ウマ娘プリティーダービー ~Your name.~   作:ミヤフジ1945

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第2R 端緒

 

 

知らないアラームの音だ。

 

心地の良いまどろみの中でそう思う。目覚ましだろうか? でも、あいにくとアタシはまだ眠いのだ。昨夜は寮の同室であるウマ娘の話に付き合っていて、眠りについたのは明け方近くだったのだから。

 

 

「…………チャ。…………イチャ。」

 

 

ベルの音が聞こえたと思ったら、今度は誰かに呼ばれている。男の人の声だ。…………男?

 

 

「ネイチャ。」

 

 

苦しそうな、切なそうな…………今にも泣いてしまいそうな切実な声。遠い遠い、月や太陽よりも遠い星の輝きの様な、そんな寂しげに震える男の人の声。

 

 

「覚えて、ないか? 」

 

 

震える声で、男の人の声はアタシに問いかける。でも、アタシは貴方なんて知らない。

 

 

唐突に電車が止まって、ドアが開く。そうだ、アタシは電車に乗っていたんだ。

 

そう気づいた瞬間に、アタシは満員の電車の中に立っていた。目の前には見開いた瞳がある。まっすぐにアタシを見つめる男の人、アタシより少しだけ年上の…………未だ青年と言っていい彼の、その体が降りゆく乗客の流れに押されてアタシから遠ざかって行く。

 

 

「まさひろ! 俺の名前はまさひろだ! 」

 

 

離されゆく彼はそう叫び、左腕に巻いていた紐を解くとアタシに差し出した。普通なら、知らない人から差し出された物なんて受け取るはずないアタシは、なぜかこの時だけは思わず差し出された紐へと手を伸ばした。雄大な山々を連想させる、深緑に染められた紐。

 

流れる人混みに体を突っ込んで、アタシはその深緑の紐を確かに掴んだ。

 

 

そこで、アタシは目が覚める。

 

青年の声、彼の声の残響が、消え入る直前のやまびこの様にまだうっすらとアタシの耳に残っている。

 

 

「…………名前……まさひろ? 」

 

 

知らない名前で、やはり知らない青年だった。彼は何だかすごく必死で、まるで誰かを探しているかの様な、手放したくないナニカを手放してしまった時の様な。

 

それは例えるならまるで宇宙の運命を握っているかの様な、それほどまでにシリアスで深刻な表情だった。

 

 

でもまあ、ただの夢だ。たぶん何の意味も無い。ほら、気づけばもう彼がどんな顔だったのかも思い出せない。

 

ピンと立ったアタシの耳に残った、彼の言葉の残響も既に消えてしまっている。

 

それでも。

 

それでも、何故かアタシの鼓動は異常に高鳴っている。全身が汗ばんでいて、体が酷く重い。それはまるで自分の体ではないみたいで。

 

とりあえず、アタシは息を深く吸う。

 

 

すうーッ。

 

 

「…………あれ? 」

 

 

やっぱり風邪なのだろうか? 鼻と喉に違和感がある。何というか、普段よりも空気の通り道が狭い気がする。そしてやっぱり、体が重い。何というか、物理的に重いのだ。

 

そうしてアタシは自身の体へと視線を落とす。そこにはあるはずのものが無い。

 

思わずペタペタと触ってみるけれど、同室のあの娘より確かに小さくても確かにあったはずの…………アタシの胸が無い。

 

 

「…………? 」

 

 

着ていた服も違う。着慣れたパジャマではなくて、薄灰色に染められたいわゆる甚兵衛と言われる服。そしてその甚兵衛に袖を通されたアタシの腕はまるでアタシの腕じゃないみたいにゴツゴツとして。

 

思わずアタシは右手をあげる。アタシの意思をくみ取った様に、そのゴツゴツとした腕は自然に持ち上がる。

 

 

「にいちゃん…………なにしとるん? 」

 

 

