西暦2027年1月13日、PM12:25。
青が約7割を占める星に浮かぶ小さな島国、ここ日本で古きから伝わり、下は赤ん坊から上は老人まで浮かれや気の緩みを許される正月のムードが抜け落ち、極寒の気温が最高潮に達するであろうか。
犬は喜び庭を駆け回る、と有名な童謡で歌われてはいるがどちらかと言えば人族というものは猫寄りなのであろう。厚い毛皮に身をまとい、それでも顔や手などをヒリヒリと突き刺す寒さに震えながら外を歩く者、こたつで丸くなり二足歩行を忘れたかのように生気が抜け落ちる者など、決して寒さには強いと言える種族ではない。
かといって夏は強いのか、と聞かれればそれも否で、先述した文と全く真逆のことをしているのだから、人間はなんと弱い種族であるのだろうか。弱肉強食食物連鎖の頂点に立つ、なんでどこかの偉い学者でテレビで言っていた気はするが、窓から見える街並みを見ていては胸を張って言うその文章に説得力はない。
そしてそれは、今こんな思考をしている俺も例外ではなく、
「ぬへ〜〜…今日もさみぃよぉ〜〜〜…」
「ちょっと、あんたがみんなで課題やろうって言ったんでしょ。何サボってんのよ。」
膝上に添えられたブランケットに手をくるみ、机に突っ伏しながらおれ----桐々谷和人(きりがやかずと)ことキリトはそう呟く。それに対し俺の目の前に座る朝田詩乃(あさだしの)ことシノンはチャームポイントでもあるであろううつくしいつり目をさらに釣り上げて俺に不満を垂れる。
「いや、それはそうなんだけどさ。一応俺ん家からダイシー・カフェまで1時間小はかかるわけでして。ここに来るまでバイクかっ飛ばしてる間に、体が冷え冷えになってしまった訳なのですよ。」
「そんなこと言いながらあんた、最初の方は集中できてたじゃない。寒いのを言い訳にして勉強したくないだけでしょ。もうちょっとでそのページ終わるんだからあと少し頑張んなさい」
「Mom…」
「誰がマムよ」
実際、俺の言ったことは半分嘘で半分嘘ではない。
本日の気温は最高で11度、最低でなんと7度だ。人間が生きる上で適切とはとても言い難い温度の環境下で、新宿にあるここ----「ダイシー・カフェ」に向かうために、バイクに乗る上であまり多く着込めないという冬に効果を発揮しすぎる絶大なデバフを背負ってここまで来たのだ。既に心はもう冷えきっている。
…まぁ、1人だと高校の課題なぞ絶対にやる気が起きないのでこの提案をしたわけなのだが、にしても手が冷たい。このご時世に珍しい、風情を感じる加熱式のストーブ----しかも石油を使うやつが限界に近い火力でごうごう燃え盛っているとは考えにくいほど寒い。
まぁ、元々俺自身寒さに耐性が無さすぎる、というのはあるのだろうが。
「でもそうだね。もうここに着いてから1時間半くらいは通してやってるし、もうそろそろ休憩にしてもいいんじゃないかな?ちょうどお昼時でもあるしね」
「おっ、さんせ〜い!僕もお腹すいてきてたんだよ!」
現れた救世主である、俺の隣に座る結城明日奈(ゆうきあすな)ことアスナの提案に、紺野木綿季(こんのゆうき)ことユウキは笑顔でそう答えた。
「え、いいのか?」
「もちろん。やりすぎても疲れるしね。普段キリトくんはあんまりペンを持つ勉強はしないだろうし、こまめに休憩は取った方がいいよ。しののん、いい?」
「まぁ…、そうね。キリトにとっては結構長い時間やっただろうし、アスナがそう言うなら」
「2人ともありがとう…そろそろペン持ってる右手痛くなってきてたんだよ…」
「それはもう少し頑張りなさいよ。」
詩乃の苦笑に俺も苦笑で返すと、目の前の明日奈と木綿季はおかしそうにその口角を上げている。全く、俺だって頑張っているのだから笑わずにもっと褒めたたえてくれたっていいじゃないか。普段からALOやらGGOに一日中ダイブをして、座学ならともかく、ペンを持つ勉強はおろか週末には部屋から1歩も出ないことのある俺がここまで頑張っているのは相当偉大な事だ。国民栄誉賞を貰ったっていい。本当に。
そんなしょうもない考えをとっぱらい、カウンターに座りパソコンで何かしら作業を進めているスキンヘッドの外国人----エギルを軽く右手を上げて呼びかける。
「そんなわけだからエギル、メニューくれないか?お代はちゃんと出すからさ。」
