食べて強くなり、破滅フラグを回避します 作:ナロウ・ケイ
夢の空を泳ぐクジラたちが絶叫し始めた。
ウサギの魔獣たちがのたうち回り、大きな蚯蚓たちが痙攣し出した。最悪の光景だと思った。これほど高度に術士と使い魔の攻撃が連携されているということは絶対に感覚共有があるはず、という俺の読みは正しかったらしい。もちろん読みが外れた場合も想定して、その場合は大怪我覚悟で教祖に抱き着く算段だったが、賭けに勝った。
「お゛ぉッ!? ん゛ん゛ッ、ほぉぉぉッ、こ、殺す、気ッ、ほォォ゛ォ゛」
巨大サボテンが本気でうずくまって微塵も動けないほどの魔力攪拌。まともな人間にやったら駄目な強度。手加減は考えていない。夢の世界を維持している教祖サルヴァの意識を飛ばして、夢の世界を強制的に崩壊させるのが俺の目的なのだから。幹部三人衆は巻き添えである。無事を祈るしかないだろう。
気を失って操られていたワヤが、巨大サボテンの肩から地面にどさりと落ちた。救護のため、ラネールとカマソッソが駆け寄っていくのが見えた。
「死にはしないさ。数日間ほど後遺症は残るかもしらんが」
俺の計算が正しければ、まだ山場ではない。
まず媚薬がまだ全部溶けていない。飴細工に包んで、胃で消化されるまで溶け出さないようにして分量を調整したので、山場はもうしばらく後ぐらいだろう。雌牛がのたうち回るぐらいの量(※業務用)を盛ったので、応急処置の解毒をしたとしても効き目が残っているはず。
そして俺の魔力撹拌は、ロナが日常的にこなしている強度の倍程度に留まっている。彼女が喩えて曰く『半殺し』らしいので、まあ倍でちょうどだろう、という雑な計算である。ちなみにもうちょっと情報を追加すると、ロナの強さの五分の一ぐらいでワヤから泣き土下座が入ったぐらいにあたる。
十年ぐらい魔石を喰らってきた俺の魔力は、竜種に片足突っ込んだぐらいには成長している。魔力勝負には自信があった。
「ん゛オ゛ォ゛ッ、て、天泳ぐ虹の鯨よッ! の、呑みこっ、ほォォ゛ォ゛」
流石は教祖というべきか、ふらついた状態でも死ぬ気の抵抗を見せてくる。配下三人衆は股間を抑えてうずくまったまま、いひーっ、とか、あ゛ーっあ゛ーっ、とか絶叫してもう何もできない状態になっているというのに。
命令を受けてクジラたちが俺に向かって突撃をはじめた。彼らの姿もまた、ステンドグラスのような鮮やかな彩色。
しかし。
(そりゃ悪手だろ)
両手に光の刃を操るオーベルが颯爽とクジラを切り刻み、賢者キルケが稲妻の大魔術でクジラを粉砕し。
倒されたクジラがガラスの破片になって散らばり、分解されて蝶に移ろっていくその過程で。
俺へと飛んでくる破片は、英雄エイルと聖人アナスタシアがそれぞれを防いで。
それでも、討ち漏れた一匹が俺の元へと飛び込んできて──。
「身体持ってくれよ、倍撹拌だ」
「ん゛オ゛ォ゛お゛ぉッ!?」
絶叫。
クジラの突撃はさすがに身体に堪えたが、魔力撹拌を通せる相手が倍になった。つまり使い魔の術士への反動も倍である。幹部三人衆の絶叫は酷くなり、教祖サルヴァも頭を地面に殴打してのたうち回るほどの惨状になった。
もはや姿の維持さえもできなくなったのか、俺に突撃してきたクジラはぱりんと割れて蝶の群れへとほどけていった。
嫌がらせ程度に、俺の身体の表面を鋭利な羽で思いっきり削っていったが、決定打には程遠い。片目が見えなくなっただけだ。
そして、まさにその時だった。
「今です!」
「いざ参る!」
気配を殺していたロナと剣聖イオリが、ついに教祖サルヴァの懐に飛び込んだ。ロナが指揮棒を掠め取り、剣聖イオリが腕四本を瞬時に切り飛ばしたのだ。
鳴りやまない絶叫。大地が鳴動し、空気がざわめいた。
「ん゛オ゛ォ゛ッ、ま、まだですッ、ッほォォ゛ォ゛」
反撃も不意打ちのように早かった。
蝶の群れが。
教祖サルヴァの身体から噴き出て。
鋭利な腕となって、ロナと剣聖イオリの胸を貫いて。
「っぷぁ!?」
「忍法・
貫かれた二人は、木の丸太へと入れ替わり、ロナとイオリは場を辛うじて退いていた。
入れ替わりにやってきたのは、大きな盾をぶん回す鉄腕の少女。
「──突貫、ですわぁあああ!」
がぁあん、と衝突音。脳天からぶちかます衝撃の一発。跳躍の高さを生かして思い切り盾の角で殴るという強烈な攻撃。
教祖は片膝をつきながら、英雄エイルを大量の蝶で押し返したものの、明らかに動きに精彩を欠いていた。効いている証拠である。
