選び抜かれた聖騎士百名を先頭とした臨時編成の部隊は、魔導王と共に決戦の地となるカリンシャへ向けて歩みを進めていた。空には雲がかかり、カリンシャに近づくにつれてその濃さは増していき、太陽の光がほとんど差し込まないため、昼間であるというにも関わらず薄暗い。
加えて、冬の冷たい風が吹くと太陽の温かさも感じられないことから思わず身震いし、呼吸をするたびに口から出る白い息が目立つ。
「リリア様、私の外套も上に着てはいかがですか?」
「いや、この程度は大丈夫だ。ネイアこそ寒くないのか?」
「はい、私は魔導王陛下より体温を一定に保つ魔装具を預かっておりますので」
ネイアの首元には見慣れない形の装飾が施されたネックレスが見え、それがネイアの言う魔道具なのだろう。そのような魔法の道具は見たことも聞いたこともなかったが、魔導国であればそのような道具があったとしてもおかしくはない。
「それは便利な代物だな。流石は魔導国と言ったところか」
「よければこちらの魔装具をリリア様に」
「それはネイアが魔導王陛下より預かっているのだろう?他人に貸し出す様な真似は失礼にあたるからやめておいた方がいいと思うぞ」
「確かに、それもそうですね。失礼しました」
ネイアは脱ぎかけていた外套を着直すと、再び視線を前に戻ししっかりと馬の手綱を握る。馬の蹄の音だけが聞こえる静かな時間が再び訪れると、しばらくしてリリアが何かを思い出したかのように口を開いた。
「ネイア、魔導王陛下の印象はどうだった?いや、印象でなくてもいいが、何か思ったことは無いか?」
「陛下がお使いになられる魔法はどれも見たことがなく、威力もすさまじいものでした。しかし、投降してきた亜人には手を出さず、重体の者にはポーションをお与えになっていましたから、私個人の印象としては正に王としての威厳と慈悲に溢れる御方だと思います」
「そうか、改めて陛下には感謝を述べておこう」
「それにリリア様の信念をよく理解されていましたし、それ対して尊敬の念を抱くだけでなく、心配もされておりました。いつか身を滅ぼしてしまうのではないかと」
「陛下とは幾度となく話を交わしてきたが、私は陛下についてよく知ることはできなかった。だが、陛下は私の事を十分に理解していたのだな」
魔導王の観察眼とでもいうべき力にはもはや頭も上がらない。だが同時に、ネイアから聞いた限りでは少なくとも、こちらから無礼な態度をとらなければ人と何ら変わらない対応を見せてくれるのだと驚きと安心感を得た。
カルカも言っていたように、統治者として民に恩恵をもたらす存在であるならば、アンデッドであろうとも関係はない。であれば、魔導王は信頼に足りうる人物なのではないだろうか。
「リリア様、どうかなさいましたか?」
「あぁ、少し考え事をしていた。これから戦いだというのに、こんなことではいけないな」
「やはり心配ですか?しかし、魔導王陛下は絶対にヤルダバオトを倒してくださいます。プラートの民の前でも宣言していたではないですか」
プラートを出立する際、カルカの演説の後に魔導王も人々の前に立ち、ヤルダバオトを倒して見せると宣言した。魔導王に救われた人々やその実力を目の当たりにしてきた軍士を中心に広場から歓声が上がり、大勢の者がその勝利を確信している。ネイアもその一人と言えよう。
「もはや私の力では届かない境地か……。陛下のお力があれば、聖王国は将来永劫に安泰だろう……」
「何をおっしゃいますか!リリア様がこれまでに成してきた功績は陛下に勝ります!」
「お世辞は良いのだネイア。民からすれば本当に救いを求めた場に現れた陛下こそ救世主だ。その印象は今後も語り継がれていくだろう。だが民が平穏に暮らせるのであればそれで構わない」
ネイアは必死に取り繕っているが、現在の聖王国で魔導王の力を知るほとんどの者は崇拝とまではいかずとも、尊敬し頭を下げるほどだ。当初、危惧していた事ではあったが今となってはそうなっても仕方ないというのが正直な意見だ。
「ネイア、お前にだけは話しておこうと思う」
「何でしょうか?」
「……。この戦いが終わった後、私は鎧をもう脱ごうと思っている。いや、もう二度と着ることはないかもしれない」
ネイアは驚きのあまり目を丸くした。これまで聖王国を守るために必死に動いてきたリリアから思いもよらぬ言葉が吐かれたことで、動揺から思わず声を上げそうになるも自分の手で口を塞ぐ。
「ど、どうしてですか?まさか、無礼を働いたものが?そ、それとも聖王国を去られるのですか?」