ふと声の方を見ると、小さな男の子が(ふすま)を開けて立っていた。アタシは思わず右手を上げたまま、素直に感想を言ってしまう。

 

 

「いやあ…………すっごいリアルな夢だなって…………え゛? 」

 

 

改めて男の子を見る。アタシにも弟がいるけれど、弟より幾分か年上、十歳くらいか、短髪のボーイッシュでツリ眼がちな、アタシの弟とは似ても似つかない生意気そうな子供。

 

 

「にいちゃん? 」

 

 

アタシは思わず自分を指さして、その生意気そうな子供に問う。という事は、この子はアタシの弟になるのかな?

 

アタシの言葉に、その子は呆れた様に表情で言う。

 

 

「なん? 寝ぼけとんの? ごはん出来たけん早く来ない! 」

 

 

ぴしゃり! と叩きつける様に襖を閉められれる。何というか生意気そうな男の子だなあと思いながら、アタシは布団から立ち上がった。そう言えばお腹もすいている。そうして立ち上がってふと、視界の隅に鏡台があるのに気付いた。

 

畳の上を何歩か歩いて、鏡台の前で自身の姿を見る。

 

寝ぐせなのか髪質なのか、ボサボサと所々跳ねまわっている煤けた様な黒い髪。寝ぼけ眼な二重の目に、シュッとしているけれど何処か垢抜けない顔立ち。疲れたかの様に落ちているなだらかな肩。鍛えているのか、女顔にも見える顔とは裏腹に解けた甚兵衛の隙間から見える、細くも確かに鍛えられた身体。

 

 

…………男?

 

 

アタシが、男?

 

突然に、それまでぼんやりとアタシを覆っていたまどろみが晴れていく。頭がクリアになって、同時に一気に混乱していく。

 

そうして幾ばくか、たまらずアタシは叫んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「にいちゃん、遅いよ! 」

 

 

引き戸を開けて居間へと入ると、我が愛しのクソガキである弟の生意気な声が聞こえてくる。

 

 

「すまん、明日は俺が作るから。」

 

 

俺は謝りながら弟へとそう告げる。コイツは未だに怖い話とかを聞くと一人で寝れないガキンチョの癖に、兄である自分よりもしっかりとしていると思っている節がある。まあでも、なんだかんだでそんな背伸びしている弟も可愛いものだと、内心でそう思いつつ僕はかぱんと炊飯器を開ける。

 

白いホカホカとした湯気があがったあと、晴れた視界に映る、これまた白くツヤツヤと輝く宝石をめい一杯自分の茶碗に盛り付けて、俺は居間の机へと茶碗を持っていく。

 

 

「「頂きます。」」

 

 

弟が作ったベーコンエッグに醤油とマヨネーズをかけて、熱々の白米と共に口の中へと放り込む。うまい。やはり日本人は米なんだよなあと、小さなしあわせに舌つづみをうつ。

 

飲み込んだその口で味噌汁を啜っていると、なにやら視線を感じる。

 

 

「…………なんや、今日は普通やね? 」

 

 

「はあ? 」

 

 

気が付けば我が家の主たる祖母が、ご飯を食べる俺をじっと見ている。

 

 

「そうやね。昨日はヤバかったもんなあ! 」

 

 

祖母の言葉に続く様に、弟もニヤニヤと僕を見ている。

 

 

「そうそう、突然ニ゛ャアアアア‼‼ って悲鳴あげたりしてさ。」

 

 

悲鳴? 怪しげなものを見つめる様に僕を見ている我が祖母の視線に、小バ鹿にしている弟のニヤつき。

 

 

「はあ? 」

 

 

なんなんだよと、二人に対して感じ悪いなあと首を傾げる俺。

 

そんなタイミングで、ピンポンパンポーンと暴力的な音量で居間に置かれた防災無線機のスピーカーが鳴る。

 

 

『皆様、おはようございます。』

 

 

