悲観主義者でも空は青い   作:無知無知

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こんにちは新しい私

「翼、起きないと駄目だよ。風邪引いちゃうよ」

 

 活発そうな声が無理矢理に意識を呼び覚ました。頭の中がなんだかぐらぐらとしていて気分が悪い。酒を飲んだことはないけれど二日酔いというのはこんな感覚かもしれない。

 

 目を開けると金髪の少女がオレを揺すっていた。

 

「あれ、唯?」

 

「うん、そう。私だよ」

 

 幼馴染みの音羽唯がいつも通りの笑顔をオレに向けている。不思議なことなんて何もないはずなのにそれに違和感を覚えた。

 

「あれ、オレなんでこんなところで寝てたんだろ?」

 

「こっちが聞きたいよ。どれだけ眠かったの?」

 

 からかうような口調で唯はまた笑う。釣られてオレも笑った。酔っ払いじゃあるまいに。もしや本当に二日酔いなのだろうか。

 

 頭痛を放り出すように頭を振って立ち上がる。調子はあまりよくないがここにずっと座っていてもどうにもならないし。

 

「どれぐらいこうしてたんだろう?」

 

「……えっと、十分ぐらいかな。帰ってきたと思って、リビングに来るのを待ってても全然来なくてさ。どうしたのかなって様子見に来たら、ここで寝てたんだよ」

 

「凄いな。オレ、そんなに疲れてたのか」

 

 何故か唯は目を見開いてオレを凝視していた。顔にゴミでもついているのか。

 

「……何で泣いているの?」

 

 驚きと恐怖、それにわずかな喜びが入り交じったような複雑な声だった。言葉の意味よりもその声に込められた感情の方が気になって頬を伝う涙にようやく気付いた。

 

「え?」

 

 泣くようなことなんて何もないはずなのに泣いていた。拭っても拭っても涙が止まらない。

 

「すごく悲しい夢を見たんだ。誰かが泣いてて……ああ、くそ。思い出せない」

 

 大切な誰かが泣きながらオレに縋りついているのに、何もしてやれなかった。見捨てられたくないと震えていた誰かを安心させたかったのに、嫌いになんてならないと伝えたかったのに。そんなことすら出来なかった。

 

 しかし、それでも夢は夢だ。いくら悲しかろうが目覚めてしまえばお終い。一度きりの幻のはずなのに。

 

 自分の奥深くにあるなにかはそのことに執着していた。何があっても忘れてはいけないと強く訴えて、オレに諦めることを許させない。なにか手はないだろうか。その時目の前の少女の力を思い出した。

 

「そうだ。唯ならなにか分からないかな? オレの手、握ってみてよ」

 

 唯はびくりとした後、貼り付いたような笑顔で首を横に振った。

 

「悲しいことなら思い出さない方がいいよ。忘れたって困ることなんてないもの」

 

 そう言ってオレに背を向けてしまった。いつもなら無理にでも心を覗いて解決させようとするはずなのに。やっぱり何かおかしい。そもそも

 

「なんで一緒に住んでるんだっけ?」

 

 八年前にオレと唯は一度離れ離れになった。オレは母方の実家に身を寄せて、それから……それから……

 

 頭の奥に霧がかかっているような感覚がしてそれ以上思い出すことが出来ない。

 

 答えを知っている筈の彼女からの返答は思いもよらないものだった。

 

「そんなことどうだっていいでしょ」

 

 どうだっていい。そんなに重要なことをそれだけで片付けられたら反感の一つも抱くはずなのに。その言葉を自然に受け入れてしまった。

 

「……そう、だよな」

 

 違和感は少しずつ頭の中から消えていって、次第に何を不思議に思っていたのか、それすらも思い出せなくなった。

 

「いっ!」

 

 突然左手首に痛みが走る。見てみると皮膚が深く裂けていた。出血量はそれなりに大きかったが、傷は血管までには達していない。大事には至らないと思う。

 

 切り口は荒く、刃物で切ったというよりは爪で抉ったという方が近い気がした。そして見たところ新しい傷だ。血が少しも乾いていない。

 

「なんだこれ?」

 

 不可解だ。誰かにやられたにしても、偶然負ったにしてもこんな深い傷がついた理由を覚えていないはずがない。

 

「やっぱり変だ」

 

 さっきのことといい、この傷といい、思い出せないことが多すぎる。物覚えは悪い方ではないというのに。一体何が起こっているというのか。

 

 さらにおかしなことに気づいた。右手の人差し指が血で濡れている。爪の隙間には人間の皮膚まで挟まっていた。

 

 左手首の傷と右手にこびりついた血、二つを照らし合わせて考えると……

 

「……オレが、自分でやったのか?」

 

 信じがたいがそうとしか考えられなかった。だがそれが何を意味するのかやはり全く分からない。あまりにも訳が分からなくて身体が震えてきた。

 

「翼、どうかした?」

 

 リビングから唯の声が聞こえた。反射的に手首を隠す。

 

 とりあえず今はこの傷のことを隠しておこう。自分で手首を切っておいてそれを覚えていないなんて言ったら彼女が驚くだろう。

 

 足下にある買い物袋を拾って台所に向かう。早く行ってご飯を作らないと。

 

「……なんでもない! 今行く」

 

 

 

 




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