「ネイア、落ち着け。私は聖王国に残るさ。だが、もはや陛下がこの国の安全を保障してくれる確約が取れた以上、私が護りの象徴として立つ必要はもはやない。いや、そのような動きが起きるだろう。そうなれば、私は潔くこの地位から降りるつもりだということだ」
「そのような事になるわけが――」
「余計な話をしたな。カリンシャの壁が見え始めた。話はここら辺にしておこう」
ついにこの戦いの結末が決まる最後の決戦の地、カリンシャが姿を現した。
予定通りに先頭の聖騎士団はある程度離れた場所で歩みを止めると、軍士と協力してすぐに陣形を整える。とはいえ、全ての兵士を合わせても三百名前後しかいないため、大したものではない。
陣形を整え終えた直後、空にかかる雲がより一層濃くなり強い風が吹くと、これまでに幾度となく聞いたあの憎々しい声が空から木霊する。
『おやおや、虫けらたちが集まって一体何の用でしょうかね。その程度の数で私に勝てると思っているのですか』
兵士達にとってトラウマにも近いヤルダバオトの声が鳴り響くと、たちまち混乱状態に陥りかけるも、リリアが即座に
『ここで決着をつけようという意気込みは褒めて差し上げましょう。さぁ、挑んでくるがよい!私に勝とうとする愚かな者達よ!』
ヤルダバオトの声が薄れ行くと共にそれまで吹いていた強い風も収まっていく。
兵を率いる隊長達も直ぐに崩れた陣を立て直し、不測の事態へ備える。
「リリア殿、それでは私は行くとしよう」
魔導王が隊の後ろから騎乗したまま近づいてくると、リリアの隣へと並ぶ。その姿は、いつもの黒を基調とした衣装ではなく、茶色の修道服に近い衣装を着用している。だが、そのような衣装であっても王としての威厳は決して損なわれていない。
「陛下の勝利を願っております」
「あぁ、聖王女殿にも同じことを言われた。改めて約束しよう。このアインズ・ウール・ゴウンの名において、絶対の勝利をもたらすと!」
周りにいる軍士や聖騎士にも聞こえるほどの大きな声で魔導王が叫び、手に持つ金色の杖を掲げた。
「魔導王陛下!我々に勝利を!」「陛下に勝利を!」「魔導王陛下!!」
正に救国の英雄と言うに相応しい登場に、軍士達も武器を掲げて魔導王に歓声を上げた。聖騎士達も魔導王が通る道を開けると剣を捧げて見送る。
魔導王は兵士達の声に答えるように自然と開かれた道を歩き、カリンシャへ向かって行った。
「リリア様、本当に魔導王はヤルダバオトに勝てるのでしょうか」
「レメディオス。陛下の力は人のそれではない。私やモモンなど足元にも及ばないのだ。ヤルダバオトが魔皇を名乗るのなら、陛下は神の領域に座しているも同然。すぐに決着はつくだろう」
怪訝そうな顔でリリアの下に近づいてきたレメディオスに、弱々しい笑みでもって答える。
ヤルダバオトと言う敵を葬るのであれば自分達の剣で倒したかったという思いは、最後まで割り切ることはできなかった。他人に頼り、自分の敵を倒してもらうことしかできない自分への哀れさに笑うことしかできないのだ。
レメディオスもリリアの心情を理解したのか、それ以上何かを尋ねることもなく、黙ってカリンシャに視線を向ける。
魔導王の背中が開かれたカリンシャの城門の奥へと消えていく。
しばらくすると、城壁の中から黒い炎が先に空へと飛び上がり、それを追うようにして闇が飛び上がる。
黒い炎はヤルダバオトが放っているもので間違いない、とすればあの闇こそ魔導王だ。
カリンシャからはそれなりに距離があるため、両者の雄たけびが聞こえることは無い。ただ、魔法と魔法がぶつかり合った際に激しい爆発音だけが鳴り響く。
この場にいる誰もが何も発することなく黙って空で行われている一戦を見守っている。
この戦いに勝利した者が、勝利した側が全てを終わらせる権利を持つと。この戦いがこの戦争の最後になると。
人間では踏み込むことのできない人外の領域、神と魔皇の戦いに手出しできるものはこの場、いや、この世界のどこにもいないだろう。
目を開けられぬほどの光が
全てを飲み込む闇が
激しく燃え盛る炎が
轟音と共に落ちる雷が
天から降る流星が
もはや理解できない現象が次々と激突する。
そして――
「おい!あれを見ろ!」
兵士の一人が指を指して叫んだ。
「ああ!」
隣にいるネイアも歓声を上げる。
黒い炎が空へと散ると、闇がゆっくりとこちらに近づいてくるのが分かったからだ。
