悲観主義者でも空は青い   作:無知無知

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思いがけない再会

 強風が吹いて思わず目を瞑ったとき、瞼の裏に奇妙な映像が浮かんだ。

 

 閑散とした道の上を少女が一人で歩いている。その背中を私はゆっくりと追いかけて、手に握った鋏の感触を確かめていた。

 

 またこの感触だ。起きているのに夢を見ているような不思議な感じ。まるで自分自身が怪物に変わってしまったかのような気味の悪い情景。

 

「……唯、寒くなりそうだからもう帰ろうか……」

 

「…………」

 

 景色が戻って意識も鮮明になる。息をするのを忘れていたみたいで、肺が酸素不足を訴えていた。

 

 殺人は終わったものだと思い込んでいた。二人も死んだのなら、これ以上はないと。だけど、それは逆だった。二人殺されたのなら三人目があったっておかしくはない、そう考えるべきだった。

 

 遠く離れた先に強い殺気を感じる。今から向かっても間に合うだろうか。

 

「唯……?」

 

 彼の声が聞こえて、さっき交わした言葉を思い出す。私一人じゃどうにも出来ない、けれど二人なら

 

「……アイツがいる」

 

 

 

 翼に最低限の説明をし終えた後、彼は私を抱えてあの怪物がいる方向へ向かった。

 

 走行速度はさっきよりも更に速くなっている。命がかかっていることを彼も理解しているからだ。あの時はまだ景色を楽しむ余裕があったけれど、今は揺れと着地の衝撃が酷くてとてもそんな気にはなれない。腕の中でただ丸まることしか出来なかった。

 

「唯! まだ!?」

 

「え!? あ! もうすぐ近く、通り過ぎちゃったかも!」

 

 一分も経っていないと思っていたのに、気づけば怪物との距離はすぐ近くまでに縮まっていた。気配を色濃く感じる。

 

 強い衝撃の後、すぐに揺れと足音が収まった。走るのを止めたみたいだ。軽く眩暈を覚えながらも彼の腕の上から降りる。

 

 ここがなんの建物かは知らないが、空調設備や転落防止柵などの錆び付き具合から見て人の出入りは少なそうだ。邪魔は入らない。

 

 柵から身を乗り出して、辺りを見渡す。電灯の下であの怪物が女性を締め上げているのが視界に入る。

 

「あそこ! 翼!」

 

「いたか!」

 

 彼にも分かるよう指をさした。けれど、

 

「……」

 

「翼?」

 

 なにか様子がおかしい。何度も瞬きして困惑した表情を浮かべている。

 

「見えない」

 

「え!? だって、あそこに……」

 

「女の子は見えてるんだ。だけど、怪物なんてどこにも……」

 

 

 

 焦燥感が高まっている。どうにかしなければならないのは分かっているが、その方法が分からない。

 

「翼! 早くしないと、殺されちゃう!」

 

「分かってる! 分かってるけど……」

 

 映画館前ではあんなにはっきり見えたのに、なぜ今は見えないのか、なぜ唯にだけ見えているのか、一体どういう理屈なんだ。

 

 一か八かにかけて怪物がいそうな方向に体当たりでも仕掛けてみるか。けれど、それじゃあ前回の二の舞だ。見えていない分もっと酷い結果になるかもしれない。

 

 かといって他にとれる手段も……

 

 やけになりかけたとき、閃いた。さっきバッグから取り出したアレを使えば、見えなくても、いや近づかなくても怪物を止められるかもしれない。

 

「唯!」

 

「はい!?」

 

 ピンと背筋を伸ばして彼女が返事した。大きな声を出してしまったが、緊急時だから大目に見てもらいたい。

 

「怪物はどこにいる?」

 

「どこって……女の子の傍に……」

 

「もっと正確な場所を!」

 

「えっと……女の子の右隣で……電灯の真下!」

 

 話している間に、少女は逆さ吊りにされてしまった。斬首する前段階だ。もう残り時間はほとんどない。

 

「頭の位置は!?」

 

「女の子のつま先があるとこ!!」

 

