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スマホのアラームが鳴り響き、7時になったことを知らせる。寝ぼけまなこでスマホを探し、停止ボタンを押した。ウインディがほとんどしがみつくように寝ているせいで動きづらかったが、もう準備をしなければ。
「起きろ。おい、ウインディ。」
「うー……?」
「もう朝だ。遅刻したくなかったらさっさと起きるんだな。」
無理矢理ウインディを引きはがし、私はさっさと洗面台に向かい顔を洗う。自慢じゃないが、私のストレートな黒髪はほとんど寝ぐせがつかない素直な子だ。櫛で何回か往復するだけでいつも通り、完璧なコンディションを取り戻す。歯ブラシに歯磨き粉をつけ、口に含む前に同居人に声をかける。
「おいウインディ、洗面台空いたぞ。」
「わかったのだ……。」
ウインディは未だに意識がはっきり覚醒したわけではないらしい。朝が弱いのか、それとも昨日寝るのが遅かったからか……ともかく、私は自分の準備に集中しよう。早くしなければ朝食の時間が無くなる。右手で歯を磨きながら、空いた左手で簡単にベッドメイキングをしておく。
ウインディがのそのそと洗面台から離れる。まだ寝ぐせが残っているようにもみえるが、元からあんな風だったような気もする。とにかく空いた洗面台で口をゆすぎ、私は寝間着のボタンに手をかけた。
(それにしても……)
我ながら飾り気のない下着姿でトレセンの制服をまじまじと見つめる。こいつを身に着けることが許されたこと……それ自体がある種のステータスであり、権威でもある。あらゆるウマ娘にとって憧れの装いに対し、少しは感慨のようなものが湧くかとも思ったが、驚くほど私の心は凪いでいる。
―――だが突然、そこに嵐が吹き荒れる。
「ガブーっ!」
「いった!? こ、こいつ……!!」
ウインディ……! こいつ、少しも反省していない。今度は肩口に噛みついてきやがった。
「ふ、ふーん! 油断してるお前が悪いのだ! いつまでもそんなカッコでいるからなのだー!」
「クソ……。あーもう、さっさと着替えろ!」
ウインディは寝間着のままだからか逃げるに逃げられず、部屋の隅で猫みたいに威嚇してくる。一々怒るのもバカらしく、私はさっさと着替えを続行する。幸い制服を着れば見えなくなるであろう位置だし、もう気にしないことにした。
「私はもう行くからな。ちゃんと戸締りしとけよ。」
「ま、待つのだ! ウインディちゃんも行くのだー!」
私の声に慌てて着替えるウインディ。せわしない手つきの割に襟をきちんと整えたり、リボンを綺麗に結んでいたりするあたり、育ちのよさが垣間見える。鞄を持ってどたどたと飛び出してきたのを見届け、私はドアにしっかりと鍵をかけた。
「よーし! 早速出発なのだ!」
「はいはい。転ぶなよ。」
カフェテリアで慌ただしく朝食をとり、そのまま教室に向かう。本格的に授業に参加したのは昨日からだが、警戒しなければならないようなお嬢様方は今のところいない。何人かそれらしき反応をしている生徒もいるが、積極的に関わろうとはしてこない。大方私のバックに、皇帝の影でも見ているのだろう。とにかくそれなら好都合、適当に授業をやり過ごして―――
「やあやあジン君じゃあないか! 同じクラスとは、私たちの間には奇妙な縁があるとは思わないかい?」
「……。」
「朝から大分お疲れのようだねえ。それならこの私謹製栄養ドリンクβでも……。」
「私の平穏な学生生活が、音を立てて崩れる音が聞こえたんでな。……アグネスタキオン。お前、昨日はいなかっただろう。欠席の確認すらされていなかった。」
「ああ、それは当然だとも。なにせ私は、初回の数回の授業しか出席していないからねえ。」
「それがどういう心変わりだ?」
「君と出会ってしまったからには、退学なんてまっぴらごめんだからね。学生という身分である以上、学園のカリキュラムと喧嘩し続けるわけにもいかないのさ。」
「そうか。まあ、いい。それに……。」
