帝国での用を終え聖王国へと帰還したリリアは、これまでに得た情報を共有するため執務室へと赴く。既に聖騎士を先に送り話は通していたため、中ではカルカやレメディオス、ケラルトがリリアを待っていた。
「姉上。ただいま帰還しました」
「おかえりなさい。それでは早速話してくれるかしら」
リリアは、ガゼフやモモン、ジルクニフから得た情報はこれまでに我々が知っているヤルダバオトの情報と相違がほとんどなく、これといった新しい情報を得ることはできなかったこと。モモンからヤルダバオトと戦う際には協力をするという言質をとったこと。そして、カルネ村で会ったアインズ・ウール・ゴウンの事などを話した。
「アンデッドの
「アンデッドなどその場で殺す……、天に召してやればよかったではないですか」
レメディオスとケラルトは露骨に嫌そうな顔をしている。聖騎士と神官、それも聖王国の人間からすれば当然の反応だろう。しかし、カルカやリリアは村人の安全を守っているならばと言う点だけを見れば、少しは評価すべきだろうと考えていた。
「ともかく、漆黒の二人が協力してくれるのならば、何とかなるかもしれないわ」
「しかし、姉上。私とて彼らに頼りきりになるつもりもありません。こちらも対抗策を準備します」
「何か方法があるの?」
ケラルトに指示し、聖王国の地図を机の上に用意させると、地図を指さしながら説明を始める。
「ヤルダバオトは突如として王国の王都に現れました。つまり、奴がどの地域に現れたとしてもおかしくはありません。この王都ホバンスに現れることも考慮するべきでしょう」
「それは分かっているわ。でも、全ての都市を守ろうとすればそれだけ戦力を分散させることになるけれど」
「カルカ様の言う通りです。リリア様と姉様の二人がかりでどうにもならなかったヤルダバオトを兵士達だけで対処できるとも思えません」
「私が習得している魔法には、全ての転移魔法を阻害し、あらゆる攻撃をはねのけ、悪意のある物の侵入を妨げるものがある。これを王都に展開し、王都だけは安全が保障された場所にしたい。本来であれば、全ての都市にこれを展開したいのだが、一ヶ月の間儀式を行わなければこの魔法を使うことができない」
「そのような魔法が……。しかし、ヤルダバオトの回復が想定よりも早かった場合はどうしますか」
その問題はリリアも懸念していたことであった。一月の間聖王国は全くの無防備な状態になってしまうも同然であり、もし敵が攻めてきたとすれば儀式を中断して撃退に乗り出さなければならない。そうなれば、そこまでの努力は全て水の泡だ。
「だが、王国の二の舞になるのだけは避けたい。戦争が始まれば、ロイツやカリンシャの住民の内、戦えぬ者達を避難させる場所が必要だ。そのためにも、この儀式だけは行う必要がある」
「もはや神に祈るしかないでしょう。漆黒のモモンによって受けた傷が深く、ヤルダバオトが動けないことを」
少なくとも人類がヤルダバオト相手にできることは、カルカが言うように神頼みしかないだろう。日ごろから熱心に祈りを捧げている身からすれば、今ほど神の力に頼りたいと思わないときはない。
「レメディオス。有事の際には聖騎士はどのように動くんだ?」
「我々聖騎士はまずカルカ様の身を第一に動きます。しかし、状況に応じて騎士団を動かし、攻撃に転じることも考慮すべきだとグスターボが」
「それでいい。万が一聖王国の北部が滅びようとも姉上が生きている限り、真の滅びが訪れたとは言えない。時間を稼ぎ反撃にでることもできるだろう」
まさに国家の命運を左右する大博打だ。この賭けに勝つことができれば、聖王国は少なくとも王国の様な未曽有の被害を受けることは防げるだろう。ただし、これらはあくまで楽観的な意見に過ぎないことも十分に理解している。相手に隠し手があれば、これらの魔法も突破されてしまうかもしれないと。だが、これ以上の手段を講じる方法もなく、リリアは覚悟を決めた。
