悲観主義者でも空は青い   作:無知無知

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今と昔

約束と言っても大したことではなくてただ一緒に料理を作るだけだ。居候の身なのだから少しは役に立たなければ申し訳が立たない、自分にも教えてほしい、そう頼まれたのだ。そんな気を遣わなくてもいいと思ったのだが、止める理由がなかった。

 

「……」

 

 彼女はモグモグと家に置いてあったバターロールを頬張っている。よほどお腹が空いていたのか一気に三個も平らげてしまった。

 

「栄養補給は十分?」

 

 コクリと小さく頷いた。こんなに食べて夕飯は入るのだろうか、気がかりではあるが始めていこう。

 

 タマネギを冷蔵庫から取り出して皮を剥いた。それをまな板に置く。ついでに合いびき肉も外に出しておいた。冷えていると捏ねるときに手が痛いだろうから。

 

 今日作るのはハンバーグだ。そんなに難しくないしタネを手の上で捏ねるのは結構面白い。料理を作るのが初めてなら楽しめるのではないかと思ってこれに決めた。

 

「まず玉ねぎをみじん切りにするんだけど…やり方は知ってる?」

 

「…」

 唯は言葉で答えず、フルフルと首を振る。見せた方が早いと思い、タマネギを半分に切った。

 

 「まずこうやって縦に切り込みを入れて――」

 

 包丁を動かしながらも、オレは別のことを考えていた。昔のことだ。

 

八年前、唯とオレはよく遊んでいた。とても元気で何より綺麗に笑う子だった。

 

 今まで知り合った誰よりも仲良くなれたし、ふさぎ込んでいた当時のオレを励ましてくれた。

 

 一緒に散歩して、手を繋いで、色んなものを見た。あの時の唯は声も歩みも軽やかで、手を繋いでいればどこまでも行けそうな気がした。

 

 知り合って一年ぐらい経ったときだったか。オレは家の都合でどうしてもこの町を離れないといけなくなった。強く反対したけど、八歳だったオレにははねのけることなんて出来なかった。

 

 別れるときに唯に自分のウォークマンを渡した。唯が欲しがっていたというのもあるが、忘れて欲しくなかったという方が大きかったと思う。今生の別れと言うわけでもないのにあの時のオレは酷く怯えていた。

 

『ありがとう、大事にするね』

 

 その時、初めてキスをした。火照った肌、唇の柔らかい感触、照れくさそうな笑顔は今でも鮮明に思い出せる。オレ自身もあの時、顔だけじゃなく全身が真っ赤になってしまった。

 

 そんな別れをした次の日、電話が来た。今の時代地球の裏側にいてもその気になりさえすれば、コンタクトをとれるのだ。それだけにあんな風に別れたことを唯は散々からかってきた。「泣きそうだったのバレてたよ」とか「私が恋しくて今も泣いちゃってる?」とか。オレはその場では否定したけど、本当に寝る前に泣いてた。

 

 けれど引っ越して一ヶ月経った後、急に連絡が来なくなった。何度電話しても手紙を送っても、一向に返事が来ない。どうしても諦めきれなくて、親に許可も取らずに家出のような形で来たこともある。だけどそこも、もぬけの殻だった。

 

『会いたくない』とか『嫌い』とかそういう言葉を面と向かって言われたのならまだあきらめがついた。だけど、唯は何も言わずに消えてしまった。

 

 死んでしまったのだろうか。何か危ないことに巻き込まれてしまったのではないだろうか。彼女が消えてしまってから嫌な想像ばかりした。

 

 それからオレは無気力にただなんとなく生きていった。思い出を頭の中で何度もリピートすることだけで、現実に目を向けることがなくなった。楽しいことが何もなかったわけではなかったけれど、この時期のことを思い出そうとしても大したものは出てこない。それぐらい空っぽな生き方をしていた。

 

 中三の時、この街の学校に進学することに決めた。その三年間で見つけられなかったら、今度こそ本当に諦めるつもりで。正直会えるなんて期待していなかった。ただどこかで区切りをつけたかっただけだ。

 

