悲観主義者でも空は青い   作:無知無知

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間違い探し そのニ

 駅から出て映画館に向かう途中、喫茶店に寄った。余裕を持って家を出たおかげで一時間近く、時間が余ってしまったからだ。

 

 喫茶店というものにはほとんど足を運んだことがないから、とても新鮮だ。照明が暗くて、席の間に仕切りがついているから落ち着いて本が読めそうな気がする。

 

「ウフフ……エヘヘヘ」

 

 頬っぺたがポカポカと暖かい。頭を撫ででもらった。これもきっと私が本物を演じているおかげだろう。やっぱり私の判断は間違っていなかった。

 

 でも、私を撫でる直前にすごく怖い顔をしていた、あれはなんだったのだろう。それだけが少し気がかりだった。

 

「お待たせしました」

 

 まだ成人していない、大学生ぐらいの女性が注文したものを持ってきてくれた。喫茶店でアルバイト、私には難しいだろう。人見知りだし、笑顔は得意じゃないし。別に憧れてはいない。そんなことはない

 

「…………………………」

 

 私はブラックコーヒーを、翼はカフェオレを頼んだのだが、カップに注がれている真っ黒な液体を見て激しく後悔した。

 

 黒い。もの凄く黒い。人間が飲むようなものじゃないように見える。何を頼めばいいか分からなくて、反射的に「ブラックで」なんて言ってしまったのがダメだった。

 

「……苦いの苦手ならオレのと替えよっか?」

 

「だ、大丈夫だよ。私、大人だし、苦いのとか辛いのとか大得意だから」

 

「大人が言う台詞じゃないと思うけどな……」

 

「……うっさい」

 

 意を決して口に含む。危うく落としてしまいそうになるほどマグカップが熱くなっていた。

 

「…………」 

 

「どう?」

 

「~~~~~!!」

 

 苦い。酸っぱい。吐き出しそうだ。こんなのをありがたがって飲んでいる人間がいるなんて信じられない。

 

「苦いのは得意じゃなかったの?」

 

「……あ、熱くてビックリしただけだから」

 

 からかわれてしまった。恥ずかしい。やっぱりジュースかなにかにしておけばよかった。このペースじゃあ一時間かかっても飲めそうにない。

 

「砂糖入れればいいんじゃない?」

 

「あ、そうだった」

 

 会話に一区切りがついてから、お互い黙って飲み始めた。砂糖が入ったのと、時間が経ってほどよく冷めたおかげか段々と美味しいような気がしてきた。たまに彼の顔を盗み見ると目が合って、なんだか照れてしまう。

 

「ところでさ、唯は映画とか見るの?」

 

「え?」

 

「なんとなく気になってさ、今から見に行くんだし」

 

「……見るには見るかな……」

 

 本を読んでいることの方が多いが、読んでいた本が映像化されていたりすると、私の思い描いていたものと映像がどう違うのかが気になって見てみることもある。後は有名どころのを少しかじった程度だ。

 

「どんなのが好き?」

 

「私は……」

 

 口を開こうとしたとき、気づいた。今自分は八年前の自分になりすましているのだということに。

 

 どう答えるのが自然なのだろう。人付き合いが上手くて、皆に好かれる少女はどんな映画が好きなのだろうか。自分には想像もつかなかった。

 

「……えっと、待ってね」

 

 声が震えるのを感じる。黙っていたら変だと思われてしまうのに言葉が出てこない。思いつきはしたのだ。『ジャンルは何でもいいけど、悲しい終わり方をするのは嫌だ』、『あまり難しくない、単純なストーリーがいい』、そんな科白がパッと思い浮かんだ。けれど、そのどれもが嘘臭くて口にすることができない。

 

「どうしたの唯? 平気?」

 

 まただ。また気遣われている。三日前と同じだ。私が勝手に取り乱して、翼に迷惑をかける。そういうことが嫌だから翼の記憶を消して、他人になりすますなんて真似をしたのに。

 

「……ごめんなさい。ちょっとお手洗い行ってくるね。すぐ、戻ってくるから」

 

 席を立って逃げるようにテーブルから飛び出したときに声をかけられた。

 

