城壁に立ったカルカは眼下に群がる侵攻軍の中心に立つ赤いスーツを着た者に自然と目が行く。レメディオスが睨みつけるように見ていることから、その者がヤルダバオトなのだということは容易に分かった。
『貴方が聖王女ですね。お初にお目にかかります。私は魔皇ヤルダバオト、王都に地獄をもたらしに来ました!』
突然、どこからともなくヤルダバオトの声が響いた。拡声の魔法を使い、自身の声を王都中に響かせているのだ。兵士だけでなく、護衛に集まった聖騎士や神官達も動揺を隠しきれず、レメディオスとケラルトによって直ぐに落ち着きを取り戻す様に命令される。
兵士から拡声の魔法が封じられた魔水晶を受け取り、ヤルダバオトに対し答える。
『その通りです。私が今代の聖王女、カルカ・ベサーレスです。魔皇ヤルダバオト、貴方は何の目的をもってこの国を攻めているのですか』
「カルカ様!あいつの目的など分かり切ったことです!直ぐに攻撃を……!」
「姉様!少し静かにしてください!カルカ様は相手の真の目的を聞き出そうとしているのです!」
余裕そうな態度をし続けるヤルダバオトを見て、頭に血が上ったレメディオスが攻撃を進言するも、ケラルトが直ぐにそれを諫める。以前戦った時にも見せたあの余裕そうな態度を見る度に、レメディオスは自分達が舐められていることが分かり、怒りがふつふつと湧き上がってくるのだ。
『物覚えが悪い人間ですね、言ったはずです。私は王家に伝わる王冠を奪うべくこの国を……』
『ではなぜ最初から王都を直接攻めないのです。奇襲攻撃であれば、王冠を奪うこともできたはず。それをしないのは他の目的があったからでしょう。それとも、この障壁を突破できないと知り、目的を変えたのですか』
突然、ヤルダバオトは仮面を抑え、大きな笑い声を上げる。何が面白いと思ったのかは分からないが、カルカの発言を聞いて笑い出したのは間違いない。
「貴様ぁ!何が可笑しい!」
拡声の魔法を使わずとも辺り一帯に響くような大声でレメディオスが叫ぶ。
『おや、以前も見た顔ですね。なすすべもなく地面にひれ伏していた女ではないですか。驚きましたよ、貴方がこの国の聖騎士団長だったとは!その程度の者を側近に置かなければならないとは大変ですね』
「黙って言わせておけば!その舌を斬って二度と口をきけぬように……!」
「レメディオス!ちょっと静かにしてくれるかしら」
少しだけ強い口調でカルカに言われ、レメディオスはすぐに口を閉じる。こういう時は腹を立てていると経験上分かっているからだ。
『自分達が安全な所にいると勘違いしているあなた達の姿は本当に滑稽ですね。私がこの程度の魔法を突破できないわけがないでしょう。わざわざ正面から攻めているのはこうして油断した人間達の苦しむ姿が見たいからですよ!』
ヤルダバオトは仮面の上から目のあたりを手で押さえ、一気に両腕を大きく広げる。
『私に勝てると必死に準備したあなた方がそれを上回る力で蹂躙され、命を奪われる!それだからこそ、見ている者達の絶望感はさらに強くなり、負のオーラが溢れる!素晴らしい!まさに私が望んだ光景です!』
ヤルダバオトが笑い声を上げると、それに我慢できなくなったレメディオスが再び声を上げかけるが、ケラルトが直ぐに取り押さえた。そして、耳元で小さな声でレメディオスに教える。
「カルカ様は相手との会話で少しでも攻撃が始まるまでの時間を稼ごうとしているのです。あの悪魔がどんなことを言っても我慢してください。不況を買うような真似は避けなければ」
あの悪魔は口だけではなく、確かな実力を持っていることも知っており、攻撃が始まれば何かしらの問題が発生することは重々承知していた。決して不満がないわけではないが、カルカの邪魔をするのは本意ではないため、あふれ出る怒りを口に出さないようにぐっと我慢する。
『さて、あなた方がこうして時間を稼ごうとしているのは分かっています。しかし、私は寛大な心でもって受け入れましょう!あなた方が攻撃を仕掛けてこない、またはこのお喋りが終わるまでは攻撃をしないであげましょう』
