COLD SONG 作:ウシミツ残業明けサラリマン
目をさます。意識がすぐに覚醒して飛び起きた。
「……! ここは?」
見覚えのない部屋だった。カーテンで仕切られた部屋は、ゲヘナで見た保健室や救急医学部の病室のようにも思えた。
横に置かれたテーブルに、小さなメモとペットボトルの水、それと風邪薬が置かれていた。
『アルには連絡しておいたから。今日はシャーレに泊って大丈夫。起きたら風邪薬を飲んでおいて。何かあったら連絡してね』
近くにはスマホも置いてあった。時計を見れば21時を少し回ったところだ。
あの後、先生がシャーレのオフィスに連れてきてくれたようだ。
カヨコは重い頭を持ち上げてベットから体を起こす。少しだけ気持ち悪いが、水を飲んで少しだけ気分が楽になる。
カーテンがかかった窓の外を見る。雨はまだ降り続けていた。
気分が落ち着く。改めて自分の体を見てみる。
さっきまで雨に濡れていたはずなのに、濡れた服も、髪の毛も綺麗に乾いていた。丁寧に着替えているようだが、今起きるまでに着替えた記憶はない。
「なんで着替えてるの?」
乾いた服、ゆったりとしたそれは明らかに最初に着ていたものとは異なる。
それは服だけではない。その下も。
置手紙といい、整った設備といい、ゲヘナやブラックマーケットのどこかである可能性は低い。残るのはシャーレのビルの中だ。
そして、そこにいる人物というのはただ一人だけ。
ふと頭の中でそのことを反芻しながら考えていた。つまり、ここはシャーレで、着替えた記憶もないから着替えさせてくれて……!
そのことを理解した瞬間、顔が熱くなるのを感じた。それは眠気を覚ますのにぴったりだった。
「何、考えてるの、私の」
カヨコは自分の顔が紅潮していくのを感じていた。恥じらいや申し訳なさ、そして湧き上がる言葉にできない感情と、忙しなく脈打つ心音が体を包み込んでいく。
ドアをノックする音が聞こえた。思い当たる人物はただ一人。
「っ! ダメ、先生、いまは」
『おっと、すまない。起きていたんだね。気分はどう?』
「う、うん、悪く、ないよ。少し頭が重い気がするけど」
『わかった。薬、飲んでおいてね。それとアルには連絡しておいたから、今日はこの部屋を使って。何かあったらオフィスにいるから』
扉の向こうに静寂が戻った。
暫くそのままカヨコはベットの上で座っていた。頭が重く、回らない思考を落ちつけようとしていた。
どうも眠れそうにないし、いくら待ったところで時間はいたずらに過ぎるだけだ。薬を水で飲み込む。
カヨコは意を決して、ベットから立ち上がった。
扉を開けて廊下へと出ると、廊下の突き当りにエレベーターホールがあるのをすぐに見つけた。その横にある案内板によると、シャーレのオフィスは上の階にあるらしい。ボタンを押して少しの間待つ。規模のわりに人が極端に少ないシャーレのエレベーターはすぐに到着した。ぼんやりする頭でエレベーターへ乗り込んだ。
目的の階のボタンを押す。静かな音と少しばかりの衝撃を感じ、すぐに同じような構造のフロアに降り立った。
そこからはすぐにオフィスだ。
ガラスのドアを前にして立ち止まる。ドアノブに触れ、少しだけ逡巡してカヨコは意を決してドアを開けた。
「先生、いる?」
先生は書類に囲まれながらも、見慣れた机と椅子に座っていた。
「ん、カヨコ。もう大丈夫かい?」
「うん、平気」
先生は相変わらず大忙しなようで、たくさんの書類に囲まれて仕事をしていた。デスクの上には飲み終えたエナジードリンクやペットボトルが置かれていて日々の苦労が見える。なんだかその光景をぼんやり見つめてしまう自分がいた。
そうしていたら、気づけば目の前に先生がいた。心配そうにのぞき込む顔に少しだけ驚いてしまう。
「あ、先生、ごめんなさい」
「いや、いいんだ。調子はどう?」
「全然、大丈夫だよ」