「急がなくていいよ。ちゃんと待ってるから」

 

「……うん」

 

 彼の視線から目を逸らして、化粧室に入った。不幸中の幸いというべきか、中には誰もいない。

 

 鏡には青ざめた顔をして怯えているちっぽけな小娘の顔が映っている。明るい表情でい続けなければいけないのに、引きつったような笑みしか出来ない。魔法が解けてしまった童話のヒロインみたいだ。見ていられなくて視線を白いシンクの中に移した。

 

 あんな風な受け答えは『音羽唯』として不自然極まりない。私は完全に昔の私に戻らないといけないのに。これじゃあなにも変わらない。

 

「……やり直さないと……」

 

 もう一度翼の記憶を消してしまおうか。数年前の記憶を消すのは辻褄を合わせるのが面倒だ。けれどついさっき起きた出来事ならなかったことにしても大したことにはならない。

 

 でも、それは……

 

『どうしたの唯? 平気?』

 

『急がなくていいよ。待ってるから』

 

 彼がかけてくれた厚意まで全部なかったことにしてしまうということだ。あの温かい声も気遣いも消えてなくなってしまう。それは嫌だった。

 

「……」

 

 でもその感傷はあまりにも遅い。既に八年以上の記憶を彼から奪ってしまっているのだ。今更躊躇うなんて……

 

 本当にこんなことをする必要があったのか。翼は今の私にも一杯優しくしてくれた。さっきだってそうだ。記憶を消すときも最後の瞬間まで私のことを想ってくれていた。

 

 もしかして私はただの思い込みで取り返しのつかないことを……

 

「違う違う違う、私は間違ってなんかない。迷惑をかけてばかりいたら翼が不幸になるから……」

 

 昨日出した結論を口にする。あの時は確信を持って正しいと思えていたのに、今となってはどうしようもないくらいに薄っぺらい詭弁に聞こえる。

 

 けれど記憶の戻し方なんて分からない。消すことは何度もしてきたけれど戻すことは一度たりとも試していない。そもそも戻せたとしても今度こそ愛想を尽かされてしまう。

 

「どうしよう……」

 

 そう呟いたとき不意に視線を感じた。慌てて辺りを窺う。

 

「……?」

 

 けれどこの場に他の人間など誰もいなかった。個室の鍵は全部開いていたし誰かが入ってきたのなら気づいただろうし。

 

 不安のあまり神経質になっているのだろう。そう結論付けて鏡に向き直ったときにそれの存在に気が付いた。

 

「…………ッ!?」

 

 うっすらとぼやけた輪郭をしたあの黒い人影が私の後ろに立っている。瞳ははっきりと見えないがこちらを見つめていることはなんとなく分かる。

 

 最初は気の疲れから見えた一度きりの幻覚だと思っていたのに、とうとう二度目だ。二日前のあの幻覚といい、自分は気が狂ってしまったのだろうか。

 

 黒い人影は一歩ずつ私に歩み寄り始めた。ゆっくりと私の恐怖心を煽るように。

 

「これは幻覚これは幻覚これは幻覚」

 

 祈るように何度も同じ言葉を繰り返しても黒い影は消えてはくれない。あっという間に身体同士が触れあう程近くまで来ていた。

 

 黒いなにかは両手を伸ばした。その手は予想に反して、細く滑らかで綺麗な指をしている。

 

「ひ……」

 

 絞め殺される、そう直感して悲鳴が漏れた。これから訪れるであろう苦痛を予期して反射的に目を閉じる。こんな状況を直視し続けられるわけがない。

 

「~~~! …………?」

 

 いつまで経っても痛みは生じなかった。換気扇の音だけしか聞こえない。

 

 意を決して目を開けると、そこには予想だにしない光景が待っていた。

 

 影は私をただ抱きしめていた。子供を慰める母親のように、強いけれど優しさを感じる不思議な力加減で。

 

 眠たくなるような優しい指遣い。どこかで感じたことのあるような気が……

 

 困惑しながら振り返るともうそこには影はいなかった。鏡に目を向け直しても私しか映っていない。

 

 どんな感情を抱けばいいのか見当もつかなくて、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 

 




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