金がある奴、それから地位がある奴……両方持った奴は一目見ただけで私に惚れる。それが私の身に……いや、私の一族に降りかかった呪いだ。何でも自分の娘を権力者の妻にすることに失敗し、権力争いに敗れて没落したご先祖様が、どうにかして子孫に天下を獲らせ、この恨みを晴らしたいと、神仏に願いを叫びながら腹を捌いたとかなんとか……まったく、子孫思いの狂人もいたものだ。
「ぐぬぬ……ズルいですわよテイオー! 今すぐ離れなさい!」
「やだねー! ねえねえお姉さん、いっそ二人っきりになれるところに行っちゃわない? それこそ、ボクの部屋なんてどう?」
私の隣を確保したテイオーはあくまで無邪気に抱き着いてくる。少しでも邪な感情があったら引っ叩くところだったが、このくらいは許してやってもいい。まだガキンチョのようだしな。だがそろそろ、向かいに座ったマックイーンの顔がヤバい。とても淑女とは言えない表情をしている。
「そ、そんな破廉恥な……!」
「そうだな、テイオー。そろそろ自重してくれ。」
「えー……まあでも、お姉さんに嫌われたいわけじゃないし、今日は我慢しておこっと。」
あからさまに渋々という態度で、テイオーは私から離れた。それでも隣の席から動くつもりはないらしい。
「まったく……! ごめんあそばせ、バイツァダスト様。折角のティータイムを騒がしくしてしまって……。」
「気にするな、こういうのも嫌いじゃない。」
当たり障りのない対応をしていると、時間を知らせるチャイムが鳴り響く。ちらりと時計を見てみれば、もう時刻は4時に差し掛かっていた。
「ま、不味いですわ! もうすぐチームのミーティングですわ!」
「え? ……うわわっ、ホントだ! マックイーン、早く行かないと遅れちゃうよ!」
「お、落ち着きなさい! 貴女様、こちらを……!」
落ち着けといいながらバタバタと立ち上がったマックイーンに、何かを無理矢理押し付けられる。走り去った二人の背中を見送った後、手渡されたそれに目を落とす。
(チーム『スピカ』……中央だろうと札幌だろうと、トレセンの仕組みは大して変わらないらしいな。)
どこのトレセンでもそうだが、ウマ娘の数に対してトレーナーの絶対数は少ない。故に複数人のウマ娘を少ない人数のトレーナーが担当し、一つのチームを結成することが一般的だ。私も目的のためには、自分に適するチームを選ぶ必要があるだろう。
(そのために、まずは明日の模擬レースだな……。出来れば先にコースを見ておきたいが、あいつらとまた会いそうなのはな……。)
……グラウンドに出るのはやめておこう。既に荷解きは終わっているから、今すぐ寮に行ってもやることもない。とりあえず図書館にでも行って、適当に時間を潰すとしよう。
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(蘭陵王……美しすぎる顔を鉄の仮面に隠す……か。私も同じことをしたら、少しは平穏に暮らせるか?)
