ヤルダバオトとの戦いから一夜明け、薄暗く全貌を把握しきれていなかった王都の被害が明らかとなった。亜人による略奪や放火、ヤルダバオトの魔法によって王宮を始めとしたほとんどの施設は被害を受けており、通りの建物はほとんどが住めるような状態ではない。
それに加えて、リリアの負傷も大勢の人々が目にしていたため、隠しようのない事実になっていた。
運び込まれた哀れな姿のリリアを目にしたネイアは、口に手をやり直ぐに側へと駆け寄る。顔の右半分は包帯で覆われ、肌が見える部分は大体が火傷を負っており、背中からは黒い翼が生えている。その様子を見たメイド達は思わず吐き出してしまう者や見てはならない物を見るような、軽蔑に近い視線を送る者もいた。何が起きたのかは分からないが、無事ではないということは見るからに明らかだ。
「カルカ様。リリア様の事が心配なのはわかりますが、民達も混乱しています。ひとまず、リリア様は私室でお休みいただき、我々も対応に向かわなくては……」
「……そうね。いつまでもこうしてはいられないものね……。ネイア、貴方がついていてくれるかしら」
ネイアは即座に頷き、担架を運ぶ聖騎士と共にリリアの私室へと向かった。
ベッドの上に横たわらせた後、聖騎士に部屋から出るように伝え、すぐに汚れた服や突き刺さっている小石などを取り除こうとする。一人では手に負えないため、メイドに手伝ってもらおうとしたが、メイド達は一向に部屋へ入ってくる様子がない。
「何をしている!こっちにきて手伝いを……!」
しかし、ネイアの声に従うことなく、メイド達は二人を残してその場から去っていった。訳も分からず混乱していると、よく顔を合わせていたリリアのメイド長と見習いメイドが姿を現した。
「ネイア様。私どもでお手伝いいたします」
「他の者は何故来ない?どういうことなんだ?」
長年仕えているメイド長は側にいる見習いのメイドをチラリと見る。ネイアも視線を移すと、その顔は青ざめており手は震えている。メイド長はネイアの耳元に近づくと、小さな声で囁いた。
「皆、リリア様の姿に恐怖を覚えているのです。多くの者は亜人に一度殺されていますから……」
その言葉が意味したことは一つだ。リリアの今の姿は亜人にも近い物だと、あるはずのない翼が生えた状態では人として見ることが難しいということだ。
必死に戦ったリリアに対し、蘇生の奇跡さえ受けた身でありながら、そのような態度をとるメイド達にネイアは怒りを我慢できず、声を上げようとするが直ぐにメイド長によって口をふさがれる。
「ネイア様の怒りはごもっともです。私自身も憤慨しております。しかし、メイド達の心情も理解してあげてください」
「それであれば、リリア様の……。リリア様のことを蔑ろにしてもいいというのか?」
「そういう訳ではありませんが……。今はネイア様や私のような者が支えて差し上げるしかございません……。私の監督が行き届かないばかりに……」
メイド達が亜人にどのように殺されたかは分からないが、恐怖を覚えているのも、メイド長が悪くないことも理解している。メイド長からすれば、長年仕えているリリアがこのような扱いを受けて、思うことは多くあるに違いない。だが、メイド達を預かる身としてもこの状況の中、更に混乱を与えるような真似は避けたいと思っているのだろう。
(だけど……。そんなことを理由にリリア様がこんな扱いを受けるのは間違ってる)
行き場のない怒りがネイアの心をかき乱し、怒りを抑えようと拳を強く握りしめた。
モモンの死とヤルダバオトの生存、この否定しようのない事実は王都にいる民を絶望へと陥れた。
ヤルダバオトが深い傷を負いどこかへと去っていったため、一時的であるものの侵攻軍も撤退し、王都では人々によって次の戦いに備える準備と王宮を中心に人々が最低限住める環境の整備が開始されていた。
戦前までは多くの大臣が着席し、様々な議論が行われていた会議室も、各々が自身の領地の兵士を率いて出陣したため、王都に残っていたわずかな面子がカルカの指示によって集められた。各戦場の状況は全く情報がないことから、出陣した者達が生きているのか、死んでいるのかすら不明な状態だ。
