冬休み間近ということで学校では大掃除があった。机を全部外に出したり、ゴミ捨てしたり、そこまで大変ではなかったが時間がかかる。よく考えもせずに仕事を引き受けすぎたせいでもう三時を過ぎてしまった。短縮授業だったのに。
アメリカとかでは学校の掃除は用務員の仕事と聞くけれど世界的に見るとどちらが一般的なのだろう。そんなことを考えながら電車に揺られていた。
改札を抜けた時、柱によりかかるように立つ、見慣れた人影を見つけた。金色の髪、小さな体、何かに怯えるように身を縮ませるその仕草。間違いなく唯のものだった。
「……なんでこんなところにいるんだろう?」
電車を使ってどこかに出かけるのだろうか。声をかけてみようと思ったその時、視線が合った。
「ゆ──」
名前を呼ぶ暇もなく彼女は柱の陰に隠れてしまった。避けられている、みたいだ。
「…………」
ショックのあまり半ば固まりながらこれまでの自分の行動を思い返す。どこかで嫌われるようなことをしたのだろうか、いやでも昨日は一緒に料理作ったしそんな素振りは見せて……もしかして誰かと待ち合わせをしている? 同級生の男子とかとデート? 会うところを見られたくないのかも
「あーやめやめ」
袋小路に追い詰められた思考を中断する。昔と違って今のオレと唯はそういう関係ではないのだ。キスしたことも、多分覚えていないだろうし。同じ家に住んでいるとはいえあまりプライベートに立ち入るべきではない。
ここは素直に帰って課題でも終わらせよう。頭を使えば少しはモヤモヤが晴れるかもしれない。駅から出ようと歩き出し、唯が隠れている柱を通り過ぎる瞬間だった。制服の裾を何かに引っ張られた。
「………………」
裾を掴んでいたのは唯だった。目に涙を滲ませ、無言でこちらを見つめている。
「えっと……唯、さん?」
「……に……ろ」
何かを言ったみたいだが断片的にしか聞き取れなかった。にろ……煮ろ? 煮物?
「……煮物が食べたいの?」
「違う!! 一緒に帰ろうって言ったの!!」
そんな一幕の後、一緒に帰ることになった。電車に乗る前に降っていた雪は消えて、空は少しだけ明るくなっている。
唯はオレの傍から半歩ほど距離を取って歩いている。時間が経てばこの距離は縮まるのだろうか。
「迎えに来てくれたんだ。ちょっと驚いた、てっきり電車でどこかに行こうとしてるのかなって思ってたから」
オレの言葉に唯は自嘲的な笑みで返した。
「……行きたい場所なんてないよ。やりたいこともあんまりないし」
羨望と諦観の入り混じった複雑な声だった。どんなことを言えばいいのか分からなくなってしまう。
「と、友達とかと会うのかな……なんて思った……ん……だけど……」
当たり障りのない言葉で暗くなった雰囲気を塗り替えようと思ったが逆効果だったみたいだ。唯は泣く寸前のようにクシャっと顔を歪めた。
「……友達なんてそれこそ一人もいない。自分から人を避けてきたんだから」
息の詰まるような沈黙が二人の間に流れる。実際の時間にしては十秒足らずでも体感的にはその十倍以上に感じた。
「ごめん、嫌なことばっかり言った……」
「……私の方こそごめんなさい。友達くらい、いて当たり前なのにね……」
これ以上傷つけないためにもなにも言わない方がいいのかもしれない。しかしこのまま会話を終わらせたくなかった。ここで退いてしまってはなにか致命的なものが失われてしまうような気がして。
「……じゃあさ。オレが一人目の友達になるんじゃ……だめかな?」
彼女は目を見開いてパチパチと何度も瞬きをした。影に光が差したように表情が明るくなる。好感触を得て内心ガッツポーズをとりたくなったが……
「……フフッ駄目」
予想外の返事に思わず転びそうになった。なぜ、どうして、why?
