聖王国におけるヤルダバオトの侵攻の報は、カルカが送った使者によって各国にもたらされた。聖王国軍は侵攻軍に対し勝利を収めており、リリアが自ら剣をとり戦っているため軍の士気も高いと。
使者が訪れたスレイン法国では神官長による会議が行われていた。
「本来であれば、密約に従い戦力を派遣しなければならないが……」
火の神官長、ベレニス・ナグア・サンテイニは使者から渡された文書を見ながら、困ったものだとため息をつく。
「ヤルダバオトとの戦いとなれば、中途半端な戦力を送るわけにもいきません。しかし、この戦い、魔導王や
土の神官長、レイモン・ザーグ・ローランサンはベレニスが思っているであろうことを代弁する。法国の切り札ともいえる漆黒聖典、特に番外席次の存在は極秘とされており、魔導王や
「だが、どうする。他の六色聖典では侵攻軍はともかく、奴やその手駒となる強者に勝てるのか?無駄な死者をだし、法国の戦力を減らすだけの徒労に終わるのではないか?」
水の神官長、ジネディーヌ・デラン・グェルフィは二人の意見に理解を示しつつも、代わりとなる案がないこともまた事実であると伝える。
「レイモン。『占星千里』から何か報告は上がっていないのか?既に情報収集は行わさせているのだろう」
風の神官長、ドミニク・イーレ・パルトゥーシュはより詳しい情報を求めてレイモンに尋ねる。
「占星千里によれば、少なくとも今年中に敗北する様子は見られないとのことです。ただし、彼女が見た範囲はあくまで今の戦線の話に過ぎませんから……」
「背後で何かが行われていたとしても気づけないというわけだな」
ドミニクの言葉にレイモンは静かに頷く。占星千里は自身の持つ能力の一つとして、占星術による未来予知ができ、その正確性は低くない。少なくとも、行動を起こす理由として上げるには十分な信頼がある。
「だが、魔導国やヤルダバオトへの対処のため、手勢を法国へ呼び戻した影響で竜王国は魔導国へ助けを求めた。聖王国の英雄、リリア・ベサーレスは聖王国内の魔導国友好派の一人だからな。同じような事態になる可能性もあるだろう」
「人類の守り手たる我々の役目を魔導国に奪われることになれば、六大神様にも顔向けできん。邪悪なアンデッドに世界の主導権を握らせることだけは避けなければ……」
「幸い聖王国では今、国民の戦意高揚のためリリア・ベサーレスの英雄譚が広まっています。魔導王や
「……。此度の戦い。法国の協力によって勝利を収める事ができれば、法国の面目も立ち、聖王国からの恩義ももたらされる。魔導王や
ベレニスが神官長達の意見をまとめると、神官長達も静かに頷き同意していることを示す。
「……。では漆黒聖典を聖王国へ派遣しましょう。ただし、全員を送るわけにはいきません。必要な戦力を抽出し、緊急時の対応を可能な者達で構成するように。その役目はレイモンに任せます。最高神官長にもそのように報告するが一同よろしいか?」
ベレニスが他の神官長達を見ながら尋ねると、神官長達は同意していると静かに頷いた。
ヤルダバオトによる侵攻が始まったものの、侵攻軍は一日おきに攻撃を仕掛けるという規則的な戦術をとっており、夜襲を始めとした奇抜な作戦をしてくる様子もない。攻勢は昼頃に始まり、夕方になるころには終了するのを繰り返す。だが、その度に大軍で押し寄せてくるため、聖王国軍は多くの物資を消費し続けており、補給や生産が間に合っていないのもまた事実であった。
「リリア様。間もなく油壺の在庫がなくなります。それに、矢も十分ではありません。戦いが終わり次第、使えそうな矢を壁外から集めさせてはいますが……」
「もう、ロイツやカリンシャにも予備の矢はない。南部にも支援を要請したが、奴らは軍すら送ってこないのだ。物資も送ることは無いだろう」
「リリア様の魔法によって奴らを押し返せてはいますが、それ以外の戦線ではやはり物資の消費が多くなってしまいます。それに、死者は少ないですが負傷者の数は依然として多いです。医療品が不足し始めるのも時間の問題かと……。それに兵糧も……」
「……。他の要塞も同じ状況か?」
報告をしていた将軍は静かに頷く。物資の損耗を抑えるために、リリアは積極的に前線へと赴き、これまでの戦いで数え切れぬほどの侵攻軍を撃退した。今やその活躍は後方の戦意高揚のために利用されるほどだ。
前回の噂と違う点は、倒した敵の数が誇張されず、逆に少なくされていることだ。少ないと言っても既に数万体に及んでおり、これ以上の数が攻めていると国民が知れば、混乱に陥る可能性を危惧した大臣達によって情報統制が行われている。
「侵攻が始まってから日数もだいぶ経過した。各国へ派遣された使者も帰り始めている頃だろう。物資の支援があれば、まだ戦えるはずだ」
「しかし、敵はどこからあれだけの亜人や魔物を集めているのでしょうか……。流石に多すぎませんか?」
「日を追うごとに、亜人ではなく魔物や悪魔が前衛を担うようになっている。一日ごとに攻めてくるのはおそらく召喚を行うためだろう。亜人の被害も少なくないはずだ」
だが、敵が攻めてこなくなるだろうとまでは言い切ることができない。亜人の数が減ったため、魔物や悪魔の数を増やしているのだとすれば、やがては亜人を用いらずに攻めてくる可能性もある。戦いがいつ終わるかは見通せないというのが本音に近い。
「報告は以上となります。文書で用意を?」
「いや、これからは文書も不要だ。そのような時間があれば、少しでも体を休め次に備えておくように通達しろ。私は報告のため王都に戻る」
将軍が敬礼する姿を見届けると、リリアは転移の魔法を使い王都へと帰還する。