「聖王女様。民に対する炊き出しも限界があります。王都には十分な量の備蓄があるはずでしたが、ここまで避難民が多くなると……」
ヤルダバオトが去った翌日から、ケラルトによって指摘されていた事実を大臣からも口にされたことでカルカの頭にチクりとした痛みが走る。現在、王都にはプラートやリムンなどの都市からも大勢の避難民が押し寄せており、王都にいる者達の冬を越すための食糧だけでは、これだけの避難民を賄うには十分な量とは言えないのだ。
「炊き出しの量を今の半分にすればどうなりますか……」
「半分にした状態の見込みで冬が越せないのです……。どこからか食料を確保しなければ……」
「だが、食料は各都市に分配してしまった後だぞ?それこそ南部からの食糧支援を求める必要がある……」
王都の周囲から亜人が去った今であれば、外部、南部への連絡を行うこともできるだろう。しかし、南部が協力をする可能性は低い。今のこの状況こそ、彼らが望んでいる展開であり、カルカを攻撃するための材料として使えるからだ。
「……食料に関しては私も方策を考えます。炊き出しは続けてください、不満が出ないように……。ひとまず今日の会議は終わりましょう……」
大臣達は頭を下げると会議室を後にした。いつもであれば、リリアやレメディオス、ケラルトが側に控え助言をしてくれるのだが、リリアは意識不明、レメディオスは次の戦いに備え城壁の修繕や義勇兵の訓練、ケラルトは神殿の修理や神官達の状況把握、避難民の治療などのため、この場にはいない。
ヤルダバオトから生き残った先にあったのは希望ではなく、更なる地獄の様な日々だった。
カルカは先の見えない不安に襲われており、疲れた表情で背もたれによりかかると天井を見上げる。その時、会議室の壊れた扉がノックされる音が聞こえた。
「聖王女様。失礼致します」
「ネイア。どうかしましたか?その傷は……」
ネイアの首元に見える切り傷はどう見ても剣によってつけられた物だった。何かしらのトラブルが発生したのは間違いない。
「リリア様がお目覚めになったのですが……。混乱している様子が見受けられたので、ケラルト様より預かっていた
「そう……、分かりました。今、リリアの事を任せられるのは貴方だけなの、頼むわね」
「……聖王女様。いつまでリリア様の待遇をあの状態にしておくつもりですか」
ネイアはメイド達の態度をすぐにカルカへと報告していた。当然、リリアに対する良くない風潮が流れているのも周知している。しかし、あれから三日は経とうとしているのにも関わらず、それらの風潮が変化する様子はない。どうして変化が見られないのか、報告を聞いているのにもかかわらず、なぜ対策に乗り出さないのかとネイアは疑問に思っていた。
「皆、ヤルダバオトへの恐怖から正常心が保てなくなっているのです。今は彼らの心を落ち着かせる必要があります」
「カルカ様が民の事を第一に考えておられるのは私も理解しています。しかし、リリア様の事を蔑ろにしすぎではないですか」
鋭い視線で問い詰められたカルカはたじろいでしまうが、リリアを蔑ろにしすぎだという言葉を聞くと、心の中の想いがあふれ出した。
「私がリリアを蔑ろにするわけがないでしょう!こうしている今も側にいてあの子の傷を癒してあげたい!けれど、私は……!」
「聖王女であるから出来ない、という訳でしょうか。民を愛するためであれば、リリア様が民から虐げられようとも構わないと」
「そんな事は言ってない!私もレメディオスもケラルトも!皆リリアの事を心配しているの!でも任を放棄することもできない!」
カルカは普段発さない大声を出したことで息が荒くなる。
いつもおしとやかな声だけを聞いていたネイアはその様子に驚きつつも、どこか安心した様子を見せる。
「口が過ぎました。どうかお許しください」
ネイアは静かに頭を下げ、自身の態度をカルカに詫びた。
「聖王女様。
ネイアはそれだけ言うと、カルカと目を合わすことなくその場を後にした。
本心ではカルカでさえもリリアの事を不気味に思っているのではないかと思っていたが、先ほどの会話からはそのような気持ちを感じることは無かった。寧ろ、リリアが倒れている今こそ自身が頑張らなければと気が入りすぎてしまっているように感じられた。