 情報不足ではあるが、やってみるしかない。大体の狙いはつけられるはずだ。上着のポケットに突っ込んだ野球ボールを取り出す。

 

「翼、それ本気!?」

 

 唯が目を見開いて叫ぶ。意図を察したのだろう。流石に頭の回転が速い。

 

「本気だよ。離れてて!」

 

 防護柵を蹴飛ばして破壊する。腕を振りかぶるのに邪魔だ。

 

 オレが思いついた案というのはボールを投げて遠距離から怪物を攻撃するというものだった。相手に気づかれないから反撃を喰らう可能性も少ないと考えてのことだったのだが。

 

「いけるか……?」

 

 水平な場所ならともかく標的との高低差は十メートルを優に超えている。それだけでも難易度が高いのに、夜闇のせいで視界も悪かった。

 

 手の中にあるボールが汗で湿る。緊張なんかしていたら外す確率が高くなるのは分かっているが、人の命がかかっているのに平静でいられる訳がなかった。

 

「翼!! 早く!!」

 

 彼女が叫ぶ。もう猶予はないらしい。雑念を振り払って当てることだけに意識を割いた。

 

 動き始めると同時に、不思議な感覚に襲われた。雑音が消え失せて、周囲のあらゆる物体の動きが酷く遅く見えだしたのだ。アドレナリンが過剰に分泌されて、というやつだろうか。そんな余分な思考まで頭に浮かぶ。さっきまで頭の中で張り詰めていた緊張の糸が綺麗に取れて、脳が冷静さを取り戻したみたいだ。

 

 左足を踏み込み、身体を勢いよく捻ってボールを手放す。

 

 一連の動作は正確に行われ、放たれたボールはゆっくりと遠ざかっていく。少しもぶれることなく、弾丸のように真っ直ぐに。

 

 それは狙い通り少女の右横に飛んでいき、何もない空間に弾かれた。

 

 舞い上がったボールがゆっくりと地面に落ちていく。吊り上げられていた少女の身体もそれに合わせるように重力に引かれていった。

 

 役目を終わらせた体から力が抜けていく。考える必要がなくなった頭も同様に活動を緩やかに停止させているみたいで、あらゆる感覚が鈍くなり始めていた。

 

「……ごい……すごい! 翼!! 当たった!!」

 

 大きな声で意識が現実に引っ張り出される。あの奇妙な感覚はもう終わっていた。視覚も聴覚もいつも通りに戻っている。周りの見え方があまりにも違いすぎていて、さっきまでのことが幻覚だったのかとすら思ってしまいそうになる。

 

「あれ、あの子は……?」

 

「生きてる! 間に合ったんだよ!」

 

 感極まって唯が抱きついてくる。それだけで自分がなんとかやり遂げたことが伝わった。

 

「よかった……」

 

 安堵感で体から力が抜ける。倒れそうになったが、手すりを掴んで体勢を立て直した。

 

「翼、大丈夫!?」

 

「……気が抜けただけ。それより、あの子の」

 

『様子を見に行こう』それを口にする直前だった。絹を裂くような声が辺りに響き渡る。

 

 驚いて少女の方を確認したが、彼女は目を閉じている。宙吊りにされたときに意識を失ったのだろう。彼女ではない。

 

「あっち!」

 

 唯が振り向いて叫んだ。声の主は背後にいるみたいだ。

 

 彼女を抱えて屋上から飛び降り、駆け出す。また犠牲者が出たのではないかと嫌な想像が頭によぎった。

 

 唯の指示を聞きながら走っているとコインパーキングに辿り着いた。車は一台も止められておらず、明かりの届いていない一際暗い場所でベージュの上着を着た女が肩を押さえて蹲っている。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 傍に駆け寄って声をかけると、女性は真っ青な顔でオレを見上げた。黒のロングヘアー。モデルみたいに艶のある髪だ。どこかで見たような気がするが名前までは出てこない。

 

「……コヨミ?」

 

 囁くような唯の声でようやく思い出した。確か二日前に会ったあの美容師だ。

 