「ったく、休みの日に店を開けてやっただけじゃ飽き足らず、飯まで作れってか。まぁ俺もちょうど作業があったし、いいんだけどな。で、何が食いたいんだ?」
不服そうな顔をしつつも俺たちの「今度の週末、ダイシー・カフェが定休日の日にそこでみんなで冬休みの課題をやりたいから店を一日貸切にして欲しい」なんてガキンチョの事情を押し付けたお願いを聞いてくれるソードアート・オンライン時代からの親友の優しさに感動しつつ、みんなで適当に食べたいものを年季の入った紙のメニューからピックアップし、何個か注文していく。
結局、自分たちが食べたいものを全て頼み尽くし、点数が13点になった昼飯を待つ時間に突入した間に、アスナを挟んで2つ隣に座っている俺、キリトの妹である桐々谷直葉(きりがやすぐは)ことリーファが口を開く。
「でも、今日まさかアリスさんまで来てくださるとは思いませんでした。神代博士さんから許可、貰えたんですか?」
「ええ、基本的に博士は人権を頂くことを目的とした活動の際以外では私がやりたいと思うことは不自由のないようにすると仰っていただいているのです。それに、私自身もアンダーワールドにログインしていない間に神聖術の方式を忘れないようにする座学は怠っていませんし、なによりリアルワールドの勉強は不思議な仕組みをしていて楽しいですよ。不真面目なキリトの監視もできると言うのなら尚更です。」
「あの、アリスさん?目が、笑ってらっしゃらないなー、なんて」
「冗談です。」
途端、俺たちが囲むテーブルが談笑の並に包まれ和やかな雰囲気になる。俺をイジるような発言で皆笑うなんて、誰かフォローしてくれてもいいじゃないか。けしからん。
そしてその俺をいじった張本人である、世界初の独立型AI「A.L.I.C.E」----もとい、アンダーワールド整合騎士31番、アリス・シンセシス・サーティも、これまたしてやったりと言った顔でニヤニヤしている。
先述したように、今日の目的は友人でかつ、学生をやっている者たちを集めて、課題をしよう、というもの。俺がそんな招集をした目的は様々あるが、やはりやりたくない分野の勉学は1人でだとやる気にならないことが多い上に、どうやら俺はあまり数字やら物質やらなんやらの方の勉学の閃きとかセンスとか、そんなものは壊滅的らしく、ましてや一日中VRMMOにダイブする生活を送っているような、もはや一種のニートとも呼べてしまうかもしれない生活を送っている。そんな男が高校生の勉学の範囲なぞ一人でやっても常人の少なく見積って3倍は進歩が遅れるであろう。
しかしながら、俺の友人たちは奇妙なことに勉学に長けているものが多い。方向性は違えど、シノンやアスナ、アリスはやはりゲームと同じ程にペンを握ることにも時間を費やしてきたであろうし、スグは地頭の良さで、長く病院生活を送っていたユウキはもし学校に行くことがあった際、少しでも皆において行かれないようにと主治医の先生の助力のもとかなり教材を使い込んだことが病気が完治し皆と同じように学校に行けるようになった今になって活きた、と笑顔で話していた。
本来であれば今日来るはずだったがどちらもバイトや家の事情で不参加になってしまった筱崎里香(しのざきりか)ことリズベット、ことシリカも確かかなり学年順位が上の方だった、と記憶している。
…なにはともあれ、そんなメンバーを集めて勉強すれば、俺の怠惰により記憶を怠っている公式やつまづく点などをご教授願いながら勉強をできる、と考えたためである。
「にしても、スグが頭良いって聞いた時はびっくりしたよ。剣道の方も相当頑張ってるだろうに、よく両立出来るな。」
「ん〜、まぁ私は授業聞いてれば大抵のことはノートに書いたのをもう1回見直せば大体思い出せるからね。勝負は朝練終わりの一限と、昼休み後の5限で起きていられるかなんだよね」
「あ、分かるよその気持ち。ご飯食べた後の授業って本当に眠たくて眠たくてしょうがないんだよね。お昼休みあとの授業が化学の日なんて、もうたまに先生が何言ってるか分からなくなるもん」
「全く…あなたがたはどうしてそうも誘惑に弱いのですか。前日にしっかりと睡眠を取っていないから、午後に眠くなってしまうのは当然です。ALOに深夜遅くまでログインしているからですよ。」