スピーカーから流れ出たその声は、随分と懐かしい声。俺まだ高校生だった頃のクラスメイト(今は町役場・地域生活情報課勤務)の声だった。

 

ここ、糸守町(いともりまち)は人口が精々千五百人程度の小さな町だけに、町にいる大抵の人たちは知り合い、あるいは知り合いの知り合いなのだ。

 

 

『糸守町から、朝のお知らせです。』

 

 

スピーカーから聞こえる声に僅かばかりの懐かしさを感じる。数日前に故郷である糸守町に帰って来たばかりだからなのか、はたまたもう戻ることのない、高校生時代の知り合いの声を聴いたからなのか。

 

毎日朝夕二回、かかさず町中に流れるこの防災無線放送は町内のどの家にも必ず受信機があって、運動会の日程や雪かき当番の連絡、昨日は誰が産まれたとか今日は誰のお葬式だとか、そう言った町のイベントを日々律儀にアナウンスしてくれる。

 

 

『来月二十日に行われる、糸守町町長選挙について、町の、選挙管理委員会から…………』

 

 

ぶつり。

 

我が家の防災無線機から流れていた音声が唐突に途切れる。原因は分かっている。ちらりと、我が祖母を横目で見れば、祖母の手には防災無線機のコンセントが握られている。

 

齢八十を過ぎてなお、腰も曲げず和服に身を包み悠然と立っている祖母、家族だからこそ分かる内から溢れ出る怒りの波動をひしひしと感じながら、さりとて俺はそれを止める事もせずに机に置かれたリモコンを手にテレビをつけた。

 

テレビのニュース、画面に映っているニュースキャスターのウマ娘さんがにこやかに喋っている。

 

 

『千二百年に一度という彗星(すいせい)の来訪が、いよいよ一月後に迫っています。彗星は数日間にわたって肉眼でも観測できると見られており、世紀の天体ショーを目前に、JAXAをはじめとした世界中の研究機関は観測のための準備に追われています。』

 

 

テレビの画面には『ティアマト彗星、一か月後に肉眼でも』と、でかでかと書かれたテロップと共に映し出されるぼやけた解像度の低い彗星の画像。なんとなく会話は途切れ、引き続き流されるニュースの音声に交じって俺達三人の食事の音だけが居間に広がっている。

 

 

「いいかげん、とーちゃんと仲直りしないよ? 」

 

 

そんな中で唐突に、弟が空気を読まない発言をする。

 

 

「大人の問題や、お前さんは気にすんな。」

 

 

会話を切る様に、俺は弟の言葉にぴしゃりと言った。そうだ、これは俺達大人の問題なのだ。

 

 

「それよりもお前、今日も四葉ちゃんと遊ぶんやったらちゃんと宿題してからにせーよ? この前みたいにあとから泣きついても面倒みんからな? 」

 

 

話を切り替えるために俺がそう弟につげると、弟はわかってる! と声を出して残りのご飯を盛大に口へと放り込んだ。

 

四葉ちゃんというのは弟が通う小学校の同級生で、彼女も我が弟に負けず劣らずの生意気っ娘。そしてなにより四葉ちゃんの祖母である宮水一葉さんは我が祖母と姉妹である。

 

だから四葉ちゃん、そして四葉ちゃんのお姉ちゃんである三葉ちゃんは俺達兄弟のはとこにあたる。俺も高校を卒業するまで、つい一年前まではよく一葉さんから頼まれて二人の面倒をみたり、祖母共々夕飯を一緒に食べたりしていた。

 

だからこそ、宮水家の問題も知っているし、だからこそ我が家の問題も合わせて祖母姉妹方はこれほど頑なになっているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いってきまーす、と俺と弟は声を揃えて祖母に告げて玄関を出た。

 

遠くで、夏の山鳥が朝も早くから鳴いている。

 

