アグネスタキオン、それにシリウスシンボリ。2人の入部を約束させた私は、急ぎこの朗報をリリーに伝えようと部室に走った。その途中には当然グラウンドの傍を通る必要があり、観客席が多くの人々でにぎわっているのに気付く。
「……そういえば、タキオンが今日選抜レースを走るんだったな。」
私は部室に向かう足を、観客席の方へと向けた。私が走った時の選抜レースはジャージで走ったが、今日は実戦に近い形式でということでゼッケンを全員付けている。来るのが遅かったために前の方のいい席はとれなかったが、代わりに他の観客たちのガヤガヤと言う話声に耳を傾ける。
「とうとうあのアグネスタキオンがベールを脱ぐんですね……!」
「ああ。トレセンの方から入学を申し出たほどの良血、一目見ただけでわかる才覚……。昨日出走者が発表された後、まったく眠れなかったよ。」
「必ずうちのチームに……。」
「おっと、抜け駆けは厳禁ですよ!」
どうやらアグネスタキオンはかなりの注目と期待を集めているらしい。既にその走りを目にしたものとしては、その期待が裏切られることは決してないだろうと太鼓判を押せる。だがその分、彼女にスカウトが集中することは間違いない。他のチームにとられないように、監視の意味も込めて少し見て行こう。
(ところで……リリーは来てないのか?)
あたりを見回してみるが、スパイダーリリーの赤髪が見えない。あいつ、選抜レースにも来ていないのか? スマホを取り出し、昨日貰った連絡先に電話する。リリーはまるで散歩の気配を察した犬みたいに、ワンコールすら終わらないうちに電話に出た。
『も、もしもし?』
「私だ、トレーナー。今選抜レースを見に来てるんだが、アンタはどこにいる?」
『私? いや、スカウトなんてしてもウチに来てくれる人はいるわけないし……。』
「なら早く来てくれ。勧誘するのは私だが、担当するのはアンタなんだぞ。」
『わ、わかったよ……。』
通話終了のボタンを押し、私は小さくため息をついた。シリウスと同じように、リリーも失敗続きで自信を喪失しているらしい。私たちを従える者としては、堂々とした威厳のある姿が欲しい。見た目は悪くないし、せめて背筋を伸ばして胸を張るくらいは……。
「よォ。隣、いいかい?」
「! ああ。」
突然横から声をかけられ、ほとんど反射的に返事を返す。どうもと呟きながら、私の隣にニット帽をかぶったウマ娘が腰掛けた。……確かに観客席は混んでるが、他に座るところがないほどじゃない。わざわざ許可をとってまで隣に来る……こいつ、意外とどこかの御令嬢だったりするのか?
「アンタ、バイツァダスト……で、あってるか?」
「ああ。お前は?」
「私はナカヤマフェスタ。シリウスシンボリの同室でな。アンタのことはそっから聞いた。」
「ああ……。」
なるほど、シリウスの繋がりか。私の記憶じゃ、小さい頃のあいつはルドルフやラモーヌ以外のウマ娘は眼中にないって態度だったが、今はそれなりに友人もいるらしい。
しかしそれより、何かひっかかる。ナカヤマフェスタという名前……どこかで見たことがあるような……。
「ハァ、ハァ……! ごめん、お待たせ!」
「いや、全く待ってない。流石にアンタもウマ娘だな、トレーナー。」
思考の海に沈みかけた私を、トレーナーの声が引き戻す。息を荒げながらもトレーナーは私の傍に座り、一つ大きな深呼吸をして息を整えた。
「へぇ? アンタ、もう子飼いだったのか。シリウスの奴が気に入るくらいだから、どんだけ破天荒な奴かと思ってたんだがな。」
「……ご期待に沿えずに申し訳ないが、私は至って普通のウマ娘だ。シリウスの奴は……まあ、若さゆえの過ちだろ。」
「え、えーっと……バイツァダスト、この子は……?」
「ナカヤマフェスタ。ついさっき、ここで会ったばかりだ。それからトレーナー、私のことはジンでいい。」
「わ、わかった。私はリリースパイダー、リリーでいいよ。よろしくね。」
「それほど信頼関係があるわけじゃないらしいな。ま、それはそれとして……バイツァダスト、私と一つ。」
ナカヤマフェスタは私の眼前に割り込み、笑みを浮かべた。……けだるげな雰囲気を漂わせていながら、肉食獣を思わせる獰猛な笑み。確かにシリウスが気に入りそうな奴だ。
「勝負をしないか? 内容は……そうだな、あいつらのレースの結果を当てるってのは?」
「なっ……! そ、そんなこと、トレーナーとして見過ごせません!」
私が返事をする前に、リリースパイダーが割って入る。……何故だろうか、この人の方が私たちより年上のはずなのに、大型犬に吠えるチワワみたいに見える。