「はは、そりゃそうだ。でも確かに、アンダーワールドの時からアリスが神聖術の勉強中にウトウトしていることを見た事はなかったかもな」
「当然です。整合騎士として当然の勤めですから。そういうお前は、授業態度が悪かった、とリーナから聞いたことがあります」
「なっ…!先輩、余計なことを…」
「ちょっとー、もっと真面目にやってよねー。私のお兄ちゃんなんだから、やれば出来るはずでしょ」
「そうだよ~。キリト、この前世界史のこっわ~~い先生の授業丸々ずーっと寝てたじゃん!スグちゃんの言う通りやったら出来るんだから、もうちょっとがんばろ~よ~」
「やれば出来るというか、そこに至るまでの過程が大変でですね?やる気ってどうしても出ないんですよ」
「たまにの時以外ずーっと寝てる日あるもんね。次居眠りしてる日あったら、お昼ご飯のサンドイッチ抜きにしちゃうからね〜?」
「ア、アスナまで……」
軽口を叩き合いながら、エギルが食前に出してくれたココアに皆で口をつける。人間の体温の2倍はあろうかという熱々に熱されたその液体を1口のみくだすと、それはあたたかい流れのままに喉をおりていき、口の中には砂糖やらなんやらの甘味料の後味がほのかに残る。そしてその後味も消える頃に、体が腹部の方から温まっていくのを感じ、場にいる全員が幸福を体現したような表情で一息つく。
カフェのバーテンダーをやっているだけあって、エギルの作る飲み物はどれも自分たちで作るものとは比べ物にならないくらい素敵な味がする。一般的に家庭ではあまり作らないとされている飲み物から、どの家庭にも置いてある、今俺が幸せを感じる要因となっているココアまで何故かエギルが作ると素材の美味しさが120%生かされているかのような味がする。以前ジンジャーエールを貰った時、自分がペットボトルで飲むものとはあまりにも全てが違いすぎて感動を覚え、その興奮冷めやらぬままなぜこんなにも美味しいのかを尋ねた所「残念ながら企業秘密だ。アルバイトとして雇われる気があるなら教えてやるよ」と断られてしまった。あいにくこのようなおしゃれなところでのバイトは俺には似合わないだろう、という自覚があったので断らせていただいたが、その話をしたあとのアスナがおもしろかったのを覚えている。口元に手を添えて微笑を浮かべたあと----
「………いいなぁ、兄弟仲がいいって、」
そんな思考は俺の目の前に座る、手入れが入念に施されているであろう美しい黒髪を二つに分けて括っている、可憐なメガネの少女によって断ち切られた。その発言にその場の全員がシノンの方に振り向き目を丸くする。その話題に関連して1番最初に口を開くのはアスナで、
「え?兄弟仲って…」
「………え?あっ、え??もし、してわたし、口にでてた?」
「結構デカ目のボリュームで出てたぞ。」
俺がそう告げるとシノンはあからさまに「やってしまった」と言うような表情をしている。いや、それにしても
「シノンって、兄弟いるのか?」
その場の全員が思っているであろうことを口にする。
シノンの過去はある程度ではあるが<ガンゲイル・オンライン>の公式大会である<BoB>の最中、本人から聞いたことがある。
幼い頃に父親を交通事故でなくしていること。
そこからしばらくの時が経過した日、母親と訪れていた郵便局にて強盗の銃を奪い、一心不乱でその暴徒の命の灯火を消してしまったこと。
そして、それがシノンの心の深く、完全に癒え切ることの無い傷になっていること。
そんなトラウマを少しでもあの時の俺が救えていたこと。
しかし、その中の話のどこにも「兄弟」と思わしき単語、また関係性は現れてきていない。話忘れていただけ、ということもあるのかもしれないが、ここまで大きな事件があり、その中に兄弟という1番親しい関係の人物が関与していないとは思えない。
そんな思考を張り巡らせていると、シノンは重そうに口を開く。
「えぇ、いるわよ、兄弟。1人、弟がいるわ。上京してきてからはしばらく会ってないけどね。」
「へぇ~!意外!シノンからそういう話聞いたこと無かったし、ずっと一人っ子だと思ってたよ!」
ユウキの感想はごもっともで。確かに過去の話に兄弟と思わしき人物が出てきている訳では無いが、それにしたって兄弟の話くらいならこれだけの年月関わってきているのだからどこかでポロッとこぼれていてもおかしくはなかったはず。