全て見抜かれていると知り、カルカの額から汗が流れる。だが、相手が宣言した以上、それを利用しないてはない。一分一秒でも時間を稼ぎ、リリアの到着を待たなければならないのだ。そのためであれば、どれほどの屈辱を受けたとしても耐えて見せると。
『それでは魔皇ヤルダバオト。貴方に聞きたいことがあります。なぜその亜人の軍勢を引き連れてきたのですか。貴方一人で王都を踏みにじれば、私達の絶望はより深くなったでしょう。しかしそれをしないということはやはり別の目的が――』
『―それ以上は話さなくて結構です。貴方が言いたいことは予想がつきましたから。まだ私に別の目的があると信じているようですね。先ほども言った通り、私の目的はそこにある王家の王冠です』
城壁に立ったままヤルダバオトを見下ろすカルカは「そうですか…」と小さな声を漏らす。
『私が軍勢を引き連れてきた理由は簡単です。一つは、この王都を滅ぼすのに私の力を使うまでもないこと。あの者がいない限り、私が直接手を下すまでもないのですよ。そして二つ目は、王国での失敗を避けるためです。あの地に私と同等の力を持つ者がいるとは思っておりませんでした。この国には私に唯一抗うことができる存在がいる。であれば、その者の弱点となる者を利用しない手はないでしょう』
リリアの弱点、それはカルカ達やこの聖王国の民のことだ。もし、人質に取られ交渉の材料に持ち込まれれば、リリアは自身の命を差し出してでも救おうとするだろう。リリアの事を良く知っているカルカは当然そのことを理解していた。ヤルダバオトも同様のことを考えているに違いない。
『それは思い違いです。あの子は決して貴方の思うような真似はしません』
『断言しましょう。あの者は間違いなく身を乗り出してでも守る。以前戦った際にもそこの騎士団長を守るために満身創痍になりながらも戦っていた。己よりも弱いものを救うためには自身の犠牲をも厭わない。全く、その高潔な精神はくだらないと言わざるをえませんね』
「お前!リリア様の、リリア様の成すことがくだらないだと!あのお方の精神はお前の様な邪悪な存在には理解できないだろう!」
カルカやケラルトに止められていたのにも関わらず、聞き捨てならない言葉に我慢を忘れ、レメディオスは怒鳴り声を上げた。もし、目の前にいれば間違いなく剣を抜き斬りかかっていただろう。
『えぇ、私には一生理解できないでしょう。そう言っているつもりだったのですが……。知りたいことはまだありますか?聖王女様?』
カルカがケラルトの方を見ると、準備が整ったという合図を送る。
『そうですね。最後に話しておきましょう。あなた方にはこの障壁を破ることは絶対にできません。おとなしく、いるべき場所に帰りなさい!皆の者!攻撃を開始しなさい!』
王としての威厳にあふれた声が響くと、それを合図に城壁に展開していた神官や護衛の者達が一斉に天使を召喚する。そして、城壁に設置されているバリスタや弓兵が一斉に矢を放った。
放たれた矢は一斉に敵の軍団に向かって飛んでいき命中する。召喚された天使達も障壁の手前まで展開している亜人達に容赦ない攻撃を加える。そんな中、ヤルダバオトは飛んでくる矢を全て無効化しながら余裕な態度を崩さずに城壁を見つめていた。
「なるほど、こちらからの攻撃は通らないですが、あちらからの攻撃は通るようです。早くこの障壁を無効化するしかないようですね。
ヤルダバオトの周囲に巨大な魔法陣が展開されると、カルカ達の頭上から熱せられた巨大な岩のような物が降ってくる。カルカはこの攻撃が以前、リリアが話していたヤルダバオトの持つ最強の魔法であると理解した。
「カルカ様!こちらに避難を!」
「今さら逃げても間に合いません。リリアを信じるのです」
空から飛来した岩が障壁に当たると、大きな衝突音と共に目も開けられないほどの光を放つ。あまりの眩しさに、兵士達も攻撃を中断し、城壁の上に伏せている。そして、大きな爆発音が王都に鳴り響くと、岩は破裂して細かい破片となり、障壁の外にいる亜人達に降り注いだ。
