玉の輿では終われない   作:春雨シオン

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ジャンプだったらそろそろ打ち切りを宣告されてそうなくらいレースが始まらないんですが……中々そこに駆けだす経験値が足りないところ
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Part6 旧友からの便り

 私の名前はスパイダーリリー。かつて、このトレセンの生徒だった。所属していたチームの名前は『プルート』……あだ名は『トレセンの墓場』。ここにいたウマ娘たちは皆G1どころか、重賞だって勝ったことがない。それでも皆一生懸命に汗を流して、最後までやり切ったと満足して卒業していく。そんなチームが大好きだったけど、周りの目はそうじゃなかった。向上心のない情けないチームだと思われて、誰からも見放されて……だから私は、トレーナーさんの反対を無理矢理押し切って、このチームを奪い取るみたいに受け継いだ。周りを見返すために。

 

 現実は、厳しかった。一度染みついた悪名は中々拭うことは出来ず、今は部員の一人すらいない。ただただがむしゃらに、現実から目を話すみたいに勧誘を続けた私の元に、一人のウマ娘が現れた。

 

 

「一か月以内に、このチームにメンバーを集めてやる。私が最初の一人目だ。」

 

 

 バイツァダスト。長い黒髪と、綺麗な黄金の瞳を持つウマ娘。彼女は記入済みの入部届と共に、高らかにそう宣言した。

 

 

「な……何を言ってるの。気持ちは嬉しいけど、そんなのあなたがやる必要ないよ。」

 

「ここでどれだけ勧誘をしてるのかは知らないが、少なくともその成果は出ていないらしい。今は誰も部員がいないしな。だったら他のやり方も試すべきだろう? ここに、その別の手段を提案しているウマ娘がいるんだ。」

 

 

 貴女が何を言おうと、それは結果で示すとしよう……そう言いながら、彼女は部室を去って行った。私は入部届を握り締めて、その背中を呆然と見ていることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「と、こういうわけだ。私と一緒に来てくれないか、アグネスタキオン。」

 

「……フゥン? わざわざそんな茨の道にねェ……。」

 

 

 翌朝。私は教室に入るなり、真っすぐタキオンの座る机に向かった。タキオンは手に持っていた本を机に置き、私の方に向き直った。

 

 

「しかし、本当によかったのかい? 君の望む、『皇帝』さえ超える走り……それを得るために、正しいアプローチだとは思えないのだが?」

 

「もともと実績のある、名誉のあるトレーナーにスカウトされるつもりはなかった。私の走りに惚れ込んだのか、それとも私自身に惚れたのかがわからなかったからな。」

 

「私もそうだとは思わなかったのかい? 今こうしているだけでも、かなり心拍数と体温が増加しているのを感じるんだよ、私は。」

 

「今でもそういう疑念はあるさ……。だがもう、構いはしない。」

 

 

 タキオンの白くて細い指に手を乗せる。反射的にひこうとしたそれを強く握りしめ、両手で手をとった。

 

 

「タキオン。お前が私に見出した可能性が本物なのか、それとも恋が目を曇らせたのかはどうでもいい。」

 

「……こ、恋とは大きく出るじゃあないか。」

 

「たった一つ確かなことは、私にはお前が必要だということだ。そのためなら、お前に何をされたって構わない。」

 

 

 見つめる頬が紅潮していく。タキオンの視線の全てが私に注がれている。その隙を見計らい、私は彼女の懐に手を差し入れた。

 

 

「うひゃああっ!? じ、ジンくぅん!? どこに触っているんだい!?」

 

「静かにしてろ……。私だって恥ずかしいんだ。……ん、あった。」

 

 

 目当てのものを掴み、私は彼女の服の中から手を抜いた。両手で守るように自分の体を掻き抱いたタキオンの瞳が、今度は驚愕に歪む。

 

 

「き、君、それは……。」

 

