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……流石に、効いた。模擬レースを駆け抜けた後、私はなんとか人目につかない襤褸の部室の裏まで歩いていき、ほとんど崩れ落ちるようにへたりこんだ。昔から息が切れるということはなかったが、体の方は疲れを隠しきれていない。脚どころか、指一本ですらもう動かしたくない。
もしこの姿を見られたら、私に魅了された奴じゃなくても医務室に連れて行こうなどと言い出すだろう。とりあえず、脚に力が戻るまではここで休ませてもらおう。そう思っていた時、場違いなほど明るい声が響き渡った。
「やあやあ! 初めましてだねえ、バイツァダスト君! 模擬レース、見せてもらったよ!」
「……何だ、お前は。」
やけに高いテンション。嫌な予感がする。恐る恐る顔を上げると、栗毛のウマ娘が私の顔を覗き込んでいた。
「アグネスタキオンだ! よろしく頼むよ。」
「……何をよろしくされたのかわからない。」
私のあからさまなほどの不機嫌な態度にもひるまず、アグネスタキオンと名乗ったウマ娘は私の手を取った。
「君の走りを見てビビッと来てねえ……! ダートなのが惜しいが、君なら私の求める、最速の果てにさえたどり着けると思ったのさ!」
「話を聞いてるのか?」
「そこで! 君には私の実験に協力してほしいのさ! ウマ娘の限界……最高到達点のためにね!」
「帰っていいか?」
会話をしているようで、まるで嚙み合わない言葉と言葉の雪合戦。私は喧嘩を売っていると思われても仕方ない態度だったが、こいつはまるで気にする様子もない。
「ひとまず君の体を調べさせてもらえないかい? ガソリンタンクでも積んでいるんじゃないか?」
「おい……。」
こちらににじり寄って来るタキオンだったが、今の私は正直動きたくない。もし指一本でも触れたらその時は……と思っていたが、そこに救世主が現れた。今一番、会いたくない救世主が。
「……彼女から離れるんだ、アグネスタキオン。君が易々と触れていい人じゃない。」
「おやおやおやおやおや! これは驚いた、会長殿じゃないか。いつも通り、問題児の視察かい? 精が出るねえ。」
「誰のせいだと思っている? それよりも早くそこをどくんだ。彼女に近づくな。」
「……ふゥン? どうしたんだい、会長。いつもより、遥かに当たりが強いように感じるのだが。虫の居所でも悪いのかな?」
ルドルフ……。理事長室では随分と挙動不審だったくせに、今は殺気すら感じさせる。予想していたこととはいえ、かつて無邪気に慕っていた友人まで私をそんな目で見るとなると……正直、辛い部分はある。
「それ以上の発言は許可しない。君がやるべきことは、今すぐ背中を向けてここを去ることだ。」
「……随分と横暴だねえ。そのようなことを言われる筋合いはないと思うのだけど?」
険悪な雰囲気。これ以上は、本当に殴り合いに発展しかねない。とにかく何とかして、矛を両者に収めさせなければ。
「そこまでにしておけ、ルドルフ。タキオン。」
「ッ、バイツァダスト……。」
「ん~、いい響きだねえ。君に名前を呼ばれただけで、何故だか妙に気分が高揚してくるよ。もう一度、呼んでもらっていいかい? 今度はきちんとデータをとりたい。」
……ひとまずタキオンは無視。まずはルドルフを押さえよう。
「慇懃無礼な態度は理事長室の中だけだと思っていたんだがな。一々本名で呼ぶのも面倒だろうし、昔の呼び方で構わない。それとも、忘れてしまったか?」
「……! そんなわけがない!! 君のことを思わない日はなかった!」
「なら呼んでみろよ……ルナ。」
「―――!」
少しサービスしすぎたか? まあとにかく、ルドルフの意識をこちらに向けることには成功した。ルドルフと私の間を、興味深そうに見ているタキオンの視線はこの際無視しよう。
「……じ、ジン、ちゃん。」
「覚えていてくれて嬉しいよ。だが『ちゃん』はやめろ。ジンでいい。」
最初は『ダスト』と呼ばれていた。だが、「ゴミ」や「チリ」という意味のそれで呼ぶのを嫌がったルドルフが、私と一緒に辞書を引いて決めた名前だ。塵という感じの音読みであり、それなりに耳障りがいいからまあまあ気に入っている。もっとも、それを知っているのはルドルフくらいのものだが……。
「タキオン。お前もこれからはジンでいい。ルドルフがくれた名前だ。」