斜面沿いの狭いアスファルトを下って、丁寧に重ねられた石垣の階段を降りる。弟と二人並んで暫く道沿いに歩けば、俺達の眼下に広がるのはまあるく抉れた地形。そしてそこに雨水や湧き水が集まってできたこれまたまあるい湖が顔を見せる。

 

 

糸守湖(いともりこ)

 

 

所謂カルデラ湖と呼ばれる世界でも珍しい湖らしいけど、あいにくとここで産まれ育った人間はそこまで珍しがることもない、ありふれた湖。

 

そんな糸守湖の凪いだ湖面が、朝日に照らされてキラキラと輝いている。深緑に連なった山々に、深く青い空とキャンバスの様に白い雲。俺達からすれば何処までもありふれた日常の風景、だけど僅か一年と少しばかりこの糸守町から離れていた俺にはいつまでも変わらないこの風景は少しだけ、心地よかった。

 

そんな日常を、弟と共に歩いて行く。俺のおさがりの黒いランドセルを背負って、だけども元気いっぱいに歩く我が弟。そんな俺達の前で三人の男女が夏制服にその身を包んで騒がしく集まっている。

 

弟と別れ、俺はその三人に近づいていく。やれ「お前早く降りろ」だの、「いいにん、ケチ! 」だのと、自転車またがっていた二人の男女がなんとも甘酸っぱい夫婦漫才を披露している中で、俺は右手を上げて彼らに声を掛けた。

 

 

「よう、相変わらずお前さんたちは仲が良いな。」

 

 

俺がそう声を掛けると、良くないわ! と勢いよくハモった声を返してくれた。もっとも、二人とも声を掛けたのがだれかも考えてなかったようで、俺の顔を見てすぐさま驚いた表情をみせていたけども。

 

 

「先輩! 帰って来とったんすか! 」

 

 

自転車を漕いでいた坊主頭でひょろりとした長身の男子、テッシーがそう声を返してくれる。同じ様に、自転車に相乗りしていた小柄で前髪ぱっつん&お下げ髪の女の子、高校時代のクラスメイトの妹であるサヤちゃんも「先輩~! 」と手をふって答えてくれた。

 

そして三人目、長い黒髪を後頭部で結っている女の子、俺のはとこにあたる宮水 三葉は俺が帰って来ているのは知っていたので驚いた表情を浮かべることなく、おはようと俺に返してくれた。

 

三人は俺が高校時代の後輩、といってもこんな小さな町だからさらに小さい頃から一緒に遊んでいた仲ではあるのだけど。

 

 

「先輩いつこっちに帰って来とったんですか? 」

 

 

「三日前くらいかな。」

 

 

「東京の学校行ったって聞いてたんですけど、やっぱ都会でした? 」

 

 

「そうだね。何というか、やっぱり想像以上だったよ。」

 

 

テッシーとサヤちゃん、歩きながら二人の質問に答え続けた。やっぱりこんな田舎じゃ、どうしたって都会というモノに憧れが沸くものだ。

 

 

「そう言えば三葉、今日は髪、ちゃんとしとるな。」

 

 

自転車から降りたサヤちゃんが唐突に、三葉ちゃんの髪紐を触りながらにやにやと言う。はて? とサヤちゃんの言葉に俺は疑問を浮かべた。三葉ちゃんはいつもと同じ髪型をしている。左右の三つ編みくるりと巻いて後頭部で髪紐で束ねる。昔から変わらない、彼女のトレードマークだったはず。

 

 

「え、髪? なに? 」

 

 

とうの三葉ちゃんもよく分かっていないのか、困惑の表情でサヤちゃんに聞き返している。

 

 

「そうや、ちゃんと祖母ちゃんにお祓いしてもらったんか?」

 

 

サヤちゃんに続いて、テッシーも心配顔で三葉ちゃんを見ている。

 

 

「オハライ? 」

 

 

「ありゃゼッタイ狐憑きやぜ! 」

 

 