 入学式の日、校庭に張り出された名簿の中にはもちろん名前がなかった。自分のクラス以外も全て目を通したが、それも無駄骨。当然のことだ。このあたりには高校なんていくらでもあるし、何より唯がここから引っ越している可能性だってあるのだから。それでも内心ショックではあった。

 

 二ヶ月前、ひとり暮らしに慣れ始めた頃、学校帰りの電車で顔色が悪い少女がいた。黒縁の眼鏡、耳にイヤホンをつけて俯いている。自分の身体を両腕で抱くようにして車両の端で縮こまっていた。外界に存在するあらゆるものをシャットアウトさせようとしているみたいで、それがやけに目に留った。

 

 車両から降りるとき彼女はフラフラとよろめいて、受け身も取らずに頭から転びそうになった。

 

 反射で彼女の身体を抱き留めた。細くて軽い身体だった。女の子だから自分より軽いのは不思議ではないが、それを加味しても異常なほど軽く感じた。その時に彼女のポケットの中から手のひらに収まる程の黒く小さな機械と学生手帳が落ちた。

 

 腕の中にいる少女の顔は、突然会えなくなってしまった、よく笑うあの幼馴染みにそっくりだった。

 

 他人の空似かもしれない。それはもちろん分かっていたが、胸の鼓動は収まらなかった。

 

 何故突然消えてしまったのか。ずっとその答えが知りたかった。そして叶うならもう一度―

 

 けれど言葉が出てこなかった。伝えたいことが多すぎてどこから始めればいいのかまるで分からない。何もせず固まっていると突然少女は立ち上がり、オレには目もくれず走り去ってしまった。

 

 小さな背中を見送りながら、あの少女の心底怯えきった瞳を思い出す。明らかにオレを知っている様子ではなかった。人違いだったのだろう。

 

 足下を見つめているとあの少女が落とした手帳とイヤホンが着けられた機械がそのままになっていた。落としたことに気づいていなかったようだ。

 

 拾ってみると手帳の方はどうやら学校から支給されたもので、黒い機械は音楽プレーヤーだった。

 

 今時携帯を使わず、わざわざ音楽プレーヤーを使うなんて珍しい、そんなことを思ったときに気づいた。ソレが以前唯に渡したものにそっくり、いやそのものだということに。

 

 オレは悪いと思いながらも堪えきれず生徒手帳の中身を覗いた。

 

 名前の欄には確かに音羽唯と、そう書いてあった。

 

 

 

「…………ねえ、翼?」

 

 指先でまた肩をトントンと叩かれる。刃物を扱っているというのにここまで上の空になっているなんて。我ながら危なっかしい。

 

「ゴメン、どこまで言ったっけ?」

 

「……何も言わずに全部切っちゃってた」

 

 まな板の上には微塵になったタマネギがあった。教えるつもりだったのに。

 

「ホントだ。ごめんもう一度」

 

「……大丈夫。見て覚えたから」

 

 彼女が差しだした手には真っ黒な手袋が被せられていた。

 

「はい」

 

「……ありがとう」

 

 包丁を手渡すとすぐにもう半分の玉ねぎにとりかかった。てっきり持ち方すら知らないと思っていたがその包丁さばきは悪くないものだった。

 

 八年ぶりに再会した唯は記憶を失っていた。聞いてみたところ、八歳までの記憶が綺麗さっぱり何も残っていないらしい。ウォークマンも自分が何故それを持っているか分からずに使っていたみたいだ。

 

「……」

 

 黙々と包丁を振る彼女の横顔を見つめながらまた物思いにふける。人生のほとんど半分の記憶を失うというのはどんな気分なのだろう。悲しいのだろうか。けれど“記憶を失う”ということはものを失くすのとはワケが違う。持っていたことすら忘れてしまうのだから喪失感もないだろう。もうその人にとってはないことが普通なのだから。

 

「……ねえ、できた、かな?」

 

 不安げな言葉に反して、表情はどこか得意げだった。実際初めてにしては上手く切れているように見える。

 

「うん。上手だと思うよ」

 

「……フフッ」

 

 褒め言葉に照れたのか、はにかんだ笑顔を微かに見せる。オレも唯も二人ともあの時から色々なことが変わってしまったけれど、その笑顔の美しさだけは昔と変わらなかった。

 

 

 




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