「お前が何をやったかは聞いた。怪しげな薬を、『実験』と称して沢山のウマ娘に勧めたとな。だがお前の行為は全て、『可能性の先』のために向いている。この薬もその一環なんだろう?」

 

 

 タキオンは昨日も、私に妙な栄養ドリンクを勧めてきた。昨日は黄緑だったが、今日は深い紫をしている。……なんというか、子供に毒の入った瓶の絵を描いてと言われてとクレヨンを手渡したら使いそうな色だ。

 

 

「私はどうしてもお前が欲しい。そしてお前は、私と実験動物(モルモット)が欲しい。」

 

「ギブ&テイクだ、アグネスタキオン。バイツァダストは、お前の求める両方になろう。」

 

 

 試験官の蓋を外し、わずかな躊躇もなく中身を飲み干した。何度か薬を盛られたことはあるが、自分から飲むのは初めてだ。だが知らない薬を飲むというのも、想像していたよりなんてことはないな。

 

 

「……は、ハハ……君ィ、手鏡は持ってるんだろう?」

 

「ああ。顔色でも悪いのか?」

 

「それなら自分の顔を見てみるといい。君の目の色、狂気と炎に満ちているぞ。」

 

「炎……いいな、それは。」

 

 

 戻る道はない。既に、私の炎が焼き尽くした後だからだ。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「事情はわかったよ。つまり君は、誰も部員がいないチームに所属しようとしている。そのチームを存続させるために君を含めて五人のメンバーが必要で、こうして私に声をかけてきた……。」

 

「そういうことだ。」

 

「だがそれなら、最初に私に声をかけたのは失敗だったんじゃあないか? 私の評判は知っているだろう。」

 

「どのチームに所属したところで、お前だけは同じ場所に来てほしいと思っていた。今更手放すつもりはない。」

 

「…………ふ、フゥン。それは、その……う、嬉しいね。」

 

「これで残りは三人……テイオーやマックイーン、ルドルフを誘ってみてもいいが、流石に他のチームからの引き抜きはやめておきたい。余計な軋轢を生みかねないしな。」

 

 

 ……ただでさえ複雑な関係をチームの中に構築しようというのに、これ以上面倒事を抱えてたまるかと心の中で叫ぶ。つまるところ私がやろうとしているのは、色恋営業以外の何物でもないからだ。

 

 チームの実績、トレーナー、設備。どれをとっても、チームプルートに求心力はない。五人を集めるのは全て私にかかっている。私に好意を寄せる奴らの気持ちを利用して、チームにおびき寄せる。

 

 ……喉の奥から、罪悪感と吐き気がこみ上げる。金持ちが大嫌いなはずだった。それに好かれる自分が大嫌いなはずだった。だが今辛いのは、彼女らの心を踏みにじろうとしていることだ。自分にもまだ人の心があることに安堵すると共に、捨てきったはずの迷いが残っていることに失望する。

 

 

「ン? ジン君、君のスマホじゃあないか?」

 

「通知音か。どれ……げ、ルドルフ。」

 

 

 タキオンに言われて初めて、私のスマホが通知音を鳴らしたのに気付いた。何気なく画面を見てみると、ルドルフから業務連絡のようなメッセージが送られてきていた。

 

 

「おや、彼女の連絡先を知っていたのかい?」

 

「昨日たまたま会った時にな。勝者であるあいつに何の得もないのは忍びないと思って、乞われるままに交換したんだ。まったく、久しぶりに再会した友人に贈るメッセージか、これが?」

 

「君の態度に問題があるんじゃあないかと私は思うがね。」

 

「……。」

 

 

 ぐうの音も出ないが、それをタキオンに指摘されるのは気に喰わない。まあでも、もう少し柔らかく接してみてもいいだろう。

 

 

「とりあえず生徒会室に行ってくる。お前はどうするんだ?」

 

「今日は選抜レースに出る予定だったんだが……ハァ、面倒だな。所属するチームはもう決まったというのに。」

 

「……ちゃんとスカウト、断るよな?」

 

