COLD SONG   作:ウシミツ残業明けサラリマン

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暗い夜道に消える声たちへ


街明かり

 人の多い場所が嫌いだった。

 

 誰だって顔を見られただけで避けられ、あらぬ疑いを掛けられ糾弾されるのなら、人のことなんて嫌いにもなるだろう。

 そんなことが何度も繰り返されれば学習するもので、私は誤解を解くことを辞めた。話し合えばわかるなんていうのは幻想であり、言葉は無意味だったと知ったからだ。

 私が口を開けば開くほど誤解は真実に成り代わり、普遍性という暴力が私を異端として排斥する。そんな中で誰も聞く耳を持たない言葉など、無意味な労力でしかないのだと知った。

 

 そうやって傷つくくらいなら離れてしまえばいい。誰にも強制されていない関係なんて捨ててしまえばいい。

 そうして、気づけば私の周りには誰もいなくなっていた。その結末を選んだわけじゃない。そうせざるを得ないからそうなった。まぁそれだけの話だ。

 こうなってしまったのは、仕方のないことなのだから。

 

 

 

「どうしたのよ、そんなに可愛い顔汚して」

 

 だけど、その手を引いてくれる人がいた。

 

 便利屋の社長、陸八魔アル。何をしてもポンコツで、アウトローを標榜しながらもその本質は真面目で努力家。どこか抜けていて、空回りして、簡単に騙されたりもするけれど。

 でも、この人をずっと見ていたいと思った。この先の旅路を見たいと思ったのだ。それはアルだけじゃない、ムツキにハルカだってそれぞれがどこか歪んでいて、それでも便利屋に欠かせない、私の大切な仲間たちだ。

  そんな私たちでも生きていける場所がこのブラックマーケットであり、街が隠した闇の中だった。学園都市キヴォトスという街で生きていくことが出来なかった者たちはこうして闇の中に消えていく。それは自らの過ちかもしれない。誰かのせいかもしれないし、誰のせいでもないかもしれない。ただ息苦しさだけが私たちの中にあったんだ。

 

 そんな薄暗い街の中でも、ここには小さくても暖かい布団がある。騒がしくて、背中を預けられる仲間がいる。存在を認められなかった私の、それでも世界に生きることを諦められなかった私たちの、たった一つの居場所。それが便利屋68だ。

 

 

 だからなのかもしれない。私は知ってしまったのだ。その暖かさの対極にある寒さを。

 

 ここはとても賑やかな街だ。光が溢れ、いろんな声に溢れている。沢山の人が集まり、熱気がこの街には集まってくる。だけどこの街は特異なものを受け入れるほど寛容じゃない。

 声は騒がしい街に埋もれ、美しい夜空が街の明るさで見えないように、真実と事実は等価にはならない。時にお互いに成り代わり、反転し、強大な力を前に私たちは無力だ。

 

 私は知ってしまったのだ。その暗さを。

 その寒さに一度触れ、深い暗闇を知ってしまえばもう戻れない。

 一度温もりを知ってしまえば、その寒さの鈍い痛みはより強く感じられるように。

 

 

 カヨコは街を一人で歩く。そうして歩いた先が何であれ、彼女は一人だ。

 便利屋だっていつもあるわけじゃない。いつかはこの街を離れ、生きることになる。

 

 そうしていつだって思い出すのだろう。この時の日々を、ぬくもりを。そして寒さを。

 

 

 

 この街は賑やかで、明るくて、とても寒い。

 

 

 

 

 ***

 

 

 カヨコは街を歩いていた。久しぶりにCDショップを巡ろうと考えたからだ。

 ブラックマーケットにもCDショップはあるが、それでも品ぞろえは限られてくる。丸一日暇があれば、時折カヨコはこうして街の店を回ることもしていた。

 趣味を楽しむことは楽しいものだ。新しい音楽、知らなかった新たなジャンルを聞くのもいいし、楽器店を見るだけでも楽しい。音楽は心を癒してくれる。そんなふうに寄り添う音楽というものが好きだった。

 ただ、こうして街に出るという一点を除けば、だが。

 

 街の明かりは眩しくて、何時かは誰もいなくなっていく。そして新しい人々が入れ替わりながらこの街は発展してきた。入れ替わり立ち代わり、多くの人が溢れるこの街が、カヨコは嫌いだった。

 なぜなら、街の中を歩く、ただそれだけで人は悪者になることもあるからだ。

 

『おい』

『……』

『チッ、おい、お前』

 

 カヨコは耳に刺したイヤホンを取りながら視線を相手に向ける。

 

『……! な、何睨んでんだよ、あぁ?』

『……別に何もないけど』

『んなわけねえだろ! その目つき、態度、明らかにカタギのもんじゃねぇな。何処のモノか知らねぇがこっちのシマで好き勝手はさせねぇぞ』

 

 何もしていないのに、何か悪いことをしたかのような言いがかりをつけられることもいつものことだった。何もしていないし手も出していないという事実はそこでは重要ではない。相手がどう受け取ったのか、どう感じたのか。それに共感する感情が真実にとって成り代わる。

