ここ半年の間、王都はこれまでに前例がないほどの忙しさに見舞われていた。
カルカの聖王女即位、そして父である前聖王の死、人員不足になっていた首都の聖騎士団の再編や神官の『再教育』など、新たに登用された人材によって多方面で動きがみられていた。
カルカやリリアは父の死に衝撃を受けたものの、聖王女となったカルカが心の不調を理由に執務を放棄することはできるわけがなく、必死に感情を押し殺し執務に没頭するカルカを見てリリアも全力でサポートに回っていた。本来であれば、新たな聖王女に挨拶をするため、各国から使節団が来る予定になっていたが、聖王国は半年の間喪に服すことになり、対外的な活動はそれ以降ということになる。
「姉さ……姉上、失礼致します。頼まれていた書類を……」
リリアは以前のようにカルカのことを姉様と呼ぶことを辞めた。カルカは聖王女、自分は守護騎士になった以上、以前のように呼び続けることはあまりにも慣れ慣れしいと周囲から見られてしまうと考えたからだ。最初はカルカも「姉様のままでいい」と言っていたが、リリアが「姉上」と呼ぶことが増えると、次第に訂正もしなくなった。しかし、長年の習慣からか気を抜くととこうして「姉様」と呼びそうになってしまう。
リリアがカルカに持ってくるよう頼まれていた書類を手に持ち執務室の扉を開けると、そこには机の上に倒れこむカルカの姿とその様子に頭を抱えるカスポンドの姿があった。
「兄様……またですか……」
「あぁ、そうだ。まただ」
リリアの問いにカスポンドは頷く。元々は北部地域であった南部との境に近い領主達が、神殿の改革による影響力の低下やカルカの統治の不安定さ、これは前聖王の死や亜人による国境の城塞への攻撃頻度が増えていることなどに起因するものであるが、これらを理由として北部から南部へと支持を変えていた。幸いなことに、昔から北部で王家を支持していた各主要都市や南北双方の国民からの支持は今だ厚い。
「父様の死は避けられぬもので、城塞への攻撃は国家の問題であるのにすべての責任を姉上に押し付けるなど、ただの理由づくりのための言い訳です」
リリアはうなだれているカルカを励ますように自身が思っていることを話す。カスポンドも「その通りだぞ。我が妹よ」とカルカを元気づきようとする。
「私ってやっぱり向いてないのかしら……。やはりお兄様が……」
「ッそのようなことを言ってはなりません!」
カルカが思わず口走ってしまったことに、リリアはすぐに反応し否定する。
「今、姉上がおっしゃったことは無責任ではありませんか!姉上は父様の宣言を受け、誓いを立てました。その誓いを破るようなこと、決して軽々しく言ってはなりません!兄様に対しても、この国の民に対しても……」
リリアがカルカの両肩を掴みながら目を覚まさせるように強い語彙で話しかける。カルカはリリアの言葉にはっとしたのか、「ごめんなさい……弱気になっていたみたい…」とリリアを見る。
カスポンドはカルカの置かれている状況を十分に理解しているだけに、その心境を察し、これまであまり強い言葉をかけていなかった。しかし、今のやり取りを見てリリアのように諫めるべきだったと反省する。
「そうだぞ、カルカ。今は私が補助として執務に付き添っているが、早いうちに文官と共に仕事をすることに慣れなければ。泣いている暇はないぞ」
カスポンドはこれまでも実務に深く携わってきたことから、まだ未熟なカルカに、文官に対する付き合い方や人材の用い方など様々な面を教え込んでいた。また、書類仕事に関しても、補助に回る予定であったケラルトが神殿のことで忙しいため、その代理として関わっている。
しかし、このような状況が長く続けば、「聖王女は兄であるカスポンドの助けがなければ統治ができないのではないか」と言う、統治能力を疑問視する世論を後押しする結果を招くと考え、一日でも早く辞めたいというのが本音であった。
「そうですね。民のためにも早く聖王女としての務めをこなせるようにならなければ!」
元気を取り戻したカルカに、リリアが「その意気です姉上!」と励ましの言葉をかける。
そうして、カルカが机の上の書類に手をかけようとしたとき、部屋がノックされ、文官が入室してくる。
「聖王女様、リ・エスティーゼ王国より文書が届いております」
文官はそう言うと、持ってきた紙をカルカに渡し、一礼して部屋を出る。カルカは渡された手紙にすぐ目を通す。
「両国の友好と私の即位を祝うために使節団を派遣したいと……。もうそんな時期なのね」
カルカは父が亡くなってから半年が経過していることに驚きではなく、すこしさみしそうな表情を浮かべる。
聖王国の北方に位置するリ・エスティーゼ王国は地理的な関係から友好関係を結んでいた。最も、聖王国は王国の広大な大地からとれる穀物を多く輸入して、不足している国内需要を補っている。聖王国は国土は他国に比べ狭く、森林や山岳も多いため農作物を育てることができる土地は少ない。一方で広大な中央の湾と四方の海からもたらされる海洋資源は王国にも需要があるため、互いに輸出入を行う関係である。そのため、王国との関係を重視するというのが基本となる外交態度だ。
「使節団を迎えるための準備をしなくてはなりませんね」