「そんな不安げで可愛い顔をしないでおくれ、ジン君。君を裏切ったことがあるかい? ン?」

 

「……うるさい。用が終わったらすぐに行くから待ってろ。」

 

 

 とにかく私は教室を出た。頬に当たる風が涼しく、心地よかった。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 生徒会室の扉をノックすると、扉を開けてルドルフが顔を見せた。だがその表情はいつもと異なり、満面の笑みではなかった。どこか遠慮するような……一抹の不安を抱えているような顔だった。

 

 

「すまないな、ジン。急に呼びつけてしまって。」

 

「構わない。もうチームも決めたことだしな。」

 

「おお……! それはぜひ話を聞きたいが、とりあえず中に入ってくれ。君に会いたいという人が来ているんだ。」

 

 

 私に会いたい……か。面倒なことにならなきゃいいがと思いながら中に入ると、懐かしい顔が待ち受けていた。

 

 

「……!」

 

「ああ、お前か。少し見ないうちに、随分デカくなったものだ。」

 

「気づいてくれると思っていたよ、ジン。そう、彼女は―――」

 

()()()()()()()()。あの頃は一人称が『オレ』だったからな。ウマ娘じゃなければ、男の子だと思うところだった。」

 

 

 私の顔を見てわなわなと震えるシリウスシンボリ。それを見て、ルドルフが私の後ろに控え、耳元で囁いて来る。

 

 

「ジン。ここから先は、君に任せていいだろうか?」

 

「何? どういうことだよ。」

 

「私は……私は、彼女に向き合う資格がないんだ。」

 

「……。」

 

 

 シンボリルドルフは私たちに背を向け、部屋を出ようと歩き出した。その背中がなんとなく気に喰わなくて、私は彼女の襟を掴んで引き戻していた。

 

 

「な……何をするんだ、ジン。」

 

「せっかくの再会だってのに、お前だけ仲間外れってわけにいくかよ。何ならラモーヌの奴も呼んだっていい。私はあいつが一番苦手だが、今日くらいは許してやる。」

 

 

 ほとんどヘッドロックのようにルドルフを捕え、私は引き摺りながらシリウスの座るソファに向かう。そのまま私がシリウスの隣に座ったことで、私たちはソファに3人、横並びになって座る羽目になった。

 

 

「こ、これは狭いな……。」

 

「お前らの尻がデカいんだろ。本格化したウマ娘さんは違うな。」

 

「なっ……! き、君の方が大きいだろうジン! 私は85だ!」

 

「……私は89だ。ソファが狭いのは私のせいらしいな。」

 

「お前……。」

 

 

 私とルドルフのくだらない話に、シリウスが割り込んできた。昔からは想像もできないような、か細い声だった。

 

 

「ジン……だよな。」

 

「ああ。私もお前も、かなりキャラが変わったみたいだな。お前は生意気だが真っすぐなガキで、私は箱入りのお嬢様だった。今じゃそれを覚えてるのは、お前らくらいのものだがな。」

 

「……何で。」

 

「……。」

 

「なんで……私たちと、普通に話せるんだ? だってお前は、私たちのせいで……。」

 

「思いあがるんじゃない、シリウス。父さんが死んだのも、事業が潰れたのも、私が貧乏で苦労してきたのも……お前たちのせいじゃない。」

 

「―――!」

 

「お前もだ、ルドルフ。私に絶対に謝るな。何の落ち度もない奴が謝るべきじゃない。今後私に負い目を感じるようなら―――」

 

 

「―――その時は本当に、お前たちと友人であることをやめる。」

 

 

 ……二人が息を呑んだ音が聞こえる。タキオンに言われて少しは態度を軟化させようと思ったばかりだったが、こんなにこっぱずかしい事を言うつもりじゃなかった。私も懐かしい顔が見られて、浮足立っているのかもしれない。

 

 

「……茶葉を借りるぞ、ルドルフ。お茶を淹れて来る。」

 

「そ、それなら私が―――」

 

「初日と同じことを言わせるな。お前は私の上にいろ。でないと、倒しがいがないだろう。」

 

「―――!」

 

 

 ……何だ? シリウスの顔色が変わった。電気ポットから急須にお湯を注ぎながら、奴の様子を思い出す。さあっと顔から血の気が引き、額に一筋の汗が伝っていた。怒りでも疑念でもないあれは―――恐怖? 何に怯えている?