仮面をつけた自分の顔を想像し、苦笑しながら本を閉じた。仮面なんて、そっちの方がよほど目立ちそうだ。もうそろそろいい時間だろうし、寮の自室に帰るとしよう。そう思いながら、本があったはずの棚を探していた時。妙に、目を引くウマ娘がいた。
(……何だ、あいつ? 妙にこっちをジロジロ見ている。)
本を読んでいるふりをして巧妙に視線を隠してはいるが、私の感覚は誤魔化せない。子供の頃からやたらと視線にさらされ続けたせいで、人の視線には過敏になってしまっているからだ。
(身長はかなり小さい……だが、眼鏡についたチェーンの
かなりの代物だ。よほど腕のいい職人が作った、高級品なのだろう。髪は一見無造作に見えるが、その一束一束はしっかりと整えられている。経験上、金持ちほど細部にこだわる。特に靴、耳、毛先……そのあたりから考えると、奴も警戒するべき相手かもしれない。
(さて、どうしたものか……。)
見た目だけの印象なら優し気というか……言葉を選ばずに言うなら、陰気に見える。ああいう奴が拗らせた時、何をするかわかったもんじゃない。奴が金持ちで私に気があるかどうかはともかくとして、真意を計るべきかもしれない。意を決して、話しかけてみるとしよう。
「あー……すまない、少しいいだろうか?」
「―――ええ、何か?」
気だるげな声……上擦った様子はない。今のところはシロ、だな。
「私の勘違いだったらいいんだが……ただ、妙に見られているような気配がしたものだから。」
「ああ、それは―――申し訳ありません、綺麗な方でしたから。」
……限りなくグレーに近いシロに修正。もう少し話を聞き出そう。
「それは……ありがとう、嬉しいよ。外見を褒められることなんて、そうはなかったからな。ここまで近づいて気づいたが、君の方もいい香りがする。これは……香水?」
「ええ。お気に入りのものなんです。」
主張しすぎないが、それでもはっきりと存在感を示す。そこらの成金には真似できない品を感じる。警戒ランクをもう一段上げるか……。
「ですが、あなたも香りを漂わせていますよね。ちょうど、私と同じような……。」
「私が? 気のせいだろう。私は香水なんて―――」
「そうですね、言い方を変えましょうか。あなたは私と同じ……
「まさかだろ。」
私と同じような奴が二人もいたら、日本は今も南北朝時代が続いていただろう。だがこいつの言う『同類』。少しばかり、興味がある。
「場所を変えませんか? ここで話し込んでは迷惑でしょう。」
「いいだろう。名前は?」
「ドリームジャーニー。以後、お見知りおきを。」
「……バイツァダスト。私の名前だ。」
いいお名前ですね……と微笑みながら、ドリームジャーニーと名乗るウマ娘は私に背を向け歩き出した。ついてこいということだろう。鬼が出るか蛇が出るか……私は誘われるまま、部屋の中に入っていった。
「ここは?」
「遠征支援委員会……私が委員長を務めさせていただいてる、委員会の部室です。どうぞ、お座りください。今コーヒーでもお持ちしましょう。」
「いや、気持ちだけ受け取っておこう。そう長居するつもりもないしな。」
「……そうですか。これは失礼しました。あまり訪問してくれる方もいない部室ですから、つい浮かれてしまったようですね。」
残念そうな口ぶりと裏腹に、ドリームジャーニーの表情はどこか楽し気ですらある。異様な雰囲気に呑まれる前に、さっさと話を切り上げて帰るとしよう。
「では、早速本題に入りましょう。バイツァダストさん……あなたは、何のためにレースに?」
「……それを知って何になる?」
「私はあなたの歩む『旅路』に興味があるのです。失礼ながら、カフェテリアでのやりとりを見ていましてね。」
「トウカイテイオーさん。メジロマックイーンさん。この学園のスターであり、憧れの存在。どうやら随分懇ろでいらっしゃるようだ。」
「今日あったばかりだ。親しいわけじゃない。」
「おや、そうですか……。ですがとにかくあなたは彼女たちに慕われ、愛を向けられていた。それに対するあなたの目……それがとても、興味深かった。」
「……。」