アグネスタキオンから視線を外すと、クラスメイトたちが一歩、後ずさりしたのが見える。教室の異様な雰囲気からなんとなく感じてはいたが、こいつは周りからかなり距離をとられている。
「意外でもないだろう? 私の校内での評価は、まさしく
「お前、何やったんだ?」
「なに、見果てぬスピードの可能性を追究し続けただけさ。気にせずとも慣れているよ。」
一瞬だけタキオンは目を伏せるが、すぐに私の目を真っ直ぐと見据えた。
「さあさあ、そんなことよりそろそろHRの時間だろう! さっさと席に着きたまえよジン君。この問題児ですらそうしているのに、君が立ちっぱなしというわけにはいかないだろう?」
その言葉通り、すぐに先生が教室の中に入って来る。どこか奇妙な雰囲気を感じながら、あっという間に授業の時間は過ぎていった。放課後、私は事務員のたづなさんの元を訪ねた。私の希望に最も沿うチームに心当たりがないか聞くために。
「えーっと……つまり実績は度外視、とにかくやる気と勢いがあるチームがいいんですね。」
「はい。昔は名門扱いされていたのに、今はすっかり没落したようなところだと最高です。」
「仮にそういうチームがあったとして、その名前を挙げるのはかなり失礼なのでは……。」
あまり気が乗らないという感じではあったが、それでも流石はたづなさんだ。私の希望にピッタリ当てはまるチームを見つけ出してくれた。
「……最高ですよ、たづなさん。ここのトレーナーは今どこに?」
「毎日のように熱心に勧誘活動をされてますから、すぐにわかると思いますよ。でも今の時間帯は部室にいらっしゃると思います。」
場所を教えてもらい、私は早速駆け出した。とりあえず話を聞いて、問題がなければ決めてしまおう。逸る気を押さえることさえしなかった私は、背後の呟きに気づかなかった。
「本当に大丈夫なんでしょうか……。」
「あのチームの、トレーナーさんのあだ名……『
「悪名高い“トレセンの墓場”……。」
――――――――――――――――――――
「……ハハ、いい場所だ。中央にもこういう日陰はあるわけだ。」
たづなさんに教えてもらった場所は、正門やグラウンドからは少し距離があり、なおかつ背の高いプールや屋内トレーニング場の影にあり……つまるところ、目立たない寂れたところだ。いつからあるのかもわからないプレハブ小屋のような部室が目を引き、トタン屋根の香りが胸を満たす。一歩一歩を噛みしめるように歩き、私はとうとう目当ての場所にたどり着いた。
「チーム『プルート』……ボロい表札だ。ますます気に入った。」
ノックで扉を壊さないよう慎重に叩くと、そんな私の配慮もぶち壊すように扉が慌ただしく開かれた。中からはウマ娘が飛び出してきたが、制服や生徒のジャージではなくスーツを着ている。ということは彼女がトレーナーなのか?
「ハァ、ハァ……! よ、ようこそチーム『プルート』へ! 見学希望者かな!?」
「そんなところだ。私の名前はバイツァダスト。」
「うんうん、バイツァダストちゃんね! 私は『スパイダーリリー』、見ての通りウマ娘で、このチームのトレーナーをやってるんだ。気軽にリリーって呼んでくれていいからね! それでダストちゃんは見学に……あ、で、でもそっか。」
俄かにトレーナーの顔が曇る。喜んだり曇ったり、忙しい人だ。とにかく入ってと促されるままに中に入る。外観はボロいが、中は意外と綺麗に整えられている。この人がしっかり掃除をしているのだろう。ギシギシと軋むパイプ椅子に腰かけると、トレーナーは冷蔵庫からペットボトルを取り出し渡してくれた。
「ここまでわざわざ見に来てくれる子がいるなんて思わなかったよー! えっと、それでバイツァダストちゃんはどうしてここに来てくれたの?」
「このチームに興味があるんだ。たづなさんに話を聞いてな。」
「……どういう風に聞いてきたの?」
「かつては名門だったが、今はすっかり落ちぶれてしまったチーム……私がここに来たのは、あなたの真意を知りたかったからだ。」
「……。」
スパイダーリリーの表情が僅かに固くなる。私は身を乗り出し、更に声を上げた。