嘘をついた。
なんだか頭ぼんやりしてしまうけど、どうしてもこのオフィスからあの一人の部屋に戻りたいとは思わなかった。先生と一緒に居たかった。
先生は私の顔を見て、座りなよ、とソファに向かった。ここに居てもいいようだ。
「何か飲むかい? ココアでいいかな」
「……うん。ありがとう、先生」
給湯室に入った先生が少しして、マグカップを二つ持って机に置く。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
マグカップに注がれた暖かいココアを口にする。暖かさが体に心地いい。
先生も静かにコップを傾ける。
静かな時間だった。オフィスに居るのは二人だけ。窓から見える夜の街は、雨で滲んでいる。雨はまだやまないらしい。
「先生。ごめんなさい、迷惑をかけた。そしてありがとう」
夕方の雨の中、先生の手を跳ねのけた申し訳なさと、それでもこうして助けてくれたその優しさにカヨコはそう感謝を告げた。
「今日は迷惑を掛けてばかりだね。こうして泊めてくれるし……」
「いいんだ。生徒が困っていたら助けるのが僕の仕事だからね。それにかなり熱もあったみたいだし……あの時僕がいなかったらそのまま倒れてたかもしれないから」
「そうなんだ……ごめん、あんまり覚えてないんだ。なおさら先生は命の恩人だね」
たまたまあの場所に先生がいなければ、もしかしたら今もずっと道端に倒れているだけだったかもしれない。そうして冷たい街の中で倒れているだけだったのかもしれない。
偶然だったのかもしれないが、先生のおかげでここにいることが出来るのだ。
「でも先生は何であの場にいたの?」
あの周辺はあまり人が近寄らない。よく行くCDショップがあるから行くだけで、特に何かあるわけでもない。先生も忙しい人だから、偶然あの場所にいるとは考えずらい。
「実はカヨコを探していたんだ」
その言葉に、ドキッと心臓がより一層波打つ。
「いろんなところで、顔の怖い生徒に出会ったって話を聞いてね。もしかしたらカヨコのことかなって思ったんだ。前みたいにまた困っていたら、助けに行かないとと思って」
先生はこういう人だった。生徒の為なら何でもする。どんなことがあろうとも。どんなに時間があったとしても。
「そう、なんだ」
「うん。でもよかった。カヨコが誰も見ていないところで倒れなくて」
「本当に、ありがとう。先生」
あの場で倒れていたら、いったいどうなっていたのだろう。もしかしたら誰かが助けてくれたかもしれない。心配した社長たちが助けに来てくれたのかもしれない。
でも、それが先生で、私の為に来てくれて。
それに言いようのない安心感と、暖かい想いを感じた。そして、少しだけ心の中で燃えるような、熱い想いがあった。
「うん、それでも助けてくれて感謝するよ。それと、さ……」
顔を赤くして、俯くように声を潜める。
「あのさ、服、なんだけど。着替えさせてくれて、あ、ありがと」
「あぁ、全然いいよ。濡れたままだと身体によくないからね」
「うん、その。そそうだよね。仕方なかったんだもんね」
仕方ないにしても、やはり少しだけ恥じらいがある。先生に下着を見られることも、下の方を変えてくれたことも嫌ではない。
嫌ではないんだけど。乙女の恥じらいも少しはあるのだ。
「先生は、その、私の体、どうだった」
「え?」
「あ、いやそのッ、えっと」
カヨコは混乱していた。普段の冷静な、物静かな雰囲気がこの時ばかりは崩れていた。カヨコも、自分の口からとんでもない言葉が出ていることを自覚した。先生はそれも風邪のせいかと納得して見守っていた。
「その、下着とかも、変えてくれたし、体も、拭いてくれて。その。ありがたいんだけどさ。少し」
「あー……それは」
「い、全然嫌じゃないんだ。嫌じゃないんだけどさ。その、恥ずかしいっていうか」