二人の話が呑み込めない俺と三葉ちゃんは、そろって「はああ? 」と聞き返すしかない。そんな俺達を見てか、サヤちゃんは呆れた目でテッシーへと代弁する。

 

 

「あんたはもう、なんでもオカルトにしんの! きっと三葉はストレス溜まっとるんよ。なあ? 」

 

 

「え、ちょ、ちょっと、なんの話? 」

 

 

なぜ三葉ちゃんはこんなに二人から心配されているのだろうか。昨日なにか三葉ちゃんになにかあったのか? とっさに俺も昨日のことを思い出そうとして…………とっさには思い出せなかったけど、別に昔と特に変わっていなかったはず。

 

 

…………あれ?

 

 

本当に、そうだったか? 昨日、俺は…………

 

 

『…………そしてなによりも! 』

 

 

思わず考え込んだ俺の現実へと戻したのは拡声器によって増幅された、聞き馴染んだ野太い声だった。

 

ビニールハウスの立ち並んだ向かい側、町営駐車場となっている無駄に広い敷地の中でこんもりと一ダースくらいの人だかりができている。その人だかりの中心でマイクを持っている、ひときわ背が高くて堂々とした立ち振る舞いをしている男性。

 

スーツを身にまとい、上半身には誇らしげに『現職・宮水としき』と書かれたたすきをかけている。そう、たすきに書かれている名前の通り、彼が今俺の隣で暗い顔を落している三葉ちゃんのお父さんだった。

 

 

『なによりも、集落再生事業の継続、そのための町の財政健全化! それが実現して初めて、安全、安心な町作りができるのです。現職として…………』

 

 

なんともまあ、その高圧的にも見えるほど堂に入った三葉ちゃんのお父さんの演説は東京で見かけた政治家の街頭演説顔負けで、それがなおのことこんな畑に囲まれた駐車場と全然マッチしていない。

 

たかだかと演説する三葉ちゃんのお父さんの周りにいる人たちも、「どうせ今期も宮水さんで決まりやろ」とか、「だいぶ撒いてるみたいやしね」と、彼の演説を横目にそう囁いている。そうした聴衆の囁き声が、なおのこと三葉ちゃんの心を暗く染めている。

 

 

「おう、宮水。」

 

 

「…………おはよう。」

 

 

最悪だったのは、そんなタイミングで三葉ちゃんが苦手だといつの日か相談して来たクラスメイトたちと出くわしたこと。聞けば、高校でも派手系イケてるカースト上位にいるクラスメイトらしい。大人しい性格な三葉ちゃんはことあるごとに彼らにちくちく嫌味を言われているとか。

 

そんなクラスメイトの一人が「町長と土建屋は」と口にして、そのままわざとらしく今も絶賛演説を続けている三葉ちゃんのお父さんへと視線を向ける。彼の横にはテッシーのお父さんが満面の笑みで立っている。

 

ご丁寧に自分の建設会社のジャケットを着て、腕にはこれまた『宮水としき応援団』なる腕章までつけていた。クラスメイトたちは視線を俺達へと戻して、それからまた口を開く。

 

 

「その子どもたちも癒着しとるな。それ、親の言いつけでつるんどるの?」

 

 

バ鹿にする様に、そう口を開く彼らを無視する形で、三葉ちゃんは足早にこの場を去ろうとする。テッシーも無表情で、サヤちゃんだけが困った様に落ち着かなさそうだった。

 

それでいい。こういう輩には下手に言い返したりやり返したりするだけ無駄なのだ。無視したりスルーするのが吉。なによりも、俺自身もこの場から早く去りたかった。三葉ちゃんのお父さんが居るということは、必然的に俺の会いたくない人間とまで顔を合わせなくてはならないから。

 

 

「三葉! 」

 

 

