目の前に迫る矢に対し、リリアは咄嗟の判断で顔を右へと逸らした。
矢は兜に当たると、その勢いで兜がはじけ飛ぶ。一瞬、意識が飛びかけるも歯を食いしばって耐え、矢を放った亜人を見ると、地面に転がっていた敵の剣を拾い投げた。そして、未だに離れようとしない
「い、いったん引け!撤退だ!」
指揮官だった
「敵が下がっていくぞ!背後を打て!一体でも多く殺せ!」
敵が下がり始めるのを見ると、それまで身を潜めていた弓兵が追い打ちをかけ始め、カタパルトも最後の投射を行う。初日の戦闘で、侵攻軍は多くの損害を出しながらも城塞線を超えることは無かった。
リリアは残党を片付けると、激戦の跡へと戻り自身の兜を拾い直す。矢が当たった部分は大きくへこんでおり、魔法の弓で攻撃されたことは見るからに明らかだ。もし、あのまま直撃していれば大怪我をしていただろう。最後に生き残りがいないか確認を終えると、歩いて城塞線へと戻る。
「神官!早く来い!リリア様が怪我を負われた!」
帰還したリリアの姿を見た将軍はすぐに神官を呼び出す。将軍に言われて頭を触ると、兜が飛んだ際に頭のどこかを切ってしまったのか出血していた。
「いや、大した傷ではない。私よりも兵士達の治療を優先しろ。それよりも将軍、他の戦線の状況はどうだ?」
「北部はアルフレドが率いる第一軍が早い段階で到着し、敵の数も中央ほど多くは無かったため問題はないそうです。南部は未だ報告が来ておらず、状況は……」
そう話をしている所へ早馬に乗った兵士が到着し、南部からの報告を伝える。兵士はかなり傷ついており、かなりの激戦が起きていたことが見て取れた。
「南部要塞は辛うじて防御に成功しました。一度は城塞線を突破されましたが、第二軍と第三軍が到着し何とか押し返しましたが……。被害は大きく、防衛に使用していた兵器はほとんどが使えなくなりました……」
「南部からの応援が来る手筈になっているはずだ。何故国軍よりも先についていない?」
「南部からの応援は来ていません!我々は駐屯軍と警備兵のみで対応せざるをえず……」
その報告を聞いたリリアは勢いよく城壁に拳を叩きつける。国家の一大事であるのにも関わらず、未だに協力しようともしない南部に対する怒りが爆発したからだ。南部からの応援が来ていれば、このような結果にはならなかったかもしれない。
「ひとまず、戦果の報告へ向かう。被害確認や物資の補充は迅速に行え。敵がいつ攻めてくるかは分からないからな」
「承知しました。しかし、今日の戦闘だけでかなりの戦略物資を使用しました。全ての要塞に十分な数の物資を渡すには……」
「ロイツの倉庫からも前線へと送らせるのだ。とにかく、今はこの戦線を可能な限り保持し、各国からの応援を待つしかない」
「了解しました。速やかに完了させます」
将軍がリリアに敬礼すると、それに手を挙げて返し、転移の魔法を使って王都へと帰還する。城門を警備している聖騎士が帰還したリリアの姿を見ると、すぐに衛生兵を呼び出し頭に包帯を巻かせようする。しかし、南部の事で頭に血が上っていたリリアは拒否し、城門をくぐるとすぐに王宮へと転移した。
「聖王女様!リリア様がご帰還なされました!」
会議室に集まっていたカルカや大臣達は顔を上げる。リリアが帰って来たということは、少なくとも戦闘は一旦終結したということであり、結果がどうであれ戦況をいち早く聞きたいと誰もが思っていた。だが、入室してきたリリアの姿を見て、大臣達は驚きのあまり口をつぐんでしまう。頭からは血を流し、白の鎧やサーコートは血まみれのまま、怒りの表情を浮かべていたからだ。
「全体の戦況を報告いたします。本日の戦闘では、城塞線は全ての戦線において守り切ることに成功しました」
リリアの言葉を聞いた大臣達は安堵の表情を浮かべる。その様子を見たリリアは思うところがあったが話を続ける。
「しかし、南部要塞は激戦の末、多数の死傷者が出ています。南部から応援が来る手筈になっていたはずですが、何故来ていないのでしょう」