 

 

(少し注意深く見ておくか……。)

 

 

 考えながら、湯飲みを乗せたお盆をテーブルの前に置いた。一つずつルドルフとシリウスの前に置き、私も再び二人の間に腰掛けた。遠慮がちにシリウスの方を窺うルドルフ、まったく手を付けようとしないシリウス。二人の間は居心地が悪かったが、その感情ごと飲み下すように私は一口お茶を啜った。

 

 

「美味い。流石天下のトレセンだな。ただの茶ですらいいものを使っている。」

 

「……光栄だよ、ジン。シリウスも飲むといい。日本に帰って来たのは久しぶりだろう。」

 

「……ああ。」

 

「へえ、シリウスは海外にいたのか。レースか?」

 

「ジン、それは……!」

 

「……ハッ。いいぜ、聞かせてやるよ。それで笑えよ、ジン。生意気なガキが、分不相応な夢を見てどうなったのかをな。」

 

 

 ルドルフの制止も聞かず、シリウスは自分のレースを語った。日本ダービーを制した後、海外に遠征したこと。そこでは一勝もすることが出来ず、特に凱旋門賞で出会った化物のこと。日本に帰って来てからも勝利を掴むことが出来ていないこと。

 

 

「……だからもう、契約も打ち切っちまったのさ。私はここから消える。最後にお前の顔が見られてよかったと思うぜ。」

 

「なっ……! 話が違うぞ、シリウス! 君はまだ、引退はしないと―――!」

 

「悪いな。もう折れちまったのさ。」

 

 

 焦りと驚愕に顔を歪ませるルドルフと対照的に、シリウスは穏やかに微笑さえ浮かべている。

 

 

「笑えるよな。ここまで必死に藻掻いて、足掻いて……口に合わねえメシを無理矢理飲み込んで、長い移動に足を震わせて……誰にも敵わず、負け続けた。そうしてようやく、お前の方が正しかったことに気付いた。」

 

「やめろシリウス!! それ以上言うな!」

 

 

 珍しく声を荒げるルドルフに、シリウスは半笑いのまま尋ねた。

 

 

「……なあ、ルドルフ。」

 

「私は―――何のために走ってきたんだろうな?」

 

「―――!」

 

 

 静まり返る室内。私のお茶を啜る音がやけに大きく響いた。だがその騒音の中、私は確かに聴いた。何かの雫が落ちる音。

 

 

「おいシリウス。お前のラストランは確か、秋の天皇賞だったか。」

 

「っ!? 見て、やがったのかよ……!」

 

 

 頷いて、私はルドルフの方に向き直った。

 

 

「ルドルフ。悪いが、少し外してくれ。」

 

「あ、ああ。」

 

 

 ルドルフは返事をした割に、なかなか立ち上がろうとしない。

 

 

「別に何もしない。早く出て行けよ。」

 

「す、すまない。それじゃあ、その……頼んだぞ?」

 

 

 こちらをチラチラと見ながら、ルドルフは部屋を出て行った。

 

 

「……やれやれ。あいつ、いつもこんな風なのか?」

 

「いや……フン、アンタの前だとまるでチェリーだな。」

 

 

 微かに笑ったシリウスを見て、私の心も少しだけ軽くなる。なんだ、まだ普通に笑えるんじゃないか。

 

 

「さて、話の続きだが……ああそうだ、私は札幌のトレセンで、あの中継を見ていた。」

 