これまで幾度となくヤルダバオトと戦ってきたが、それらの戦いを思えば驚くほど早い結末だった。何度戦っても負け続けた相手が、魔導王にとってはこれほど簡単に勝利できる程度の相手だという証明に他ならない。
「リリア様!」
「あぁ……。ようやく…終わりだ…」
ネイアは喜びのあまりリリアの手を握り締めて、目からは涙を流している。もし、馬に乗って居なければこの場で抱きしめていてもおかしくないほどの喜びようだ。
誰から見ても分かる魔導王の勝利に、兵士達からもこれまでにないほどの大歓声が上がった。
こちらに近づいてきていた魔導王はゆっくりと降りてくると、埃一つついていない姿で大地へ降り立つ。そして、勝利を宣言するように金色の杖を掲げると、より一層大きくなった歓声が空気を震わせた。
「陛下、おめでとうございます。そして、改めて感謝を」
「ありがとうリリア殿。これでヤルダバオトがこれ以上、聖王国を苦しめることはもう無いだろう」
魔導王が口にしたことで改めてヤルダバオトが滅んだことを認識すると、胸の奥にあった不安が吹き飛んだ。敵の大将であるヤルダバオトが倒れた以上、もはや残る亜人や悪魔は解放軍の行く手を遮ることはできないだろう。
「陛下、ここからは我々にお任せください。陛下のご尽力がなければここまで成すことはできませんでしたが、全てを陛下に任せるわけにもいきません」
「そうか、ならば分かった。残る亜人はもはや残党に過ぎないから君達でも十分に対処できるだろう。だが、ここまで付き合った身として、可能な限り付いて行かせてもらう」
リリアは静かに頷くと、すぐにレメディオスに指示を出し、歓喜に酔いしれている兵士達にカリンシャを奪還するための準備を行わせ、整った様子を見ると即座に出撃した。
リリアとレメディオスを先頭に、聖騎士や軍士が馬に乗って突入する。
都市内部には先ほどの戦闘の余波を受け、混乱や傷を負っている亜人達が蠢いており、士気が高い解放軍は抵抗する亜人達を次々と倒していく。魔導王に負けじと剣を振るう解放軍の勢いはすさまじく、カリンシャはわずか三百にも満たない兵士達によってその日のうちに完全に制圧された。
カリンシャを象徴する中央の城には大勢の人々が閉じ込められており、解放軍が姿を現すと歓喜の声を上げて出迎え、戦える者は武器を持ち解放軍と共に戦いに加わったことも、これだけ早く都市を解放できたことにつながったと言えよう。
そこからの聖王国奪還の動きは早かった。ヤルダバオトの死は亜人達の間にも知れ渡り、戦意が低い亜人を相手にするなど、もはや残党狩りの様なものだ。王都の精鋭である神官団や聖騎士団も残っている今、聖王国側の死者はほとんど出ることなく、亜人達の死体が散乱し積み上げられていった。
アベリオン丘陵を完全に制圧した魔導国の下結成された、反ヤルダバオトを掲げる亜人軍が城塞の部隊と共に小都市ロイツを奪還すると、王都の部隊と合流し敵の一大拠点である港湾都市リムンに進軍。
リムンでは激しい攻城戦が予想されたものの、魔導王の魔法による支援もあり、敵が完全に戦意を失ったことで僅か二日で奪還に成功した。
また、ロイツ方面で別れた解放軍の別動隊は帝国からの物資を利用し、南部軍の残党を吸収したことで増強され、その戦力を用いて南部の要所デボネに進軍。敵の大半が南部へ撤退を始めていたこともあり、デボネは直ぐに奪還され南部進軍の足掛かりとなった。
南部は未だヤルダバオトが率いていた亜人連合軍が占拠しており、各地に点在しているであろう捕虜収容所では今なお多くの聖王国の民が苦しんでいる。だが、北部聖王国が解放された今、戦力のすべてを南部に向けることができ、こうした点から見ても、北部全域の奪還は大きな節目となったと言えるだろう。
解放された都市の人々は歓喜に湧き、戦える者は我先にと解放軍に志願するほどのありさまだ。北部の奪還から数日たった今でさえその熱が冷めることは無い。それどころか、毎日のようにもたらされる朗報によってますます盛り上がりを見せている。
そんな中、人々の間では『救国の英雄王』を題材とした物語が語られるようになっていた。
危機に瀕した聖王国に颯爽と現れ、守護者リリアと共に邪悪な悪魔達と戦いを繰り広げると、ヤルダバオトをその圧倒的力によって打ち倒した救国の英雄王『アインズ・ウール・ゴウン』。
その名を知らぬものはもはや誰もいない。
ややこしい〆ですが、一応、次回以降でその後を挟み最終回となる予定です。
あと少しだけお付き合いください。