帝国と聖王国の調印式には多くの帝国関係者が集まり、一同が見送る中で文書に署名が為される。
会場は聖王国とのこれからの関係を祝福するような拍手で満たされ、リリアもジルクニフと握手を交わした。
調印式の後、晩餐会が催されることが伝えられると、リリア達も出席するために用意をする。
案内の者に連れられ会場に入ると、大きなシャンデリアが印象的な広間へと出た。長い階段の上から会場を見下ろせるような位置にジルクニフが座る玉座があり、リリア達が入ってくるのを見ると自ら降りて来て出迎える。そして、手を掴み共に階段を上ると、会場へ向けて手を挙げ注目を集める。
「皆の者、今宵の晩餐会を開いた目的は帝国の新たな友人である聖王国を歓迎するためだ!どうか、このめでたき日を共に祝ってほしい!」
ジルクニフはそう言いながら手に持つグラスを掲げると、貴族達も「おめでとうございます!」と声を上げる。
その光景にリリアは少し違和感を持つ。ほとんどが若い者達であり、中には礼儀作法に疎い様子の者も見受けられたからだ。
不思議そうに見ているリリアの様子を見て、ジルクニフが口を開く。
「皆、新たに任命された貴族か、私に忠実であった貴族だ。他の者は粛清している最中なのでな。無作法なのは見逃してほしい」
笑いながら話している様子を見たリリアは、今まで忘れていた帝国に入ってからの嫌悪感を突如として思いだした。
この皇帝はこのような話をしながら笑えるほどの者であり、帝国の凄さや皇帝の話術はその異常性を隠してしまうほどの力を持っている。それは今までのリリアが証明しているも同然だ。隣にいる人物の本性を垣間見たリリアは気分が悪くなる。今まで自分はなぜ平然とこの男と話せていたのだろうと。
「リリア殿。どうかなされたか。顔色が悪いようだが」
「少し会場の雰囲気に酔ってしまったようです。部屋で休ませてください」
リリアはそう言いながらレメディオスに手を伸ばし、共に階段を降りる。リリアがそのようなことを思っているとジルクニフは知る由もなく、案内の者に丁重にお送りするように伝える。
(私が見てきたものは全て血の上に成り立っている……。私が見てきたものは……)
血の上に成り立っている帝国は多くの者が平和を享受し、幸せそうにしていた。横暴を働いた者達は処罰され、努力した者は報われる。階級にとらわれず、各々の才が認められてそれに合わせて様々な支援が行われる。
(姉上の理想は…本当に……血を流さずに達成できるのだろうか……)
心の中に思いもしないはずの疑問が浮かぶ。すぐに我に返り、いつもの状態へと戻るがこれ以上帝国にいては気がどうにかなってしまうのではないかと不安になる。
部屋に着くと、着替えることもなくベッドへと横になる。レメディオスが声をかけようとするもリリアに出ていくよう命令され、静かにその場を去る。
リリアは枕に顔を深く埋めた。
翌日になると、先日取り決めた協定に従い、聖王国へ派遣される将軍や文官、大学院の教師などが皇帝によって集められ、三年の任期が言い渡された。多くがその役職に対して若い者だったが、誰もが実績を上げており、派遣されるものに必要な素質は十分であった。
リリアもその者達に挨拶をし、聖王国に力を貸してくれる事に対し感謝の意を述べる。
「リリア殿。この者達は帝国の中でもとりわけ優秀な者達だ。三年あれば、聖王国に多くの知恵を貸してくれるだろう」
リリアはジルクニフに対し、簡潔に感謝する。昨日のこともあり、皇帝にはあまり顔を合わせずに済ませたいためだ。ジルクニフも、リリアの素気のない態度に疑問を感じるも、今回の会談が思い通りに進んだことでそのような些細な問題は気にしなくなっている。
「それでは陛下、私達はこの辺りで聖王国へ帰還致します」
「まだ紹介したいところがいくつもあったのだがな」
遠慮しますとは言えないものの、「ご厚意恐れ入ります」とだけ返すと、馬車へと乗り込む。
帝国から派遣される者達には、帝国側が用意した馬車とワーカーと呼ばれる帝国の冒険者が聖王国までの護衛として与えられた。
皇城を出ると、見たことのない聖王国の者達を歓迎する城下の人々が手を振っている姿が目に入った。初日はこのような対応は少なくとも見受けられなかったことから、ジルクニフが何らかの措置を行ったのだろう。リリアは複雑な気持ちを抑え、人々に手を振り返した。
帰路は馬車が増えたことや荷物も多くなったことで、行き以上の時間がかかることになった。本来であれば一日でたどり着くであろう距離も遅くて四日、早くても二日と言ったところだ。道中にかかるであろう資金も、ジルクニフの手によって用意されているため、あの皇帝は本当に隅々までよく見ていると憎く思いながらも認めざるを得ない。
そうして時間はかかったが、一行は大きな問題を起こすことなく王国内を通過し、聖王国の領土へと入る。心なしか馬車の速度が上がったような気もするが、それはもうすぐ帰れるという期待の表れだろう。レメディオスが夜も駆けて帰れば、明日の昼にはホバンスに到着できると無茶を言うが、帝国の者を連れているためそのようなことはできないと諫める。そのため、カリンシャで夜を明かし、明朝出発することが決まる。
護衛についていた聖騎士の者達もかれこれ一カ月の間聖王国を離れ、任務にあたっていたため、ようやく落ち着いて過ごせているようだ。
そして、翌日。馬車はついに聖王国の王都ホバンスへと到着した。