「そんなに熱くなんなよ、トレーナーさん。何も金を賭けようってわけじゃねえ。野球チームのどっちが勝つかくらいの、子供のくだらない遊びさ。」
「いいだろう。だが何も賭けないってのは面白くない。今から行われる選抜レース五本……それの一着を当てた回数を競う。多かった方の勝ちだ。」
「アンタが負けたら何をする?」
「ちょっと、バイツァ……ジン!」
リリーはあくまで遠慮がちに私の肩をゆする。心配するなよ、トレーナー。私は負けるつもりはない。
「そうだな……。私だけで出来る範囲なら何でも一つ、お前の言う事を聞いてやるよ。」
「デカく出たな。なら、アンタが勝ったなら?」
「簡単だ。
「な―――」
「な、何言ってるの!?」
ナカヤマフェスタよりも先に、リリースパイダーが叫んだ。周りの視線が訝し気にこちらに集中するのを感じた私は、慌てて彼女の口を手で押さえ無理矢理に座らせた。周囲の様子に気づいたトレーナーも、小さくなって私の制止に従った。
「ご、ごめん……。でもそんな風に決めていいものじゃないでしょ!?」
「いいじゃねえか、トレーナー。ナカヤマフェスタって名前は、今日の選抜レースの出走者にも名前が載ってるしな。もう本格化は済んでるんだろ?」
「……! ああ。だが何だって……。」
ナカヤマの耳がピクリと反応するが、表情は変わらない。驚きや動揺をかなり高いレベルで隠蔽している。自分から勝負を仕掛けてくるだけのことはあるらしい。
「決まってる。私たちのチームは部員が足りなくて、絶賛解散の危機なのさ。既にニ人は確保したが、私を含めてあと二人足りねえ。」
「ちょ、それを言っちゃ……って、え!? もう二人も見つけたの!?」
リリーを後ろ手に抑えながら、私はナカヤマフェスタの瞳を真っ直ぐに見据える。
「お前から仕掛けてきた勝負だ。まさか、
「……ハッ。いいぜ、アンタ……シリウスが惚れるだけのことはある。私も久々に、胸が熱くなってきやがった……!」
私はナカヤマの実力など知らないが、今はとにかく人手が欲しい。そういう視点からナカヤマを見ると、あの気難しいシリウスと友人が出来るくらいの人間性、私に惚れない家柄、そして冷静な勝負師……中々悪くない。強いプルートを取り戻したいトレーナーには悪いが、納得させることは出来るだろう。
それに、トレーナーにも自信をつけさせたい。本番で実力を発揮するためには自信がいる、自信をつけるためにはとにかく努力することだ……と言ったのは誰だったか。とにかく私たちの上に立つ以上、シリウスやタキオンに喰われない程度の度量は欲しい。この勝負を利用させてもらおう。
こうして私たちの不純な勝負を乗せ、選抜レースのゲートは開かれた。出走者たちには悪いが、私もなりふり構っていられない。
――――――――――――――――――――――
……ただの気まぐれだったさ。
レースに出る度に、ボロ切れみたいになって帰って来る同居人。私は上手い慰めの言葉なんて知らねえから、そいつに何もしてやれなかった。アイツが『海外に行く』と言い出した時だってそうだ。それを止めることすらできなかった。
いつまでも部屋が陰気臭いのは気が滅入る。かといって、その発信源がいなくなった部屋はやけにがらんとして見えた。アイツがいてもいなくても……私の心には常に、薄く雲がかかったみたいな、最悪の気分だったさ。帰国の連絡をもらった時だって、せめて笑顔で迎えてやるかと思いながらも、私は上手く笑えねえままだった。
だからこそ、アイツがその報せを聞いた時の顔は見物だった。
「ジン……ジンが、ここにいる……?」
「おい待てよ。ジンって誰のことだ?」
「―――!」
「っ、おい!」
私の顔なんて見えねえって態度で、アイツは駆け出して行った。後を追いかけてようやく聞き出した名前……バイツァダスト。ポッキリ折れちまったシリウスシンボリに、希望があるみたいな目をさせた奴。
(そいつの顔を一目拝めりゃいいと思ってたんだが……やっぱ、私が人を見るには勝負に限る。)
それが今は、こうして選抜レースで賭けをしている。五回のレースで誰が一着になるかを当て、
私はストリートのレースで色んな奴を見てきた。その経験から誰が強くて、誰が弱いかくらいの見分けはつく……だがそれは、この勝負を提案してきたバイツァダストも同じはずだ。
(つまりこの勝負……単に目利きの問題じゃねえ。)
どのウマ娘が強いかを見極めた上で、相手には間違った選択肢を選ばせる必要がある。どのウマ娘にするかの
(まずは敵情視察だ……。バイツァダスト、何を考えている?)