ほぼ同時に、巨大サボテンが急にぱりんと割れて、大量の蝶に分解された。相手に綻びが出始めている。
「逃がすか!」
「ん゛オ゛ォ゛お゛ぉお゛ぉッ!?」
地面に片手をついた教祖に抱き着いて魔力攪拌を継続する。ここで手を止めるわけにはいかない。
蝶の渦が俺を襲って、身体をずたずたに切り裂いてきた。意地と気合の勝負である。俺の腕力は熊より強い。華奢な少女の抵抗など、全く効かない。勝負の最後は、高度な魔術ではなく腕力に帰着するのだ。
何となく背後から白い目で見られている気がしたが、抱き着いて雁字搦めにする以外の勝機はない。
「ん゛オ゛ォ゛ッ、た、魂の救済のためッ、ま、負ける訳にはッ、ほォォ゛ォ゛」
「邪教のサルヴァ、お前の計画もこれまでだ!」
魔力の波動が爆発的に増大した。まさに最後の抵抗であろう。
大罪の権能者、【宿業を受けし者】のサルヴァは、まさに常人とは比べ物にならないほどに強靭な精神力を持っていた。
地面から大量に蝶が噴き出して、俺だけを集中的に切り刻んでいっている。失血しすぎたか、俺の視界は少しずつ霞み始めた。
否、この不調は失血だけではない。魔力欠乏症に似た眩暈と吐き気。恐らく、蝶たちが俺に群がって俺の魔力を貪っている──。
命を懸けた耐久勝負。咆哮する教祖サルヴァは、追い詰められてなお足掻くことをやめようとしない。
「ん゛オ゛ォ゛お゛ぉッ、だ、
「忘れてもらいたくないなら、世界を変えるんじゃなくて、後世に語り継がれるぐらい善いことを成せ!」
胸を貫かれたような衝撃。目視確認していないが、多分本当に貫かれたのだろう。
むせそうな感覚と血の味がこみあげてきた。身体の中でじたばたと、俺を貫いた蝶たちがもがいているような嫌な感触さえも伝わってくる。
だが全然怖くはない。真に恐れているのは、教祖サルヴァの方なのだから。
悲痛な叫びが背後からも聞こえてくる。それは無茶というものだ、ロナ。殿下逃げて、だなんて。
「──────」
声がひどく遠い。
だが、致命的な一撃に至った確証がある。世界が崩落するような鳴動が伝わってきているからだ。
教祖サルヴァの背負っているケルト十字架が、周囲にいた兎の魔獣たちが、ひび割れて少しずつ蝶へと分解され始めていた。
「──────」
(はは、何言ってるかもう聞こえねーや)
ある一つの優しい夢の終わり。
何百年もの間一つの理想を追い続けた教祖の少女は、顔を俺の胸元に埋めて気を失っていた。遅れて俺も、時間の流れが妙に遅く感じるような、意識がうっすらと遠のいていく瞬間を感じ取っていた。
◇◇◇
遠い昔の、とある場所。
おとぎ話の魔女は、みなしごの母であった。
(私が死ねば、私の愛しい仔たちの名前が忘れられてしまう。誰かが、この子たちの記憶を永遠のものにしてあげないといけない)
魔女は、とても長く生きたが、愛を与える方法を知らなかった。
その存在を忘れないことだけが、彼女なりの愛だった。
だから、他所から拾った子供も、自分が産んだ子供も、全部を自分の中に取り込んだ。
悲しい別れのない世界。終わりの訪れない夢の世界。
一番最初に拾った子供の名前は、サルヴァ。魔女は子供を産むことができない身体であった。
そしてそれ以降、
彼女たちの血と骨は自分の身体の一部に。
彼女たちの記憶と魂は夢の世界の一部に。
新しい身体に乗り移ることを繰り返すことで、自分で子供を産むことができるようになり。
「……私の記憶の欠片ですよ、皇子。そして赤毛さん。今となってはもうどうでもよいかもしれませんが」
誰かの記憶の中で。
顔のない少女が──モザイク風のステンドグラスで顔を埋め尽くされた魔女が、そこにいた。
魔女にはぬいぐるみ風の兎耳が生えて、植物がその身体に纏わりついていた。背中には蝶の羽と大きな十字架。
なぜかは分からないが、今この場には三人しかいなかった。
「お気付きと思いますが、【
顔のない魔女は、涙をこぼしていた。どこから涙が湧いているのかは分からないが、地面に水滴がぽつぽつと流れていた。
「あの子たちは、
「愚かな独白だ」
俺の隣で、赤毛の少女が厳しい口調で切り捨てた。
赤毛の少女は、髪も短くなかったし、服も襤褸切れの外套ではなかった。ただ全身に奇妙な鎖が纏わりついており、鎖には『ごめんなさい』『許して』『私が弱かった』『また失敗した』『助けて』等の文字が刻み込まれていた。鎖は全部、赤毛の少女の心臓あたりを貫通していた。
