悲観主義者でも空は青い   作:無知無知

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二人なら

 柔らかくて暖かい光が私の顔を照らす。それに気づき、目を開けると病室の中だった。また入院かと我ながら呆れる。病衣まで着せられていた。手首には点滴の針まで突き刺さってる。

 

 寝ぼけ切った眼で辺りを見渡すとデジタル時計が置いてあった。時刻は午前8時ちょうどで、日付は十二月の

 

「三十一?」

 

 暦と戦ったのは二十七日だから四日経ったのか。四日は眠りたいとか思っていたら本当にそうなってしまったみたいだ。

 

 過眠のせいで頭が重たい。まだ何も考えたくないし、考えられない。いっそのこともう一度眠ってしまおうかと思い寝そべった。

 

 白い天井をぼんやりと見つめていたら大切なことを思い出した。

 

「翼……」

 

 あの後、どうなったのだろうか。助けを呼ぼうとしたけれど、寝落ちしちゃったんだ。もしかして―。

 

 不安でじっとしていられなくなった。ベッドから降りて、スリッパも履かずに病室から飛び出た。邪魔だから無理矢理針も抜いた。痛みなんて気にならなかった。

 

 長い廊下を走り回る。どこかにいないかと思って病室のドアを何個も開ける。開けても開けてもあの顔はどこにもない。怪訝そうな視線があちこちから返ってくるだけ。

 

 あんなに怪我していたんだ。病院にいないはずがない。私がここに運ばれたなら翼だってここにいるはずだ。

 

「絶対いる。絶対絶対絶対」

 

 何度も同じ言葉を繰り返して廊下を渡り歩き、部屋を覗いた。それでもやっぱり翼はどこにもいなかった。

 

 歩き疲れて手すりを支えに休んでいる最中、誰かに呼び止められた。

 

 看護婦だった。起きていることを担当医に知らせなければいけない、部屋で安静にしていて欲しい、そんなようなことを言っているみたいだったが、私にとってはどうでもよくて頭に入らなかった。

 

 彼女が話し終わった後、間髪入れずに質問した。黒羽翼という人は入院していませんかと。

 

 困った顔をして目を瞬かせた後、私を置いてどこかに行ってしまった。一分ほどすると帰ってきたが回答はこうだった。

 

『黒羽翼などという人は現在入院していないし、過去に入院した記録もない』

 

 礼も言えずに私は項垂れた。何も言えなかった。そんな私を他所に女性は走り去っていった。

 

 彼がここにいない理由は分かっている。死んだんだ。当然だろう。胸を切り裂かれてそのまま放置されていたんだから、死ぬに決まっている。

 

 あの時、自分が助けを呼べていれば、あんなことに関わらなければ、いや、そもそも私なんかと会わなければ、翼は死ぬことはなかったのに。

 

 涙が出そうだけれど我慢する。泣いても誰も私の涙を拭いてはくれないし、助けてくれない、あやしてくれない。もういないんだから。

 

 だから今まで通り、悲しいことがあっても歯を食いしばって我慢しないといけない。弱みを見せちゃいけない。ほんの二ヶ月前まではできたんだから大丈夫だ。大丈夫。私は大丈夫。私は―

 

 抉られたように痛む胸を押さえて顔を俯ける。そうして何も見ないでいれば独りになれるような気がしたから。今はもう誰とも話したくなかった。これからもきっとそんな気にはなれないだろう。

 

「おはよう、唯。目が覚めて良かった」

 

 後ろから声がした。その科白も聞き慣れた声も自分にとって都合が良すぎて幻聴に思えてしまう。

 

 だけどそうじゃないと信じたかった。だから振り返った。

 

 そこには当然のように彼がいて私をまっすぐ見つめていた。右手に提げている紙袋からは果物の茎のようなものが覗いている。

 

 何度も瞬いて夢じゃないか確かめようとした。けれど彼の姿は消えない。羽織っている上着も私が見たことのないものだった。私に服を一からデザインするような能はない。間違いなく現実にあるものだ。

 

「なんでそんなまじまじと……あ、これ? お見舞いって言ったらやっぱりリンゴって相場が―」

 