隣のバイツァダストを横目で伺う。奴は隣に座っている、リリーとか言うトレーナーに話しかけているらしい。
「さて、こっからはアンタが頼りだ、トレーナー。パドックを見て、誰が一番走りそうか選んでくれ。」
「ちょ、ちょ、ちょーっと待ってよ! え、私が決めるの!?」
「当たり前だろ。アンタがいるから勝てると踏んだんだ。」
「……冗談だろ?」
我慢できずに、流石に口を挟んだ。こいつ、勝負を他人に丸投げしたってのか?
「冗談なものか。私はこの人と会ったのは昨日が初めてだが、この人に勝負は預けたぜ。もちろん、自分でも見るつもりだがな。」
「そ、そうだよ! 私が失敗しちゃったらあなたは……!」
……瞳や態度に動揺は見えない。
「……ガッカリさせんなよ、バイツァダスト。もっとヒリつく勝負をさせろ。」
「この人は私のトレーナーだ。私が勝とうが負けようが、その手柄も責任も
「―――!」
リリーが息を呑む。それを確認してか、バイツァダストはさらに言葉を続けた。
「少なくとも私は、アンタとそういう関係でありたいと思ってるんだぜ。トレーナー、アンタはどうだ?」
「……わかった。そうだよね、あなたの言う通りだよ。」
……目の色が変わった。シリウスの言葉を借りるなら、
「訂正するぜ、バイツァダストにリリー。これはマジの勝負だな。」
私はコースに目を戻した。ウマ娘たちの呼吸の様子、耳や尻尾の動き、筋肉のつき方……ここからじゃ少し遠くてはっきりとはわかりにくいが、私の選択は決まった。
「
「は、8番の子! 多分、8番の子が一番強いよ。」
「……私も8番だ。悪いがこれは譲れねえ。」
私たちのベットは一致したが、正直これは避けようがない。8番だけ明らかに落ち着きが違うし、体も出来上がっている。私の見立てじゃ、2位との差は3バ身以上――――。
私の考えと、両手を合わせたリリーの祈りと共に始まったレースは、8番が好スタートを切ってハナをとり、そのまま逃げ切り勝利を収めた。
「掲示板……へえ、4バ身差か。強いな、あいつ。」
バイツァダストの呟き通り、掲示板には煌々と8番の勝利が飾られている。ほとんど読み通りの勝利に、私は心の中でほくそ笑んだ。ここから4つ……一本も外さねえ。
―――――――――――――――――――――
私たちが勝負を始めてから、3本のレースが終わった。今のところ私たちは全ての一着を的中させている。
「やるじゃないか、トレーナー。見る目あるんだな。」
「こ、これでもトレーナーなんだからね! でも次は―――」
「ああ、次のレースは誰だって当てられるだろうよ。なにせ……」
周囲のざわめきが一層大きくなる。次に出てくるのは、とうとうベールを脱ぐアグネスタキオンだからだ。
「ひぇぇ……。や、やっぱりすごいなあ。仕上がりがすごいっていうより……。」
「才能が強すぎるほどの光を放って、それが漏れだしてるような感じだな。まともに走ったら100回中100回は奴が勝つだろうよ。だが―――」
唯一、懸念点がある。アグネスタキオンは今までレースどころか授業にさえ出てこなかった問題児。何を考えているのかはわからないが、とにかくレースに対するモチベーションが低い。真剣に走るかどうか……それが問題だ。
「真面目に走ってくれるのかな……。全力で走ったら多分、誰にも負けないと思うんだけど……。」
「何だ、タキオンのモチベが心配なのか? それなら私に考えがある。」