思わず体を抱きしめてしまう。腕を掴んで、体が小さくなってしまうかのような感覚。
何とかひねり出した言葉は断片的で、あまりに脈絡もなく連なっている。
「カヨコ、その、着替えは今日来てくれていたセリナにお願いしたんだ」
「……え?」
「本当だ、断じて僕はカヨコに触れてないよ」
そこまでデリカシーがないわけじゃないって、両手を挙げながら話す先生に少しだけ拍子抜けして。
全部、私の勘違いだった。顔がまた火照ってくるのを感じる。
「勘違いさせて、嫌な思いをさせてしまった。すまない」
「いゃ、そんなことない!」
顔のほてりが引いてこない。ずっと心臓がどきどきして、何を言おうか考えても頭が働かない。
今日はなんだか調子が悪い。ずっと空回りして、ぎこちなくて。
もっと先生と話したい。もっと会話をしたい。そう思っていたのに。
でもうまく思考の出来ない頭で、何を言おう。沈黙を埋めるために、何を紡ぎだそう。
そうして沈黙が横たわっている間も結局、何も思い浮かぶこともなくて。ただ、もう一度あの時みたいに手を添えてほしいと思っていた。
「先生、手を頂戴」
でも一人でいることは、とても寒いから。先生の手を私は掴む。大きく角張っていて暖かい手。
先生の手を私は掴んでそっと頬に当てた。
「この街は寒いよ。何処までも支配するのは口径と銃弾だ。でも先生の前は暖かいんだ。私みたいなのも受け入れてくれるのは、ここだけなんだよ」
誰も拒まず、そして巣立ちまで見守り、受け入れる場所。
それがこんなにも心地よい。
「ねぇ、どこまでも、逃げちゃおっか。何もかも投げ出してさ。私たち二人だけで。何処か遠くに旅をして」
それが現実逃避に過ぎないこともわかっている。ただ目を背け、そして逃げ出してしまうということもわかっている。
逃げ出して、滅ぼして。全てを壊して。そんなドロドロとした想いを胸に押し込んで、倒れこむように先生にしがみ付いた。ぼんやりした頭がうわごとのようにそうつぶやいた。
「カヨコ? どうしたのって、まだ熱いよ」
慌てて私のことを抱きかかえる先生。私はそれに身を委ねて倒れかかる。
「一人は、寒くて怖いんだ。でもこの手が、先生がいると安心するんだ」
視界が霞んで、ぼんやりとしてくる。大きな手と、胸と、その鼓動を感じていた。五感の全てを使って、私は先生を感じていた。
「だから先生、何処にもいかないで。ここにいてよ」
「……行かないさ。君たちのことを守るのも、大人の役割だからね」
手が触れる。私を包み込む。
「私は全てを救えない。君たちの声に、そのすべてに応えることは出来ない。だからせめて、手の届く範囲は救いたいんだ」
不思議と、先生の声は私の頭にすんなりと入り込む。
心の迷いが消えていくように、微睡み、混濁する意識とは反対に、私の心の膿は消えていくような心地よさを感じた。
「声を上げてくれてありがとう。その声を聞かせてくれてありがとう、カヨコ。私はその声に応えることが出来る。だから安心して、今はゆっくりお休み」
大人として、唯一人の、先生として応える。
雨の街は、寒く冷たい。それでも先生は静かに寄り添い続ける。
生徒が決して凍えぬよう、そして迷わぬように。
ここは学園都市キヴォトス。雨に濡れる街は賑やかで寂しくて。そこで少女たちは生きる。
間違えて、悩んで、そしてきっと答えを見つける。
先生はカヨコに毛布を掛けた。そして窓際から街をみた。雨は止むことなく降り続ける。だがその雨は地面を洗い流す。
そして風が全てを持ち去っていく。雨も、雲も何もかも。きっと明日はよい天気になるだろう。それはきっとカヨコにとっても。
先生は優しく手を包み込む。きっと明日もいい日になることを願って。
「おやすみなさい、いい夢を」
Good night and have a nice dream.