突然に、この場を去ろうとした俺達、と言うか三葉ちゃんに向かって大声が響いた。小さく、三葉ちゃんがひっと、ビックリした様に肩を震わせる。演説中で此方を見ることもしていなかったはずの三葉ちゃんのお父さんが、マイクを下ろした地声で、三葉ちゃんに向かって声を張り上げたのだから。この場に集まっていた聴衆も、一斉に俺達へと視線を移す。

 

 

「三葉、胸張って歩かんか! 」

 

 

理不尽だ。思わず俺は内心でそう独り言ちた。本当に彼は三葉ちゃんの父親なのだろうか? そう思いたくなるほどに、宮水家の問題、その張本人はどこまでも思春期の子どもを理解していない。これじゃただの恥ずかしめと同じだ。

 

 

「…………三葉ちゃん、テッシー、サヤちゃん、行こうか。」

 

 

率先して、俺は三人にそう声をかけた。ひそひそと、元々集まっていた聴衆や三葉ちゃん達のクラスメイトの囁き声が微かに聞こえたけれど、俺は聞こえないフリをして足早にこの場を去った。

 

幸いだったのは、俺が…………と言うか我が『馬場家(ばばけ)』の方の問題。その張本人と顔を合わせることがなかったことだろう。もっとも、だからなんだとしか言えないのだけど。

 

深いため息と共に、この後は三葉ちゃんたちが高校に着いて別れるまで、俺達が口を開く事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

馬場家(ばばけ)は宮水家ほどではないけれど、この糸守町ではそこそこに名の知られた家。『馬』という、ウマ娘を表す古い漢字が苗字に入っているのは、かつてこの糸守の地でウマ娘の教育を勤めていた家柄だからと我が祖母は昔語ってくれた。

 

教育とはいっても、現代でいうクラブ活動や一種の学童保育みたいなもので、もっと言えばトレセン学園にいるトレーナーや教員の様な仕事をしていたらしい。なにせそれは何百年も昔のことで、今ではわずかばかり土地と家が残されているくらいで一般人となにも変わらない。

 

宮水神社を任されている宮水家の祖母が馬場家に嫁いだのも、落ちぶれたとはいえ馬場家がそこそこの名家だから。曾祖父は戦争中に陸軍の軍属ウマ娘の指導教官だったし、祖父も戦後間もない日本でなんとかウマ娘のトレーナーをやっていたらしい。

 

母はウマ娘だった。地方ではあるがトレセン学園に進学して、そこそこレースに勝って、卒業後はそのまま…………

 

こうして改めて考えてみると、なんだかんだ馬場家はウマ娘と縁の深い家柄だ。だからこそ俺も、『馬場 昌博(ばば まさひろ)』という人間もいつか、ウマ娘に関わる仕事をするのだろうと漠然と、明確な夢もなくそう思っていた。

 

 

「お久しぶりです先生。」

 

 

「久しぶりだね。そうかあ、馬場君が卒業してもう一年になるんだね…………」

 

 

「正確には一年と半年ですがね。」

 

 

母校である糸守の高校で、俺は在学中お世話になった先生へとそう声をかけた。定年間近の恩師は何かを懐かしむ様に、職員室の窓から見える空を眺めながらしみじみとそう返した。

 

今の時間は授業中だからか職員室はガランとしていて、室内にいるのは俺と先生の二人だけ。外でがなりたてる騒がしい蝉の声が、二人だけの静かな職員室に響いている。

 

 

「君が初めて東京に行くと言って来た時は随分と私も驚いたよ。」

 

 

「その節は随分とお世話になりました。」

 

 

「どうだい、東京での暮らしは? ちゃんと食べれているかい? 」

 

 

「はい、家事は祖母に一通り仕込まれてますから。きちんと三食食べていますよ。」

 

 

冷房の効いた職員室で、過ぎ去った過去を懐かしむ様に俺と先生は会話に華を咲かせた。俺はこの一年の、東京での生活を面白可笑しく先生へと話す。俺が話終えると、今度は先生が俺が卒業した後の、ここ一年での高校の出来事を冗談を交えながら教えてくれる。