 

 

「……暦?」

 

 ほとんど独り言に近い声量だったのだが、相手には聞こえていたらしい。翼に向けていた視線を私の方に寄越した。

 

「……音羽、さん?」

 

 ただ一度会っただけなのにこの女性は私を覚えていたようだ。客なんて一日に十数人は相手しているだろうに。すごい記憶力だ。

 

「……覚えていたの? 私の名前?」

 

「地毛が金色の人なんて、そんなにいませんから───つっ!」

 

 冷や汗を掻きながらも立ち上がろうとしたが、左腕を押さえてまた倒れた。どこか怪我をしたのだろうか。

 

「大丈夫!?」

 

「……そんなに大したことじゃないですから、心配しないでも、いいですよ」

 

 そう言って今度こそ立ち上がる。改めて向き合ってみると切花暦が滅多にいないほどの美人だということが分かる。美月の美貌はともすれば他人を圧倒してしまうような強い存在感を放つものだったが、彼女のそれは儚さを感じさせる静かなものだった。

 

「音羽さんの方こそよく私のことを覚えていましたね」

 

「……記憶力には自信があるから」

 

 本当は仕事をしているときの彼女の姿が格好よくて印象に残っていたからなのだが、正直に言うのは少し気恥ずかしかった。髪に触れられている間も不快感はなかったし私の曖昧な注文にも応えてくれた。少しの間寝てしまったけれどあの仕事ぶりには軽くショックすら受けてしまったくらいだ。私にはあんな風になにかに打ち込むことが出来ないから。

 

「何があったんですか?」

 

「私も、よく分からないんです。……なにかがぶつかったと思って、振り向いたら黒くて大っきな人影が一瞬見えて……」

 

 翼の質問に彼女は混乱した様子で答えた。異常なことに少しは慣れている私達でもアレのことはよく分からないのだから、一般人であるこの人はなおさらだろう。

 

 あの時翼が投げた野球ボールは怪物に当たってこそいたが、致命傷にはならず、追い払うことしかできなかった。そもそもの話、あんな幽霊じみたものが死ぬのかは甚だ疑問なのだが。

 

 当たった瞬間怪物は叫び声をあげて逃げていった。少女が助かったことが嬉しくて、つい舞い上がってしまい、どこに去っていったかまでははっきりとは見えなかった。というより見ていなかった。しかしあの屋上から見て十一時の方向、つまりここを通っていったことだけは朧気ながらも覚えている。

 

「……」

 

 つまり暦は怪物に狙われたわけではなく、逃げた怪物が走っている途中、偶然それに出くわし撥ねられただけということだろうか。そもそも私達から逃げている最中に次の獲物に狙いをつけるとは考えにくいし。

 

 しかし巻き込まれただけと決めつけるわけにもいかない。なにか知っている可能性だってあるのだから念のために質問しておこう。

 

「……暦、なにか最近、変なことはなかった? 信じられないようなものを見たとか……例えば幽霊みたいな……」

 

「ゆ、幽霊……!? もしかしてさっきの幽霊だったんですか!?」

 

「……ごめんなさい。やっぱりいい」

 

 やはり心当たりはなさそうだ。となるとあの怪物はただ無作為に人を襲っているのだろうか。

 

「危ないじゃないですか。最近は物騒なことばかり起こってるんだから」

 

「そう、なんですけどね。ちょっと外せない用事があって」

 

「…………外せない用事って?」

 

 私が口を挟むと暦は妖しい笑みを浮かべて自分の口に一差し指をあてた。

 

「秘密です。私も大人ですから」

 

「……あ、ごめんなさい。変なこと聞いて」

 

 暦は同性の私から見ても綺麗で、何より子供ではないのだから……他人には話せないようなことぐらいするだろう……今の自分には少しハードルが高い。

 

「そっちの男の子もうちの店に一緒に来てましたよね? えっと……」

 

「黒羽です」

 

「じゃあ、あの人はお姉さん? だったのかな。……なるほど」

 