「姉上。明日から私は王宮の礼拝堂にて儀式に入ります。その間の対応は…」
「大丈夫よ。レメディオスやケラルトと共に何とかして見せるわ。」
二人はリリアの方を見ると、任せてくださいと胸を張って答えた。リリアは決して一人ではなく、頼りになる存在に支えられていることを改めて感じた。
儀式に入ることが決定し、翌日には各種の伝達事項をまとめるとネイアにそれを手渡し、執務をアルフレドと共に行い、印が必要であればネイアの判断で押しても構わないことを伝える。どうしても、判断に困るようであればカルカかケラルトに頼むようにとも。
ネイアは混乱したものの、事情を話すと大任を任されたことに喜んだのか「お任せください!」と返事を返した。
そうして、全ての用事を終えたリリアは神官服に着替え礼拝堂へと向かう。展開された魔法陣の中にはアイルから受け取った人の身長ほどのサイズの魔水晶が置かれ、この水晶にリリアの魔法を封じ障壁を展開することになる。
用意を終えた神官達は一礼すると礼拝堂の入り口付近で待機する。この儀式には信仰力や魔力だけでなく、尋常でない集中力も必要とされ、リリアもアイルの下でまだ一度しか試したことは無い。緊張のあまり、手に汗が滲むが期待の応えたいという気持ちから徐々に落ち着きを取り戻し、魔水晶に手をかざすと儀式を開始した。
「カルカ様。先ほど儀式が開始されたとのことです。念のため、高位神官と選抜された聖騎士を警備につけました」
「ご苦労様。私達もできることをはじめましょう」
ケラルトは一礼しカルカの側を離れると、会議室の扉を開け大臣達を中へと招き入れる。聖王国ができる最大限の努力をするためにはすべての者の協力が必要だと判断し、大臣達に事情を伝え備えを行わせるためだ。
こうして、聖王国のヤルダバオトに対する備えは着々と進みつつあった。
儀式が開始された当初はいつヤルダバオトが来るか分からない恐怖に全ての者がおびえていたが、儀式の終わりが近づくにつれて徐々に落ち着きを取り戻していた。
結果的には、恐れていたヤルダバオトの攻撃は行われず、儀式は無事に完遂された。
リリアの防御魔法『
この魔法はアイルやツアーの協力の下、リリアによって創作された魔法であり、範囲外からのあらゆる転移魔法の無効化、そして第八位階以上階魔法への一定ダメージ量防御、第七位階以下の魔法無効化、飛び道具に対する完全防御、悪の位相を持つ者への完全遮断など、あらゆる防御に特化したものである。莫大な詠唱時間と魔力・信仰力を消費するものの、付与した魔水晶が壊されない限りはその効果が使用者が死ぬまで永久に継続する。
本来はあらゆる場所で展開できるようにすることを考えていたが、その効果には相応の代償が必要であったため、拠点防衛に特化した魔法となった。このような巨大な魔水晶を用意しなければならず、設置できる場所にも制限があるため移動しながらというのは無理なのだ。
儀式を終えたリリアは完全に力を使い果たしてしまったため、儀式を終えるとそのままその場に座り込んで動けなくなってしまった。すぐに室内で待機していた神官達が治癒を行いながら、リリアを王宮内の医務室まで運び込む。
事の次第を聞いたカルカもすぐに医務室へ駆け付けると、意識を何とか取り戻したリリアと目が合う。
「姉上……。儀式は無事……、成功しました……」
「分かっているわ。貴方はよくやりました。今はゆっくり休みなさい」
リリアは静かに「はい…」と答えると、再び意識を失ったように目を閉じた。王宮医は現在のリリアの容態は魔力と信仰力を過剰に消費したことによる疲労だと伝える。
(このような魔法を何度も使わせるわけにはいかない……。けれど……)
この障壁の効果が本当であれば、後いくつあっても欲しいというのが声には出せない本心だ。だが、目の前のリリアの様子を見れば、そのような事を言い出せるわけもない。
カルカは目を閉じて休んでいるリリアの髪を優しく撫でた。その一瞬かすかに姿を現した、右の額にできた小さな黒い痣の様なものに気づくことも無く。