 そう言って銃撃されるのも、このキヴォトスでは当たり前のように見られる光景だ。

 だが鬼方カヨコはブラックマーケットを根城にして生き抜いてきた。D.U.の不良やスケバン相手にまず負けはしない。適当に銃撃を交わしながらけん制、遠くからサイレンの音が聞こえてくる。そろそろ頃合いだろう。持っていた煙幕をばら撒いて街区を駆け抜ける。

 

 街に出ればこうしたトラブルに巻き込まれるのもしょっちゅうだ。気分が最悪に近かったのがどん底まで落ち込んだ。こうしてカヨコにとって最悪の一日が始まる。

 

 

 暫くして逃げた後、音楽関連の店が集まっている区画を回っていた。CDや楽器、レコードに書籍が集まっているこの場所は数少ないお気に入りの場所だった。

 ひそひそ話す声が聞こえる。カヨコは周囲の人々の目線が警戒の色を持ち始めたのを感じた。

 

『おい、何をしているんだ』

『……何?』

『そのでかいカバン、中身は何が入ってる。まて、手を入れるんじゃない、何も触れるな!』

『……別に、買い物してきたものがあるだけ』

『ならカバンの中身をみせてもらおう。そのかばんをこっちに寄越せ。手は上げろ!』

 

 警察や自警団に疑われ、無遠慮にこちらを疑うような視線が突き刺さることもカヨコにとってはいつものことであった。荷物を隅まで調べ、ポケットの中まで調べようとする。

 不躾に体を拘束してまで身体検査されるのだってないわけじゃない。むしろ丁寧に、疑いを持ちながらも正しく職務を遂行しようとする彼女らはまだ()()といえるだろうか。

 好奇と侮蔑の視線が突き刺してくる。散々調べた挙句疑うものがなくなった警官は私によくわからない警告をして去っていく。

 周りの人の疑うような、突き刺す目線をみてカヨコは足早に立ち去った。ほとぼりが冷めるまでしばらくはこの辺りは近づけないだろう。お気に入りの場所がまた一つ減ったことに溜息をついた。

 

 

 

 昼を目前にしてもう既に帰りたい気持ちが沸き起こってくる。街に出る度にこうして敵意をぶつけられるのを受け流せればよかったのかもしれない。

 そう、思えればよかったのかもしれない。

 

 立ち寄った店で水をかけられた。わざとではないのはわかっていた。店員が躓いてしまったのも観ていた。今日はもうそういう日なんだと半分諦めていたカヨコは、水もすぐ乾くからと特に何も気にしていなかった。

 だけど私の表情を見た周りはそうと見えないらしい。またも空気が悪くなっていく。

 

『す、すみません大変なご無礼を!』

『別に大丈夫、気にしなくていいから』

『お客様、この子も慣れてなかっただけなんです。ですから何卒、命だけは、許して下さい……!』

『いや、だから大丈夫だって……はぁ』

 

 目つきが悪い、人相が怖いというのも散々言われてきた。だから、私が怒っているなんて勘違いする人も仕方がないのだ。

 私が怒っていないといっても、どうせその言葉は伝わらない。許してやれよ、とか店員を守ろうと動く周りの()()()()()が、私を不寛容な人物だと非難する。

 そんなことも今回が初めてではない。だとしても、それをいつものことだと納得できるわけでもない。そうして沸々と湧き上がるのは怒りだ。

 カヨコは席を立ち、乱暴に多めのお金を店員に押し付ける。少し睨めばがやがやと捲し立てていた周囲の人々は一様に押し黙った。

 

 

 足早に店を出て歩き出す。街は相変わらず賑やかで、喧騒と笑い声に溢れていた。傾き始めた日がビルを照らし、授業を終えた生徒が笑いながら通り過ぎていく。

 通りに面した店の中から誰かの笑う声が聞こえる。美味しそうなにおいが漂う。何処かの学園の生徒が今日の出来事で盛り上がって話している。屋台では仕事を終えたサラリーマンが一杯を交わしていた。歩いている人が何かを指さして商店街へ向かっていく。

 

 カヨコは立ち止まってその光景を見ていた。

 見えないふりをしていた傷が痛みだす。言葉の奥にある恐れ、敵意、嫌悪。そして拒絶に晒された心は悲鳴を上げている。それをカヨコは無意識に胸底に押し込んだ。軋む魂の音に聞こえないふりをして、再び明るく騒がしい通りを歩いていく。

 ()()()()()()()()()()()()()()。それだけがカヨコの感情の全てだった。

 

 いつもそうだ。街はいつだって不寛容で、冷たくて寂しい。人々の間にいるのに感じるこの寒さが嫌いだった。

 

 そんな感傷から逃げ出したくてカヨコは半ば衝動的に一つ横の路地へと入った。ただ忘れたくて、気にしたくなくて、気づけば見知らぬ道に出ていた。そこは人が一人もいない暗い道だった。

 ただ一人だけで街灯が照らす暗い道に立っていた。

 

 

 

 冷たい風が吹いてくる。空は暗くなり、雨の匂いが鼻腔を刺激した。ふと見上げれば、雨模様の空が見えた。どうやら雨が降るらしい。

 