リリアがそう言うとカルカも「そうね」と同意し、使節団を迎える旨の返事をするため、公的な文書に使われる紙を用意する。そうした矢先に再び扉がノックされ、大臣が入室する。急を要する要件なのか、息がとぎれとぎれになりながらも、震えながら手に持つ丁寧に包装されている手紙を差しだす。カルカとリリアは押されている印が今まで見たこともないものであるため、首をかしげるが、カスポンドはその印を見て目を丸くする。
大臣は一度、息を整えると口を開く。
「聖王女様、バハルス帝国皇帝より親書が届きました!」
「て、帝国ですか!」
カルカは驚きのあまり受け取った手紙を危うく落としそうになる。
聖王国とバハルス帝国の関係は良くはないが、敵対するというほど悪いものではないといったところだ。地理的にも遠く、王国と帝国が争っているため王国の友好国である聖王国は帝国に対し表向きは批判をしている。しかし、国家間で関係を持っておらず、個人の間では取引がある。
つまり、帝国と聖王国はこれまでこれといった関係を持つことは無かった国同士ということだ。
カルカが恐る恐る封をとき中身を取り出すと、王国の物に比べて一段上質に感じるような紙に達筆な字で挨拶が書かれていた。そのまま、二枚目に移るとカルカは注意深く手紙を読む。
「姉上、帝国はなんと?」
リリアの問いにカルカは一つ間をおいて手紙から目を離す。
「我が国に…。使節団を派遣したいそうよ…。非公式な…」
あまりの出来事に頭が追い付かなくなったのか言葉がたどたどしくなるカルカであるが、リリアやカスポンドも帝国からの思わぬ要望に困惑する。
なぜ、帝国が我が国と急に関係を持とうと思ったのか、思い当たることは特になかったものの、カスポンドはその場で考えを巡らせ、一つの答えに行きつく。だが、それを話す前に大臣をその場から遠ざけようと思い「大臣もういいぞ」と言い、部屋から出るよう促した。
大臣が部屋から出たのを確認するとカスポンドは口を開く。
「これは私の推測に過ぎないが、帝国は我が国と王国との関係を破壊し、王国に二正面の敵を用意させることで戦争において自分たちを優位にしようとしているのではないか?」
カスポンドの話にカルカとリリアはなるほどと頷くも、カルカがすぐに質問をする。
「しかし、お兄様。帝国はなぜ急にそのような考えに至ったのでしょう。我が国は王国から多くの物を輸入している以上、関係を切ることは難しいと分かっているはずです」
「その点だが、おそらく我が国が英雄級の戦力を持つことになったのがきっかけと言えるのではないか?我が国が英雄を持ったことで王国に対し強気な外交を展開できるようになった。断れば戦争だ、こちらも本気を出すぞと言う風にね。カルカはそのようなことはしないと分かっているが」
カスポンドの話を聞いている二人はその通りだと頷く。
「しかし、そのような疑いを持たせられるだけの力を今の聖王国は持っている。だから、関係を構築し、あわよくば王国から離反させたいとこんなところではないか」
「つまり、我が国は王国と帝国にとって盤上の駒に過ぎないということですね……」
カルカは現状に頭を悩ませる。今の状態を保つことができれば何も問題はないが、帝国から皇帝の親書が届いたことでもはや無視できることではない。届いていないとシラを切ったとしても、帝国にとって聖王国は明確な敵とみられるだろう。
「姉上、どういたしますか……」
リリアの問いにカルカは答えが出せず、黙り込んでしまう。カスポンドは助言をしようか迷ったものの、今ここで助言をすればカルカが今後人に頼ることが癖になると考え、様子を見守る。
「王国に返事が届く方が距離的に見ても早いでしょう。それならば、王国の使節団を先に迎え入れ、用が済んだ後に帝国の使節団の対応を行う……。この方針で行きましょう」
使節団に合うことで最低限の義務を果たし、こちらの有利な条件で外交を終わらせることができれば、何とかなるだろう。問題は、王国が何らかの形で、我が国と帝国が関係を構築しようとしていることに気づき、疑いをもたれる事だとカルカは考えた。
「姉上がそうお決めになったのであれば私は従います」
リリアはカルカの意見に賛同の意を示し、カスポンドも答えとしてはある意味正解であると判断し頷いた。
「爺や、聖王国の動きどう見る」
バハルス帝国の皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは執務室のソファーに横になりながら、側にいる主席宮廷魔法使いのフールーダ・パラダインに尋ねる。
フールーダは長い白髭を撫でながら答える。
「はい、陛下。聖王国の王女が英雄を利用し他国を牽制する宣言をしたことで、王国は聖王国に対し少なくとも不信感を持ったでしょう。式に派遣した貴族の話を真実とすれば実力は少なくとも第四位階の魔法を扱うことができるほどです。王国と聖王国の関係を揺らすのに最適な材料です。陛下もそうお思いになり、聖王国が外交を開始する時期を見計らって親書をお出しになったのでは?」
「爺にはかなわんな。その通りだ。それに、あの頭お花畑な女が率いる国が一体どれほどの力を持っているのか、気になってはいたからな。だが、この程度の外交も対応できなければ、国交を結ぶ必要もない。無能な友好国は害になるからな、その時はいつも通りだ」
ジルクニフはそう言うとソファーから起き上がり、「爺や今日はもうよい。私ももう寝る」と言って、頭を下げて見送るフールーダに手を挙げて返事すると、そのまま部屋を後にした。