「教祖サルヴァ。お前の言う救いは、お前が選んだ人間のみがずっと長生きするだけの世界じゃないか。蝶の標本集めと一緒だ」
「それの何が悪いのですか、オーベル」
顔のない魔女は、本当に理解できていないような口調で切り返した。
実際のところ、本質は分からなかった。感覚的に間違っていると伝えたいのだが、適切なたとえを俺は思いつかない。恐らく鎖だらけの赤毛の少女も、正しい言葉を持っていないのだろう。
「その世界を作るのに、大きな犠牲が生まれてしまう。僕はそれを許容できない」
「大きな力を蓄えて、少しでも犠牲が出ないように努めます。そのために原罪の樹の力が必要なのです」
「原罪の樹だなんて、あんなのは傲慢な古代人どもの作った毒だ。活性化が進めば、滅びの風が吹いて、地上の生き物は全部変質して魔物と呼ばれる存在に異常変貌してしまう」
「魔物になって何が悪いのですか。知らないかもしれませんが、貴方たちが戦って虐めていたあの兎たちは、元を正せば私の子だったのですよ」
会話が何一つ嚙み合っていない。
「……反吐が出る。
「貴方には分からないのですか。記憶と魂が残っていることが心の拠り所になる人もいるのです。どうか声だけでも残ってほしい、という切実な祈りが、この世にはあるのです」
「そのなれの果てが、あの悪戯好きの害獣か。お前、あの兎たちの魂が若干変質してることには気付かないふりをしているのか。本当に生前、お前の子たちは、あんな卑劣な奴らだったのか」
「……撤回なさい、誰一人救えなかった貴方が、私の救済のやり方にとやかく言う資格はありません」
あんな卑劣な奴ら、という言い回しには、過去に何かあったような雰囲気が窺われた。
だが、それを聞くような空気ではなかった。
顔のない魔女も、鎖だらけの赤毛の少女も、涙を流していたからである。
「皇子、貴方は異常者ですよ」
「おっと」
急に話が降ってきて、俺は思わず目を見開いた。
あまりに真剣な話なので、ちょっと口を開く隙がなかったのだが、今さら話を向けられても困ってしまう。この空気の中で、原罪の樹を使って領地を空に飛ばしたいです、なんて発言したらどうなってしまうのだろうか。
「私は、予言の書で複数の未来を断片的に知っています。この赤毛の少女は、どうやら魂を過去に転生させてやり直しているようです。……皇子、貴方は何者ですか」
「皇子は転生者だ。僕と一緒だよ」
「ああ……そうですか」
空気が一段と冷えた。顔のない少女の口調は、軽蔑するようなそれであった。
正確には違うのだが。どう説明すればいいのだろうか。
「……私と同じだと思っていたのですが。予言の書に目を通したような、複数の世界の未来を知っているかのような行動をとっていたのに」
「あー、えっと」
「違うさ、独りよがりの魔女め。皇子はやり直しているんだ。僕と同じで、孤独にね」
「あー、えーっと」
誤解が生じているような気がするが、果たして上手く伝わるだろうか。
「あー、んー、違う世界があるとしてだな」
「違う世界の歴史を断片的に読むことができるのでしょう?」
「違う世界の末路を繰り返し見届けてきたんだろう?」
「いやー、ちょっと洒落にならないぐらい違う世界だな、うん」
なまじ彼女たちには先入観があるせいで、俺の行動が読めていないらしかった。予言の書で複数の未来を断片的に知ることができる教祖サルヴァには、まるで俺の行動が、予言の書で複数の未来を断片的に知ることができている人間のように映っており。逆に、何度でも転生してやり直している赤毛のオーベルには、まるで俺の行動が、何度でも転生してやり直している人間のように映っているのだろう。
「……想像に任せる」
まあいいか、と俺は諦めた。真実を伝えても何も得しない気がする。
「……戻ろう。もうこの世界は崩壊しているんだろう?」
「……私は貴方が憎いですよ、皇子」
顔のない魔女の恨み言が。
「また何百年と時間をかけて、夢の世界を作り直してもいいのでしょうけど──この世界で消えていくことを選んだ子たちは、もう永遠に失われました」
貴方のせいです、と。
「私の夢に共感して、自分の魂を魔力に変えて夢の世界の維持に身を呈してくれた子。夢の兎として生きるのに疲れて、自壊を選んだ子。悩みを抱えたまま消えることを選んだ子。そういった子たちは、この世界が消えてしまえば、夢の兎になり切れず消えてしまうでしょう」
