「アンタ、1番に何の期待を持ったんだ……か。本当にな。」
私はコースの方に向かいながら、ナカヤマに投げかけられた問いを何度も反芻していた。シンコウウインディは悪くない走りだったが、それを自分で台無しにした。前を走るウマ娘に噛みついたのだ。勝負のルールさえ守れないなら、そいつは戦う資格すらない。それはわかっている。
「……だが今のところ、私が戦える中で獲物になり得るのはあいつしかいない。あいつを手放すわけにはいかない。」
つくづくダートしか走れない自分が憎い。芝を走ることさえ出来れば、あいつらとの直接対決だって……いや、今更言っても詮のないことだ。とにかく今は目の前の問題を解決しよう。具体的には、目の前でぶすくれているじゃじゃウマ娘を何とかしなくては。
「おい、ウインディ。」
「……! お、お前!」
「お前の一つ前に、私のチームメイトの選抜レースがあったんでな。ついでにお前も見に来たんだ。……ま、なんだ。気にしすぎるなよ。後で私も一緒に謝りに行ってやる。」
「う、うぅ……!」
目を伏せ、大粒の涙をこらえるウインディ。また私の頭にタキオンのニヤケ面が浮かんできた。
『―――君の態度にも問題があると思うがねえ。』
「……はぁ、早く帰ろう。今日くらいは―――」
「ガブ!!」
「ぐあ!」
……また噛まれた。頭を撫でてやろうと差し出した手を掴み、あれよあれよというままに口元まで持って行かれた。
「へへーん! やっとこっちを見たのだ!」
「な……またわけのわからないことをいいやがって! お前、部屋に帰ってきたら―――」
「お、お前が悪いのだ! お前、ウインディちゃんのレースを他のウマ娘とイチャイチャしながら見てたのだ!! お前はウインディちゃんの子分なんだから、ウインディちゃんだけ見てたらいいのだー!!」
げ、そういうことか。ただでさえ妨害行為で注目を浴びていたのに、ウインディの発言に周囲のウマ娘たちがひそひそと好奇の視線を向けて来る。こういう時、女学生というのは噂をあっという間に伝播させる。とにかくこれ以上傷跡が広がる前に逃げだそう。
「クソ……! ああもう、さっさと帰るぞ!」
「あっ……。」
余計なことを喋られないように、とウインディをお姫様抱っこに抱える。両手両足を自由にすると暴れられるかと思ったが、意外にも大人しい。意外とそういうことに耐性がないタイプなのかもしれない。
……私の背後で、余計にキャーキャーという黄色い悲鳴が大きくなった気がしないでもないが、今はそれも無視しよう。とにかく寮の部屋に帰るんだ。
――――――――――――――――――――
「疲れた……。」
私はウインディを寮のシャワーに放り込み、出てくるまでベッドに寝ころんだ。チームメンバー集めを始めた初日に2名を確保できたのはいいことだが、予想以上にカロリーを使う。私に惚れているだろうとは思っていたが、タキオンがあそこまで感情がこもった目を向けて来るとは……。
「トレーナー、大丈夫だろうな……。最悪あの人もモルモットにされかねないが。」
手柄も汚名も50:50でいたいと宣言はしたが、だからといって起きた被害に胸が痛まないわけじゃない。試しにメッセージでも送ってみるかとスマホを手に取ると、ちょうどシャワー室の扉が開いた音がする。
「……。」
ウインディは珍しく静かだ。あいつなりに妨害行為に思うところがあるのかもしれない。ま、理由を聞いて藪蛇になるのも御免だ。とりあえず放置でいいだろう。
(そうだ、スマホスマホ……げ。)
通知を切っていたから気づかなかったが、LANEが30件近く届いている。半分はタキオン、もう半分がシリウス。内容はほとんど同じで、選抜レースに一緒にいたウマ娘がどうたらこうたら……。タキオンがこちらを詰問するような口ぶりなのに対し、シリウスはほとんど泣き言のようなメッセージだ。普段とキャラ変わりすぎだろ。
『君が抱きしめていたあのウマ娘は何だい?』『君は私のモルモットだろう。』『将来を誓い合った中じゃないか。』
誓い合ってはいない……いや、レースのことに関してはあれだが。
『おい』『浮気か?』『なんでだよ』『なんでナカヤマなんだよ』『声が聴きたい』『頼む』
弱りすぎだろ……。流石にここまで言われたら放っておけない。まんまと奴の術中にハマった気がしないでもないが、とにかく電話をかける。
「あ~……もしもし? シリウス?」
『……なんだよ。』
うわっ、涙声だ。まさかここまで弱り切っているとは思わなかった。とにかく何とか誤解を解かなければ。
「ナカヤマと私は別にそういう関係じゃない。今日出会ったばかりだしな。」
『……本当か?』
「ああ。とにかく、今からでも会わないか? ちょうど夕食時だろう。」
『! すぐに行く。待ってろ。』
ひとまず電話を切り、私はため息をつく。チーム内の人間関係は面倒なことになると思ってはいたが、初日から心が折れそうだ。