 言い終わるのを待ってなんかいられなかった。抱きついて、泣いた。それはもう散々に泣きじゃくった。人目も気にせずに翼のシャツをべたべたに濡らして。

 

 翼は少しの間体を強張らせていたが、すぐに私を抱きしめ返してくれた。胸にぽっかりと開いた穴がふさがって代わりに優しい熱がじんわりと広がっていく。

 

「死んっ……じゃったと、思っ……て、わた、私……!」

 

「死んでないよ。大丈夫だから」

 

 ずっとこのままでいたい。体温を感じていたい。声をかけて欲しい。笑いかけて欲しい。一生そばにいて欲しい。

 

 その願いが叶うような気がして、嬉しくて、自然と腕にかける力が強くなった。

 

 翼の体は陽だまりのように温かくて、自然と瞼が下がってくる。一緒にやりたいことが一杯あるから眠ってる場合じゃないのに。

 

「眠ってもいいよ。時間は一杯あるんだから」

 

 睡魔に抗おうとしたが、彼の柔らかい声が脳を揺さぶる。彼がいいと言うのならきっとそれが正しいのだろう。

 

 心地よさに身を任せてもう一度目を閉じた。

 

 

 

 唯が目覚め、そしてまた眠ってしまった後、医者達がすぐに駆けつけた。

 

 廊下で走らないこと、抱き合わないこと、起きたのならすぐに医師に報告することを耳にたこができるぐらい注意された。

 

 抱きしめ合っている最中は彼女が起きたことへの喜びで余り気にならなかったが、人に見られていたんだなと改めて実感し、赤面した。唯なんかすごいもので顔がトマトみたいになって……

 

 唯がもう一度起きた後、医者から警察が話を聞きに来るかもしれないという話を聞いた。廃工場の中、死体と一緒に血塗れで倒れていたのだから当然だろう。まともに説明はできないだろうから唯に頼るしかなさそうだ。

 

 脳や体にも特に異常はないらしく、何故眠っていたのかがむしろ分からないというような状況だった。目覚めた後、再度検査をしたが結局異常は見つからなかった。

 

 しかし異常がないとはいえ四日間も昏睡状態だったのだ。当然医者はあと数日様子を見たいと言ったが唯の強い希望で撥ね除けられてしまった。

 

『絶対に嫌です、すぐに帰らせてください』

 

 何度請われても彼女はそれしか言わなかった。基本的には内気な彼女があそこまで強く他人の要求を拒絶したところは見たことがなかった。オレからも安静にするよう頼んだが結果は同じ、引き下がるほかなかった。本音を言うとオレも一緒に帰りたいと思っていたから嬉しかったのだけど。

 

 簡単な検査、諸々の手続きを終えて退院する頃には二時を過ぎていた。かなり疲れているようで、フラフラと体を揺らしながらオレと一緒に坂道を下っている。

 

「大丈夫?」

 

「うん、平気。それより翼は別のところに入院してたの?」

 

 今朝さんざん泣いたせいで酷く腫れた目をオレに向けてくる。本当によく泣く子だ。日に一回は泣いているような気がする。

 

「翼……」

 

 ぎろりと睨みつけられた。頭の中をまた読まれてしまったみたいだ。相変わらず自分の悪口にだけは敏感らしい。機嫌を悪くされる前に話を戻さなければ。

 

「別のところも何も、そもそもしてないよ、入院なんて」

 

「え?」

 

 オレの返答が心底意外だったらしく、表情だけでなく体全体が固まってしまい、一瞬足が止まった。なにがそんなに不思議なのか。

 

「……だってあんなに怪我してたのに……」

 

 その言葉を聞いて合点がいった。あれほどの傷を負っていたのに何故入院もせずにこんなところでふらつけているのか。そりゃあ気になるだろう。

 

 そういえば唯にはこのことを話していなかった。隠していた訳じゃなくてただタイミングがなかったからだが、今ならちょうどいい。

 

「言ってなかったけど、オレ実は傷の治りも速いんだ。ほら、腕だってもうなんともないだろ」

 