「…………え? 今なんかOKしそうな流れじゃなかった?」
「……面白そうだから断っちゃった」
「そんなところで茶目っ気出さないでよ」
断られてしまったのは残念だけど安心した。こんな風に冗談を言ってくれるということはそれ位には心を許してくれているということだから…………だよな。
「……それに私は……友達じゃなくて……こ……の方がいいから……」
彼女は顔を俯かせながらボソボソと何かを呟いている。耳は悪い方ではないのだがまた聞き取れなかった。
「え、ごめん。もう一回言ってくれる?」
「…………独り言だからいい」
恥ずかしそうに、怒ったように顔を睨みつけてきた。笑ったり怒ったり忙しがない。
それからまた歩き出した。歩きながら二人で他愛のない話をした。彼女から話題を振ることはないが、オレが話をするとキレのいい反しをくれる。なんでもないことだけど楽しかった。
真っすぐに帰れば十分もかからない道のりをわざと遠回りした。どちらかがそうしようと言い出したことではなかった。ただ目的地に着いてしまったら会話が終わってしまうような気がして自然と帰路から足が離れていた。
辺りは既に薄暗くなってきている。この季節は本当に日の入りが早いし、影も大きい。冬至は過ぎたからそろそろ日は長くなり始めるが、寒さはまだまだこれから強くなる。押入れの奥にある例のあれをそろそろ出そうか。
「もう結構暗いね。一緒に帰れてよかった」
「……私、暗いのは平気。夜に散歩、してたから。静かで落ち着く」
今なんだかものすごいことを聞いたような。恋愛におけるそれとは違う意味でドキドキしてくる。
「……暗い趣味だと思って引いてるの……?」
「いやそれはいいけどさ……夜っていうのは……七時とか八時とかのこと……だよね?」
「……それって夜って言うの? 夜は十二時過ぎてからでしょ」
「唯さん……それは深夜って言うんだよ……」
危機感と言うものがないのだろうか。大の男でも危ない時間帯なのに、唯みたいな女の子なら猶更だ。オレは彼女の保護者ではないのだが一応は同居人だ。注意しておかないと。
「唯、これからはそういうのは止めて」
「……む。なんで?」
「なんでってそりゃ危ないからだよ」
「……私だって超能力者なんだから平気だし」
彼女の力はオレも知っているが、いや知っているからこそ、ここは引き下がるわけにはいかない。触れなければ使えない力なのだ。後ろから襲われたらひとたまりもない。
「とにかく深夜の徘徊は禁止。門限は八時までです」
「……むー」
墨を吹きかける直前のタコのように頬を膨らませている。実にあざとい、がそんなことでオレの心は揺らがない。いや、多少は揺らいだがそれでも撤回するつもりはない。
「ダメったらダメ」
「……そんなに、心配なら翼がついてきて。そうすれば危なくないでしょ」
「……え?」
そっぽを向かれてしまったので表情は分からない。上着の裾を強く掴んでいることから緊張しているような印象を受けた。
「じゃあそれで手打ちにしよう」
「……うん」
「帰ろうか」
「……うん」
陽はすっかりと落ちてしまって、辺りは真っ暗になったが通勤帰りの人がまだ歩いているし、そうでなくても年末なのだ。街は賑わっていた。煌びやかなイルミネーションに彩られたクリスマスツリーに響き渡るクリスマスソング。彼女の言う静かで落ち着く夜とは程遠い。
「唯は静かな方が好き?」
「……うん。そうだけど……」
頼りなさすら感じさせる小さな背中が目の前に躍り出る。そうして数歩歩いた後振り返った。
「今はこういうのも好きだよ」
金色の髪が風でなびく。碧い瞳が光を照り返してキラキラと輝く。余りに綺麗だから一瞬息をすることすら忘れてしまった。
「なら、よかった」
「……うん」
彼女の記憶やオレたちの仲、何もかもが元に戻りはしないかもしれない。けれど帰り道、二人の間にあった距離は少しだけ縮まっていた。それだけで今は十分だった。
閉め切った部屋の中で硬いものが砕ける音がする。加えて液体が飛び散る音も。果物が割れてその中の果汁が撒き散らされているようだった。
バキバキ、グチャグチャ、バリバリ、音は止まない。殻が砕けるような硬い音がなくなって湿ったような音しかしなくなってもずっと続いた。
『ウゥゥゥ……』
部屋の中には真っ黒な異形の怪物が佇んでいる。ソレは怒りを吐き出すように荒く息をして、暗がりの中で眼を血走らせていた。
足元には血塗れの肉片が転がっている。まるで機関砲にでも撃たれたかのような有様で傷のついていない部位などほとんどなかった。顔面は叩き潰され、頭蓋からは脳味噌が零れ出ている。長い髪の毛はゴミのように血だまりに沈んでいて元の色など分からなかった。胴体は何十にも分割され、手足も念入りに叩かれて挽かれた牛肉のようになっている。
こびりついた布と腕時計がなければこの肉片が人間だったものだということを誰も信じなかっただろう。
「ああ……ああっ……!」
男が悲鳴を上げて部屋の隅にへたり込む。その場から逃げようと何度も立ち上がるが、足が震えてすぐに倒れてしまう。
その無様な姿を見て怪物は歪んだ笑みを見せ、愚鈍な獲物を手にかけようと鋏を振り下ろした。
しかし、頭を砕くはずのその一撃が届くことはなかった。鉄の塊は幻のようにすり抜け空を切る。
『ア゛ァ?』
それならばと腕を伸ばし、喉笛を引き千切ろうと試みたがそれも叶わなかった。その指さえもすり抜けてしまう。
困惑し、自分の腕を見つめている間に男はとうとう部屋から逃げてしまった。追って殺そうかと怪物は考えたが即座にそれが不可能だということに気づいた。
“まだ”奴を殺すことは出来ない。その条件を自分は揃えていない。
『ヴゥ……』
腹立たしげな唸り声を上げて怪物はその場から姿を消した。
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