詰るように。
「貴方は人殺しですよ、皇子」
魔女の声は、すでに擦り切れていた。
「耳を貸さなくていいよ、皇子。すでに死んだ子の命を弄んで、変質した形で残そうとしていただけさ。しかもそいつらは、夢の兎になった後も、自分から消えることを選んだ子じゃないか。成仏させずに無理やりとどめているあの魔女が間違っているんだ」
「わかったような口をきかないでください」
子を喪った母の慟哭。
「私は、諦めきれていませんよ、皇子。いっそ殺せばどうですか」
心の支えを失って、自暴自棄になった魔女の囁き。
「【
いっそのこと全てを終わらせたいと願い出る、疲れ切った少女の哀願。
「二度と会えない別れが──こんな悲しみが、世にありふれていることが、たまらなく憎いのです」
世界を憎み続けた一匹の化け物の、歪んだ愛情。
顔のない教祖は、首を垂れて差し出した。ただ首を切れと、まるで死を冀う仕草であった。
「……なあ、サルヴァ」
滅びゆく夢の世界の中で、俺は逆に魔女に問いかけた。
「名前を教えてくれないか」
「名前? 私の名前はサルヴァですよ」
「いや違う。君が君だった頃の最初の名前だ」
この短い時間で、魔女に伝わるかはわからなかったが、俺はそれでも伝えることを試みるつもりだった。多分この魔女は、救いを求めている。
「サルヴァは、君がずっと残しておきたかった、君の愛しい子の名前だ。君の名前ではない」
「名前……」
「君だって本当は、愛されて産まれてきたんだろう?」
魔女は、沈黙した。
「君が愛しい子にあらゆる愛を尽くしてあげたいのと同じように、君にも愛を注いでくれた人がいたはずだよ」
「……な、まえ」
「君こそが救われるべきなんじゃないか。君は我が子の不滅を祈って、格別の愛を注いでいるけれど、君自身も愛されてきたんじゃないのか」
「…………な、まえ」
俺の質問への答えは、まだない。
「わた、し、は」
「君を愛して、君に名前を付けてくれた人がいたはずだよ。なのに君はそれを忘れて、サルヴァだけを名乗っている」
「……わた、し」
「君はサルヴァって子へ愛を注ぐことに必死で、誰かから受け取ってきた君自身への愛を忘れているんじゃないか。君自身は誰かから愛してもらえているのか。君自身は、自分を愛しているのか」
世界がゆっくりと崩落して、終わっていく。
「君が我が子に注いでいる愛は、たぶん嘘じゃないと思う。形はどうあれ、きっと愛なのだと思う。だけど、君自身はどう愛されてきたのか、それが見えてこない。不釣り合いだ」
「…………」
「ずっと君は、愛が欲しかったんじゃないか」
「…………やめて、ください」
顔のない魔女は、顔を手で覆った。
「最初の頃の話に限定しなくてもいい。子供に愛を与え続けるより、子供に愛されてきた幸せな記憶を大事にしたら、きっと幸せを思い出せるんじゃないか」
「…………喪う悲しみを知らないのですか」
「君のそれは、愛や悲しみというより、まるで執着だ」
「…………勝手なことを」
「愛された記憶を思い出さないのは、愛を大事にしているように見えない。君はむしろ、辛い悲しみだけを大事にしているように見える」
「…………それ以上の侮辱は、許しません」
「君がずっと大事にしたかったものを、きちんと自分の中で自省して、見つめなおしてみるといい。君は特別な力を
我ながら、都合のいい言葉を吐いている自覚はある。悲しみを乗り越えられない人だってたくさんいる。
だが一方で、乗り越えた人もたくさんいる。あるいは、ずっとその悲しみに付き合って、思い出とゆっくり共に生きている人も。
共通しているのは、悲しみの深さだけ、幸せな記憶があったことだ。そして、幸せだったという過去の事実こそが、心を癒してくれることもある。
この孤独な魔女は、もしかすると、愛されてきた幸せな記憶に囲まれたほうがよいのかもしれない。世界の在りようを無理やり変えてしまうよりも、はるかに。
「……関係ないけど、ワヤは、お前に感謝していたぞ。折に触れて、昔お前に救われたことを話してくれるんだ」
「……あ、あ」
「多分、愛されているよ、お前は」
顔のない魔女は、静かにしゃがみこんだ。
項垂れた姿は、おそらくもう、命を差し出す形ではない。ただ彼女は、止まらぬ涙に立ち上がれないようであった。