「そんなはずはない!南部からは応援として二万人の兵士を派遣すると連絡があった!」
「来ていなくとも勝利は治めることができた。明日にはきっと応援が到着するだろう。そうすれば……」
「今日必要でした。だが、彼らは来ていないのです。このままでは今の戦線の防衛も困難になるでしょう。中央や北部でも少なくない死傷者が出ています。諸国からの応援が来るかさえも分からないのに、どこに安心できる要素があるのですか!」
怒りの声を上げながら机を叩くと、頭から流れていた血が頬を伝って机の上へと滴り落ちる。先ほどまでの激戦を経験した身としては、大臣達の楽観的な考えや態度に怒りを隠すことができない。
「皆、一度席を離れなさい。少し話をしたいのです」
大臣達はカルカに言われるまま、部屋を後にする。血を流しているのを見たケラルトがリリアの側へ行き、治癒魔法をかけ始める。
「リリア、貴方らしくないわ。一体どうしたというの?」
「すみません。まだ戦闘後の興奮が落ち着いていないようです。後で謝罪を……」
「謝罪などしなくてもいいわ。彼らが何とかなると考えている節があったのも事実だから。一体何があったのか詳しく教えて」
「ヤルダバオトと一戦交えました。いえ、奴からの攻撃を防御することしかできなかったのですが……」
「ヤルダバオトが現れたのですか!まさかその傷は……!それで奴は!」
レメディオスが驚きの声を上げる。リリアの今の姿がヤルダバオトによって与えられたのだと考えたのだろう。
「いや、この傷は敵を追い返すときに負ったものだ。奴は以前戦った時には見せなかった強大な魔法を放った。私は防御に徹するのが精いっぱいで、奴はその間にどこかへ消えてしまった」
「その魔法はどのようなものなのですか?」
「初めて見る魔法だった。空から熱せられた岩の様な物が降って来たのだ。もし、あれが直撃すれば要塞ごと消し飛んでいただろう」
ケラルトもそのような魔法を見たことも聞いたこともないため、成すすべがないと言った様子だ。リリアですら聞いたことがないのであれば当然ともいえる。
「それから、奴の目的も分かりました。奴の狙いは聖王家に伝わる王冠です。どうやら、王冠を収束具として使用する
「あの王冠を?確かにヤルダバオトは悪魔だから、聖属性の攻撃を苦手とするのは分かるけれど……」
「王冠を奪うためであれば、こんな真似をせずに王都近くへ奇襲を仕掛ければいいはずです。それをしてこないということは、この障壁を破るすべがないということでは?」
「だがケラルト、ならなぜ攻撃してきたんだ?奪えないのに奪うというのは訳が分からないぞ」
「奴の魔法であればこの障壁も何発とは耐えられない。だが、あの魔法は奴も最強の一撃と言っていた。一日に打てる回数には限りがあるのかもしれない」
ヤルダバオトの不可解な行動に四人は頭を悩ませる。目的とは別の意図をもって動いているのではないか。そのような疑問が自然と脳裏をよぎる。
「王国では多くの民を奪っていったと聞いているわ。王冠と言うのはあくまで狙いを勘違いさせるための嘘?」
「なんと卑怯な奴だ!我々を騙そうとするなど!意地が悪い!」
「姉様……。相手は悪魔なのでそう言った存在なのではないでしょうか……」
「ともかく、ヤルダバオトが正面から来ると言うなら迎え撃つまでです。兵力の再分配や物資の補充などは確実に行われるようにしてください。私も戦果の報告に参りますが、その度に要請を行っている暇はありません」
「分かったわ。大臣達にも気を引き締めるように言っておきます。それから南部にも……」
カルカはそう言うも、内心では南部が軍を出そうとしない理由が分かっていた。ことがうまく進めば、ヤルダバオトによって北部は蹂躙され、カルカの命も危ぶまれる。もし、生存したとしても北部の勢力を弱めることができるはずだと。カスポンドからも同じ危険を提唱されていたため、予想していた事態だった。