 そう言って彼女は私達二人をまじまじと眺める。それから俄に頬を赤くして口を開いた。

 

「……二人は、お付き合いしているんですか?」

 

 突然の質問に混乱する。はいと答えたいところだが、言ってもいいのだろうか。好きって言ってもらえたし私も言ったけれど、まだキスすらしていないし、翼の好きは私の好きとは違うかもしれないし、恥ずかしいし。けれどいいえと言うのも……

 

「あ、私達は……えっと……あの……その……」

 

「……まあ、そんな感じです」

 

「翼!?」

 

 嬉し恥ずかしな感情が胸の中で弾けて、つい翼に噛みついてしまう。けれどやっぱり本音を言うと泣きそうになってしまいそうなぐらい喜びの方が大きかった。

 

「ダメ!? オレはもうとっくに付き合ってると思ってたのに……」

 

「……だから!! そういうことは人前で言っちゃだめなの!!」

 

「わ、私もカレシいますよ。私も!」

 

 暦の声がビルの谷間に反響する。唐突な宣言。あまりにも脈絡がなくてつい真顔になってしまう。翼と一緒に視線を向けるとハッとした表情で口許を押さえた。

 

「えっと、聞いてませんけど……」

 

「…………二人を見てたら、急に張り合いたくなっちゃって……ごめんなさい……」

 

 暦は恥ずかしそうに顔を俯けた。前に会った時も思ったがやっぱり変な人だ。

 

「仲が良くていいですね。……羨ましいです」

 

 愁いを含んだ目で私達二人の顔を交互に見つめる。どこか含みのあるような言葉に聞こえた。

 

「……喧嘩でもしてるの?」

 

「いえ、そういうわけではないんですけれど……ここ最近会えなくて……」

 

 寂しさを隠すように彼女は笑った。なにかしてやりたいがこういう問題は当人達が解決するしかないだろう。

 

「ありがとうございました。私、そろそろ帰りますね」

 

「本当に一人で大丈夫ですか? 救急車とか呼ばなくても……」

 

「ええ。大丈夫です。家、そんなに遠くないですし」

 

 なぜだろうか。大丈夫と言われても全く安心できない。どことなく危ういものを感じてしまう。不安に駆られて背を向けかけた暦を引き止めた。

 

「待って!」

 

「はいっ!? なんですっ?!」

 

「暦、夜中は危ないから気をつけて、できるだけ外には出ないで」

 

「大丈夫ですって。さっきのもきっと、私がうっかり転んだだけだろうし……」

 

 それに、と静かな声で暦は付け加えた。

 

「危ないのは人気がないこういう場所じゃないんです。本当に怖い場所は意外と人の目につくようなところにあって、悪い人はそんな場所で堂々と手ぐすね引いて待っているんですよ。大人の私が言うんだから間違いありません」

 

 彼女は胸を張って歌うように言い切った。その声には微塵も震えもなく、どこにも不自然さはなかった。私でも少し眉を顰めそうになるくらいの発言なのに、なぜそこまで明るく話せるのかは不思議だが。

 

 暦の言葉を聞いて余計に心配が深まる。なんだか放っておけない。

 

「……そうかもしれないけど、危ない目に遭ってほしくないの」

 

 私がそう言うと彼女は一瞬悲しそうな表情を浮かべて、それを誤魔化すように笑った。

 

「二度しか顔を合わせてないのに、親切にしてくれてありがとう。次からは気をつけるね」

 

「……どう……いたし……まして」

 

「あ、ごめんなさい。お客さんなんだから敬語使わないといけないのに」

 

「……いい。ここはお店の中じゃないし、使ってないのは私もだから」

 

「そうだったね」

 

 笑っている彼女の顔を見ると私も自然と表情筋が緩んだ。彼女の言うとおり本当に会ったばかりだというのに、この人と会話するのは苦にならない。

 

「音羽さんっていうのは堅苦しいし、唯ってそのまま呼ぶのもつまらないし……う~ん」

 

 首を右に左に傾けて暦は唸っている。そのまま呼んでくれてもいいのに。

 