この事実にひとまず安心したネイアは、先ほどの会議室での会話を改めて思い出すと、不味い状況になったと理解し、途端に足が止まった。もし、カルカが先程の一件をレメディオスに話そうものなら、無礼な奴だと押しかけてくるかもしれない。
「……。聖騎士クビになったらどうしよう……」
その場で体をひねりながら頭を抱える。
リリアの事を想うが故の行動であったことは誇りに思うが、何故あのような出すぎた真似をしたのかと、過去の自分を呪い殺してやりたいほどだ。しかし、言ってしまったことはどうしようもないと思うと体から力が抜け、大きなため息をついた。
壊れた窓から流れてきた冷たい風がリリアの頬をくすぐると、それを合図にゆっくりと目を開く。
感情の高ぶりから思わずネイアに剣を向けてしまったことが思い出され、目を開けた後もしばらくの間そのままじっとしていると、膝のあたりに重さを感じた。目をやると、そこには椅子に座ったまま、リリアの膝へ頭を預け寝息を立てているカルカの姿があった。
カルカを起こさないようにそっと起き上がろうとするも、痛みのあまり思わずビクッと体が反応してしまう。それに反応してカルカも目を覚まし、ゆっくりと体を起こした。
「あ、姉上……。申し訳ありません。起こしてしまって……」
カルカは手をリリアの頬へと向けると、リリアがこの場にいることを確かめるような手つきで頬を触る。
「リリア、痛い所はない?苦しい所とか……」
「まだ傷が痛みますが大丈夫で……」
そう言おうとした瞬間、背中から何かが羽ばたくような音がするのに気づき、振り向くとそこにある巨大な翼が目に入る。その翼は自身の肩から生えているように見え、恐る恐る背中に手をやると、肩の下に翼の付け根と思われる固い骨の様な物が感じられた。
なぜ、翼が生えているのか。その疑問と同時に自身の姿が他にも変容しているのではないかと不安になり、体中を触って確かめる。
「リリア、大丈夫よ。落ち着いて」
「あ、姉上。私は今どんな顔をしているのですか?私は……」
混乱のあまりリリアは泣き顔になり、喚き声を上げそうになるもカルカが自身の胸に優しく抱きこんだ。カルカの温かさと心臓の鼓動が感じられ、自然と心が落ち着いていく。
「大丈夫。落ち着いて。あなたは何も変わっていないわ」
「で、ですが……、翼が……」
変わっていないと言われても、事実背中から黒い翼が生えていた。人間であればこのような物が生えているわけがない。
「例え翼が生えていても、あなたは私の妹よ。私が見捨てないわ」
例え他の人間からどう思われようとも、カルカが側にいてくれればいい。抱きかかえられている内にリリアはそう想い、顔をうずめた。その時、部屋の入口から物音が鳴り、二人は咄嗟に目をやる。
「姉様……。音を出さないようにとあれほど……」
「と、扉の立て付けが悪くなっていたんだ!鎧を着たままでは音が鳴るのもしょうがないだろ!」
「その……。二人はいつから見ていたの……?」
「リリア様が泣き顔になったあたりから……。邪魔をしないようにそっと見ようとしていたのですが……」
ケラルトがレメディオスをあともう少しだったのにと細めた目じっと見る。
「なんだその目は、私は悪くないぞ。第一、隠れてみている方が可笑しいではないか」
この状況を最初から見られていたと知るや否や、普段二人きりの時しか見せることがない状況を他人に見られていたことに恥ずかしさを覚え、顔が熱を帯びて赤くなる。カルカも同じように顔を赤くしているが、リリアを抱きかかえたまま放そうとはしない。
「あ、姉上……。流石に、もう大丈夫ですから……」
「見られてしまったのならもう隠すことは無いわ……」
「カルカ様。この状況をメイドにでも見られたりしたら、あの噂を肯定するようなものですよ……」
「姉妹で仲がいいのは当然じゃないか。ケラルトもああしてほしいのか?」
レメディオスが両腕を広げて飛び込んで来いと言わんばかりの様子を見せると、ケラルトは少し顔を赤らめ、ため息をつきながら遠慮すると手の動きで伝える。
その様子があまりにも滑稽に見え、リリアは戦いが始まってから初めて笑みを浮かべた。