 

いつの間にか、先生が入れてくれた紙コップに注がれたコーヒーはぬるくなっていて、それが俺と先生が話し込んでいた時間の流れを教えてくれる。

 

朝に見た糸守湖の湖面の様に、微かに揺れる紙コップの中の茶色い液体へと視線を下ろす。一口、注がれているコーヒーを口へと運べば、生ぬるいインスタントの安っぽい苦い味が口いっぱいに広がって、けれどそれが俺がまだこの学校に在籍していた時に先生から何度か差し入れとして貰った味と何も変わらなくて。

 

わずか一年と半年、だけど離れていたからこそ変わらないこの味が懐かしくて、しかしてどうしようもなく時間はすすんでいく。変わらないと思っていたものも少しづつ俺の知らない内に変わって、まるで俺一人だけが世界からこぼれてしまった様な寂しさを感じさせる。

 

 

「…………やっぱり、上手くはいってないんだね。」

 

 

「先生には、やっぱり先生にはバレちゃいますか。」

 

 

「例え卒業しても、君は私の生徒だからね。それくらい分かるよ。」

 

 

いくばくかの沈黙のあとに、そう先生から告げられた言葉に俺は思わず苦笑する。

 

 

「俺がトレーナーになろうと思ったのは漠然とそうなるのが当たり前だと思っていたからなんです。」

 

 

「君は私が先生になって、一番といってもいいくらい頭が良かったからね。私も応援していたし。」

 

 

「だけど、最初は俺も地方のトレセン学園で良いかなって思ってたんです。なるべく糸守から近くで、何時でも帰ってこれる場所で。」

 

 

そうしてまた、俺はぬるくなったコーヒーを口に含む。

 

 

「東京の、中央トレセン学園へと変えたのは親父のせいです。どうしようもなく、俺はアイツから離れたかった。」

 

 

口に残ったコーヒーの苦みが、まるで俺の心境を表している様で。

 

 

「先生には昔話したと思うんですが、親父は地方ですが元トレーナーでして、現役の時に当時デビュー前だった母と出会って、二人三脚で走り抜けました。母が卒業して、親父もトレーナーを止めて婿養子として糸守に移り住んで。」

 

 

小さい頃は、俺にとってヒーローとは親父だった。毎日笑顔で笑って、母を支えながら糸守町に住む少ないウマ娘の為に無償で走りを教えてながら、時には町の人の手伝いにいって。

 

皆が親父を頼りにしていた。俺は、そんな親父がヒーローみたいで大好きだった。

 

 

「だけど、弟が産まれて直ぐ、母が体を壊して亡くなって。そこから親父は変わってしまった。」

 

 

少しずつ、笑顔がきえた。いつしかウマ娘の指導もしなくなって、気が付いたらいつの間にか三葉ちゃんのお父さんと一緒にいることが多くなった。

 

祖母と口喧嘩することも多くなって、家に帰らないことが当たり前になって。

 

 

「親父を超えたい、認めさせたい…………て思えたら良かったんですけど。結局のところ、俺は逃げたかったんだと思います。この糸守町から。」

 

 

だけど、そんな心持ちでトレーナーになれるほどに中央のトレーナーは甘くはなかった。東京のトレーナー学校に進学して、改めて俺は自分が中途半端な人間なのだと思い知らされた。

 

 

「入学した学校の同期はみんななにかしらの夢があった。ひとりだけ、俺ひとりだけが、夢もなく逃げて来た半端者だった。」

 

 

俺はこのままトレーナーを目指していいのだろうか? ウマ娘という、レースに自分の命を懸けている彼女たちの人生を預かる人間に、逃げた俺がなっても良いのだろうか?