「? 何を―――っ!?」
バイツァダストが呟いたかと思うと、私を思いっきりかき抱いた。反射的に抵抗しかけたが、私の反対側でもリリーが同じように抱かれている。顔を真っ赤にしてジタバタ抵抗するわりに、まったく動けないでいるそいつを見て妙に冷静になった。あんなダサい真似をすんのは御免だ。
「……よし、こんなもんでいいだろう。悪かったな、いきなり抱いたりして。」
「な……な、な、何するのバイツァダスト! こ、こんな……!!」
「まあ落ち着いてくれ。代わりにほら、タキオンを見てみろよ。」
「―――タキオンを? ……ッ!!」
こっちを、見ている。それなりの距離があるはずなのに、私はそれを確信せずにはいられなかった。こちらを見つめる瞳には何の感情も感じられない。いや、正確には混沌しか見えないのだ。まるであらゆる色の絵具をぶちまけ、それを入念にかき混ぜたような色。見ているだけで呑まれるようで―――光ですら逃れることのできないブラックホールのようで、私はゾクゾクと鳥肌が立つのを感じた。
「……アンタ、何やったんだ?」
「ちょっと焚きつけてやっただけだ。ま、少しは本気になるだろ。」
「ハハッ!! あんまワクワクさせんなよ。」
ゲートが開いた後―――スタートを見ただけでタキオンの勝ちを確信した。結果が分かり切った、つまらないレース……だというのに、私の胸は今までにないほど高鳴っている。先頭集団の中盤に付けたタキオンは、傍目から見ても脚を溜めているのが明らかだ。隣を走るウマ娘なんて、何かに怯えたようにズルズルと後ろに垂れていく。
そうして差し掛かる最終直線。私はまさしく、閃光を見た。爆発的な加速を前に、もはやニ着以降のウマ娘は真剣に走ってないんじゃないかと錯覚するほどの力の差。アグネスタキオンは人の心を折るかのような圧倒的な走りを、全ての観客と選手の前で見せつけた。
(あれと……あいつと競い合えるチャンスがある、のか。私に……!)
生まれて初めて、勝負を途中で投げ出したくなった。私だって選抜レースの出走予定で、今からだって急げば間に合うはずだ。あいつと勝負がしたい。本気のあいつと競い合いたい……!
「トレーナー。今のタキオンの走りは何%に見えた?」
「え? ひ、100%じゃないの……?」
「……しっかり把握しておいてくれよ。これからはアンタがあいつの担当だ。」
「え……?」
バイツァダストの呟きは、観客たちの大狂騒によってかき消されたが、私の耳にははっきりと聞こえた。
「おい、バイツァダスト。奴は、アンタのところの預かりなのか。」
「今は勝負に集中しよう。これ以上お前と話していたら、拗ねるどころの話じゃなくなりそうだ。」
「……ますます面白くなってきやがった。最後のレースでケリをつけるぜ。」
最後のレースはダートだ。芝ほどスピーディな展開には期待できないが、その分スピードに差が出にくいはずだ。最後の最後で、一番厳しい勝負が回ってきやがった。
(筋肉のつき方なら4番……落ち着きがあるのは7番だな。正直どいつも決め手に欠けるが……。)
4番か? それとも7番か? 勝ちの確率はどちらも変わらなそうに見える。思考を手放し、運にすべてを委ねるのは簡単なことだし、実際にそうしてしまいそうになる。だがその衝動を抑え込み、ギリギリまで勝利への活路を探す。最善手を考え続けろ。思考を止めるな。
(そうだ、バイツァダストの方はどう考える……?)