 それを示すために軽く左手を回した。鋏をぶつけられた時、肋ごと砕かれていたが、今は完全に元通りに戻っている。

 

 身体能力が人並み外れている分、自然治癒力もそれに比例して上がっているみたいだ。開いた傷がたちどころに塞がる、というほどではないが骨折程度なら放っておいても二日、三日で治るし、こうなってからは病気にも罹ったことがない。

 

 今回も救急車で運ばれている最中に目を覚まし、病院で軽く傷を処置してもらった後、自分の足で帰った。今ではまた切花がやってきたとしても戦えるくらいには回復している。もちろん御免蒙りたいが。

 

「……」

 

 相当ショックを受けたみたいだ。何も言葉を発さない。普通の人間なら何か月もかかるような怪我が数日で治るなんて気味が悪く思えたのかもしれない。別の生き物みたいだって時々自分でも思う。

 

 唯が何かを言いたげに息を吐いた。嫌悪の言葉かもしれないと思って身構えたが、そんな卑しいことを考えていたのはオレだけだった。

 

「……よかった。もう治ったなら痛い思いをしないでいいんだ」

 

 ただそれだけだった。心の底からホッとしたような顔をして彼女は笑顔を見せてくれる。気恥ずかしくて、隠すように言葉を紡いだ。

 

「……唯の怪我の分も肩代わりできればよかったんだけどね」

 

「私は大丈夫。痛いのは慣れてるから」

 

 少し心配になるような言葉を口にして彼女は胸を張った。

 

 それにしても八年前と変わらず、いやそれ以上に彼女は優しくなったように思える。優しいというのはちょっと違うかもしれない。情に厚い、というか熱を持っているというか、とにかく感情表現が豊かだ。較べられるのは嫌がるだろうけれどいい変化だと思う。

 

 今まで人間関係が上手くいかなかったと言っていたが、きっとそれは運が悪かったのだろう。だってこんなに優しく笑えるんだ。嫌われていたのは周りの奴らの見る目がなかったからに違いない。そんな風に思えてしまうくらい今の彼女は魅力的だった。

 

「……本当によかった。あんな怪我普通なら死んじゃってるんだから」

 

「……それを言うなら唯だって、四日も眠ってたじゃないか。二度と起きないんじゃないかって気が気じゃなかったよ」

 

 死んだように眠っているのだから見ているこっちは怖くて仕方がなかった。医者も原因が分からないと言うし。

 

「……私が? そんな訳ない。翼が待ってくれているなら絶対に目を覚ますもん」

 

 当然のように唯は言ってのけた。どうにも自分の置かれていた状況がどれほど危険なものだったか分かっていないみたいだ。というよりかは気にしていないのか。

 

 オレは気を失っていてその場面を見ていないが、唯の話によると彼女は触れずにあの怪物を殺したらしい。その後脱力感に襲われて眠ったということだが……

 

 思うに唯の力は彼女自身に負担をかけるのではないだろうか。昨日の夕方も倒れたが、あれも力の使い過ぎのせいかもしれない。思い返してみると力を行使した後の彼女はどこかつかれた顔をしていた気がする。なんにせよこれからは彼女が無茶しないように気を配らないと。

 

「……ねえ、翼。暦の言ってた“あの人”のことだけど……」

 

 唯が重苦しく言葉を吐き出す。出来るならば触れたくないことなのだろう。

 

「結局そいつが切花さんを唆したっていうことなのか?」

 

「……そこがよく分からない。あの注射器はその男の持ち物だったみたいだけど意図的に渡したワケじゃないみたいなの。暦が偶然見つけて自分から持ち出したんだよ」

 

「……なんだってそんなことを?」

 

「……翼は私の部屋の中で怪しい注射器を見つけたらどうする?」

 

 唯の質問に答えるためにその光景を想像した。有り得ないことではあると思うが、そんなことになったらきっと心臓が止まってしまうくらいに驚くだろう。勿論悪い意味で。

 

「……なんなのか聞く……かな? 危ないものだったら止めさせないといけないし……お互いのためにもそのままにはしておけないから」

 