ドリームジャーニーの顔から、表情の色が消えた。透明……いや、0だ。何もない、虚ろな何かだ。
「私は少しばかり、ニオイに敏感でしてね。あなたから、『悪意』のニオイを感じたのですよ。自分を無邪気に慕う相手に対する、憎悪にも似た感情を。」
「……少しだけ、訂正させてもらおう。私は断じて、トウカイテイオーやメジロマックイーンが憎いわけじゃない。」
「お前は私が何のためにレースに出るのか聞いたな。誤解されたままというのは気分が悪いし、訂正させてもらおう。」
立ち上がった私の顔を見上げるドリームジャーニーの瞳は、どこまでも飲み込まれそうな濁りを感じる。……成程、確かにこいつは私の『同類』かもしれない。
「私の目的はただ一つ。『己の価値を証明する』こと。ただのそれだけだ。」
「名家、名門……そういう『恵まれた』ウマ娘であろうと、ひとたびレースになれば同じゲートに入り、同じ距離を走る。そこに優劣はなく、ただ強弱のみがある。」
「だから、ここに来た。私は奴らに劣らないと。それを証明しに来た。」
もうこれ以上、ここに用はない。ドリームジャーニーという名前、それだけは覚えておこう。しかし扉に手をかけた私の背後から、一言だけ声が投げかけられる。
「模擬レースには、いつ出走されるんですか?」
「……明日の第5レースだ。」
「応援に行きますよ……可愛い妹と一緒にね。」
今度こそ、私は扉を開いた。中央はやはり、侮れない場所のようだ。
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「トレーナー! 次のレースだよ次のレース! 長くて黒い髪で、一番美人な人だからね!!」
「例えぶっちぎりの最下位でも、絶対にスカウトするんですのよ!!」
「だー、うるせえ! レースを見てから決めるって言ってんだろうが!」
選抜レース。それはウマ娘とトレーナーの出会いの場であり、数多の伝説が始まった場所。トレーナーに担当してもらえなければレースに出場することすら叶わないため、ウマ娘たちにとってはまさしく戦場そのものだ。ここでよい成績を残せず、誰からも選ばれることなく、顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら学園を去るウマ娘も少なくない。
そんな血風香るグラウンドで、場違いなほどにギャーギャーと騒ぐ集団が一つ……チームスピカだ。メンバーのテイオーやマックイーンとは裏腹に、チームのトレーナーを務める沖野は不満げに頭を搔く。
「ったく、お前らだけでも十分キツいってのに……まあ、有望なウマ娘を見出すってのは正直ワクワクするが……。」
「とにかくバイツァダストさんだからね! 絶対目離さないでよ!」
「わーった、わーったって! ほら、もう始まるぞ!」
体操服とゼッケンを身に着けたバイツァダストがコースに姿を現すと、テイオーとマックイーンは静まり返った。彼女の一挙手一投足、全て見逃さないとでもいいたげに。シンボリルドルフは全ての執務を放り出し、最前線で彼女を見守った。ゴールに帰って来た時、最初に見る景色は自分であってほしいからだ。ドリームジャーニーと彼女の妹、オルフェーヴルもまた、少し離れたところで観戦を行う。彼女が『コバエ』に……あるいは『糧』となるかを確かめるために。
様々な思いを乗せた選抜レース……その火ぶたが今、切って落とされた。
「―――ッ!!」
皆の視線を一身に受けながら、バイツァダストは好スタートを切った。ゲートから飛び出した彼女は、後のことなど何も考えないでいいとでも言いたげに、ぐんぐんと先頭に向かって駆けていく。
「逃げか? だが正直―――」
ポジショニングはお世辞にもいいとは言い難い。逃げという作戦は何も、最初にハナをとってひたすら走ればいいというものではない。より自分が走りやすい位置を、誰よりも早く発見し確保する。その場所を奪おうとする相手から守り通す。最終直線に向けて脚を温存する。そういった駆け引きがレースの中で行われるわけだが……。
「ペースが早すぎる。ほとんど先頭争いから変わらない速度だぞ。あれではコーナリングにも無駄が生じる。」