王城の前では、使節団の帰還を迎え、歓迎するためにカルカが臣下を引き連れて待っていた。帝国との交渉がどうなったのかと言うことも知りたがっているだろうが、カルカはそれら以上に、体を壊していないだろうか、あの皇帝にいじめられはしなかっただろうかなど、リリアの事を心配していた。
馬車が止まり、リリアが降りてくる。その顔には明らかに疲労の跡が見て取れるが、足取りはしっかりしており、カルカはひとまず安心した。そして、使節団に対し、労いの言葉をかける。
「聖王女様、使節団からの報告はまずは王宮に戻ってからと言うことにしましょう」
大臣がそう告げると、カルカは「そうですね」と返し、会議室の準備を整えるように言う。リリアはレメディオスや護衛についていた聖騎士達に感謝と護衛の任が終わったことを伝えると、レメディオスが聖騎士達を解散させた。そして、レメディオスにも今日の任務はこれ以上ないことを告げ、実家へ帰ってもよいことを伝えると、レメディオスは嬉しそうに一礼し、その場を後にした。
会議室の準備が終わり、リリアからの報告を聞くため、一同は席へと着いている。リリアはこれまでの王国と帝国における交渉内容や視察で得た情報などをまとめて話す。大臣達が特に注目したことは、帝国から派遣された人材の件であった。
「彼らを『三年間』派遣してもらうために、我々はほぼ期限なしで武具を渡さなくてはいけないとは……。少々、軽率だったのではないか」
「だが、おかげで皇帝がこれだけの人材を三年間無償で貸し出すといっているのだ。武具など今まで倉庫に保存するだけだったが、資金の当てにもなる。悪いことばかりではないだろう」
大臣の一人の提言にリリアは「おっしゃる通りです」と頭を下げる。しかし、それを擁護するような意見もあり、結果としてこの協定は今後見直すことが必要であること。そして、人材が派遣されているこの三年の内に彼らを利用して聖王国における人材の育成や制度の改革も進めるという事で意見が一致した。
この意見を一致するにあたって、リリアが帝国で見た魔術学院や練兵所、帝都における記録が役に立った。報告に大臣達は帝国が自分たちが思っている以上に発展していたことや、ジルクニフから貰った魔法の光を放つランプの試作品を見てその技術力に驚いていた。少なくとも、帝国の姿こそ未来の聖王国が求めるべき形だろうと。
だが、大臣達と違い、報告をしているリリアはあまり気乗りしないように報告を続けていた。その発展には裏があることをその目で見てきたからだ。カルカはその様子に気づいており、何か言おうとするも大臣達がいる前でそのような行動をとるわけにはいかない。
報告を終えると、カルカは改めてねぎらいの言葉をかけ、大臣達に改革に向けて進めていた計画を、各自の指導と帝国から派遣されてきたものの意見を合わせながら進めるように指示を出した。指示を受けた大臣達はこうしてはいられないと直ちに動き始める。リリアも部屋で休むと言い、その場を後にする。
いつもの見慣れた部屋に着き、顔見知ったメイドの手を借りて楽な姿に着替えると直ぐにベッドへと横になる。主の疲れている様子を見たメイドは気を利かせ、静かに部屋を去る。
横になったリリアは天井を見上げ、静かに息を吐くとゆっくりと目を閉じる。
目を閉じて少しすると部屋の扉がノックされる音が聞こえ、カルカの声が聞こえた。リリアは横になりながら「どうぞ」と言う。
「ごめんなさい。休んでいるのに」
「いえ、大丈夫です。正直に言えば休みたいところですが…」
そう話すリリアの態度はどこか素っ気なく見える。それは、カルカの理想を疑った自分がその隣にいていいのだろうかと言う葛藤故であった。カルカはベッドにゆっくりと座る。
「リリア。帝国で見たのでしょう。見たくはない現実を」
「……。どうしてそう思われるのですか」
リリアはカルカに対し背を向けるように体を横にする。
「私も帝国で行われていることは知っているの。そして、貴方の報告書はどれも帝国に憧れを持つように事細かくまとめられていたから……」
息を吐いて少しの沈黙がその場に訪れる。
「私の理想では目指すことのできない現実を見たのでしょう……。失望しましたか……?」
その言葉にリリアは飛び起き、「そんな…!私は!」と全力で否定する。妹である自分までもがそれを否定しては、カルカを支えるものは減ってしまうだろう。その様子を見たカルカはどこか安堵したように笑みを浮かべた。
「よかった。リリアはやっぱりリリアのままだわ。何も変わっていない。帰ってきたとき、会議場にいるときの貴方はどこか他人の振りをしていたから……」
気まずそうに「それは……」と目を逸らすも、カルカに手を握られ自然と視線が戻っていく。
「確かに私が目指す理想では帝国のような国は築けないかもしれない。でも、帝国が最善を尽くしたとは言えないでしょう」
リリアはカルカから目をもはや逸らせない。いや、逸らしたくない感覚に襲われる。
「私だけの力では無理だけど、私達であれば、聖王国にとっての最善の道が切り開けると信じているの。だから……」
握られる手に伝わる力が一層強くなるのを感じる。
「リリア、見捨てずについてきてほしい。貴方が見てきた経験はきっとこれからの聖王国に必要になるから」
そこに確定的な要素は何一つない。しかし、実現できると信じてしまう、否定できない言葉。
いや、体が否定することを拒否させているのだ。導かれる言葉を信じるがままに。
(あぁ、姉上。やはりあなたこそ聖王国の……。いや私にとって姉上こそ……)
リリアは祈るようにカルカの手を両手で握りしめた。