リリアは報告を終え、ケラルトからの治療を受け終わると、再び城塞線へと戻る。だが、往復の際に使用した魔力も馬鹿にならず、帰還した直後に疲れからかそのまま司令室で眠りについてしまった。
幸いにも敵が夜襲を仕掛けてくることは無かったが、朝になった際に城外に転がっていた亜人の死体が明らかに減っていることに見張りの兵士が気づいた。
「死体を持ち帰って何をしているのでしょう?リリア様はどうお考えですか?」
「考えられる一つはアンデッドにして利用する事だろう。だが、あれだけの死体を持ち帰ったとしても一日に作れるアンデッドには限りがあるはずだ。私としてはアンデッドになってもらった方が倒しやすいのだが……」
「リリア様がいない戦線で使われるとなると大変ですね。神官をアンデッド相手に戦わせるとなると治療などの面で問題が生じますから。何発矢を打っても進んでくる亜人となんて戦いたくもありません」
会議室にはアルフレドを始めとした各要塞の担当者が集まり、敵の今後の動きを予測するための会議が開かれていた。その中で、見張りの兵士がもたらした報告は大きな話題となっている。
「リリア様。聖騎士の応援を求めることはできませんか?兵士達の指揮を上げるために毎回演説をしていても、そのうち飽きられてしまいます」
「聖騎士は王都を中心に警護することになっている。その代わりの戦力は全てこちらに回されているんだ。これ以上贅沢も言えないだろう。私が聞いても心躍るような演説をしてもらうしかないな」
アルフレドが露骨に嫌そうな顔をすると、将軍達は笑い声をあげた。
「しかしだ。南部の戦力が減っている問題には早急に対処しなければならない。被害が少なかった北部の戦力を中央へ。その分を南部に割り当て補充することでこの場を何とかしのぎたいのだが……」
「しかし、次に敵の主力が北部に来れば守り切れなくなるかもしれません。昨日と同じような戦いになれば、今度は中央が被害を受ける可能性も……」
「ヤルダバオトがどこに現れるのかも分からない。こんな事であれば私も探知魔法を習得しておくべきだったな……」
「もはやどの要塞に来てもおかしくない以上、リリア様がいないときに現れたならば諦めるしかないでしょう。その時は神にでも祈るしかありませんな」
「面白くない冗談ですね。本当に……」
アルフレドがそう言うと、他の将軍達も顔を下に向ける。あの魔法はリリアがいたから防げたようなもので、いなければ守備軍は要塞も含め消滅することになる。それは誰しもが知る事実となっていた。亜人の大軍を押しのけるので手一杯な軍にこれ以上の戦力増強の見込みもない。
「せめてモモン殿さえ来てくれれば……。それに法国が持つ特殊部隊が応援に来るのであれば何とかなるかもしれんが……」
「それはないでしょう。秘密主義のスレイン法国ですよ?送るとしても神官程度に決まっています」
今はとにかく時間を稼ぐ必要がある。もし、応援が来ないことが決定すれば、その時は自身の限界を超えた全力でもってヤルダバオトを討伐するしかない。その覚悟は既にできている。
「まずは今の戦線を安定させることを目指そう。戦いを続ければ兵士達の練度も上がるだろう。嫌でも毎日亜人の顔を見ることになれば、奴らの特徴や癖も分かるというものだ」
リリアは一通りの打ち合わせを終えると、将軍達に別れを告げ、一人城壁へと出ていた。壁には攻撃によって多くの傷と血がついており、壁外からは亜人の死体が血の匂いを絶え間なく漂わせている。
「リリア様。よろしいでしょうか」
声の方へ振り向くとパベルの姿があった。見る限りでは傷を負っていないが、顔には疲れがにじみ出ていた。
「どうした。何か問題が?」
「問題……というわけではありませんが、娘の身が心配なのです……」
「こんな時まで気にするとはな。安心しろ、王都の守りは鉄壁だ。ネイアも王都にいる以上、安全だろう」
パベルはどこか不安そうな表情を見せるも、それならばと頭を下げその場を後にした。