 そう思っていたら急に雨が降り始める。気づいたときにはあっという間に雨は強さを増していた。儘ならないものだ、そう嘆息して駅まで走り出す。

 雨がカヨコも濡らして、風が冷たく体温を奪っていく。走っていく間にも冷たさが体の芯までしみ込んでいく。だんだんと激しさを増していく雨。雷が空を走り、暗くなった街はただ雨に打たれ続けていた。

 

 濡れた服の重さと湿り気が気持ち悪い。段々と水をため込んだ靴が足取りを重くしていく。駅はまだまだ遠くだが、激しさを増す雨が止むのを待つため近くの古ぼけたビルの階段下に逃げ込んだ。

 そのビルも相当年季が入っていた。錆びた鉄階段は雨を完全には防がず、雨漏りがぽつぽつと体を濡らしていく。無いよりはましかと暫くそこで待つことにした。風が冷たく、肩を濡らした雨が体温を奪っていく。カヨコはただそれに耐えるだけだった。

 うずくまり、冷えていく体に呼応するかのように心も冷たく冷えていくような気がした。

 

「……キミも雨宿り?」

 

 ふと周りを見渡せば、そこには既に先客がいた。濡れた猫が静かに横になって、カヨコのことを見つめていた。

 警戒の色が混じってはいるものの、野良猫にしては人慣れしているようでもあった。カヨコの姿を見て逃げ出さないあたり、もしかしたら飼い猫だったのかもしれない。

 

「濡れてるね、拭いてあげるよ。こっちにおいで」

 

 手を差し出すと、猫は警戒するかのように見つめる。

 少しだけ手を伸ばしてその頭に触れる。次第に警戒の色は薄れ、猫はその手をぺろぺろとなめ始めた。そのまま喉の下を撫でてあげると嬉しそうに目を細めた。

 

 カヨコはカバンから手持ちのハンドタオルを出して猫の体を丁寧にふき取ってあげた。猫の毛は水をほとんど弾かない。雨に濡れれば体温はすぐに奪われる。野良猫であればなおさら、低体温は死に直結する場合もあるから怖いものだ。

 

「大丈夫だよ、寒かったね」

 

 寒さは根源的な恐怖だ。猫でなくとも、誰であろうとも体温のなくなる原初の恐ろしさには抗えない。

 この猫はそうした気持ちがあまりなかったのか、ふき取ってあげた後は気持ちよさそうに目を細め、みゃぁと静かに鳴いた。

 

「よし、いいよ……ごめんね、食べ物は何も持ってないんだ」

 

 その声に応えようとして、何も持ち合わせているものがないことに気づいた。それでも頭をなでてあげると、猫は落ち着いたのか横に座って目を瞑る。空腹なわけでもなさそうだ。見た感じ健康状態も良さそうだ。

 

「キミはどこかの飼い猫だったのかな。毛並みもいいし、すごく慣れているもんね」

 

 野良猫にしては警戒心が薄い。もしかしたら何処かの飼い猫で、逃げ出したのか、あるいは捨てられたのかもしれない。どちらにせよこの猫は決して最初から野良猫だったわけではないことは確かだろう。狩りだってしたことがないはずだ。この様子では、いくら本能があったとしてもそのうち衰弱し、何処かでその身が果てるだろうということも容易に想像が出来た。

 決して今だけ凌げればいいわけではない。そうして生きていけるほど、この街は優しくない。それが選ばざるを得なかったとしても、明るさから零れ落ちて暗闇に生きる過酷さは変わらない。そのことをカヨコはよく知っていた。

 

 明るければ明るいだけその影は色濃くなり、騒がしさの後の静寂はより深く感じられるように。この街は明るく賑やかで、沈黙が支配する闇はとても冷たい。

 不要になれば捨ててしまえばいい。醜いものはないことにしてしまう。現実という欺瞞に隠され、事実は裏路地に押し込まれ見えなくなる。そうやってこの街は綺麗な真実を生み出していった。そうしてこの世界はずっと成り立っていた。

 だがそうして退けられたものは消えるわけではない。そうであっても暗闇に住み、この街のどこかで生きていかなければならない。それが集まったのがブラックマーケットであり、この世界の見えない裏路地の暗闇に生きる者たちの一部の姿だ。

 

 この街では暗い夜道は街灯に照らされ、隅まで綺麗に清掃されつくし、整備された街並みが広がっているように見える。だがその塗り固められた嘘の裏側を見たことがあるのだろうか。

 

「寒いねって……いなくなっちゃった」

 

 気づけば猫の姿はなくなっていた。最初からいなかったかのように、冷たいコンクリートの上に雨の音だけが響いていた。

 

 街は当たり前のようにそこに在って、そこにいる『私』という存在は当たり前には存在しない。不確実な『私』がこの街にいるということを私は知っていても、誰も知らない。

 

 逃げ込んだ路地の先には何もない。それでも動くことは出来ない。寒さで強張った体は動かすことでさえ難しい。

 

 言い訳だとしても、落ち込んだその先で藻掻くことさえ無意味だ。

 雨は止まず、振り続ける。街は変わらずそこにあるだけだった。

 

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