悲観主義者でも空は青い   作:無知無知

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Chapter.2
悲観主義者は空を見ない


 灰色の分厚い雲から雨粒が際限なく降り注ぐ。川の流れは激しく、平常時よりも水位が上昇していた。

 

 そんな濁流の中から少年が息も絶え絶えに顔を出した。一人の少女を背負いながら。

 

「うぅ……」

 

 少女が呻き声を上げていることに気づいて少年は安堵した。息はしている。肺に水が入っている様子もなかった。

 

 少女を背負ったまま少年はゆっくりと立ち上がる。疲労で足の感覚はなくなりかけていたがそれでも歩き出した。

 

「……あれ? ……私?」

 

「気が付いた?」

 

 少女は自分の置かれている状況に気が付いてまた口を閉じた。背負っている少年からは表情は見えないが、朗らかなものではないことは容易に想像がついた。

 

「……なんで、助けたの? 私は……違うって言っているのに……」

 

「……オレも言っただろ。それをこれから教えてくれって」

 

 その答えに全身をわななかせて少女は声を絞り出した。

 

「…………翼が、私に変なことばっか言って、私を変えたから……全部壊れちゃった……! ……アナタがやってこなければ私は普通のままでいられたのに……! ……翼なんて……大嫌い……!」

 

 言葉とは裏腹に少女は少年の体を強く抱きしめ首筋に顔を埋める。冷たい雨とは違う熱い雫が流れていることを感じて、彼は申し訳なさそうに目を閉じた。

 

「……本当にごめんね」

 

 言葉が途絶える。響くのはザアザアという雨音と少女の啜り泣く声だけ。

 

 長い間を置いて少女は再びか細い声を吐き出した。

 

「母さんの記憶も消しちゃって……もうどこにも居場所がなくなっちゃった……私、これからどうしよう……」

 

 悔やむような、縋るような言葉に少年はもう一度目を閉じる。そして足を止め、顔を上げた。

 

「……それならさ……」

 

 

 

 

 

 始業時間の三十分程前に学校についた。まだ席は半分ほど埋まっておらず教室はそれほど騒がしくない。何の気なしに窓から外を眺めていると空が青く澄んでいることに今になって気づいた。しかし全く気分は晴れない。青空を見上げて希望を感じるような、そんな当たり前の感覚を失ったのはいつだっただろうか。

 

「……」

 

 無駄足だった。八年前失踪した彼女を捜すためここに戻ったがまるで足取りが掴めない。まだ六ヶ月しか経っていないが諦めかけていた。

 

 大した期待は持たずに来たつもりだったが落胆は大きい。いや結局のところ自分を守るために期待しない振りをしていただけだったのだろう。

 

「翼くーん」

 

 本当にどうしたものか。無理を言って家から出てきた。金も工面してもらっている。だというのにオレ自身もうやる気を失っていた。せめて勉学くらいは頑張って親に報いないと―

 

「翼ってば」

 

 不意になにかが顔に向かって飛んでくるのを感じて反射的に掴み取った。手のひらに視線を落とすとそれが消しゴムであることが分かった。

 

「……」

 

 消しゴムが飛んできた方向には薄ら笑いを浮かべた男が座っている。宮代明、またコイツか。ため息が止まらなかった。

 

「あはは、すごい。見てなかったのにどうやって取ったの」

 

「見てなかったのが分かってたならこんなもん投げつけんな」

 

 それなりに力を込めて、眉間目掛けて指で弾いた消しゴムは当たる寸前に掴み取られてしまった。

 

「危ない危ない」と嘯いていたが、この男ははっきりと目で捉えていた。手加減はもちろんしていたが普通なら捉えられるスピードではなかった筈なのに。手を抜きすぎたのだろうか。

 

「寝ぼけてるかと思ったから目を覚ましてあげただけだよ。返事もしないし」

 

「消しゴム投げる理由にはならないだろ」

 

 知り合ってから半年、なんだかんだで話す機会が多い相手だがコイツのことは未だによく分からない。いつもニコニコと笑っているが言い換えれば表情が変わらない。笑顔もここまでくればずっと無表情でいるようなものだ。

 

「キミは相変わらず憂鬱そうな顔をしているね。気晴らしに趣味の一つでも見つけたらどう?」

 

「趣味ね……」

 

 料理をすることはそれなりに好きだったが最近は凝ることが少なくなった。姉や母が喜んでくれたからやっていただけなのでモチベーションがなくなってしまったのだろう。

 

「悩み事があるなら相談してみる? ボクならいつでも歓迎だよ」

 

「気色わ……じゃなくて……。いいよそこまでしなくても」

 

「ねえ今気色悪いって言おうとしなかったかい?」

 

 それなりにショックを受けているような声音に笑いが零れる。当たり前だがコイツでも傷つくことはあるのか。

 

「悪い、けどいいんだ。もう終わったことだから」

 

 そう。本当はもう八年前に、彼女と連絡がつかなくなったあの日に終わっていたのだろう。もっと早くに諦めて前に進むべきだったのにオレはそれをしなかった。

 

 そろそろ前に進まなければいけないのかもしれない。彼女の行方はおろか生きているのかすら分からないが仕方ないじゃないか。オレにはもう、何も出来ないのだから。

 

「……そう。まあ解決できない問題は人生につきものだよね」

 

「なんだその年寄りみたいな言いぐさは」

 

 神妙な顔をして頷く明に突っ込むとコイツはまたニコリと笑った。認めるのは癪だがオレはこの男が嫌いじゃなかった。割と気が利くところもあるし誰かのことを悪く言っているところを見たことがない。

 

「じゃあね。授業中に寝るのそろそろ止めなよ」

 

「うるさいよ、さっさと行け」

 

 シッシと手で追い払うと明は席に戻っていった。段々と教室に人が集まってくる。

 

 今日くらい真面目に授業を受けようと教科書を開いて予習を始めた。気を抜くと彼女の声が頭を過るがそれを無視して。

 

 

 

 ガタゴト、ザワザワ、ヒソヒソ。色々な音が頭の中でこだましている。イヤホンで耳を塞いでもそれは鳴りやまない。

 

 いつものように電車に揺られながらいつもと同じことを考えていた。電車の中には年齢も服装も、職業だって違う人達が揃っている筈なのに皆同じ表情をしている。

 

「……」

 

 それは私も同じだ。いつもみたいにつまらない顔をして学校に顔を出して、当たり障りのない言葉を使って一日をやり過ごす。

 

 電車内の機械音声が学校の最寄り駅に近づいていることをアナウンスする。私は度の入っていない眼鏡を胸ポケットから出してつけた。

 

 視界が狭まるだけだが他人との間に壁を作れるみたいで少し安心するし、目の色が青いことがバレにくくなる。人に顔を覗き込まれるようなことは避けたい。気持ち悪いから。

 

 電車が止まって扉が開いた。混雑した駅の外には雲一つない晴天が広がっていた。手をかざして光から目を守る。そして思わず声が漏れた。

 

「キライ……」

 

 頭と胸の中がぐちゃぐちゃなのに空だけ青くてなんになるというのだろう。

 

 

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