「フゥン……初出が私以外というのは正直気に喰わないが、ありがたく使わせてもらおう。ではジン君、改めて私の実験に……!」
「いいだろう。条件次第でな。」
「なっ……!」
「ハーっハッハッハッハッ! 話が分かるじゃあないか!」
「待つんだジン! 考え直してくれ! そもそも君は、このアグネスタキオンというウマ娘について知っているのか!?」
「知らん。だから今から、それを確かめさせてもらおう。」
何とか壁に手をつきながら立ち上がり、私は二人の方を向いて告げた。
「ルドルフ、それにタキオン。今から二人で併走してくれ。」
「併走を?」
「私は、私より弱い奴に鍛えてもらいたいとは思わない。それにお前も、私がいない間に鈍っていたなら、私が倒すべき獲物にもならない。それは困る。」
「タキオンが信用していい奴なのか。ルドルフは私の敵のままなのか……確かめたい。」
「フゥン? つまり、その併走で私が君に自分の価値を証明できたなら……。」
「いいだろう。お前の実験とやらに付き合ってやる。」
「ククク……! いいねえ、実にわかりやすい! そういうことなら、私に断る理由はないよ。」
「よし。まさかお前は断らないだろう、ルドルフ。」
「君の頼みとあってはね。―――タキオン。」
ルドルフの瞳に、私は確かに雷を見た。電流が奔り、エンジンプラグに点火するように……間違いなく、彼女にスイッチが入った。いつの間にか、迫力のあるいい顔をするようになったものだ。
「悪いが、全力だ。ジンの前で無様は晒せない。」
「クク、面白くなってきた……。『皇帝』のレース、間近で拝ませてもらうとしよう!」
空はとうに夕暮れの赤に染まり切り、少しづつ暗くなり始めている。皆トレーニングやレースを終え、コースにいるのは私たち三人のみ。シンボリルドルフの久々の走りを見届けるギャラリーとしては不足もいいところだが、奴に聞いたら『君が見ていればそれでいい』くらいのことは言うのだろう。
そうして始まったレースは、終始ルドルフのペースだったと言っていい。だがそれは決して、アグネスタキオンが劣っているというわけではない。むしろ、最後までよく食らいついたというべきだろう。現にラップタイムや最終的な記録は、一般的な記録を遥か彼方に置き去りにしたものだった。
「ハァ……ハァ……ッ! どうだ、ジン! 私は勝ったぞ!」
「流石だな。お前の走りを生で見るのはあの頃以来だが、衰えてはいないようで安心した。」
「フゥー……疲れた疲れた。だが、価値ある時間だったと思うよ。それで、どうだいジン君? 私の走りは、君のお眼鏡にかなったかな?」
余裕そうな言葉を吐くアグネスタキオンだったが、実態はターフに寝ころび、大きく胸を上下させている。あのレースに本気でついて行けば、こうなるのも至極当然だろう。どうやら今度は、私が彼女の顔を覗き込む番のようだ。
「十分だ。アグネスタキオン、お前のことを信用したわけじゃないが、お前の実力は本物だとわかった。」
「なら……。」
「お前の言う、ウマ娘の可能性の果て……それを私も見たくなった。」
「そうでなければ……こいつには、勝てそうにもないからな。」
走りを目の当たりにして、改めて理解した。こいつは―――シンボリルドルフは化け物だ。私の専門はダートであり、ルドルフと一緒に走る機会などそうそうありはしないだろう。つまりこいつに勝つというのは、単純なレースの順位を意味しない。
私の走りを見せつけた上で、負けを認めさせる必要がある。そのためには、タキオンの言う可能性の先に到達した走り……そういうのが必要なのかもしれない。
「ハーッハッハッハッハッ! 交渉成立だねえ! 早速で悪いが、少し肩を貸してもらっていいかい?」
「自分で立て……と言いたいところだが、良いものを見せてもらった礼だ。いいだろう。」
アグネスタキオンの脇の下に腕を差し入れ、肩を支えて立ち上がらせる。やけに物欲しげな顔をしているルドルフのことは、今はとりあえず無視しておこう。
「さて、もういい時間だしこのまま寮に連れて行った方がいいか? それとも、大浴場にでも?」
「大浴場!? ちょっと待ってくれジン、私たち以外にそんな……!」
「うるさいぞルドルフ。10年近く前のことを今更持ち出すんじゃあない。」
そもそも、私は大浴場を利用するつもりはない。何が起こるか、火を見るより明らかだからだ。