 

 

「そう思ってたら祖母が体を壊したって弟が泣きながら電話してきて、思わず丁度いいやって休学申請を出して帰って来たんです。まぁ祖母は全然元気だったんですけどね。」

 

 

そうやって、俺は先生へと苦笑いを浮かべた。結局は、糸守町から逃げる様に東京へといって、そしてまた、自分が分からなくなって、俺は東京から逃げてここへと戻ってきた。

 

どうしようもなく中途半端な、そんな人間なのだ、俺は。

 

 

先生は何かを言いかける様に口を開いて、だけど唐突にながれたチャイムによって口を開くことはなかった。丁度授業がおわったみたいで、これから授業をおこなっていた他の先生たちも戻ってくるだろう。

 

今の時間ならこれからお昼休み。家へと帰る前に、三葉ちゃんたちに顔でも出していこう。俺はすっかり冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干して、先生に別れを告げる。

 

 

「それじゃあ先生、俺はこれで失礼します。今日はありがとうございました。」

 

 

そう言って、頭を下げて俺は背を向ける。昼休みになったことで、蝉の声にも負けない、青春を謳歌する学生たちの声が離れた職員室にまでよく聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遠くで奏でられる賑やかな祭囃子の音色が、自室で本を読んでいた俺の耳を刺激する。ああ、そういえば今日だったなと、俺は頭の中のカレンダーで思い出した。宮水神社で毎年おこなわれる『豊穣祭』、たしか今年は三葉ちゃんと四葉ちゃんが舞を踊るんだっけ。

 

畳みに胡座をかいて、机に置かれたライトスタンドの灯りで本を、もう癖になってしまっているトレーナー用の参考書を読んでいた俺は、ぱたりと本を閉じてちいさく背伸びをする。

 

ぽきぽきと、心地よい音をたてる体を動かして、自室の窓から見れば糸守町を囲む山の中腹、宮水神社がある場所がまるであたりの暗さに負けない様にと明るく賑わっている。

 

祖母も弟も、どうやら豊穣祭を見にいっているらしい。静寂につつまれる我が家の中で、唯一聞こえるのは扇風機の規則的な音だけ。

 

 

「…………まあ、いまからいった所でもう終わっているだろうし。」

 

 

すこしだけ考えて、俺は結局豊穣祭にいかなかった。それに、三葉ちゃんも口噛み酒をつくるところをあまり見られたくもないだろう。口噛み酒はお米を口で噛んでつくる、古いお酒の一つ。三葉ちゃんと四葉ちゃんは巫女として舞を披露したあと、皆の前でこの口噛み酒をつくるらしい。思春期の女の子には流石に恥ずかしいだろう。とくにそれを知り合いに見られるのは。

 

 

「口噛み酒か。」

 

 

窓の外の風景から、俺は視線を自室の飾り棚へと視線をうつす。いくつかの小物と共に置かれてた、透明な小さいガラス製の小瓶。

 

 

「コイツもいい加減に捨てなきゃな。」

 

 

小さい、まだ俺が親父をヒーローの様に思っていた頃。

 

なんにでも興味津々だった俺が、三葉ちゃんの巫女としての練習の時に一緒に練習させて貰った口噛み酒。その残り。一応俺にも祖母経由で宮水の血が入っているからと、一葉さんが気を利かせてお守りとして組紐と共に俺にくれた、世界で一つだけの…………『男がつくった口噛み酒』。

 

小瓶の中に収められた、つくられて十年以上経つのにいまだ綺麗な透明の液体は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

今も左腕に巻いた、真夏の山々の様な深緑に染められた組紐を見る。小瓶と共にお守りとして貰ったこの組紐も、口噛み酒と同じく当時のまま色あせることなく、ずっと俺と一緒に育ってきた。

 

 

「東京に戻る前に、決めておこう。」

 

 

そう呟いて、俺は手に取った小瓶を再び飾り棚へともどす。今日は早めに寝よう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬だけ、口噛み酒の入った小瓶が輝いた気がした。

 

 

 

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