「貴女のことも聞いたんだ。解散するはずだったこのチームを再建するために、毎日必死で勧誘している新人トレーナー。いつしかついたあだ名が、『渡し守の下駄』……貴女の前に、このチームのトレーナーだった人。その人の異名が『三途の川の渡し守』。それに踏みつけられたから、渡し守の下駄。」
「このチームを担当する貧乏くじを引かされた、と周りから聞いている。だというのに貴女は腐ることなく、毎日必死で勧誘しているそうじゃないか。」
「その上まだ新人で、自分のチームを持てるほど成熟しているとも思えない。貴女は何を思い、このチームにしがみついている?」
私の投げかけた問いを最後に、あたりは静まり返った。グラウンドの方に行けば今頃多くのウマ娘たちのトレーニングの声に満ちているのだろうが、ここだけは静寂に満ちている。周りと違うというのはやはり、少しだけ寂しい。
「―――私は、さ。」
「私はトレーナーさんに、踏みつけにされたなんて思ってないよ。むしろその逆、救ってもらったんだ。」
「私たちはみんな、どこにも受け入れてもらえないダメダメなウマ娘で、ここが最後に受け入れてくれた。トレーナーさんだけは、私を見捨てないでいてくれた。レースのキャリアに悔いが残らないよう、最後まで面倒見てくれたんだ。」
「このチームを去る時は皆笑顔だった。レースで上を目指すなんてできなかったけど、誰もレースに未練を残さなかった。でもそのせいで、向上心のないチームだとか、プルートに入ることになったら終わりだとか言われるようになって……いつの間にか、誰もいなくなっちゃった。」
リリーは机を見つめながら、静かに話をしてくれた。
「―――本当はね! 本当はもう一度、このチームを強くしたいと思ってたんだ。もっともっと強くなれば、周りの評価もきっと裏返るはずだって。このチームは墓場なんかじゃない、沢山の思い出が詰まったすごいチームなんだって。」
「つまり貴女は……このチームの悪名を雪ぐためにトレーナーをやっているのか?」
「そうだよ。きっと皆、そんな私の下心を薄々感じてるんだと思う。誰も入ってくれないのも当然だよね!」
「なるほど……貴女の熱意はウマ娘たちじゃなく、チームそのものに向いているんだな。」
「そうだよ。失望したかな?」
「―――だから気に入った。チーム『プルート』、最初の部員は私だ。」
私は机の上にでかでかと置かれた入部届を一枚手に取り、さっさと必要事項を記入していく。最後に署名を行い、あっけにとられたような表情のリリーの目前に突き出した。
「ちょ……ちょっと待ってよ! 話聞いてたの!? 私はまだぺーぺーの新人で、このチームにはお金だってないんだよ!? 肝心のトレーナーはウマ娘たちより、チームに愛着があるようなダメダメなんだよ!?」
「何度も言わせないでほしい。だから気に入ったんだ。私もはっきり言ってレースに興味はない。ただここなら、私の価値を証明できると踏んでやってきた。私にとってレースは道具でしかない。貴女と同じでな。」
「わ、私は……。」
「違うのか? ウマ娘に勝たせたいのは、所属しているウマ娘が勝てばこのチームに対する評判が良くなるからだろう? まったく驚いた。私と同じ考えのチームがあったなんてな。」
「それに貴女に会って、私ははっきり気づいたね。まだまだ、もっともっと飢えなくてはならない。この身の『呪い』ですらも、私の力に変えてみせる。」
「の、呪い……?」
この場所に来て、この人に出会って……私には必死さが足りないと気が付いた。この寂れた場所で来るはずもない新入部員を勧誘し続けるこの人のように、なりふり構っていられない。自分に使える『力』であれば、例え呪いだろうとこの身に宿す。
「トレーナー。このチームが存続するのに必要な人数は何人だ?」
「……最低、五人。それも一か月後までに。」
「一か月? チョロすぎる。」
思わず笑ってしまった。私に呪いが発現してから五年間のことを思えば、この程度どうにでもなる。
「よく見てな、トレーナー。貴女の目の前にいるのは、『一秒で惚れさせるウマ娘』だ。」