「魅力的な提案だが、今回は寮に帰るとしよう。なにせ、これからそういう機会はいくらでも訪れるだろうからねえ。……というか、何ならもう一歩も動きたくないし、おんぶしてくれても構わないよ。」
「贅沢言うな。私も正直限界ギリギリなんだ。」
タキオンの寮は栗東……私は美浦の方だから、わざわざ長い距離を歩かされる羽目になる。同室の奴に連絡してみるかとも思ったが、人助けなんて殊勝な奴でもない。これもトレーニングの一環と思い、体に鞭打って歩くとしよう。
「ところで君、何かフェロモンみたいなものでも出しているのかい? こうして支えられていると、やけに横顔が色っぽく見えるんだよ。」
「一度目は許す。次同じことを言ったら放り投げて帰るからな。」
「つれないねえ。おっと、ここを右だよ。」
……どうやらこいつも、それなりに格式のある家の出らしい。何とか上手く距離感を掴まなければ、面倒なことになりそうだ。特に今のシーンを他の奴に見られて、自分もやってほしいなんて言われたら……
「タキオンさん……。何を、やらせているんですか……?」
悪い予感というものは往々にして当たるものだ。ぎこちなく振り向くと、顔を覆い隠しそうなほど長い黒髪のウマ娘が、私たちを爛々とした瞳で見つめていた。顔はしかめられ、不機嫌さを隠そうともしない。頼むから、私の想像しているような奴じゃないでくれ。
「なあんだ、カフェじゃないか。いつにも増してしかめっ面じゃあないか。ひょっとして、私たちに嫉妬しているのかい? ン?」
「馬鹿、やめろタキオン! ひっつくな!」
「いいじゃあないかジン君。我々の仲睦まじい様子を見せつけてあげよう!」
タキオンは私の首に両手を回し、頬が触れるほどに顔を近づけて来る。こいつ、本当にぶん投げてやろうか。
「……何をやっているのかはわからないですが……私が不機嫌なのはタキオンさんがまた誰かに迷惑をかけていると思ったからです……。」
黒髪のウマ娘はマンハッタンカフェと名乗り、タキオンの顔見知りだと自己紹介した。私たちは友人じゃないかというタキオンの抗議を無視しながら、私の方に向き直る。
「あなたは……オトモダチが言っていた方……。成程、確かに
「背負って……? いや、確かにこいつはおんぶしてくれなんて言ってきたが、それは断ったぞ。」
「……見えていない、と。……うん、そうだね。同じかと思ったけど……ううん、大丈夫。あなたがいるから、私は寂しくないよ。」
……私と話していたはずなのに、いつの間にか虚空を見つめてブツブツと話し始めた。何と言うか、タキオンに協力することを決意したのは間違いだったかもしれない。タキオンそのものも癖が強い人物だが、その周りの人物もヤバいのかもしれない。類は友を呼ぶというやつかと猛烈に後悔し始めた私を他所に、カフェは改めてこちらに向き直った。
「タキオンさんが、どうもご迷惑をおかけしました……。多分その人、自分で立てると思いますので……」
「カ~フェ~、何でそんなひどいことを言うんだよ~。もうしばらくこのまま、役得を楽しませてくれてもいいじゃあないか~~。」
「……今日だけだからな。」
私の言葉を許容と受け取ったのか、タキオンの腕から伝わる体重が更に大きくなる。こいつ、甘やかすと際限がなくなるタイプか。それに対して、カフェの方は一層しかめっ面が濃くなる。不信感ばかり感じていたが、常識的なところもあるようだ。カフェは私に憐れむような視線を向け、口を開いた。
「ここからは……私が代わります。あなたも見たところ、トレーニングかレース上がりでお疲れでしょうから……。」
「そうか、悪いな。……その、一応聞きたいんだが、何かしらの儀式の生贄にするとかないよな?」
「寮の部屋に放り込んだら、私も自室に帰るつもりです。」
「最高だな。おいタキオン、さっさと離れろ。」
「えーっ! もう少しくっついていてもいいと言ったじゃないかー!」
文句を垂れるタキオンを何とか引きはがすと、不満たらたらながらしっかりと両方の足で立った。もう二度と、こいつを甘やかすのはやめようと心に誓う。
「それじゃあ……カフェ。そいつのこと、任せたぞ。」
「ええ。もう外は暗いので、帰り道はお気をつけて。」
「ありがとう。それじゃ。」
二人に背を向け、私は寮の自室に向かって歩き出した。胸に感じる解放感は、重しがなくなったからだけではないだろう。
――――――――――――――――――――