「……翼ならそうするんだろうね。でも私や暦みたいな人間は問題を解決することより波風を立たせないことを優先するんだよ」

 

 つまり切花は関係が壊れることを恐れて問い詰めることが出来なかったのか。

 

「……暦は見てしまったことを隠すために持ち出してしまった。後で元の場所に戻そうとは思っていたけれどその前に別れを切り出されたからそれも出来なくなっちゃったの」

 

 自分が経験したことのように語る彼女を見て少し心配になる。あまり他人の心に踏み込みすぎて自分を見失ってしまわなければいいのだが。

 

「じゃあそいつは今回の事件には関係ないのか?」

 

「直接は関わっていないのかもしれないけど……あんなものを持っていたんだから普通の人間でもないと思う」

 

 例の男が切花に言った言葉を思い出した。

 

『キミはいい人だから一緒にいちゃいけない』

 

 別れるために口にした適当な文句かと最初は思ったが、もしそれが本当に言葉通りだったとしたら、もし本当に悪人なのだとしたら

 

 思考を打ち切る。嫌な想像ばかりで建設的な発想は生まれそうにない。どのみち今のオレ達に出来ることはもうないのだし。その誰某が行動を起こしてから考えるとしよう。そう提案すると唯は細い眉を顰めた。

 

「……適当過ぎない?」

 

「しょうがないだろ。今はやれることがないんだから。それにオレはともかくキミは疲れてるだろ」

 

「……そうだね。……色々あったからね」

 

 彼女はそう言ってどこか遠くを見つめた。オレもつられてその視線を追う。

 

 思い返してみるとたった数日間で起きたとは信じられないくらいの目まぐるしい変化があった。

 

 人が死ぬところを何度も目にして自分も死にかけた。命など吹けば簡単に消えてしまうものなのだということを二人そろって思い知らされた。

 

 けれど悪いことばかりでもなかったと思っている。一緒に夜景を眺めたこと、変装してマンションの中でバカをやったこと。互いの窮地を救ったこと。不謹慎は承知しているが楽しくもあった。

 

 そしてなにより彼女の強さを傍で感じることが出来た。殺人事件の謎を解いてあまつさえ終わらせるなんて子供には荷が重すぎる。心を読める力があったとしてもだ。

 

 それでもやり遂げた彼女をオレは人間として心の底から尊敬していた。

 

「唯は凄いと思うよ。形はどうあれ事件を止めてみせたんだから」

 

 しばらくの間彼女は眼を丸くさせて、それから頭を振って苦笑いをした。

 

「……ありがとう……でも、翼がいてくれなかったら何も出来なかった。私は凄くなんてないよ」

 

「そんなことないって。唯は自分を低く見積もりすぎだよ」

 

「……過大評価よりはマシだと思うけれど?」

 

「後ろ向きだなあ」

 

 会話にひと段落ついて唯は視線を右手に遣った。昼下がりの街の様子がよく見える。空気が澄んでいるおかげで地平線の向こうまで覗けそうな気がした。

 

 建物も人も穏やかな陽の光に照らされている。その景色をのんびりと眺められている自分に気づいて、終わったのだなと実感がこみ上げた。

 

「……あ、そうだ唯」

 

 忘れてしまうところだった。正直なところ今日目を覚ましてくれるとは思っていなかったから。

 

「?」

 

「はい、これ」

 

 懐にしまっておいたものを取り出して彼女に差し出す。唯はそれをぼんやりとした表情で反射的に受け取った。

 

「?」

 

「誕生日おめでとう、唯」

 

 今日目が覚めてくれて本当によかった。過ぎていたとしても渡すつもりではあったが、やはり誕生日はその日のうちに祝わないと。

 

 十二月三十一日、大晦日が彼女の誕生日だった。記憶を失う前も、失った後も彼女は自分の誕生日が一年最後の日であることに愛着のようなものを持っていて、得意げにそのことを語っていたのをよく覚えている。

 

 人に贈り物を渡すときは緊張する。相手が気に入らなかったら悲しいし、喜ばれてもそれはそれで照れくさい。

 