「先頭のバイツァダストって子はそろそろ垂れるでしょうね……。」
(そう……
周りのスカウト目的のトレーナーたちが呟くのを聞きながら、シンボリルドルフはほくそ笑む。彼らは知らない、自分だけが知っているバイツァダストの真価。それが今、ヴェールを脱ぐのだ。
『残り400メートル! 先頭は未だ、バイツァダスト!』
「垂れない……? ラップタイムは?」
「ほ、ほぼ同じです……。」
「おいおい、このまま行くとまさか……。」
ありえない。怖気にも似た冷たい空気が、あたりの場を支配していた。ラップタイムがほぼ同じというのは、最初から最後まで同じスピードで駆け抜けられることを意味する。先頭争いを勝ち抜いた最高速のまま、最後まで走り抜ける? そんなことは―――
『残り200メートル! バイツァダスト先頭! バイツァダスト先頭! 他のウマ娘たちはついてこられるのか!?』
「行っちまうぞこれ!?」
「そんなわけない! ありえないだろう!?」
誰もがその光景を信じられないまま、それでも最後の瞬間は訪れる。
『バイツァダスト一着! バイツァダスト一着! ぶっちぎりです! 二着はゴールドポイント! 三着にアサマルとなりました!』
「おいおいマジか……!」
半ば無理矢理模擬レースに連れてこられた沖野だったが、目の前の光景には胸の高鳴りを押さえられなかった。最初にハナをとり、後はそのまま同じスピードで先頭を走る。横綱相撲という言葉ですら生ぬるい、誰もが夢見て諦めるレース。それを見せつけられた。
それも、完璧ではない。ポジショニングの甘さ、レースの戦略、トップスピードも特筆するほどのものではない。まだまだ荒削りの部分が多いのだ。才能という馬鹿でかい武器を力の限り振り回しているような、人を惹きつけてやまないパワフルな走り。力や技術、作戦が詰まった通常のレースを研ぎ澄まされた刀だとすれば、バイツァダストの走りはただひたすらにデカく、重く、それ故に強いスレッジハンマーだ。
鍛えたい。そんな原石を見て、心が踊らないならトレーナーをやっている意味はない。その証拠に、既に誰も彼もがバイツァダストのもとに殺到している。
「何してるんですのトレーナーさん! 先を越される前に急ぐんですのよ!!」
「お姉さん、今行くから待っててねー!」
マックイーンに急かされ、既に駆け出したテイオーの跡を追うように沖野も走り出した。
「バイツァダスト君! ぜひうちのチームに来てくれ!」
「いやいや、ここはうちでより広い戦略を……! 君ならドバイだって夢じゃない!」
「スピカですわー! バイツァダスト様、メジロマックイーンですわーー!!」
あっという間に大勢の人だかりに囲まれたバイツァダストを見て、シンボリルドルフは1人後方で頷いていた。世界がようやく彼女を見つけたこと、彼女が受けるべき正しい評価を得られたことに喜びを感じていた。そして同時に、未だ彼女に話しかけられそうにない自らの臆病さに失望してもいた。
「トレーナーの皆さん、集まってくださってありがとうございます。」
あまりの熱狂にもはや収集がつかなくなりかけた時。人ごみの中心にいたバイツァダストは、よく通る声で周りに呼びかける。すぐにシンと静まり返った場は、次の彼女の言葉を聞き逃すまいと皆が意識を集中させているようだった。
「一人一人のお話をきちんど伺いたいと思いますので、スカウトは明日以降とさせてください! もうすぐ次の模擬レースも始まりますので!」
その言葉に我に返ったのか、少しずつ人ごみが元の位置に戻り始めた。それを見届けてから、ゆっくりとクールダウンを始めるバイツァダストの背中を、あるウマ娘が見つめていた。
「珍しくカフェに誘われたものだから、何があるのかと見てみれば……実に素晴らしい! ああ、早く調べさせてほしいなあ!」
「善は急げと言うからねぇ……。クールダウンが終わったなら、すぐにでも会いに行こうじゃあないか!」
バイツァダストに熱視線を送る、狂った光を湛えた瞳。アグネスタキオンが彼女を見つめる視線に籠った温度は、そのレースや肉体に対してのみではないように見えた。