「……どうしてですか? タキオンさん。」
「なんだいカフェ、藪から棒に。話が見えてこないんだがね。」
バイツァダストと別れた後。寮の部屋に帰る道すがら、マンハッタンカフェがぽつりと尋ねた。
「あなたはずっと、レースに出ること……というより、走ることそのものをしていなかったはず。研究のために授業もレースも犠牲にして、実験とレポートに没頭して……それが、シンボリルドルフさんと死力を尽くして競い合った。 ……何がタキオンさんをそうさせたんですか?」
「フゥン……単純な話だよ。私が彼女の協力を取り付けるためには、そうすることが条件だったというだけのことさ。」
「それほどまでに、あの人には価値があると……?」
「もちろんだとも! あのスタミナは、単純なトレーニングだけで得られるようなものじゃあない。私の見立てでは、心肺機能が相当発達していると考えていてねえ。まだまだ体が出来ているとは言い難いが、もし完成した走りを見られるのであれば……それは本当に、私が夢見た可能性の先かもしれない!」
「はぁ……そうですか。」
自分から聞いておきながら、興味のなさそうな返事を返すマンハッタンカフェ。理由は単純だ。タキオンから返ってきた答えが、自分の期待していたそれと違ったからだ。
(バイツァダストさんを見つめる瞳……明らかに、いつもとは違う光が宿っているんですよね……。)
それをタキオンに告げるほど、マンハッタンカフェというウマ娘は無粋ではなかった。彼女にしか見えないオトモダチも、それが正解だと言っている。
―――そう、わかってはいるのだが。カフェの胸には、チクリと小さな痛みが走る。学園生活を放棄したアグネスタキオンの立場は、率直に言ってかなり危うくなっていた。レースにも出ず、授業にも出席せず、ただただ得体のしれない実験ばかり繰り返し、他の生徒に実験台にならないかと勧誘する……学園がお荷物だと考えるのも仕方のないことだとは思う。
だから、カフェはタキオンに伝えた。オトモダチが教えてくれた、自分と同じように、『
―――はたしてその試みは、予想よりも遥かに高い効果をもたらした。バイツァダストを見たタキオンは、これ以上ないほどレースに興味を示している。少なくともバイツァダストがトレセンにいる限り、タキオンはここに留まろうとするはずだ。
自らの試みが上手くいったこと。友人が前に進もうとしていること。喜ぶべきことだというのに……
(……その『役目』は、私では不足だった。)
断じて、マンハッタンカフェはアグネスタキオンに対し、特別な感情を抱いてはいない。ただの友人の一人だ。それでもチクリと、魚の小骨のように痛む。嫉妬か? 後悔か? 敗北感なのか?
グルグルと巡る思考は、場違いなほど呑気な声に遮られる。
「何だいカ~フェ~。自分から聞いておきながら、その態度はあんまりなんじゃあないか?」
「……すみません。ほら、着きましたよ。」
何を考えているかわからない、と評されることも多いマンハッタンカフェ。そのポーカーフェイスは今日もまた、彼女の真意を友人から隠し通したのであった。
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「さて……今日も、か?」
寮の自室の扉の前。私は中々入ることが出来ないでいた。理由は一つ、困った同居人のせいだ。警戒しつつも、このまま突っ立っているわけにもいかない。とにかく覚悟を決め、扉を一気に開いた。
その瞬間。強烈な破裂音が私の鼓膜を襲った。
「きゃあ!?」
「ぎゃははははーっ! へんな声なのだー!」
思わずへたり込み、私は……クソ、私は、違う、こんなのは私のキャラじゃない。何がきゃあだ。今更そんなにゃんついた声を出すわけがない。
扉をよく見てみると、細長い紐のようなものが伸び、複数のクラッカーに繋がっている。薄く煙をあげているそれを見るに、扉を開いたら紐が引っ張られ、クラッカーを鳴らす仕組みになっていたのだろう。 ……こんな手の込んだイタズラをする奴は一人しかいない。
「お前……! またか、シンコウウインディ!! 昨日の今日でよくも……!」
「にっしっしー! お前なんて、ウインディちゃんにかかればこんなもんなのだー!」
……これが私の同居人。名前をシンコウウインディ。とても高等部とは思えないほど幼稚でずる賢い、イタズラ好きの悪ガキだ。