「私はタマモクロス先輩の大ファンだったんだ。あの日も、その人の応援をするつもり満々だったんだが……。」

 

「……それが、何だ。懐かしい名前があるじゃあないか。シリウスシンボリ……まさかあのシリウスかと、私の目は釘付けになった。」

 

「笑えるよな。昔馴染みとはいえ、私がタマモクロス先輩の走りから……一着の走りから目を離して、他のウマ娘に目を奪われた。」

 

 

 あの日のことは今でも忘れない。レースなんて、余裕がある奴だけがやる道楽。ただの徒競走にあれだけ熱狂する意味がわからないとずっと思っていた。母さんに楽をさせるため、一刻も早く働きたかった私にとってはなおさらだ。

 

 だがそんな私の考えを、あの日のシリウスは粉々にした。

 

 

「……白状してやるよ。確かにあの日までは、お前たちのことも嫌いだったさ。私たちがこんなに苦労しているのに、あいつらはのうのうと暮らしているんだろうとな。だがあの日のお前は、そんな穏やかなものじゃなかった。レースは恵まれた者の道楽なんじゃないと、あの時理解した。」

 

「私はあの日、タマモクロスじゃなくお前に憧れたんだ。お前があそこまで必死になるレースで、お前たちに勝ちたいと思った。」

 

「私にとってレースは道具さ。お前たちに勝つために用意された、全員が同じスタートラインから始まる競技。私にとって、これ以上ないくらい都合のいい舞台。」

 

 

「だが……だがお前が、あそこまで必死になるんだ。私もその熱にあてられてこれ以上ないくらい昂っている! ただの道具と割り切っているはずなのに、走りたくなってくる! もっともっと熱くなって、お前たちの全力を引き出して―――」

 

「その上で、私が上に立つ! 全員私の前に平伏させる。それが私がここに来た理由。」

 

「わかるか、シリウス。お前が、私をここに連れてきたんだ。」

 

 

 シリウスの瞳が震えている。こいつは……こいつは一体、どれだけ裏切られてきたのだろうか? 最後の勝利の日本ダービーから、何度負け続けてきた? その度に打ちのめされ、ボロボロになり……もう、休ませてやってもいいはずじゃないのか?

 

 だが―――だが私は、見ていられなかった。シリウスはいつもそうだった。私たちと何度も併走をし、そして何度も置いて行かれた。だがそれでも、決して諦めることはなかった。

 

 時の流れは残酷だ。あの頃から色んなものが、随分と変わってしまった。変わらないでいてほしいというのは私のエゴだろうが……それでももう一度、お前たちと一緒に。

 

(ああ……そういえば、あんなことも言ってたっけな……。)

 

 

『オレとルドルフ、どっちがかっこいい? もちろんオレだよな?』

 

 

 自信と未来に満ちた、生意気な笑顔。思い出しただけでも、つい笑みがこぼれてしまう。あの時はついに答えられなかったが、今ならいいだろう。

 

 

 隣に座るシリウスの肩に、私は頭をことんと倒して乗せた。露骨にビクンと体を跳ねさせ、シリウスの呼吸が早くなる。

 

 私も覚悟を決めた。金持ちは嫌いだが、だからといって昔の友達まで嫌いになる必要はないはずだ。一度だけ小さく深呼吸し、いつもより少しだけ高い声で告げた。

 

 

「―――かっこよかったよ、シリウスちゃん。」

 

「っ! お前……!!」

 

 

 弾かれるように私の方を見るシリウス。顔が熱くなっていくのを感じる。ヤバい、これは駄目だ。

 

 

「む、昔の話し方の方が好きかと思ったんだが……思ったより恥ずかしいなこれ。もう二度とやらん。」

 

「おい待てよ! もっかい言ってみろって!」

 

「やだよ! お前も早く忘れろよ!」

 

「てめ……っ! このっ!」

 

 

