悲観主義者でも空は青い   作:無知無知

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決着は一瞬に

 間一髪、間一髪で間に合った。連絡を受けてすぐに駆け出し、病院に向かったが、どの病室にいるかも分からない。屋上から屋上へ跳ぶような奇特な習慣が自分にあって助かった。そして、それを唯が理解してくれていたからこそ間に合った。

 

 ここに来るまではそれこそ無我夢中でほとんど何も考えないようにしていたが、緊張の糸が切れて今更体が震え始める。

 

 映画館で死んだ相川さんの死骸、ついさっき目にした藤田の残骸、それがフラッシュバックして唯の姿と重なる。

 

 もし一秒でも遅かったら、唯も、あの時見た、死体みたいに

 

「下がって!!」

 

 声が響き、反射で後ろに跳んだ。ものすごい速さで首元を何かが掠めたみたいだ。風切り音で辛うじて分かった。

 

 やはり見えない。いくら目を凝らしても視界には何も映らない。

 

「避けて!!」

 

 叫び声。指示に従いまた飛び跳ねた。先ほどまで立っていた場所に大きな亀裂ができる。コンクリートの破片があちこちに散らばった。直撃すれば無事では済まないだろう。

 

 しかし、攻撃される瞬間に指示してもらえば、ギリギリで躱すことは出来る。

 

「うっ……! いっ!」

 

「唯!?」

 

 苦しそうな息遣いと青ざめた顔。何があったか聞く直前異変に気付いた。

 

 左の肘関節が砕けて前腕がだらりと垂れ下がっている。頭が割れているのは抱きかかえたときから分かっていたが、こっちには気づかなかった。

 

 じっとしていても相当だろうに、この状態で動かすなんてどれほどの痛みが走るのか想像もつかない。

 

「……大丈夫、だから」

 

 唯はそう言っているが、とてもそうには見えない。すぐにケリをつけなくては。でも、どうやって。

 

 逃げるか。いや、全力で走ったら唯の体が耐えられない。それに早乙女さんは家の中まで追跡されて殺された。逃げたって何も解決しない。

 

 でも、見えない敵をどうやって倒せばいい。どうすれば。オレに何ができる。

 

 焦りが高まって段々と狭まってきた視界、それを冷たくて滑らかな白い掌が覆った。

 

「ちょ、唯!?」

 

 意図を問う前に手は離れる。すると、目前にはあの日目にした怪物が立っていた。

 

「え?」

 

 驚いて思わず腕の中にいる彼女に視線を向ける。その顔はわずかに赤みがかっていて、はにかむような笑みを見せていた。

 

 温かくて締め付けられるような想いがオレの中に流れ込む。それはあの夜、彼女と手を繋いだ時に感じたものとよく似ていた。

 

「……翼なら大丈夫。絶対勝てるから、焦らないで、いつも通り」

 

 小さな声だったけれど、その言葉には強い信頼と安堵の気持ちが込められていた。

 

「……分かった。ありがとう」

 

 肩から力が抜けて、いつもの調子を取り戻した、と言いたいところだが、むしろ気持ちが昂ってきた。熱が駆け巡って体中に力が漲る。好きな子に応援されたんだ。いつも通りにというのは無理な話だ。

 

「唯は下がってて」

 

 頷いた彼女を腕からそっと下ろす。重たげな足取りでオレの後ろを走っていった。

 

『ウゥゥゥ!!』

 

 咆哮が耳を劈く。それと同時に怪物は肉食獣のような速度で駆け出した。狙いがオレではないのは向いている方向で分かった。

 

 そのまま唯に襲い掛かろうとしている。オレのことは意にも介していない。オレに興味がないのかそれとも見えていないと高を括っているのか、そもそも攻撃できないのか。どちらだろうと構わない。彼女のおかげでその薄気味悪い姿も甲高い奇声もハッキリと認識できている。

 

『ガァ!?』

 

 右脇を通り過ぎようとした瞬間、怪物の無防備な腹に膝蹴りを入れた。まるで人のような呻き声を上げる。

 

 急所に“入った”感触が膝から伝わってくる。人間ではないからどれほど効いているかは分からないが、反応は悪くない。

 

 腹を押さえながら怪物はたたらを踏んで後退する。ようやくオレを敵と認識したようだ。首を勢い良く曲げこちらを睨みつける。そして黒い糸、いや頭髪を伸ばして体を捉えようとしてきた。

 

 以前は驚かされたが、それは前にもう見ている。一跳びで大きく後退して距離をとった。十メートル以上離れたのに髪の毛は一尺ほど手前まで伸びている。だがそれ以上は近づかない。それが限界なのだろう。

 

 着地してすぐ、走り出す。長引かせるつもりはない。蹴りのダメージが残っている内に終わらせる。

 

 一息で怪物から一メートルの距離まで詰めた。獲物の反応は遅い。二メートル大の鋏もここまで近づかれては大した意味がない。

 

 鋏を振り上げる間も、後退する間も与えずに拳を土手っ腹にもう一度叩き込んだ。ずぶりと体の内側にまで腕がめり込む。人間とは違ってその中には何も詰まっていなかった。

 

『イ、イッ、イ……タぃ……』

 

 ガランと音を立てて鋏が地面に落ちる。怪物の体が崩れ落ちてオレにもたれかかるような格好になった。

 

「……軽いんだな」

 

 威容を誇っていた怪物の体は以外にも軽く脆い印象を受けた。まるで痩せ細った枯れ木のようだ。

 

 雪が解けるようにボロボロと体が崩れ落ちていく。あっという間に人の形を失くして塵の山になった。

 

 強い風が吹いて塵は暗い空に消えていく。何人も殺した化け物だが、その散りざまはどこか哀れなように思えた。

 

「ふう……」

 

 隠れていた唯がフラフラとした足取りで近寄ってくる。その表情も動作も何もかも愛おしい。

 

「翼……」

 

 倒れそうになった彼女を慌てて抱き留める。改めて見ると酷いけがだ。左頬が血で真っ赤に染まっている。早く手当てをしてもらわないと。ここが病院で良かった。不幸中の幸いだ。

 

「唯、下に行って診てもら……」

 

「うっ……怖かったぁ……痛かった……よぉ……!」

 

 人形のように綺麗な碧眼からポロポロと涙が零れる。緊張が和らいで感情を抑えきれなくなってしまったみたいだ。

 

 こんなに怖がっていたのにオレが来るまで気丈に振舞っていたんだ。その事実に胸が熱くなる。

 

「……頑張ったね。もう大丈夫」

 

 体温がある。胸の中で泣いている。ちゃんと生きている。

 

 助けられた。間に合った。それを確かめたくて抱きしめる腕の力が強くなってしまう。

 

 泣き声が止むまで、ずっと二人で抱き合っていた。

 

 




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