「あ! じゃあゆーちゃんで! どう!?」

 

「え……?」

 

「ちなみにカレシのことはアッくんって呼んでいます」

 

「奇天烈なネーミングセンスですね……」

 

 呆れたように呟く翼相手に、暦は怯むことなく惚気話を始めていた。年下だとか、人畜無害だとか、なんでも許してくれるとか、そんな話を凄いスピードでしている。

 

「……ゆー、ちゃん、ゆーちゃん、ゆーちゃん」

 

 自分には似合わないその響きを口の中で何度も確かめる。どことなく間が抜けていて明るそうな音の並び。

 

「……うん。それでいい」

 

 こういうのをあだ名と言うのだろうか。そう言えば誰かにあだ名をつけてもらったことがなかったような気がする。だから嬉しい。

 

「さようなら、黒羽君、ゆーちゃん!!」

 

 暦は数秒走って、私達と距離をとってから大きな声で別れの挨拶を口にした。

 

「さようなら。切花さん」

 

「さようなら……」

 

 もう会うことはないかもしれない。そんな気がして、少し寂しくなる。会おうと思えばまた会えるのに。

 

「なんか唯に似てたね」

 

「…………え? どこが?」

 

「人見知りなのに、急にテンションが上がるところとか、あとフワフワした雰囲気とかそっくりだよ」

 

「私、フワフワしてるの……?」

 

 自分があんなふうに見られていたということを知って軽くショックを覚える。最近気づき始めたのだが、どうやら私の思っている自己像と現実は乖離しているらしい。  

 

 なんかもっと無口でミステリアスで知的な薄幸少女、みたいな感じだと思っていたのに。

 

「ねえ、ところでさ、唯……」

 

「……なに?」

 

「今、すごいことに気がついたんだけど……」

 

「……すごいこと?」

 

「怪物に襲われてたあの女の子。ほったらかしにしてる」

 

「あ」

 

 その後急いで現場に戻ると、幸いなことに少女はそのままの状態で寝転がっていた。右手の甲に薄い切り傷があったが、それ以外は少しの外傷もない。

 

 目が覚めた瞬間驚いて逃げだそうとしたので、大人しくするように触れて命令した。記憶を弄ったわけではなく、ただリラックスさせただけなので洗脳にはカウントされない。と、思う。

 

 早乙女という、その少女相手に、暦にしたのと同じような質問をしたが、またも空振り。大した答えは聞けなかった。けれど変わったことが一つだけ。

 

 彼女は襲われている最中も怪物のことが見えていなかったらしい。気がついたら宙吊りにされていたそうだ。

 

 少女を家まで見送って、家に帰る最中、疲れて黙っていた私に翼が声をかける。左の人差し指でさっき使ったボールを器用に転がしていた。一体どうやってやっているんだろう。

 

「納得するかは分からないけどさ、やっぱりあの怪物と唯は関係ないと思うんだ」

 

「……なんで?」

 

「キミが悲しんだり怒ったりしたとき、要はストレスを感じたときに現れるから自分と関係があるって思ったんでしょ? でも今日のキミはそんなことなかったじゃないか」

 

「……あ」

 

 確かにそうだ。前の二回はともかく今日の私は朝から晩までずっと楽しい気分で過ごしていた。人を憎んだり、ましてや殺したいなんて考えは頭の隅にすら浮かばなかった。

 

 あれが私の心から生まれたものなら今日、この夜だけは暴れたりしないはずだ。

 

「でも、だったらアレ何なの……?」

 

「さあ。この街のご当地幽霊とかそんなんじゃないかな?」

 

「……それ本気……?」

 

「すいません。半分冗談です」

 

 半分は本気なのかと呆れつつも安心した。自分のせいで人が殺されたのかもしれないなどとこれ以上悩まないで済む。

 

 考えなければならないことはまだ山ほどあるが、それは明日にしておこう。今は一刻も早く床に就きたい。

 

「あ、そうだ。歩いて帰るのは時間かかるし、また走って帰ろうか。ビルの上を伝って」

 

「やだ」

 

 




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