戦時下であるのにもかかわらず、王都の通りは人々が多く行き交っている。正確には前線に近い地域から避難してきた人々が王都に押し寄せているため、一時的に人口が増加しているのだ。
戦意高揚の一環として、国民を元気づけさせるためにリリアは帰還する度に馬に乗って通りを歩いている。人々はリリアを見ると手を振り、あちこちから歓声が上がる。その絵はまさに英雄の凱旋と言うに相応しい。
「姉上。戦況の報告に参りました。ケラルトも来ていたのか」
部屋に入ると、カルカとケラルトが何やら話をしていたようで、リリアが部屋に入って来るのを見るとケラルトは頭を下げる。
「ご苦労様リリア。それで城塞線の状況は……」
「物資は欠乏、士気は上々、と言ったところでしょうか。南部からの支援があればまだ戦えるのでしょうが……」
「南部からは未だ返答はないわ。いえ、するつもりがないのでしょう。もっと早くから南部を気に掛けるべきだったわ……。まさか、国家の一大事だというのに協力しないなんて……」
カルカは頭を抱えた。今過去に戻れるなら、少なくとも現在のような状況になった場合には協力し合える関係にまで改善したいと。
「カルカ様。過ぎたことを嘆いていても何も始まりません。問題は山積みなのですよ?」
ケラルトは落ち込むカルカを励ます様に言葉をかける。
「ケラルト。何か問題が起きたのか?」
「はい。一つは戦費の問題です。正直に言いますと国庫はもはや限界です。あと一月も同じ規模で戦いを続ければなくなってしまいます。食料の輸入に、装備の準備費用、数え出したらきりがありません。それに……、今回の戦争は防衛戦争なので……」
「褒章をどのように用意すればよいのか、ということだな」
ケラルトは頷く。侵略戦争であれば、奪った土地から得た物やその土地を褒章として与えることができるが、防衛戦争では与える褒章を国庫から用意する必要がある。つまり、戦いを早期に終わらせることができなければ、戦いに勝ったとしても悲惨な未来が待っている。
「すまない。私の力不足で……」
「リリア様が謝られることでは!ご安心ください、神殿の方で何とかして見せます」
ケラルトはそう言ったものの、何とか出来る見込みはない。既に信者からの寄付金も相当数を戦費に費やしているため、神殿にも余裕はない。だが、リリアに後方の心配まで押し付けるわけにはいかないと嘘をついたのだ。カルカもその事情をよく知っているが、ケラルトの心情を察し黙っている。
そこへ慌てた様子で文官が走りこんできた。
「聖王女様!王国に派遣した使者が報告を持って参りました!使者殿は昼夜問わず馬を走らせてきたため、そのままお倒れに……!」
「後程褒賞を与えます。今は十分に休むようにと。それで王国からは……」
文官はすぐにカルカに文書が入った筒を手渡し、指示を伝えるためにその場を後にする。カルカは渡された文書に直ぐに目を通す。
「王国は……。今回の戦争に支援する余裕はないそうよ。謁見する事すらかなわなかったと……」
「王国は幾度となく災害に見舞われていましたから……。予想はしていましたが、まさか一切支援を送らないとは……」
「聖王国から多くの支援を受け取って居ながら、この仕打ちはありません!せめて食糧だけでも……!クソッ!」
リリアは壁に勢いよく拳を叩きつける。王国が食料を送る余裕さえないのは知っていたが、少なからず期待していたのも確かだった。聖王国の支援の礼として、余裕がない国庫から提供してくれるのではないかと。
そこへ再び別の文官が慌てた様子で部屋の中に走りこんできた。
「お、お取込みの最中に失礼します!カルカ様に面会を求めるものが……」
「何者かを先に言え。大臣か?それとも南部の貴族か?」
不機嫌な様子を隠せずにリリアが文官に問いただす様に尋ねた。
「も、申し訳ありません!ス、スレイン法国の方々です!」
「…!すぐにお通ししなさい」
文官は頭を下げると直ぐに部屋を後にした。あの法国からの来客はほとんどないため、あのような慌てようも理解ができる。
「法国への使者はまだ帰ってきていませんが……。何用…、いえ、何者でしょうか?」
「それに文官は『方々』と言っていたな。一人ではないようだ。姉上、今から部屋を変えると言って時間を稼ぐ間にレメディオスを呼び出しては……」
法国がこの混乱を利用し、カルカを亡き者にしようとしている可能性はゼロではない。以前法国絡みで生死をさまよう経験をした身としては、この状況に疑問を感じざるをえない。
「レメディオスも自身の責務を懸命に果たしているわ。ネイアを連れてね」
「ネイアをですか?一体何に……」
「王都に避難してきている者の中から義勇兵を募って、弓の扱いの訓練をさせているの。自身では弓を使えないから、ネイアに頼んだのよ」
今までネイアの姿を王宮で見かけることがなかったため、そのような事情があるとは知らず、レメディオスがとった行動に驚きを隠せない。この戦乱において少なからず、レメディオスも人として成長したということだろう。ケラルトも「姉様…」と言いながら涙を流すふりをしている。
「それに今はリリアがいる。もし何かあれば守って頂戴」
「もちろんです姉上。この身に代えても」
カルカの言葉を受け、リリアは騎士の礼をとる。すると、扉がノックされ文官が再び姿を現した。
「法国の皆様をお連れしました。こちらへ……」
文官が扉を開け、中に入るように促すと、真っ黒な髪に鎧を着た青年を先頭に、巨大な帽子を被った魔術師風の装いの女性と金髪で柔和な笑顔を浮かべた青年、そして最後に全身を鎧で固め、巨大な鎌と槍を合体させたような武器を持った人物が部屋へと入って来た。