「おいウインディ、私は飯に行くからな。お前も行くだろ?」
「い、行くに決まってるのだ! お前がまた目移りしないように、ちゃーんと見張っておかないとだからな!」
慌ててゴシゴシと髪をタオルで擦るウインディを尻目に、私はカフェテリアへ歩き出した。
―――――――――――――――――――――――
カウンターで注文の大盛り天ぷらうどんを受け取り、私はシリウスの姿を探した。隣のウインディはホルモン焼きそば……女子高のカフェテリアだよなここ? 本人曰く、噛み応えがあっておいしいらしい。
「……ん、いた。おいシリウス。」
夕食時にも関わらず、シリウスの座るテーブルの周りには多くのウマ娘たちが集まっている。そういえば私が見た中継でも、投票での人気の割にプラカードなんかを掲げる熱心な女性ファンが多かった気がする。
「来たか。おいどきな、私の客だ。」
「はぁ~~い! シリウス先輩、また今度~~!」
「随分人気者だな。私がいなくても寂しくなさそうだ。」
「まあな。だが私が欲しいのは他でもねえ、アンタだ。」
私はシリウスの向かい側に座り、ウインディが遠慮がちに私の隣に腰掛けた。トレーを机の上に置いたのを見てから、シリウスは私の頬に手を添えてくる。周りから悲鳴混じりの歓声が聞こえてくるが、ひとまずその手を優しく払いのける。
「慌てる乞食は貰いが少ないと言うだろう。後で可愛がってやるから、まずは飯にさせろ。」
「私が口を開けて待ってるヒナ鳥のままだと思うか? ……だが、不味い飯を食わせるのは本意じゃない。」
シリウスは大人しく、自分の食事に手を付け始めた。昼間の弱り具合から心配してはいたが、しっかり食欲はあるみたいだ。安心したら改めて空腹を感じ、一口二口とうどんを啜る。
「……ところで、ジン。隣の女は誰だよ。」
「私の同室だ。名前はシンコウウインディ。」
「……はっ! こ、コイツはウインディちゃんの子分なのだ! だからウインディちゃんの許可なしに、勝手にコイツに触っちゃダメなのだ!」
「へぇ……。アンタ、こういう趣味もあったのか?」
「人を幼児趣味みたいに言うんじゃない。そいつは私と同じ、ダートのウマ娘なんでな。いろいろ大事にしてるんだよ。」
そういえば、こいつのことはチームに誘っていなかった。私がスカウトされたことに対する怒りを見るに、こいつはまだどこにも所属していないんじゃないか?
「おいウインディ、お前まだスカウトされてないんだろ?」
「う……。」
「ジン、お前。」
「いいだろ。今はとにかく人手がいるんだ。」
私はチームプルートの存在と、その状況について話した。ウインディは話が進行するにつれ、キラキラと目を輝かせていく。
「ふ、ふーん! お前がどーしてもっていうなら、入ってやってもいいのだ!」
「決まりだな。これであと一人だ。」
シリウスは少し不満げな顔をしていたが、チームが空中分解するよりはマシだと納得させた。私の言う事を素直に受け入れてくれるのは嬉しくもあり、幼い頃と関係が変わってしまったことを感じて寂しくもある。教科書で読んだ『故郷』そのままだ。
私は自分の気持ちを誤魔化すように、努めて明るい声を上げた。
「そうだ、お前は私より先にトレセンにいたんだろう? 誰かいないのか、ダートを戦場にしてる強いウマ娘は。」
「……知らねえな。だが一日待て。私についてきやがる奴らは、ダートを走るウマ娘も多いからな。すぐにでも―――」
「―――そういうことなら、ウチにお任せだよん♪」
いきなり耳元で投げかけられた囁きに、私は危うく含んだ水を盛大に吐き出すところだった。無理矢理水を飲み込み、ほとんどえづきながら声のする方に振り向いた。
「ゲホ、ゲホッ……何だお前。」
「おっとと、めんごめんご。ウチの名前は『トランセンド』。バイツァダストちんがお探しの、有力なダートウマ娘……だったり、じゃなかったり? あ、ここ座っていい?」
トランセンドと名乗るウマ娘は、私たちが許可を出す前からさっさと椅子に腰かけた。空いている席は一つしかないから、必然的に私の隣に座ることになるわけだが……やけに距離が近い。シリウスの顔が怖いからやめてほしい。
「あんがとねー♪ そんで、話の続き。ウチは色んな所に顔出して情報集めてるんだけどさー。あ、もちダストちんのことも知ってるよー。ジンってあだ名も知ってるけど、ジンちんって何か響きヤバいかなって。」
「私がここに来てからまだ一週間も経ってないのに、よくもまあそこまで調べたものだな。」
「まね。じゃあとりあえず、一番知りたいであろう有力なダートウマ娘の情報ね。」
トランセンドは立て板に水というのはこういうことかと思うほど、スラスラとウマ娘たちの情報を話した。フリオーソ、エスポワールシチー、ワンダーアキュート、スマートファルコン……私はまったく気づかなかったが、探せばダートにも強い奴らはごろごろいるものだ。
「ま、どの子もすっごくいい子で面白い子ばっかだよ。走りに関しては自分で確かめた方が早いでしょ?」