 顔を真っ赤にしたシリウスが、私の両肩を掴んでソファに押し倒す。赤い顔が間近に迫り、シリウスの匂いが鼻腔をくすぐる。こいつ、いつの間にか香水なんてつけるようになったのか。

 

 

「……どけよ。」

 

「どかしてみろよ、ジン。私はこのままだって構わないんだぜ。」

 

 

 両手に力を込めてみるが、ピクリとも動かない。同じウマ娘でもここまで差が出るのか。こんなに強い奴ですら、ルドルフには勝てないのか。

 

 

「動かん。強くなったな、お前。」

 

「……なら、私がアンタをどうしようと勝手なわけだ。」

 

「……。」

 

 

 さて、どうしたものか。大声で叫べばルドルフが飛び込んでくるだろうが、そうなったら二人が殺し合いをしかねない。シリウスは娑婆にいられなくなるだろう。それは嫌だ。

 

 だがこのまま抱かれてやるつもりもない。何とか上手いこと切り抜ける方法を考え始めた時、上から声が投げおろされる。意識を現実に戻すと、頬を上気させたシリウスの呼吸が荒い。何だよ、今上にいるのはお前なのに、そんなに泣きそうな顔するなよな。

 

 

「なあ……ジン。私でもいいじゃねえか。ルドルフから乗り換えて、私だって……。」

 

「……は? お前、何言ってんだ?」

 

「とぼけんなよ。アンタ、ルドルフのツレなんだろ?」

 

「……寝ぼけてるのか? 私は誰のツレでもない。彼女どころか彼氏すらいたことがない。」

 

「は……?」

 

 

 ……どうやら私たちの間に、かなり大きな誤解があるらしい。今の私の状況を説明すると、シリウスの瞳に少しづつ光が差し始めた。

 

 

「なんだよ……そんな面白そうなことしてんのに、私は一人でウジウジしてたってのか?」

 

「そういうことになるな。で、どうする? プルートに興味はあるか?」

 

「……ハッ! いいぜ、乗った。ドリームトロフィーリーグに移籍して、あんたのチームに入る。」

 

 

 高らかに宣言したのち、シリウスは私を壁際に追い詰め逃がさないように手をついた。顔をさらに近づけるが、今度は以前のような照れはない。自分が攻める分には平気らしい。

 

 

「アンタの近くにいれば、アンタを口説くチャンスも多そうだしな。なぁ?」

 

「……いいだろう。私は安くないが、精々努力することだな。」

 

 

 私はするりと壁際を離れ、シリウスの両腕から外れる。数歩歩いてから、そういえば言うべきことがあったと振り向いた。

 

 

「シリウス。お前は確かに、戦績ではルドルフを超えられないかもしれない。だが、速く走ることだけが勝利の道じゃないはずだ。ルドルフより長く、ルドルフより美しく、ルドルフより激しく……そうすればいつか、走る理由だって見えてくるだろうさ。」

 

 

 だが私の言葉を、シリウスシンボリは不敵に笑ってみせた。

 

 

「走る理由? ハッ! そんなもん、もうとっくに見つけてんだよ。」

 

 

 眉も、口も、瞳も……あの頃と変わらない、獰猛で危険な輝きを放つ笑み。違うのは昔より、ずっと魅力的になっていることくらいだ。

 

 ―――いい顔するじゃないか。私は頼もしい仲間が二人も加わったことを伝えるため、チーム『プルート』の部室に急いだ。走りながらタキオンへ部室の位置情報を送っていると、優しい風が私の髪を揺らした。

 

 春の風は暖かい陽気を運び、どこかへ吹き抜けていく。どこから来てどこへ行くのか……春風の通り道。きっと、明るいところに続いているに違いない。

 




シリウスシンボリ

本作ではアプリのシナリオではなく、史実に準拠した戦績を採用。ルドルフを越えるという目的に固執しつづけたが、過酷な海外遠征の結果体を酷使し、日本に帰って来てからも勝てなくなってしまった。
身も心もボロボロになるも、再び走る理由を見出したようだ。
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