バイツァダストの姿を探すと、いつの間にか立ち上がり場所を変えている。あれだけいた観衆はタキオンを追ってかどこかに消えており、バイツァダストは観客席の一番前に陣取っている。どうやらあいつも勝負に全力らしい。
(誰を見ている? あいつの視線の先は……。)
それを私が確かめる前に、バイツァダストは踵を返して私たちの方に帰って来る。何かを真剣に考えているような顔をしているが、何を考えているかまでの思考は読めない。
(これ以上奴について考えても情報は増えねえ。そろそろベットを決めるか。)
……パワーより、私は冷静な思考力の方が好みだ。7番で決まりだな。
「……トレーナー。何番が勝つと思う?」
「うーん……4、か7だと思うんだけど……強いて言うなら4番の子かなあ。体つきがいいからね。」
「私は7番に賭けるぜ。どうやら、決着がつきそうだな。」
とうとう私たちの答えが食い違った。この一戦で勝負が決まる。さあ、
「―――悪い、トレーナー。1番にさせてくれないか。」
「何―――? 1番は……。」
取り立てて見るべきところもない、普通のウマ娘にしか見えない。投票をしたとしても5番人気くらいが関の山だろう。奴は何を感じとったんだ?
「……うん、バイツァダストが本気で考えたのなら、それが一番だと思うよ。」
「悪いな。おいナカヤマ、私は1番に決めた。」
1番―――1番に何を見たんだ? 4番と7番に優る何かがあったのか? 今にもスタートの号令が鳴り響きそうなコースを見ながら、私は必死に思考を巡らせた。ブラフ……いや違う、それにしたって選ぶなら4番か7番になるはずだ。例え私に外させたところで、自分たちが当てられなかったら意味が―――
(例え、外したところで―――?)
私が一つの考えに思い至った時、8人のウマ娘たちが一斉に駆け出した。もう勝負は降りられない。
「チッ……! こうなりゃ、7番のナイスランを祈るしかねえか!」
「が、頑張ってー!」
動揺する私と対照的に、バイツァダストは黙ってレースを見つめている。最終直線に差し掛かり、残り200m―――そこで、事件が起こった。
「きゃあっ!?」
『あ、あーっと! 妨害でしょうか!?』
「なっ……!!」
1番だ。バイツァダストが賭けた1番のウマ娘が、目の前を走っていた7番のウマ娘に噛みついた。驚いた7番はバランスを崩しかけたが何とか踏ん張った。それでもスピードの低下は免れず、再びトップスピードを取り戻そうと懸命に走るものの、その隙をついて4番が最初にゴール板を駆け抜けた。
「か、勝ったのは4番の子……だよね?」
「……だな。悪いトレーナー、あんたの言う通りにしてたら勝ちだった。」
「う、ううん。それはいいんだけど……。」
「ちょい待ちな、バイツァダスト。アンタ……。」
振り向いたバイツァダストに、勝ちを逃した悔しさは見えない。むしろ、どこか清々しそうにさえ見える。
「言っとくが、イカサマなんか仕込んでないからな。」
「それは考えてねえ。イカサマやったって、アンタが勝ってないんだからな。」
「私が聞きたいのは一つだけだ。アンタ、1番に何の期待を持ったんだ? 何故1番が勝つと?」
「……。」
少しだけ考えた後、バイツァダストは答えた。
「……さあな。自分でもよくわからん。」
「……。」
「悪いが、トレーナー。タキオンに会いに行くのは任せていいか? アンタの事は話してあるから、名前を言ったら通じるはずだ。」
「え!? ちょ、ちょっと待ってよ。ジンはどうするの?」
「私は……まあ、そうだな。ちょっと会いたい奴がいるんだ。」
引き留めるトレーナーの声すら無視して、バイツァダストは観客席の出口へ歩き去って行った。私はふと思いつき、出走予定者の名簿に目を落とした。ダート部門……つまり今終わったばかりのレース。その1番の名前。
「シンコウウインディ……。」
こいつがバイツァダストの何なのかはわからない。だがそれでも、バイツァダストのあの瞳……勝負を度外視した、何かを悟ったような眼差し。それがやけに胸に染みついて離れない。理由もわからないまま、私も観客席を後にした。沈みかけた夕日が、しぶとく私の足元に影を落とす。一つだけしかないそいつもやがて、日陰の中に飲み込まれて消えた。