「……驚いたな。情報通を自称するだけのことはある。」
「どーもー♪ ま、その中でも今一番注目されてるのは、実はダストちんだったりしてね?」
シリウスの耳がピクリと動いたのを、私は視界の端に捉えた。 ……あまりプライベートな情報が出てこないといいんだが。
「最初の選抜レースで、スタートからゴールまでほぼ変わらないスピードで1着。バケモノ染みたスタミナで、一部では『カブラヤオーの再来か』なんて言われてるんだよ? それでいて数々のウマ娘と浮き名を流すプレイウマ娘。話題性は抜群だよね。」
「カブラヤオー……誰だ、そいつ?」
何気ない私の言葉に、トランセンドは大げさに椅子から滑り落ちた。こいつの芸人魂は一体何なんだ。
「ダストちんそれでマジで言ってる? 狂気の逃げウマ娘だよ?」
「……私はレースに興味を持ってなかったんでな。知ってるレースもルドルフが勝った三冠と、そこのシリウスが走った天皇賞と凱旋門くらいだ。 ……ああ待った、有馬記念も知ってる。」
「……
「知らん。」
「チャンピオンズカップは?」
「何だそれ。」
「川崎記念は?」
「……川崎はムネリンしか知らない。」
やめろ、おい。そんな目で私を見るなシリウス。ウインディも呆れたような顔をするんじゃない。
「……ダストちん、よくそれでトレセン受かったね? 全部ダートのG1だよ。授業も苦労してるんじゃない?」
「よくわかったな。英語のSVOCとか古文の動詞の活用みたいに、当然知ってるだろうみたいな体で進むからマジで困ってるんだ。」
そもそも私が入った札幌のトレセンだって、レースをするために行ったわけじゃない。母さんを安心させたかった以上の理由はない。
「ジン。今度私に付き合え。ダートのレースに連れてってやる。」
「……しっかりエスコートしてくれよ。」
「いいぜ。ここから一番遠い所に連れてってやるよ。」
シリウスが身を乗り出しながらしてきた提案に、私はあっさりと了承した。遠い所となると、北海道や福岡だろうか。
「あ、もうデートの約束? いいな~シリウス先輩。そんじゃ、ウチにも付き合ってもらおっかな?」
「いいだろう。私もお前に興味がある。」
「お? まさかの相思相愛だったり? いや~照れちゃうねえ。」
トランセンドが私にどんな感情を持っているのかは知らないが、語る情報には確かな価値がある。だが無償で与えられるものなどこの世にはないと、私は誰よりも痛感している。こいつの欲する対価についても確認しておかなくては。
「トランセンド。ここまでもらった情報の清算がしたい。何が欲しい?」
「……へぇ~。ダストちんは話が早くて助かるね~。じゃあさじゃあさ、ちょっと耳貸してよ。」
私は右の耳をトランセンドの方に向ける。ウマ娘に内緒話をしようとするとかなり妙な体勢にならなければならず、こういう時ばかりは人間のように顔の横についていればいいのにと思う。ともかく囁かれた言葉は、ある種予想通りのつまらないものだった。
「メジロマックイーンやトウカイテイオー……色んなウマ娘たちを堕とした方法……とか、どう?」
「わかった。だがこの場では困るな。」
「ふふん、そんなら明日にでもお出かけしよっか? その時に話してくれるってのは?」
「いいだろう。だが、私は遊ぶ場所なんて知らないぞ。」
「大ジョーブ。ウチが手取り足取り教えてあげるよん。ふふ、ゾクゾクしてくるねえ……!」
それから私たちは連絡先を交換し、また明日と別れた。シリウスも長距離の同行の約束を取り付け、何とか機嫌を直したようだ。問題は―――
「ウインディ、帰るぞ。」
「……。」
こいつだ。意外と人見知りするタイプなのか、完全に蚊帳の外になっていた。
「今日も、その……一緒に寝るか?」
「……! そ、その程度で絆されるウインディちゃんじゃないのだ!」
「悪かったよ、お前のことを忘れたわけじゃない。正直、一緒にいる時間はお前が一番長いわけだしな。私の下着なんて見たの、お前だけだろ?」
「そ、そうなのか? ウインディちゃんだけか?」
「ああ。お前以外に見せたことはない。二人の秘密にしておいてくれよ? それに、これからは同じチームだ。一緒にトレーニングをして、同じレースに出るかもしれない。私の一番のライバルはお前だ。」
「……ふふ、はーっはっはっはっは! やっぱりウインディちゃんが一番好きなんだな! ウインディちゃんは心が広いから、ちょっとくらい許してやるのだ!」
「ありがたき幸せ。さあ、帰って寝よう。」
脳裏に再びナカヤマが浮かび、同じ問いを投げかけて来る。私がコイツに何の期待をしているのか。ずっとモヤモヤしていたが、ウインディの満面の笑みを見ていると正直どうでもよくなった。
(……ま、今すぐに結論を出す必要はないさ。そのうち自然にわかるだろう。)
私たちは2人で、部屋に向かって歩みを進めた。足元に落ちる2つの影は、同じスピードで動き続けていた。