しかし、兄弟の話を口に出した時のシノンは、あからさまなミスをした、というような顔をしていた。それが疑問に思い問うてみると。
「ん~~…しばらく会ってないのよね。あの子とは。その~…色々気まずくて。」
「気まずい…?」
「……うん。昔ちょっと色々あったし、お互い少し大人になってる頃には、もう話すタイミングもなく私は上京してきちゃったから。」
「なぜ、話すタイミングが無かったのですか?兄弟であれば、時間は少しばかりなら作れそうではあると思いますが。」
「………あの子ね。寝たきりになっちゃったから。」
「え…?それって、もしかして…」
寝たきり。この単語が何を意味するか分からないが。
ゲーマーであるシノンの弟なのだろう。当然ゲームが好きなはずだ。
加えて、今現在の日本でゲーマー、ということになれば、ここにいる全員が同様でVRMMOに関連するゲームを指す、と言っても過言ではない。
そしてシノンは今高校二年生で、おそらく上京してきたのも2年前。ということはタイミング的に、もしかすると----
「うん。あの子----SAOサバイバーだから。文字通り、寝たきりよ。」
「…やっぱりか」
ソードアート・オンライン事件----
西暦2022年11月6日。
俺たちが出会うきっかけともなった、地獄が始まった日。
VRに五感を連動させ、あたかもその中で生きているかのような実感、感覚を得ることが出来るという<フルダイブ>技術を使用し、世界各国にてその技術を初めて使いリリースされた新感覚RPGを謳ったゲームである。
今となっては様々な派生作品が生まれてはいるが当時の技術としては革命的なものであり、初日にログインした人数は延べ約1万人と、実に多くのゲーマーがログインし、時代の先駆けを走ろうとした。
しかし、それらは全てSAOの舞台、どこまでも広がる果てしない、それでいて青い、空に浮かぶ城----<天空城アインクラッド>を作った創造神である「茅場晶彦」の思惑通りに過ぎなかった。
そこにダイブした1万人のプレイヤーはログアウトボタンを奪われ、広大なフィールドが広がる合計100階層を全て打破し、ゲームをクリアするまではログアウトをすることが出来ず、かつこのゲーム内で死亡したものは実際にリアルでも死亡する、という、思い出したくもない地獄の、本当の意味でのデスゲームを作り出すこと。それがあの天才、茅場の目的であったらしい。
俺と、今隣に座っているアスナはその地獄のゲームの中で出会った。
あの城の中でお互いに孤独だった俺たちが出会い、戦い、愛し合い…
最愛の人として、共にラスボスであるヒースクリフ----もとい、茅場を撃破し、それはリアルワールドに戻ってきた今でも変わらない。
俺にとってはアスナが最愛の人であり、生涯をかけて守り抜き、共にいると決めた。あの世界で交わした誓いを思い出す。
そんな世界に、シノンの弟も居た、というのだからほか4人の驚きも地獄真っ当なものであって、
「確か、ソードアート・オンライン、というのは死んだらリアルワールドでも本当に死んでしまう、というものでしたよね。シノンの弟は、無事に帰ってくることはできたのですか?」
「うん、幸いにもね。私がこっちに来てから半年後くらいかな。お母さんから弟が目覚めたって連絡があってね。あなたのおかげよ、キリト。ありがとう、今までお礼を言いそびれてて。私、何度あなたに助けられちゃうんだろうね」
「いやそんな、お礼なんていい。俺もあの世界を生き抜くのに必死だったんだ。その過程で誰かを救えているなら、それだけで嬉しいよ」
「それにしても、攻略組とか私の入ってたギルドの中にそれっぽい人はいなかったなぁ。しののんの弟だったらとんでもなくゲーム上手だと思うんだけど」
「昔、お父さんとやってた格闘ゲームとかはセンスあったわね、でも、あの子自体は自分からあんまりゲームやらないの。それに、…ちょっとね。あの子がSAOにログインした理由は、ゲームが目的じゃなかったみたいだから。」
そう呟くシノンの目には、哀愁が宿っていて。
俺がそのことに関してもう少し尋ねてみようと口を開いたタイミングと、エギルが料理を持ってきたタイミングはほぼ同時だった。
次回主人公が登場する
はずです。