一週間ほど寝込んでいたものの、最後の二日間はほとんど問題もなく経過期間として安静にしていただけであったため、カルカに復帰する報告を終えるとすぐに執務へと復帰する。とはいえ、執務の多くはネイアが期待以上に動いてくれていたため、ほとんど残っておらず、執務室に残っていたのは疲れ果てたネイアとアルフレドの姿だけであった。
「ふ、二人とも。私のいない間ご苦労だったな」
「リリア様のお言葉に……感謝……します……」
ネイアは何とか返事を返すも、アルフレドは既に死んだように眠っている。ここへ来る前に聞いた話では、大臣達もヤルダバオトへの対策にむけて各々ができることを始めたらしく、その過程で軍へ送られる書類が通常よりも増えていたという。
「二人はしばらくの間休暇を与えよう。これまでの疲れを十分に癒してくれ」
その言葉を聞くと、意識を失っていたはずのアルフレドは飛び上がり、礼をすると直ぐに執務室を出て行った。
「アルフレド将軍も泊まり込みでしたから……。奥さんと子供さんに会いたいのかと……」
「ネイアももう休め。私が部屋まで送ってもよいが……」
このような場面をパベルに見せようものなら、ネイアを副官から取り上げてしまうだろう。ネイアは「平気です」と言いながらもふらふらと立ち上がったため、リリアがネイアを抱き上げそのまま執務室のソファーに横にさせる。
「少しそこで休んでから行くといい。人の目を気にする必要はない。誰が来たとしても休んでいろ」
そう言葉をかけた時には既にネイアは寝息をかいており、相当に疲れていたことが分かった。リリアは先程までネイアが座って居た椅子に座り、処理しなければならない書類に目を通し始めた。
「それで、この遺跡……、いや墳墓だったか。調査の用意はできたか?」
「はい、陛下。少々時間がかかりましたが、保険となる貴族の確保にも成功しております。後はフールーダ様の声があればいつでもワーカー達に告げることができるのですが……」
「爺がこの墳墓の話をしてから、もう一か月だぞ?ヤルダバオトへの対策を急いでいるのは分かるが、少し待たせすぎだな。いや、爺も歳と言うことか……。ヤルダバオトのせいで帝国まで被害を受けるとはな」
ジルクニフはソファーに横になりながら、副官の方を見てため息を漏らす。ヤルダバオトが王国に現れてからというもの、それまで盛んだった交易活動が一気に停滞している。商人からすれば、商売相手であった王国が経済的に落ち込んだため、交易を再開するリスクが大きく、聖王国も道中で王国から商品を仕入れることがあったため、共に交易を見送っている。そのため、聖王国、王国、帝国の間で微妙なバランスで回っていた交易活動が崩れてしまったのだ。
「王国が経済から回復するまでは今しばらく時間がかかるでしょう。陛下が今年の戦争を見送ったのは英断でございます」
「今戦争をすれば痛手を被るのは我々も同じだ。それに、このタイミングで攻めたとなれば他国から非難されるに決まっている。聖王国との関係が崩れるのだけは御免だ」
そのような話をしていると、噂をしていたフールーダが部屋へとやって来た。
「陛下、お呼びでしょうか」
「爺。例の墳墓の件、いつになったら調査を開始できる?何か不安なことがあるのか?」
「その件なのですが、陛下。ようやく準備が整いましたので、ご報告に上がろうと思っていたところです」
ジルクニフは「そうか!」と言いながら、ソファーから起き上がる。遺跡から未知の遺物や新たな財宝などを発見できれば、帝国の懐事情は以前のように回復するだろう。その期待からも、ジルクニフは喜びを隠せない。
「では直ちに布告するとしよう」
副官は一礼し、すぐにジルクニフの指示を伝えに部屋を出る。フールーダも用が立て込んでいると、副官に続いて部屋を後にした。
「これも魔法の深淵を覗くため……。私は御身に全てを……」
フールーダは誰もいない廊下で静かに狂気を含んだ笑みを浮かべた。