「防ぎ…きった!」
「やりました!カルカ様!」
「まさか……!デミウルゴス様の攻撃を!」
デミウルゴスの放った魔法は第十位階であり、防御するには相応の魔法でなければならない。それをできるのは少なくとも同じ領域守護者か、アインズのみであると信じていたが、目の前の障壁は何事もなかったかのように攻撃を受け止めた。その事実にユリは驚きを隠せない。
逆に城壁の上にいる兵士達は歓喜の声を上げ、レメディオスとケラルトも驚きと喜びのあまり思わず声を出してしまう。カルカは安心した表情を浮かべ、祈りを捧げた。
「これは思っていたよりも厄介ですね。アインズ様が見たらきっとこの魔法について調べたいと思われるでしょうが……。今は仕方ありません、これを破壊するとしましょう。
不審な人物が迫っていないか、周囲で監視の任についているマーレに連絡を取る。第十位階魔法でも突破できないとなれば、最も威力が高い攻撃手段を利用すると、事前に打ち合わせでも決めていたことだ。もう一度、
「マーレ。以前話した通りだ。準備はできているかい?」
「もちろんです。デミウルゴスさん。いつでもいけます」
「それでは、城壁の人間には決して攻撃を加えないように障壁だけを破壊してくれ。後の事は大丈夫だ」
マーレは手に持つ杖を空めがけて突き上げた。
マーレが修めている職業の中には切り札が存在しており、名を
(もしマーレでも突破できないようなら、別のプランを実行することになるが……。それは避けなければ)
『少し慢心していたようです。ですが、次の魔法でその障壁は破壊させてもらいましょう!私の真の力を!』
デミウルゴスはそう言いながら両腕を大きく広げる。すると、次の瞬間、障壁にすさまじい力がぶつかり、これまでに聞いたことのないような甲高い衝撃音と揺れに王都は襲われた。いくつかの建物は倒壊し、通りでは人々がその場で座り込んでいる。
あまりの揺れにカルカもその場に座り込んでしまい、すぐにレメディオスがカルカに側へ倒れこみかばうようにして守る。ケラルトも何とかしてカルカの下に行こうとするも、揺れが激しくはいずって向かうことさえ困難だ。
カルカは守りに来たレメディオスの隙間から見える障壁に、わずかな亀裂が入っているのに気づいた。その亀裂は徐々に大きくなり、そして――、障壁は大きな音を立てて崩れ始めた。
「そんな……。障壁が……」
ケラルトは絶望の表情を浮かべながら、崩れ行く障壁を見ている。
「ケラルト、何をしている!すぐにカルカ様を王城に連れ戻せ!ネイア、兵士に弓を構えさせろ!敵が来る!」
レメディオスは呆けている周りの者にすぐに指示を飛ばす。障壁が突破されたとなればすぐに侵攻軍は攻城戦を始めるだろう。となれば、城壁ももはや安全とは言えず、カルカをこの場から避難させなければならない。こうした判断を咄嗟に行えるのは、戦場においてレメディオスだけだろう。
ケラルトはレメディオスの声に目が覚め、すぐにカルカを支えながら、護衛の神官達を連れて壁を降り始める。
「ネイア!ネイアはどこだ!」
「ここです!レメディオス団長!」
レメディオスが返事が返ってこなかったネイアを必死に探していると、すこし離れた場所から手を挙げてネイアが走ってくる。
「いいか、敵が壁を越えようものならすぐに内壁に撤退しろ。それまでには聖騎士達に民を誘導させる。下の門は私と残りの聖騎士が死守する」
「分かりました!すぐに伝えます!団長のご武運を祈っています!」
「祈るなら敵の攻撃が飛んでこないことを祈れ!行け!」
レメディオスはネイアを送り出すと、自分も聖騎士を連れて壁の下へと降り剣を抜く。王都の門は立派な外見をしているが、攻城戦を想定するというよりも外見を重視して作られており、この規模の攻撃であれば長くはもたないだろう。だが、カルカや民が避難するまでの時間を何としても稼がなければならない。
崩壊しゆく王都で絶望的ともいえる防衛戦が始まろうとしていた。