「前壊れたでしょ。その代わり」

 

 一ヶ月前に壊れてしまった唯の音楽プレーヤー。代わりが欲しいとは一度も口にしなかったが、欲しがっていたのは一目瞭然だった。

 

 色は前と同じで黒にした。お値段なんと三万超え。唯が家に住み着くまではバイトしていたのだが、そのお金が役に立った。

 

 防水機能がついているから前よりは壊れにくくなっていると思う。流石に泥の中に突っ込まれたら一たまりもないが……その時はその時だ。

 

「これ、くれるの?」

 

 掌の中におさまったそれとオレの顔を交互に見て掠れた声を絞り出した。

 

「うん、誕生日だから」

 

 碧い目をゆらゆらと動かして戸惑ったような表情を見せる。何も言わない。もしかして気にいらなかったのかなと今更ながら不安になる。

 

「唯?」

 

 呼びかけには応えず、いきなり唯は腕で顔を覆った。耳を澄まさないと聞こえないぐらいの大きさだが、どうやらすすり泣いているみたいだった。

 

 声をかけようか、それか泣き止むまで黙っているか、どちらを選ぶか悩んでいる間に、唯はバッと顔を上げ、涙を豪快に拭き更には鼻を上着で噛もう……としたがやっぱり躊躇った。美月からもらった上着を汚す勇気はなかったらしい。両手が使えない彼女の代わりにティッシュで鼻を拭いた。

 

「……翼ズルい。私が喜ぶことばっかりして。そんなに私を泣かせてどうするつもりなの?」

 

 そう言って唯は大事そうにオレからのを胸に押し当てた。たった一つの宝物みたいに。

 

「……泣いてほしいと思ってるわけではないけど……うん。唯がどうすれば喜ぶかはいつも考えてるよ。だって」

 

 オレだって唯のことが好きなのだ。好きな人に喜んでほしいのは当たり前だろう。

 

「……私だっていつか絶対泣かせてやるんだから」

 

「とっくの昔に泣かされてるよ……」

 

 唯に記憶を消されてすぐ、彼女の泣きじゃくる姿がフラッシュバックして涙が止まらなくなった。人前でなくても泣かないようにしていたのに。それこそ八年ぶりに泣かされた。

 

「あ、あれはノーカウント!! ちゃんと私の実力でやってみせるの」

 

「なんの実力だよそれ」

 

 素っ頓狂なことを言い続ける彼女にダメだしを入れる。やはりどこか抜けてるんじゃないかと思ったが口にするのは止めた。後が怖い。

 

「と! に! か! く! やるって言ったらやるの! 首を洗って待っておいて!」

 

 果たし合いの予告みたいな科白を吐いてずんずんと歩き出した。勇ましいがその方向に進んでも駅も巌流島もない。

 

「分かりましたってば。あとそっちじゃないから」

 

「あ……そうなの」

 

 唯の手を握って方向を戻す。気温はゼロ度近いのに心も体もぽかぽかとしていた。

 

 空はウソのように青い。見ていると吸い込まれそうなくらいに何もなくて、それがどうしようもなく嬉しい。

 

 今日で今年も終わるんだったか。新しい年に特別期待などしたことはなかったけれど、今はとても楽しみだ。

 

 冷たい外気を吸いながらコツコツと靴を鳴らして歩いて行く。息を吸ったり歩いたり、当たり前のことなのに、今はその当たり前ですら楽しく思えてしょうがない。

 

 ずっと悩んでいた。唯や自分の命のためとはいえ、故意ではないとはいえ、人を殺したことを。きっとこれから切花の死に際の表情や声を何度も思い出すことになるだろうし、その義務がある。他人の命を奪うことを何とも思えないのなら、自分の命にも価値を見出すことは許されないだろうから。

 

 だけどきっと後悔はしない。こうして何かを感じて生きていくことは素晴らしいから。だから―

 

 彼女の握る手の力が強くなる。それに応えてオレも僅かに力を強めて握り返した。

 

 




これで一章は終わり一区切りです。ここまで読んだ方は是非感想や評価お願いします。
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